第4話「彼女が命を救う時」

 アマミの北側、上層への上り階段へと人が集まっている。

 その流れを追うように、ザッシュは全力疾走で駆けていた。だが、どうやら自分は運動がそこまで得意なタイプじゃないらしい。

 あっと言う間にルーシアに抜かれ、ロアンにさえ追い越される。


「はぁ、はぁ……ルーシアさんは騎士らしいからいいけど、ロアンさんにまで」


 この世界の者達は皆、どうやらそれなりにたくましいらしい。

 エルフというのは、ザッシュにはどこか華奢きゃしゃでひ弱なイメージがある。はかなげというか、人ならざる高貴な身分という雰囲気だ。

 だが、忘れてはいけない。

 ザッシュよりルーシアは、頭一つ程背が高い。

 見事な体躯は細身ながらも引き締まり、くびれた腰の腹筋は綺麗に割れていた。


「でも、なんで……鎧なのに、こう……露出が多いんだ? あれじゃ、水着だ。ん、あそこかっ!」


 ザッシュは人だかりの前まで来て、膝に両手を突いてうなだれる。呼吸をむさぼれば、肺腑はいふを出入りする空気がただれるように熱い。

 どうにか呼吸を落ち着け前を向くと、なげきと叫びが入り乱れていた。

 そして、聞き覚えのある声がりんとして響く。


「皆様、落ち着いてくださいまし! 怪我人を診療所へ! ルーシア、先生を呼んできてくださいな。ロアンは自治会長さんを!」


 人混みの中に分け入ると、目の前に凄惨せいさんな光景が飛び込んできた。

 おびただしい血が、びた臭いを伝えてくる。

 本当に止まらない流血とは、黒い色をしているのだとザッシュは知った。

 そして、自分が汚れるのも構わず、負傷者を手当しているのは……あのリータだ。彼女は次々と運び込まれる男達をはげまし、傷口を手にしたおけの水で洗ってゆく。

 どうやら上のフロアへ探索に出かけた冒険者の一団らしい。

 改めてザッシュは、この街を内包するバベルの恐ろしさを思い知らされる。

 そうこうしていると、ロアンが去り際にザッシュを見つけて叫んだ。


「ザッシュ、君も姫様を手伝ってください! ああもう、姫様ときたらこんな下賤げせんな者共に直接……とにかくザッシュ、姫様をお助けしてくださいね! いいですね!」


 ロアンは自分で違和感を感じていない言葉を切った。

 その小さな背を見送る人間達や、入り交じるドワーフやホビットが顔をしかめる。

 だが、今は救助が先決だ。

 ザッシュは意識的に、リータにさえ浴びせられる冷たい視線を無視することにした。そして、彼女の献身けんしんが全員に伝わるよう、なにより結果がみのるように手伝う。


「リータ! 俺も手伝うっ!」

「ありがとうございます、ザッシュ。さあ、皆様も! 怪我された方々を運びましょう。この出血、一刻の猶予ゆうよもありませんわ!」


 遠巻きに見守っていた街の人達も、同じ仲間の冒険者が危ないとようやく悟った。それで皆、思い出したようにリータに手を貸し始める。

 その間ずっと、リータは誰よりも血にれながら働いていた。

 そんな中、見るも無残な血塗ちまみれの男が身を横たえる。

 すでに息は絶え絶えで、医術に明るくないザッシュにもすぐわかった。

 長くは持たない、そして助からない。

 それはリータにも伝わったはずだ。

 彼女は両膝を突いてその男の手を握り、更に手を重ねる。


「しっかりしてくださいまし、冒険者様。気持ちをお強く! 今、お医者様が」

「ヘ、ヘヘ……これはこれは、グッ! ガ……ハァ……ハイエルフ、の……お姫様」

「ごめんなさい。わたくしがもっと早くこの街に来ていれば……」

「あれか? その……冒険者の、死を、巻き戻し、たり……瞬間、移動させ、たり」

「ええ。そうですわ、今からでも――!?」


 だが、男は静かに首を横に振った。

 そして、最後の力で血の泡を吹きながら喋る。

 彼の鎧は胸元が大きく断ち割られていて、そこから溢れ出るドス黒い血が止まらない。

 それでも、その男は死力を振り絞って目を見開いた。


「まだ、仲間……が、奥に……101階、あと……もう、ちょっ、と……助けて」

「わかりましたわ、まだお仲間の方が迷宮ダンジョンにいますのね?」

「頼む……俺は、もう、いい……ガァッ! ハァ……ウッ! ウァ」


 男は自分の吐き出す血におぼれ出した。

 そして、次の瞬間には誰もが目を見張る。

 ザッシュも驚きに固まった。

 リータは躊躇ためらわず、。そうして溜まった血を吸い出し、吐き出す。そして再度、頭部を抱き寄せあふれる血を取り除いてやった。

 皆が唖然あぜんとする中で、男の表情が穏やかになってゆく。


「ヘ、ヘヘ……いけねえ、ぜ……お姫様、が、よぉ」

「気に病むことはありませんわ。さ、楽になさって……わたくしに全てを委ねて」

「あったけえなあ、お姫様はよお……ッ! ハァ……柔らかくて、なんだか……かあ、さん、みた――」

「……貴方あなたは勇敢な子でしたわ。母の誇りですの。さ、おやすみなさいな……仲間のことは万事、この母にお任せなさい。ゆっくり……ゆっくり眠るのですよ」


 リータが胸に抱く男は、動かなくなった。

 その頭からかぶとを脱がせて、そっとリータは再び彼を横たえる。そうして胸の上で手と手を重ねてやると、決意の眼差しで立ち上がった。

 白い髪も白い肌も、血に濡れてまだら模様だ。

 だが、乾きを知らない鮮血よりも尚、彼女の真紅しんくの瞳が燃えている。


「ルーシア! ルーシアはいますか? ……あ、そうでした。先生のところに走らせたのはわたくしでした。では、ロアン……も、自治会長さんのとこですわね」


 しばし黙考したあとで、リータは周囲を見渡す。

 皆、逃げるように救助と手当に没頭していった。リータの声無き声を遠ざけるように、一人、また一人と怪我人を運んで歩き出す。

 それでも、リータはうなずき駆け出した。

 ちょうよ花よと育てられた、箱入り娘の印象を置き去りに、せる。

 そのしっかりとした足取りを、気付けばザッシュは追いかけていた。


「リータ! 俺も行く……俺が君を守るっ!」

「ザッシュ! お願いしますわ! 逃げ遅れてる方々を助けますの!」


 すぐにリータに並んで、一緒にザッシュは走った。

 どうやらリータは普通の女の子、どちらかというとザッシュが想像するエルフに近い。それでも、彼女は力強いストライドで加速してゆく。

 警護役として身分を保証してくれたのは、他ならぬリータだ。

 そして、何もわからぬザッシュを、何処どことも知れぬこの世界に招いたのも彼女である。

 ハイエルフのお姫様が、どうして自分をここへみちびいたのかは知らない。

 だが、ザッシュはにもうやるべきことが決まっていた。


「リータ、こういう時は二次遭難にじそうなんが一番怖いんだ。気をつけて!」

「二次遭難、ですか?」

「助けに行った俺達が、助けが必要な状況におちいる……これが二次遭難」

「つまり、、ということですわね」

「なにそれ?」

「エルフに伝わる古いことわざですの。宝を求めてバベルに挑んだ勇者の、その武器である剣が宝物として発掘される……バベルの迷宮はそういう場所なのですわ」


 言い得て妙だと思ったし、聞いたこともない諺が異世界だということを再確認させてくれる。

 ともあれザッシュは、酷く心細く自信もないが、弱気な臆病を自分の中に封じた。こんな時、先程の商店で買い求めた銃の重さが、腰に下げたホルスターの中でありがたい。

 こうして二人は、点々と血の跡が残る階段を昇り始めるのだった。

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