第9話「その宿、閑古鳥につき」
その宿屋は、アマミに辿り着いた全ての冒険者を迎えてくれる。
名は、
上層から戻ってきた者も、下層から這い上がった者も、一時の安らぎを求めて
そんな山猫亭を仕切っているのは、まだうら若き少女だった。
「さあ、見なさいよ! お姫様、アンタのせいで酷いありさまなの!」
ザッシュとリータ達を連れて、ネージュは店の酒場へやってきた。
客はちらほらといるが、確かに言われてみれば少し物寂しい。空席も目立つし、
ザッシュは話でしか聴いていないが、大盛況というには程遠い。
そう思っていると、ネージュが宿帳を持ってやってくる。
「これを見て! 宿泊客が半分も減ったのよ! エルフのお姫様のせいでね!」
「えっと……単純にサービスが悪いからじゃ」
「なんですって!? うちは親切丁寧、第二の我が家ってのがモットーなの!」
「す、すみません。そういえば、清掃も行き届いているみたいですね」
「わかればいいのよ! アンタ、いい子ね。若いのにいい目をしてるわ」
「チョ、チョロい!」
そうこうしていると、リータは周囲を見渡しながら酒場へ歩み出る。
そして、ゆっくりと一同を振り返った。
「あの、ネージュさん。こちらの営業不振、わたくしのせいなのでしょうか」
「当然よ!」
「まあ……では謝罪せねばなりませんね。ごめんなさい、ネージュさん」
「いっ、いいのよ! わかればいいの! 顔をあげて、お姫様!」
慌ててネージュが駆け寄り、頭を下げたリータの両肩に手を置く。
苦情を言いたいのか、それとも許したいのか。どっちにしろ、ネージュは
それなのに、彼女は再び怒り出した。
今度は少し具体的な話で、ザッシュもルーシアやロアンと共に聞き入った。
「アンタね、お姫様。地上に冒険者を返す魔法を使うんですって?」
「はい。
「それが問題なのっ!」
「まあ……どのような。やはりわたくしのせいなのですね」
「あ、そんな顔しないで、いいの! それはいいの!」
ネージュはようやく順を追って説明を始めた。
今日からリータが、街の集会所で保存と再生の儀式を始めた。同じく、希望者は一瞬で地上に帰れる
そして、冒険者達の大半が……アマミの滞在より地上への帰還を選んだ。
冒険に欠かせぬ武具や道具の揃えは、どうしても地上には敵わない。
何より、アマミの上下はバベルの
確かな備えがなければ、待つのは死だけである。
「そういう訳で、お姫様! 今、山猫亭には地上から登ってきた冒険者しかいないわ。上から降りてきた人は、みんな帰っちゃったの! アンタの魔法で!」
そう言えば、昼休みを挟んでの一日で、随分多くの冒険者が地上へ戻っていった。
アマミにも道具屋や武器屋、防具屋はある。
しかし、どうしても物流が滞る時期もあって、品揃えが安定しない。上層から持ち帰られた
「と、言う訳よ。アンタはアタシの客を大勢地上に帰してしまったわ」
思わずザッシュは、リータとネージュの間に割って入った。
因果関係は理解できたが、それをリータに当たるのは酷というものだ。彼女は冒険者の危険を少しでも減らすため、このアマミにやってきたのだ。
半ば王家から追放されるようにして。
そんな彼女の事情を知るからこそ、ザッシュは黙ってはいられない。
「ネージュさん、話はわかりました。ですが、リータは冒険者の方々のために」
「アタシだってこのバベルで生きてんだよ? 客商売ナメんじゃないわよ! ……べつにね、そこのお姫様を責めてるんじゃないの。ただ、アタシも考えたわ」
ネージュは得意気に人差し指を立てる。
そして、一同を見渡してから自分の妙案を披露した。
「地上から来る冒険者は、さらに上に行く前に休息を取るべく……この山猫亭に泊まるの。それは今も変わらない。お姫様は、アマミから地上へ冒険者を帰すことはできても、地上からアマミへは無理なんでしょう?」
「ええ。地上にはわたくしがいないので……ふふ、わたくしが二人いたらもっと便利でしたのにね」
「や、お姫様が二人いたら潰れるから。アタシの山猫亭、潰れちゃうから」
「ご、ごめんんさい」
「あっ! いいのいいの! そういう切ない顔やめなよ、せっかく可愛いのに」
ザッシュはネージュの人となりを、なんとなく理解した。
悪い人じゃない。
むしろ、善良なアマミの住人で、重要な宿屋を取り仕切っている働き者だ。
だが、
チョロい上に面倒臭い少女なのだ。
ロアンとルーシアも「チョロいですね」「だな……斬るか?」などと意味不明なやり取りをしている。
だが、ネージュの真意がはっきりしたことでザッシュも思考を巡らせた。
「つまり……宿屋の宿泊客を以前同様に回復させたい。そういうことですね、ネージュさん」
「そう! そうなのよ! ふーん、えっと、ザッシュ? だっけ? 理解力あるじゃん、見直したっ!」
「は、はあ」
「そういう訳で、一緒に考えて
肩を
それを見てリータも、いつもの優しい笑みを浮かべる。
「ま、面倒だと思うけどさ……アタシと違って、お姫様は面倒臭い系の女の子っぽいし」
「わたくしのことでしたら、どうか気に病まないでくださいまし。それに、この街で唯一の宿屋が経営不振とあらば、わたくしにできることでしたらなんなりと。それと――」
酒場の客達もこちらに注目してる中、リータは堂々と言ってのけた。
「宿屋とはどのような施設なのでしょうか? 確か、宿泊する場所だと……どういったお仕事を普段はされてるんですの? ネージュさん、わたくし興味がありますわっ!」
時々忘れそうになるが、リータはハイエルフの王族、お姫様だ。庶民の暮らしや労働に関しては、わからないどころか理解の
ザッシュが説明しようとした、との時だった。
パンッ! と手を叩いたネージュが瞳を輝かせる。
「おーしっ! じゃあ……リータって呼ぶわ。いい? リータ」
「ええ。わたくしもネージュと呼ばせていただきますわ」
「それで、リータ! ……宿屋の仕事、体験してみる? 何か現状打開のヒントがえられるかも」
慌ててルーシアとロアンが飛び出したが、遅かった。
手と手の指を
ザッシュも止めようとしたが、
以前の件で、リータは一度決めたら己を曲げない女の子だと知っているから。
「それは素晴らしい考えですわ! わたくし、宿屋というもので働いてみたいですの」
「ねえ、ちょっと待って。待とう、リータ。現状が知りたいなら俺が働くから――」
「いーえっ! わたくしが自ら汗を流してこそ、わかることもあると思いますの!」
姫君の決意は揺るがない。
夕暮れ時を迎えるアマミでは、多くの冒険者や労働者が一日を終えようとしていた。
箱庭のような街で今、
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