第6話「豪傑と麗人」

 絶体絶命。

 獰猛どうもうなフォレストウルフは続々と地面から現れる。

 ここは危険なバベルの迷宮……建造物の中とは思えぬ原生林の中でザッシュは震えた。手に持つ銃も今は、ただの鉄塊てっかいでしかない。

 そして、目の前にはリータがいる。

 彼女を守る人間として、記憶のないザッシュは居場所を得たばかりだ。


「リータ、下がって!」


 襲い来るフォレストウルフから、リータを守る。

 恐怖ですくむ脚に力を込めて、ザッシュは少女の手を取った。そのまま走り出すが、獣達は俊敏な動作で先回りしてくる。

 すでに囲まれたようで、退くことも進むことも難しい。

 ザッシュは決断を迫られていた。

 次に銃が息を吹き返したら、退路を確保すべきだ。

 そして、リータだけでも逃さなければいけない。

 そう思っていても、当のリータ本人は気丈な声をあげる。


「わたくし達を通してください! 冒険者さんを助けなければいけないのですわ。さあ、魔物達よ! 道を開けてくださいな」


 絶望的な危機の中でも、リータはまだ冒険者のことを考えていた。

 自分の命よりも、他人の命を気にかけている。

 愚直なまでに崇高なその心が、ザッシュを熱く揺り動かした。


「リータ、まずは自分達の安全を……君の安全を第一に考えなきゃ!」

「そ、そうですわね。ザッシュの言う通りですわ。わたくし達が魔物に食べられてはいけませんの。救いを待ってる方々のためにも!」

「そう、だから……次の一撃でリータを逃がす。そのために――!?」


 冷却中の銃を構えつつ、ザッシュが身構えたその時だった。

 突然の異変。

 短く響く悲鳴と共に、一匹のフォレストウルフが倒れた。

 その頭部には、巨大なおのがめり込んでいる。

 投擲とうてきされたとは思えない大きさの、重々しいバトルアックスだ。そして、森の奥を魔物達が一斉に振り返る。

 そこには、アンバランスな二人組が立っていた。


「よぉ、ボウズ! さっきのはあれか? 埒外遺物オージャンクってやつか。面白え武器だな……あとでちょっと見せてくれよ」

「それはあとにしてくださいね、あなた……まずは二人の救助を。あら? あのは」


 現れたのは、ひどく小さな鎧姿と、褐色かっしょくの肌もあらわな長身の女性だ。

 男の方は全身を鈍色にびいろの鎧で包み、兜の奥から覗く瞳はギラついた光を満たしている。恐らく、先程の斧を投げた人物で、ドワーフの戦士のようだ。

 かたわらの女性は長い杖を持ち、落ち着いた声でザッシュに話しかけてくる。


「そっちの彼は姫の護衛の方ですね? 周囲は私達が片付けますので、姫を守ってください」

「は、はいっ!」

「死守、ですよ? いいですね? 姫に何かあったら、あなた……死にます」


 魔物の何倍も怖い声だった。

 穏やかで丁寧な口調だが、女性の言葉は強い。

 そして、彼女の黒髪から覗く耳が、リータと同じエルフだと教えてくれる。肌の色から察するに、ダークエルフだ。

 二人組はすぐに動き出した。

 鎧に着られているようなドワーフは、鈍重な外観を裏切る速さで死体から斧を抜き放つ。血塗れの刃に僅かな光を集めて、彼は次々とフォレストウルフを片付け始めた。

 女性もまた、杖をかざして目を見開く。


「あなた、無茶をしすぎないでくださいね」

「わーってる! ったく、うちのカミサンは優しいねえ! 涙が出らあ」

「当然です。では……万物万象ばんぶつばんしょう、全てに宿りし火の精霊よ!」


 女性の杖に光が集まり、それはやがて燃え盛る巨大な火球になる。

 周囲を煌々こうこうと照らす炎の固まりが放たれ、あっという間にフォレストウルフをまとめて消滅させた。ドワーフの男が片付けた死体も、まるで溶け消えるように地面へ還ってゆく。

 気付けばザッシュは、二人組に助けられてその場にへたりこんだ。

 手を繋いだままのリータも、呆然ぼうぜんとしている。


「凄い魔法でしたわ。初歩的な火の魔法とは言え、あんなに素早く」

「う、うん……それより、リータに怪我はないね?」

「ええ! ありがとうございます、ザッシュ。それと、そちらの方も。では、行きましょう! 今度こそ、奥に待つ方々を助けなければなりませんの」


 ザッシュは自分が情けなくなる一方で、リータの真っ直ぐな強さに驚かされる。

 だが、ドワーフとダークエルフの夫婦らしき二人組は、顔を見合わせて視線でうなずき合った。そして、ザッシュ達の前まで来て名乗ってくれる。


「俺ぁドルクだ! こっちはカミサンのエルート。危なかったな、ボウズ!」

「しかし、何故なぜリータ姫様がこんな場所に? 返答次第ではただではすみませんよ、少年」


 ザッシュは順を追って二人に説明した。

 大怪我をした冒険者達と、その内の一人が亡くなったこと。

 そして、まだ逃げ遅れた冒険者がいるので、リータが助けに飛び出してしまったこと。

 話を聞いたドルクとエルートは、あきれたように寂しく笑った。


「そうか、わかったボウズ! なら、もう帰るぞ。俺達と一緒なら安全だ」

「えっ? いや、奥にまだ」

「……誰もいねえよ。さっきの魔物と同じだ。このバベルの迷宮じゃ、。この101階は暗緑ノ樹海アンリョクノジュカイの入り口、難しい構造じゃねえ。ここに戻ってくるまで、誰にも会わなかった。つまり、そういうこった」


 エルートも無言で頷いた。

 生存者は、いない。

 いたかもしれないが、それも過去の話ということだ。

 そして、死ねば魔物でも人間でも吸い込まれてしまう。

 いったいバベルとは何なのだろう?

 この巨大な塔の不思議な構造と、無慈悲なルール。

 改めてザッシュは自分の異物感を再確認した。

 記憶がないばかりではなく、自分は今のこの世界では別種の人間なのだ。

 だが、リータはそんなザッシュの手を強く握り返してくる。


「わかりましたわ、ドルク。そしてエルート。助けてくださってありがとうですの。感謝を」

「なぁに、姫さんに何かあったらおっかねえからな! それに、王族に恩を売っとくのもいいと思ったまでよ。ガッハッハ!」


 豪快に笑って、ドルクは歩き出した。

 背後をエルートに守られつつ、ザッシュも立ち上がってリータと続く。

 手の中の銃が機能を回復していることに気付いたが……握る手が恐怖でまだ強張っている。思うように指が動かせない中、銃把じゅうはが酷く冷たく感じられた。

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