ゲームの『世界』

 それは、どこかで見たことのある景色だった。

 広がる草原。

 流れる大河。

 石が敷き詰められた道、そこを進む馬車、それに乗っている鎧を身につけた騎士。その背後には、塔のようなものが天に向かっていくつも伸びた城が、悠久を感じさせるたたずまいで鎮座していた。

 まるで、中世ヨーロッパのようだ。

 だが、それと少し違うのは。

 なんだか物の輪郭がカクカクしていることである。

 川も、大地も、馬も橋も城も人間でさえも、正方形のブロックを組み合わせたように見えた。

「なんだ……ここは……」

 僕はカクカクの草の上に膝をついて、呆然とつぶやいた。

「異世界です」

 こともなげに、彼女は答えた。

 僕の家にやってきた就職アドバイザー、桐咲早紀。スーツを着た二十歳くらいの美人だ。彼女に連れられて、僕はここにやってきた。

「異世界って!」

「異なる世界で異世界です」

「それは分かってる! そんなものが本当にあるのか!」

「あるもなにも、新斗さん。あなたは、いまそこにいるんですよ」

 そんなことを言われても。

 いまだに呆然気分の僕に、彼女は説明してくれた。

「この次元には……たくさんの『世界』が存在しているのです。1人の人間の中。1匹の動物の中。1冊の本の中。1本のゲームの中。様々なものの中に、様々な『世界』があるのです」

 淡々と、朗々と。

 たいして感情も込めず話し続ける。

「いまは、ゲームの中にあなたを連れてきました」

「連れてきたって……なんでアンタ、そんなことができるんだ」

「私は、ただの人間ではありません」

 腰に手をあて、上半身をやや前に出し、伸ばした右手の人差し指を立てて、彼女は言った。

「私は未来の宇宙から来た異世界人。超能力も使えます」

「うわぁ……設定盛りすぎ……」

「なので、『世界』を自在に行き来できるんですね。残念ながらあなたは、もといた世界では必要とされていませんでした。ですから、異世界に来てもらったんです」

 そうか、そういうことか。

 いまだに戸惑いはあるが、実際に異世界に来てしまった以上、納得するしかない。見渡せば、あり得ない景色が広がっているのだから。

 カクカクの馬車に、カクカクの城。

 カクカクの騎士に、カクカクの剣。

「粗めのドット……90年代の、アクションRPGってとこかな……」

 自分がゲームの中にいることは間違いないようだ。

 だが、これは願ったり叶ったり。現実に飽き飽きしていた僕にとっては、理想的な状況ではないのか?

「ようし……」

 やる気が出てきた。

「そうだな。僕にとって、前の世界は狭すぎたんだ。これからは、このゲームの中が僕の居場所だ」

 僕は彼女に聞いた。

「このゲーム、どうやったらクリアできるんだ?」

「は?」

 彼女は顔をしかめた。

「それを聞いてどうするんですか」

「え? だって、僕が勇者とかになって、魔王か何かを倒すんじゃないの?」

「そんなわけないでしょう。あなたの成績、見せてもらいました。体育ずっと1じゃないですか。魔王どころか、ゴブリンにもドワーフにも、その辺の犬にだって負けるに決まってます」

「……」

 反論できない。

「じゃあ、なんなんだ? 魔法使いか?」

「数学の公式や物理の法則すら、ろくに覚えらなくてテストの点が悪いのに、高度な魔法理論を覚えられるわけがないでしょう」

「軍隊の指揮を執る司令官とか……」

「人の上に立つには、人望が必要ですよ。ぼっちのあなたには無理ですね」

「武器屋でアイテムを売るとか……」

「コミュ障のくせに接客業する気ですか」

 否定、否定、否定。

「じゃあ僕は、この世界で何をするんだ……?」

「新斗さんに、ぴったりの仕事があります。こちらへ来て下さい」

 僕は彼女につれられて、カクカクの道を歩いた。

 そして、一定のパターンで揺れている川まで来た。

 川には細い橋がかけられている。

 ちょうど人間1人が通れるくらいの橋だ。

「ここに座って下さい」

 僕は橋の真ん中に座った。

「……これが仕事?」

「そうです。頭も身体も使わない、喋る必要も動く必要もない。ニートの引きこもりには最適の仕事でしょう?」

「こんなんで金もらえんの?」

「一日8時間。それで、あなたの世界のお金になおすと2万円です」

「2万!」

 それは魅力的だ。

「でも、さすがに8時間は退屈だな……」

「そう言うと思って、あなたのスマホを持ってきました。電池式の充電器もありますよ」

「おお!」

「ちなみにWi-Fiもつながります」

「異世界なのに? Wi-Fiすげえな」

「いいですね。絶対に、この橋の上にいてくださいよ。では、私は別の用事がありますので。お仕事が終わったら迎えに来ます」

「ちょっと待って! もしモンスターとか出たら……」

「出ませんよ。そういう設定のマップですから」

「ああ、それなら……」

 安心だ、と言いかけたとき。

「なあ、お前。どけよ」

 後ろから声をかけられた。見ると、剣や鎧で武装した4人組が、橋の真ん中で座っている僕の後ろで立ち往生していた。橋が細くて狭いので、通れないのだ。

「あ、スミマセン……」

 ボソボソと口にしながら、避けようとする僕。

 だがそれを、彼女が制止する。

「いけません! そこにいて下さい!」

「え?」

「言ったでしょう、それが仕事だって」

 ハッとした僕は、あらためて4人組の格好を見た。

 なにやら宝石のようなものが飾られた鎧を着て、いかにも伝説っぽい剣を腰に差した男。とんがり帽子に杖を持った女。ビキニアーマーの女。十字架がデザインされた法衣を着た女。

(これ……勇者のパーティーだ!)

 そのとき、僕は理解した。

 自分の役割を。

(僕は……『ベタなRPGでよく見る、通せんぼキャラ』だ!)

 マップの先に進まれては、都合が悪いとき。

 まだ起こすべきイベントを起こしていないとき。

 先にある宝箱に、強すぎる武器が入っているとき。

 夜だけ起こるイベントのとき。

 何かと理由をつけて、プレイヤーキャラクターを通さないように道をふさいでいるキャラがいる。それが僕だ!

「なあ-、どけよ。その先に用があるんだよ」

 勇者はぶしつけにも、僕に身体で当たっきた。人と人が触れあっているだけにもかかわらず、壁にぶつかっているようなドンドンという音が何故かする。

「うう……」

 いい体格をしているにもかかわらず、勇者の体当たりは僕を1ミリも動かせはしなかった。しかし、プレッシャーがすごい。

「どけよー、どけっつってんだろ」

「何こいつぅ。超ウザイんだけどぉ」

「どけし。勇者様の言うこと聞けし」

「邪魔をしないでいただきたいですわ」

 プレッシャーがすごい!

 僕は、助けを求める目で彼女を見た。就職アドバイザーの桐咲早紀は、なんの感情もないような素の顔で、言った。

「動かないで下さい」

「そ、そんなこと言われても……」

「彼らが、あなたに物理的な力を加えることはできません。そういうゲームですから。そのまま無視してスマホでもやっていて下さい」

 そして彼女は、手をかざした。

 空間がねじ曲がり、穴となって広がって、異世界への道が開く。

「では、私はこれで。仕事が終わるころに迎えに来ます」

「あ、待っ……」

 彼女は穴の中に消えた。

 僕は、異世界に残された。

「なあー、どけよー。どけっつってんだろ」

「マジうぜぇ。さっさとどけよぉ」

「無視すんなし。こっち見ろし」

「あなた痴呆ですか? 言葉が理解できない低脳ですか?」

 助けてくれ!

   ※   ※

「お待たせしました」

 8時間後。

 彼女はふたたび、異世界に通じる穴から現れた。

 あれから何組もの勇者パーティーがやってきて、僕にさんざん文句をたれて帰って行った。一生分の罵詈雑言にさらされて、精神的にズタボロになった僕は、死んだように転がって涙とよだれを流していた。

 すでに太陽は、西の空に沈みかけている。

「あとちょっとですね。この橋は、夜になると通れる仕様なんです。さ、もう一踏ん張り」

 立ち上がる気力はなかった。

 そのまま夜を迎えた。

「はい! お仕事終了です。お疲れ様でした」

「もう嫌だ……」

 涙混じりのかすれ声。僕はうずくまったまま彼女に訴えかける。

「働くなんて、やっぱり無理だ。一日中ずっと嫌味や悪口浴びせられて。こんなの、意味ないじゃないか」

「意味ならありますよ」

 彼女は、橋を渡った先を指さした。

 そこには森がある。

 森の中を、光の玉が飛び交っていた。

 赤や青、黄色に緑、7色の光の共演だ。

「あれは……?」

「ゴーストです。あの森の中に、夜だけ出現する設定のモンスターですよ」

 幻想的な光景の中、1人の少女が現れる。

 透き通った肌に透き通った髪、透き通った服。ぼんやりとした光に包まれた、透明の少女だ。

 少女は微笑んだ。

「ありがとう」

「君は?」

「あの森に住む幽霊よ」

「この子は、このゲームのキャラクター。そして、仕事の依頼人です」

 就職アドバイザーの彼女は、事情を説明してくれた。

   ※   ※

「この森で起きるイベントの、ストーリーはこうです。

 恋人と仲違いをしたまま別れ、モンスターに殺された少女。悪霊と化した少女は、数十年後に勇者たちに負けることによって、正気を取り戻す。そして、時を経た恋人のへのメッセージを勇者たちに託す。『嫌いなんて言ってごめん。嘘だよ。ホントはずっと、今でも大好き』……」

「いい話じゃないか」

「ところが、問題が起きました。

 偶然発生する簡単な条件で、昼間のあいだ道をふさいでいるはずの『通せんぼキャラ』が、消えてしまうというバグが発生したんです。

 その結果、夜だけモンスターが出てくるこの森を、プレイヤーは昼に素通り。

 この子はゲームに出演できなくなったんですよ」

「だから僕が……」

「そうなの」

 少女は僕のもとへ歩み寄ってきて、はにかみながら手を取った。

「これで恋人にメッセージを伝えられるわ。本当にありがとう」

 はかなげな瞳が、潤んで揺れる。

 僕の手の中にある透明な彼女の指は、とても冷たく、そして暖かだった。

   ※   ※

 空間がねじれて渦を巻き、穴が開く。

 そして僕は、帰ってきた。この『世界』に。

 積み上がった漫画本、散乱したお菓子の袋、電源を入れっぱなしのパソコン。いつもどおりの僕の部屋だ。

「よいしょ、っと」

 彼女も一緒だ。

 就職アドバイザー、桐咲早紀。異世界に渡る超能力を持つ未来の宇宙人。

「どうでしたか? 初めて働いてみた感想は」

「悪くなかったよ」

 僕は正直に答えた。いまでも、あの少女の温度が手に残っている。

「他人の役に立つっていうのもね」

 それを聞いて、彼女はニコッと笑った。

「では、明日からマグロ漁船に……」

「それは断る」

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