第5話「エンカウント」

 長い螺旋階段らせんかいだんを昇ると、不意に視界が開ける。

 バベルと呼ばれる巨塔、その101階のフロアが広がっていた。

 自然とザッシュは、腰から銃を抜き放つ。

 小さな唸り声を上げる手の中の相棒だけが、今頼れるザッシュの全てだ。


「ここが……わたくしも初めて来ましたわ。ここが、迷宮ダンジョン……第11階層、暗緑ノ樹海アンリョクノジュカイ

「暗緑ノ樹海?」

「ええ。バベルは10階ごとに階層が区切られてますの」


 目の前に今、薄暗い森が広がっていた。

 ここはバベルの内部、屋内おくないだ。

 それを差し引いても、見渡す限りの緑が広がっている。天井を見上げれば、わずかに見える空を枝葉が奪い合っている。

 どこかで見知らぬ鳥の泣き声が聴こえる。

 そこかしこに生き物の気配がある。

 驚くザッシュは、突然リータに手を握られた。


「さ、参りましょう! 逃げ遅れた方を探さねばなりませんわ」

「あ、ああ。でも、えっと、魔物? 出るんだよね」

「ええ、すっごく沢山。ですから、急いで冒険者さんを助けて戻りますの」

「わかった」


 しかし、獣道こそあるものの薄闇の不気味な空気は冷たい。

 濃密な緑の空気は、まるで原初の森そのものだ。の光さえ届かぬ、ここは樹木と草花の深海といったところである。

 だが、リータの足取りは強い。

 流石はハイエルフの姫君だと、ザッシュは感心してしまった。


「ザッシュ、周囲に気をつけてくださいまし。魔物と出会ったら、戦うか逃げるかの選択を迫られますわ。その時、その状況をよく考えて判断しますの」

「く、詳しいんだね。……でも、リータは凄いな。俺、関心しちゃったよ」

「昔、絵草紙えぞうし文学書ぶんがくしょで読みましたの。バベルへの挑戦は常に冒険、それも大冒険ですわ」

「……よ、読んだだけ?」

「他には歌も少し」


 急に不安になってきた。

 思わず銃把グリップを握る手に力がもる。

 だが、ザッシュは名も知らぬ草が生い茂る中へ目を落とした。

 そこには、冒険者の奮闘を物語る血痕けっこんが続いている。


「リータ、この血痕を辿たどろう。……お、俺から離れないでくれよ?」

「は、はいっ! ザッシュ、頼もしいですわ」

「や、俺が怖いからさ。リータ、なにかこぉ……あるんだろう? 魔法みたいなの。ハイエルフなんだし」

「えっと、それは――」


 その時だった。

 周囲の木々から一斉に鳥が飛び立つ。

 同時に、途切れ途切れに先へ続く獣道が光り出した。

 ぼんやりと浮かぶ光条が輝く中から、ゆらりと獣のシルエットが浮かぶ。

 それが魔物だと察知した時には、ザッシュはリータを背にかばっていた。


「前言撤回っ、下がってリータ! あれが、魔物っ!」

「バベルの中では、魔物はこうして床から生まれてくるのです」

「はは、まんまゲームじゃないか」

「ですがザッシュ、わたくし達の持ち駒や手札は限られてますの。逆に、バベルは無限にそれらを持ち合わせ、定期的にこうして繰り出してくるのですわ」


 恐らく、リータの言うゲームはザッシュの知るゲームとは違う。

 アマミの街でも感じたが、この世界の文明レベルは中世後期……多種多様な種族が入り交じる封建制度ほうけんせいど的な文化圏だと思う。他ならぬリータが、ハイエルフという一種の権威を持っていることもそう感じさせた。

 だが、彼女の例えは言い得て妙だ。

 盤上ばんじょうの駒であれ、テーブルに並べたカードであれ、状況は同じ。

 つまり、バベルの迷宮では際限なく魔物に襲われることになっているのだ。

 そして、目の前に牛馬のごと巨躯きょくが現れた。


「狼ですの! 大きい……あれは確か、そうですわ! フォレストウルフ!」

「腹ペコみたいだね、来るっ!」


 咄嗟とっさにザッシュは、攻撃よりリータの安全を優先した。

 握る手を引き、抱き寄せるようにして身を伏せる。

 それは、一秒前の自分が牙と爪で引き裂かれるのと同時。

 フォレストウルフの咆哮ほうこうが頭上を飛び越えた。

 そのままリータの頭を抱きつつ、もう片方の手で銃を向ける。

 ターンしたフォレストウルフが唸りつつ、今にも飛びかかってきそうだ。


「安全装置とか、いいのか? ええい、ままよっ!」


 それは、一瞬の出来事だった。

 銃口を向けた瞬間、再び銃が輝き始めた。

 またも無数にひらめく、光の文字列。

 リボルバーのシリンダーが突然、音を立てて回転し始める。


『SAFETY RELEASE!! BULLET CHECK……1、2、3、4、5……BLANC. 6……SELECT PRESET!! PHOTON BLASTERフォトン・ブラスター――READY!!』


 光が収束すると同時に、行き交う文字と数字も消え去る。

 自然とザッシュは、銃爪トリガーを引き絞っていた。

 瞬間、銃口から光芒こうぼうほとばしる。

 空気をく金切り声に、フォレストウルフの断末魔が重なった。

 ドサリと崩れ落ちた魔物の半身が、そこだけくり抜いたように消えている。


「す、凄い……え? 何? 冷却……180秒!? 聞いてないっ!」

「ザッシュ、次が来ますわ! 恐らく埒外遺物オージャンクですのね、その武器は。でしたら、わたくしがその隙をフォローしますの!」


 リータはただ守られているだけのお姫様ではない。

 そのことは、先程の賢明な救命処置で見た。

 だが、次の瞬間……ハイエルフの姫君というイメージを彼女は脱ぎ捨てる。


「さあ、わたくしが相手ですっ! ここを通してくださいましっ!」


 リータは周囲を見渡し……手近な場所に落ちていた太い枯れ枝を拾った。

 それを、いかにも見よう見まねといった感じで構える。

 思わずザッシュは、震える彼女の肩を見詰めながら不安に襲われた。


「リータ、剣の心得が?」

「ありませんわ!」

「なにかこう、勝算は」

「ですから、ありませんわ! でも、頑張りますの!」

「ハイエルフ、だよね? 魔法とか――」

「……わたくし、使える魔法は一つしかありませんの!」


 そこで初めて、ザッシュは彼女が屈強な女騎士ルーシアに守られている意味を知った。本当にただのお姫様……戦闘に関するスキルや心得、それを実行する精神力と肉体を持ち合わせていないのだ。

 そして、彼女が唯一使える魔法。

 それは、きっとザッシュをこの世界に現出させた古代魔法ハイエイシェントのことだろう。

 機械的な音声で銃が秒読みをする中、ザッシュはれた。


「大丈夫ですわ、ザッシュ。わたくし達は冒険者さんを助けるためにも、ここで負けてはいけませんの!」


 肩越しに一度だけ振り返るリータは、恐怖で引きつる表情で無理に笑った。

 その笑顔は再び引き締められると同時に、跳躍する別のフォレストウルフに向けられる。

 魔物のすさぶ声が、容赦なく二人に襲いかかった。

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