第3話 ヒトではないモノ
……気が付くと、村雲はバーガーショップにいた。
全国に3000店舗近く展開しているチェーン店ではない。
アメリカのカントリーソングがゆったりと流れている。
清潔な白い壁には、大口をあけて笑う子供たちの顔が、油絵調で描かれている。
村雲が腰を下ろす椅子はパイプではなく、しっかりした木の作りだ。
照明は柔らかい。
大きな窓ガラスの向こうでは、無数の黒い波がゆらゆらとして、その先が崩れるたびに、月の灯りに白く煌めいていた。
闇の水平線近くに浮かぶ、その月は完全に満ちて、ゴビ砂漠の黄土に血を混ぜたような色をしていた。
夜の岬のバーガーショップ。
ハンバーグの焦げ目と、甘く酸っぱいケチャップ、ピクルス、焼き立てのパンの匂い。
これが店内に、炭の香と共に満ちていたので、村雲はここがバーガーショップだと思った。夜だから、閉店が真近なのだろうか。村雲以外の客がいない。
村雲は店内を見渡したが、店員の姿も見えない。いや、レジカウンターも、出口も無いのだ。
「悪いね。この店には、レジカウンターも出入り口も無いんだ。とても不完全な店だが、その分ハンバーガーは本当に美味い。一噛みしたら、アメリカ国家を歌いたくなるだろうね」
正面から声がした。
村雲はぎょっとして、視線を向けた。
上等そうな黒のコートを羽織った男が、向いの席に座っていた。
夏なのにコート。
不思議に思った村雲は、男をまじまじと見てしまう。
鼻が端正。口元に笑窪が浮かんでいる。
30代半ば。清潔に刈り込まれた黒髪。
煙草のポスターとかに出てきそうな中年だった。
テーブルに片肘をついて、寒さを耐えるみたいに前かがみに俯いている。
肘をついた右手の指先は青白く、フライドポテトをつまんでいた。
「アメリカ国家って、どんな歌ですか」
村雲は思わず訊いてしまった。
男がこちらを見る。
思わず、悲鳴をあげそうになった。
表情が、笑っても泣いてもいない。
死んだ人みたいだ。
目も、死体のような、冷たい潤み方をしている。
村雲は、この潤み方に覚えがあった。
登戸と同じだ。同じ、冷たさ。
「登戸千鶴を知っているんですか?」
彼女は思わず訊いてしまった。
男はこちらに首を傾げる。
「何でそう思うんだい?」
「え……」
答える事ができない。
瞳の感じがそっくりだから、と言っても、可哀そうな子と思われてしまう。
男は何も言わない。
けれど、彼の顔に表情が生まれた。
口角が上がり、瞼が優しく下がった。
村雲の中で、男に対する警戒が薄らいでいく。
そんな彼女に、男は首を傾げた。
「登戸千鶴という子は、どんな子なんだい?」
「え」
「君と、どんな思い出があるんだい? 話してくれないかな」
男の声は穏やかだったが、村雲は、背に冷たいものが走った気した。
彼女は唾を飲み込む。
男は苦笑する。
「そんなに固くならなくても良いよ。正直に答えてくれれば、ちゃんと帰してあげるし、飴もあげよう」
― 飴? 飴は嫌いじゃないけど、何で飴なんだろう……? それに、帰してあげるって……。―
村雲はポカンとした。
そんな彼女の前で、男はフライを口に放り込み、咀嚼する。
「良い飴だよ。エンドルフィンを凝縮したような飴だ。麻薬でもないのに、とても幸せな気持ちになれる」
村雲の脳裏に疑問符が溢れた。
その瞬間、登戸の後ろ姿が脳裏をかすめる。
気が付けば、村雲はテーブルから身をせり出して、右ストレートを男の鼻っ柱に叩き込んでいた。
拳から伝わる、軟骨が潰れる感触。
そんな彼女に、男は悪戯っぽい目をした。
「君は登戸千鶴とは違うな。全く矛盾だらけだ。一般人への暴力を咎めておいて、自分は躊躇(ちゅうちょ)無く、それを振るう」
「登戸さんに何かしたでしょ。麻薬とか飴玉とか言って、あの子を変えた。あんたは人でなしだ」
男は飴玉の美味しさを麻薬に例えただけかも知れない。登戸千鶴とのやり取りを知っているのも不気味だ。逆らったら本当に帰れないかもしれない。
けれど、本能的な勘が、この男が危ないと告げている。
村雲は男を見据えたまま、テーブルから離れて、両拳を握り、顎元に構えた。
男は彼女を向いて、上目遣いに笑う。
凄みのある笑いだった。
「そうだ。私はヒトではない」
俯きそう呟いて、男はゆらりと立ち上がった。
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