過去の『世界』
世界を照らす一条の光は、魂を
僕を
夢と
「ちょっと! 新斗! 新斗!」
ドカドカドカドカ!
「新斗! いつまで寝てるの!」
やかましい喚き声。
けたたましい足音。
小太りの中年女が、階段を駆け上がってくる音だ。
閉め切ったカーテンの隙間から漏れてくる朝日の中でうたた寝をしていた僕は、ハッとして、布団を頭からかぶった。
「あんた! いいかげん起きなさい!」
部屋に入ってきたのは、僕の遺伝子の提供者であるX染色体の持ち主。一般人にもわかりやすくいうと、母親という存在だ。
彼女は僕の布団を引っぱった。
「ほら、何時だと思ってるの!」
「別にいいだろ、あと5分!」
「なに言ってんの、もう夕方よ!」
「嘘!」
僕は驚いて窓を見た。
確かに、差し込む光はオレンジ色。
「しまった! 今日は昼にレイドイベントがあったのに!」
「またネットゲームかい。いいかげん、まともに働いておくれ!」
「この前働いただろ!」
そう。僕は、いわゆる引きこもりで、ニート。
だがそれは、過去の話だ。先日、僕は見事に仕事をこなし、報酬を手にした。僕はもう、立派な社会人なのだ。
そんな僕に、母ちゃん……母親は、言った。
「働いたって、あれ1回きりじゃないか。仕事ってのは、毎日やらなきゃ食べていけないんだよ!」
僕は、衝撃を受けた。あんなに苦しい思いをして1日を過ごしたのに、それを毎日やれっていうのか!
(くそ……なんて親だ。親なら子供を保護して当然だろ。それなのに、あんな辛いことをまたさせようなんて。虐待も同然じゃないか)
むかついたが、僕と母親では知的レベルが違いすぎる。
無駄な争いをしないため、僕は発言を控えた。
「また、そうやって。都合が悪くなると、うつむいて黙る。やめなさい。悪いクセよ」
「……」
「今日はまた、就職アドバイザーの人が来てくれたから」
「!」
「ちゃんとお話聞くのよ」
母親は、部屋を出て行った。僕は顔面蒼白になった。
(就職アドバイザー!)
苦い記憶がよみがえる。
僕は大急ぎで、部屋の鍵を閉めた。
前回の仕事の報酬でもらった2万円で買った鍵である。僕のプライバシーを尊重しようとしない母親から個人的自由を守るために設置したものだ。
「これで一安心……」
「そうですか。ではお話を始めましょう」
「うわぁ!」
声は、部屋の中から聞こえた。
見ると、そこにはスーツ姿の若い女。電源入れっぱなしのパソコンの前にちょこんと座っている。やめろ、検索履歴を見るな!
「ど、どうやって中に……」
「? こうやってですが」
彼女が手をかざす。
すると空間がねじれて渦になり、穴が開いた。
「そうか……忘れてた……」
彼女は就職アドバイザー、桐咲早紀。未来の宇宙から来た異世界人で、異空間を移動できるという超能力を持っているのだ。
「では、今回の仕事の話です」
脱力している僕にかまわず、さっさとカバンからファイルを取り出す。別に無表情でも無感情でもないが、こうやって何事にも動じず構わず、飄々と仕事をこなすのが彼女、桐咲早紀なのだ。
「前にもいったとおり、あなたのようなダメ人間にできる仕事は“この世界には”ありません。異世界に行ってもらいます」
先ほど空間に開けた穴に、僕を押しこもうとする彼女。
「ちょ、ちょっと待って……」
「だいじょうぶです。運動神経も無ければ体力も無い。知識も無ければ機転も無い。やる気も無ければ根性も無い。そんなあなたにも、できる仕事を用意してますから」
「心の準備が……」
「必要ありません」
僕は彼女に尻を蹴られ、異世界へと旅立った。
※ ※
そこは、かつてここにあった景色だった。
地平線にまで広がる田園。
煙を上げるかやぶき屋根。
腰に布を巻いただけのような格好をした人々が、クワを持って畑を耕している。やせ細った牛が、野菜の積まれた荷車を引いている。田畑の間を縫うように通っているのは、舗装も何もされていないあぜ道。雑草が生え放題だ。遠くには、シャチホコが屋根についたお城が見える。
まるで、時代劇のようだ。
「どこだ……ここは」
彼女が答えた。
「あなたの時代から、約300年前。『過去の世界』です」
「戦国時代か……」
「江戸時代です」
「し、知ってるさ! ちょっと勘違いしただけだ!」
「……。今回、あなたに仕事をしてもらうのはあそこです」
彼女が指さしたのは――
お城だった。
「僕に殿様になれってのか!」
「まさか。ホームセンターで買った十徳ナイフを引き出しの奥に入れてニヤニヤしてるだけで、刀なんて触ったこともないあなたが、侍になれるわけないでしょう」
「現代の知識を生かして医者になるとか」
「ソースがSNSかまとめサイトのあなたの知識より、60歳のおばあちゃんの知恵袋のほうが頼りになります」
「料理人……」
「スナック菓子しか食べない馬鹿舌で? 正気ですか」
「じゃあ、僕は何をするんだよ」
「さっき言ったでしょう? 何もできないあなたにピッタリの仕事。何もしない仕事です」
そして彼女は、ふたたび空間に穴を開けた。
穴をくぐると、そこは建物の中。
壁がむきだしの土になっている空間だ。
そこを格子状に組み合わされた木材で仕切ってある。
「なんか……地下牢みたいな」
「地下牢です」
「うぉいっ!」
僕は彼女に詰め寄った。
「なんで地下牢なんかに入らなくちゃいけないんだ!」
「その理由は、この子にあります」
示された方を見る。
すると、太い木材で造られた格子の向こうに、少女がいた。
15歳くらいだろうか? 泥だらけの簡単な和服(布をかぶってヒモで縛っただけのようだ)を着て、乱雑に長い髪をまとめている。だが、くっきりと澄んだ黒い瞳には気高い美しさが宿っていた。
「この子が?」
地下牢にはいるが、とても犯罪者には見えない。
「はい」
就職アドバイザーの桐咲早紀は、事情を説明してくれた。
「彼女はこの城の、西の地方で働く農民の娘。
ですが、そこの役人は強欲で、年貢を多めに取り立て、横流しして私腹を肥やしていたんです。そこにやってきた米の大不作。農村では餓死者も出ているのに、役人は過酷な取り立てを止めようとはしませんでした」
「ひどい話だな……」
「だから、彼女はお殿様に直訴したんです。
本来は話しかけることすらできない身分のなのに、大名行列を邪魔して嘆願書を出したことで、彼女は捕まりました。いまでは死刑を待つ身です」
「そんな! 悪いのは役人だろ!」
「もちろん、強欲役人は処罰されました。ですが、彼女が法律を犯したことに違いはありません」
「そんな……」
僕は絶句した。殺人や重大な罪を犯したならともかく、お願いをしただけで殺されてしまうのか。
「仕方ねぇ。わかってて、やったんだ」
そう言ったのは、格子の向こうの少女だ。
なまりがキツイが、透明感のある声だった。
「でも、オラには1つ、やり残した事があるだ」
「?」
「実は近々、妹の結婚式があるだ。死刑になるのは構わねぇけんど、かわいい妹の花嫁姿は一目見てえ。三日あれば、村まで行って帰ってこられる。でも、オラは囚われの身の上だ……だから、アンタに身代わりになってもらいてえんだ」
「え」
嫌な予感。
「と、いうことで。新斗さんには、ここで三日間牢屋に入ってもらいます」
これはアレだ。
(僕は……『走れメロス的なやつで勝手に命をかけられる人質』だ!)
僕は叫んだ。
「冗談じゃない! 牢屋に入るなんて、絶対に嫌だ!」
「嫌だも何も、もう入っていますが」
「なんだって!」
よく見ると、その通りだ。
木でできた格子を挟んで、明らかにこちらが牢屋の中、少女がいるのは外だった。異空間を通って直接ここに来たから気づかなかった。
「じゃあ、行ってくるだ! 必ず帰ってくっから!」
少女は駆け出した。
「あ、オイ!」
後ろ姿は、すぐに見えなくなった。
格子にもたれかかってズルズルとへたり込む僕。
「……報酬は?」
「三日間で、現代の金額にして10万円です」
あいかわらず、たいして表情も変えずにはっきりと、彼女が言ってくる。桐咲早紀はそういう女だ。
僕はあきらめるように呟いた。
「それだけ貰えるんなら、まあ、いいか……三日だけだし」
「おや、彼女のことをずいぶん信頼してるんですね。必ず帰ってくると?」
「え? だって『走れメロス』では……」
「あれは小説の話。これは現実の世界ですよ」
「……じゃあ、もし帰ってこなかったら……」
「死刑になるのはあなたです」
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!」
僕は格子にすがりつき、必死に叫んだ。
「戻ってこぉい! 結婚式なんかどうでもいい、今すぐ死刑になれぇ!」
「では、私はこれで」
「お前も冷静すぎるだろ!」
「仕事ですし」
「待ってくれ! こんなの耐えられないよ!」
「じゃあ暇つぶし用に、あなたのスマホを置いておきますね」
「そーゆー問題じゃない!」
「だいじょうぶ、Wi-Fiはつながります」
「すげえな! Wi-Fi!」
「では」
彼女は空間に穴を開けると、あっというまに飛び込んで、消えた。
僕は300年前の世界に、残された。
1日目。
僕は楽観的だった。
(そうさ、きっと帰ってくるさ。あの子は、いい人そうだった。嘘なんてつくはずない、必ず正直に戻ってきてくれる)
スマホで一日中たっぷりと、ネットゲームを楽しんだ。
2日目。
僕は懐疑的だった。
(本当に帰ってくるか? ああいう善人面したヤツに限って腹ん中はまっ黒なんだ。女なんてそんなモンだ。中学のときの高橋秀美だってそうだった。毎朝笑顔で「おはよう」と言ってきたり、「消しゴム落としたよ」なんて思わせぶりな態度を見せておいて、サッカー部のあいつと付き合ってたんだ)
スマホでブックマーク巡りをしていたが、なんにも頭に入ってこなかった。
3日目。
僕は絶望的だった。
(ああああぁぁぁぁあああああああ無理だ無理無理無理無理もう死ぬ死ぬ殺されるるるるるぅ! 死刑になる! 磔にされる! 首を切られる! 沈められる! お終いだああああああああ!!!!!!!)
スマホで迂闊にも「死刑」と検索して、出てきたグロ画像に半狂乱になった。
と、そこへ。
牢屋の前にあらわれた、1つの影。
あの子か?
「時間だ、出ろ」
死刑執行人だった。
「た、助けてくれぇぇぇ!」
「往生際か悪いぞ。腹を決めろ」
「ひぃぃぃぃぃ!」
縛られ、引きずられ、僕は城の外の河原に連れ出された。
そこには多くの見物人。
侍たちに囲まれた殿様。
そして、十字架の磔台。
僕は標本の蝶みたいにされていく。
「あの女ぁ! やっぱり嘘つきだったぁ! 一瞬でも信じた僕が馬鹿だったぁ!」
だがしかし。
「待ってけろ!」
見物人の中から、聞き覚えのある声がした。
「死刑になるのはオラだ!」
あの少女だ!
人々をかき分けて、磔台までやってくる。
そして、僕の足下にとりついた。
「すまねぇ、遅くなっちまって。途中で雨が降ってきて、橋が流されって、おまけに盗賊にもあったもんで」
「そんなとこまでメロスやんなくていいだろ……」
僕は磔台から降ろされた。
少女は言った。
「実はオラ、この三日のあいだで一度だけ、悪い考えを起こしただ。戻らなくてもいいかもって……オラを殴ってくれ。そうでねえと、気がすまねえ」
なんと正直で、純粋な少女だろう。
心が洗われる気分になった僕は、さわやかに笑った。
「ははは。そんなの、気にしなくていいよ! 僕だって、この三日で一度だけ、君を疑った」
背後から「嘘だろ……」「確実に嘘だな」「信じた俺が馬鹿だった、とか叫んでたじゃねえか」などと雑音が聞こえてきたが、気にしない。少女は目に涙を浮かべ、僕に抱きついてきた。
「あ、ありがとう!」
ぎゅっ!
女の子に抱きつかれたのなんて初めてだ!
おっぱいが当たる!
おっぱいが当たる!
おっぱいが当たる!
僕はその場にへたり込んだ。
「天晴れじゃ」
そこに殿様が、ご満悦でやってきた。
「よく戻ってきた。ワシは感動したぞ。死刑は取り消しじゃ」
おおおおおお、と歓声が上がる。
見物人たちは、口々に僕らをはやし立てた。
良かった! これで万事解決だ。
僕は、いまだに抱きついてきたままの少女を見た。涙を浮かべた澄んだ瞳、屈託のない笑顔。いつのまにか――僕は彼女に好意を持っていた。
「おっぱいが当たったのが、よほど嬉しかったようですね」
「わっ!」
そこに突然あらわれる、桐咲早紀。
和服だらけの人たちの中で、スーツ姿が異様に目立っている。
「これで仕事は終わりです。帰りましょう」
「うーん……もうちょっと、ここにいられないかな」
「何故です?」
「何故って……ねえ」
察しろよ。
僕は少女を抱きしめ、微笑んだ。
少女は嬉しそうに、はにかんだ。
そのとき。
「お松!」
大声をあげながら、男が1人やってきた。
漁師らしい若い男だ。
「お松、無事か!」
「伝助!」
少女は僕の腕を力任せにふりほどき、男のもとへと駆け寄った。
「伝助、どうしてここが!」
「おめえの、おっ父に聞いただよ。おかしいと思っただ! 突然、『今生の別れだから抱いてくれ』だなんて言うから……」
「わりぃ。でも、この世に未練を残したくなかっただ……」
「それで、おらが漁から帰るまで2日も待ってただか。すまねえ、おら、お松がこんな目にあってるなんて知らなくってよ」
「もういいだよ。オラは死刑じゃなくなったんだ」
「そっか! そんだら早速、祝言をあげるだ! お松の親にも、一人娘の花嫁姿を見せてやらねばなんねえ」
キャッキャッキャッ。
ワイワイワイ。
なんか、2人で盛り上がってる。
僕は立ち尽くした。
牢屋にいるときより遥かに激しい孤独感に襲われていた。
「……帰りますか」
桐咲早紀に肩を叩かれ、僕は腕で顔を横にぬぐった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます