・バベルと共にある世界

第2話「その街の名は、アマミ」

 天をつらぬく巨大なとうを、人はバベルと呼んだ。

 その内部は、探究心に駆り立てられた冒険者を迷宮で迎える。

 有史以来、バベルの攻略は人類の発展と共に進められてきたのだ。

 そんなバベルの内部、地上100階に……アマミという街がある。

 ザッシュが知った自分の居場所は、バベルの中にある街だった。


「さて……ザッシュと言ったな? お前の素性については、街の者達に調べさせている。その上で……答えてもらうぞ? 騎士ルーシア・クリステアの詰問きつもんにな!」


 ザッシュは床に正座させられたまま、曖昧あいまいに「あ、ああ」と返事をする。

 因みに、

 先程リータと名乗ったハイエルフから貰った布だけを、腰に巻いている。

 酷く落ち着かない。

 しかし、目の前のルーシアは腕組み腰を突き出すようにして見下ろしてくる。逃げることもできぬまま、エルフの女騎士ににらまれザッシュは戸惑った。


おう! お前は何者だ!」

「えっと、ザッシュとしか……何者でしょうかね、俺」

「どこの生まれだ?」

「どこでしょう……?」

「父と母の名は!」

「ちょっと、それもわからないですね」


 すがめるように見詰めてくるルーシアが、片眉かたまゆをピクリと跳ね上げた。

 苛立いらだちを察したが、ザッシュにもどうしようもない。

 ザッシュには今、一切の記憶がない。

 そもそも、どうしてこの場所にいるかもわからないのだ。

 ルーシアの今までの説明では、リータが古代魔法ハイエイシェントを実行した時……不意に光の中からザッシュが現れたのだという。そして、それ以前の記憶がザッシュにはなかった。

 何かが聴こえていた気もするが、よく思い出せない。

 ただ、はっきりしていることはただ一つ。


「ふむ! はっきりしていることは唯一つ! お前は姫様に破廉恥はれんちな姿で迫った不届き者だということだ! ……よし、ろう!」

「ま、待ってくださいよ!」


 ルーシアが腰の剣に手をかける。

 綺麗な顔立ちに理知的なひとみ、そしてナイスバディの長身だが……どうやら酷く短絡的な性格らしい。生真面目きまじめ堅物かたぶつだが、結論を急ぐしその先もかす。

 慌ててザッシュは言葉を選んで語り掛けた。


「あの、せめてもう少しだけ事情を説明してくれませんか? ええと、例えば……そうだ、この街」

「ああ、アマミか。ここはバベルの攻略が始まって以来、唯一バベルの中にできた街。元は冒険者が使うベースキャンプでな……不思議とここでは、魔物が出現しないのだ」

「な、なるほど」

「よし、では斬ろう!」

「ま、待ってくださいって!」


 思わず立ち上がって、ザッシュはすがるようにルーシアに詰め寄る。

 その時、腰に結んだ布地が解けてしまった。

 そして、絶叫が響く。


「おっ、おお、お前っ! ザッシュ! そ、それをしまえっ! 不埒ふらちな!」

「あ、ああ、すみません。でも、ちょっと落ち着いて話しましょうよ。まず、俺は名前以外何も覚えていないんです。ただ、エルフっていうのは……それと、ハイエルフってのは」


 慌てて布を拾いつつ、再度腰元を隠しながらザッシュは思い出す。

 エルフとは、確か架空の物語に登場する亜人だ。そこまで思い出して、自分が持ってる知識に驚く。ザッシュは確かに、エルフという美しき種族を知っている。そしてそれは今、現実に目の前で顔を赤らめていた。

 ルーシアは耳まで真っ赤になりながら腰の剣を手放そうとしない。

 まずい。

 非常にまずい。

 ち首待ったなしである。


「あ、ええと……じゃ、じゃあ、こうは考えられませんか? ルーシアさん。俺は、あの人に……リータさんに」

不敬ふけいであろう! やはり斬るか!」

「すみません! まず手を! 手を剣から離しましょう! それでですね、その……リータ姫様の……召喚魔法? みたいなので呼ばれて飛び出た可能性というのは」

「いや、それはない」


 即答だった。

 そして、ルーシアは溜息ためいきと共にようやく剣の柄を手放す。


「姫様だけが使える、ファルシ王家の秘技……古代魔法。選ばれし純潔の乙女おとめだけが交わした、古き神々との盟約だ。その力は、姫様が記憶した者達の死を巻き戻す。姫様がよく知る場所ならば、生者を定められた場所へと転送することも可能だ」

「……便利ですね」

「姫様だけがこの古代魔法を使えるのだ。そして、我らエルフもドワーフやホビットと共に、人間達に協力することとなった。この最前線の街、アマミでな」


 それでザッシュは合点がいった。

 あの時、優しく微笑ほほえむリータは言っていた。肉体と精神を保存セーブすると。では、自分はこの世界の人間なのだろうか? だが、リータは記憶にないと言っていた。

 また、ザッシュにはこの世界の記憶は勿論もちろん、死んだ覚えもない。

 一体自分はどこから来た何者なのか……謎が謎を呼ぶ中で、突然ドアが開く。

 出現した部屋にずっといたザッシュは、振り向くルーシアの向こうに笑顔を見た。

 やってきたのは二人組で、その片方にザッシュは自然と安心を覚える。


「ルーシア、ザッシュの服を用意しましたわ。ロアンに買ってきてもらいましたの」

「すみません、ルーシアさん! 姫様がどうしても自分で渡すってきかなくて」


 現れたのはリータだ。

 従者じゅうしゃらしき小柄な少年を連れている。

 彼女はルーシアの言葉にも止まらず、ザッシュの前に両手を突き出した。見れば、着衣一式がたたんで握られている。


「さ、着替えてくださいな。裸では色々と困りますの」

「ど、どうも……え? ここで? 今?」

「ええ」

「……リータ姫様の前で?」

「わたくしなら気にしませんわ」


 改めてザッシュは、美の結晶としか形容できぬ美少女を見詰める。白い髪は長く腰の辺りまで伸びている。白い肌もあらわなドレスは、おごそかな雰囲気を感じる菫色ヴァイオレットだ。肩から羽織はおるものをザッシュが借りっぱなしなので、酷く薄着に見えて身体の起伏がまるわかりである。

 背後でルーシアが咳払せきばらいして、ようやくリータはザッシュから目を離した。


「姫様。いくら身分が違うとはいえ、ザッシュも着替えづらいでしょう」

「そうなのですか? わたくしはいつも、ロアンに着替えを手伝ってもらっています。あ、そうですわね! じゃあ、わたくしがザッシュのお手伝いを」

「いけません! 姫様、失礼ながら姫様はあまりにも世間を知りません。一時は人間を拒絶していた、ハイエルフの七星王家セブンスの出ゆえにしかたありませんが」

「さ、ザッシュ。まずその布を脱ぎましょう」

「姫様! お話をお聴きください! ……はぁ、どうしてこんなことに」


 ロアンと呼ばれた少年が、よろよろと崩れ落ちそうなルーシアに寄り添った。

 しかし、リータは大きなひとみを輝かせてザッシュに好奇心を向けてくる。

 着替えの手伝いをやんわり遠慮しつつ、ザッシュはふと疑問に思ってリータに訪ねた。


「えっと、リータ姫様」

「リータで結構ですわ。わたくしもザッシュと呼びますもの」

「いやあ、それは流石さすがに……じゃ、じゃあ、リータ?」

「はい! 何でしょう?」

「君はその、古代魔法で人の全てを記憶し、保存セーブ、そして再生ロードできる……で、いいのかな?」

「ええ。その方が命を落とした時、わたくしが魂と肉体を呼び戻すことができるのですわ。これは、我が王家でもわたくしだけが扱えた古代魔法ですの」

「で、アマミの街……さっき、最前線って言ってた」

「ええ……ここ十年、この地上100階より上の探索はとどこおっておりますの。バベルは基本的に、上に向かう程に魔物が強さを増すからですわ」


 まるでゲームだとザッシュは思った。

 そして、ゲームという概念を自分が知っていることに驚く。コンピューターゲームのことで、その知識はある。だが、遊んだ記憶はないし、経験も実感もない。

 自分が何者なのか、謎は謎のままで、より大きな謎を深めてゆく。

 だが、リータは満面の笑みでルーシアとロアンを振り返った。


「ルーシア、ロアンも。わたくし、決めましたわ。事態がはっきりするまで、ザッシュをわたくしの警護の者として使います。少し落ち着いてもらおうと思いますの!」


 三人は三者三様に「えっ!?」と声をあげてしまった。

 ルーシアとロアンは顔を見合わせ、黙ってしまう。

 ザッシュだって驚きだったが、リータはうんうんとうなずき着替えをかしてきた。結局、リータに手伝われてザッシュは異世界の服を着る。下着をかされ、ズボンとシャツを身に着けた。

 酷く人懐ひとなつっこいリータは、まるでザッシュを拾った捨て犬のように気にしてくれる。

 その上で、何故か子犬のように懐いてくるのだった。

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