十八 2007年6月
【 日本の仏教では故人の魂は四十九日間あの世とこの世の間に留まり、七日毎に生前の罪の裁きがあり、四十九日目に最後の審判が下されて極楽行か地獄行か決まると考えられている。
この間を「中陰」と言い、罪を軽くし善行を増やす為に行うのが追善供養である。七日毎に法要を行い四十九日目「満中陰」を境に忌明けとする。】
祖父の四十九日の法要も終わり納骨も済ませた。
ユキコとは祖父が他界した時の電話以来、来院も連絡も無い。
相変わらず自らが連絡をとろうとするのは「こちらからしない」と約束したことが枷となり、また今の自分の心理状態では、祖父の死による心の隙間に彼女を求めるような気がして抵抗があり出来なかった。
意図的ではないにしろ弱音を口にして相手の気を引くような真似などしたくはないと、妙なところで意地を張る。
どうしたのか気懸かりもあったが、このところ祖母の体調が急激に落ち込み、そこまで気がまわらなかったことも事実だった。
祖母には祖父が死んだ翌日から毎晩一時間ほどマッサージを含む施術をしている。
接骨院を終えて家に帰ってから祖母の施術で夜十時をまわり、休みの日は祖母に付きっきりの生活に他のことをする気力も体力も失われていた。
なにしろ祖母の精神的なショックと肉体の疲労は激しく、何もしなければおそらく倒れるだろうと、冷静に診立ててもそう思う程にその身体は衰弱していた。
一般的には夫が死ぬと妻は元気になり長生きすることも多い。
これは夫に抑圧された生活から解放され自分のやりたいことが出来るようになる為や、女性のほうが社交的あること、元々家事などで日常的に身体を動かしていることなどが考えられる。
しかし祖母は取り立てて趣味や生きがいを持っていなかった。
併せて内向的の性格は祖父の死により塞ぎ込んだ精神をさらに落ち込ませていた。
両膝が悪いこともあって病院以外の外出を嫌う。
まだ家の中のことでも出来ればいいのだが、気遣ってか叔母が家事の一切を取り仕切ってしまった。
祖母の「仕事」が無くなる。
もっとも叔母も祖母の為にと思い、またそうすることで自分自身の悲しみを紛らわしているのだろうからあまり文句も言えないのだが、今迄日常行っていた食事や洗濯など「誰かの為に」などといった僅かでも遣り甲斐を感じ、立ち直るきっかけにもなりそうなものまで奪ってしまうのはやはりいい影響は与えない。
落ち込み、することのない生活は毎晩の施術にも拘わらずその身体に悪い影響を及ぼしており、運動不足に手足はむくみ、内臓機能の低下で便秘などが現れ、体自体は疲れることがない為眠りは浅く睡眠不足、土気色の顔に目の下の隈は濃い。
祖父に続き、そんな不安を胸に抱きながら、後悔だけはしないように持てる知識と技術を使い出来ることをするしかないと祖母に対して施術に励む。
図らずもそれは自分が立ち直るきっかけになり、四十九日を迎える頃、まだまだ祖母は身体の回復や悲しみが癒えるまでに時間がかかりそうだが、自分自身はこの日常にようやく慣れ始めていた。
依然ユキコから音沙汰は無く、症状の回復を見せていただけにどうしたのか気懸かりだった。
キリスト教の彼女が祖父の為に喪に服し、忌明けを待っていたわけでもないだろう。
情報提供者に足りえる弟のコウスケは接骨院に来ている。
交通事故のムチウチの回復に信頼を得たようで、その後も度々何かあれば人懐っこい顔で保険証を片手にやって来ていた。
患者に、その家族についてこちらから尋ねるなどプライバシーに立ち入る様な真似は普段なら極力避けてはいるのだが、それこそ彼以外に聞けるような相手はいない。
施術中他に患者のいない時を見計らい、さりげなく聞いてみることにした。
「ああ、ねーちゃんならここンところ、ずーっと部屋で寝込んでますよ」
また、精神疾患が悪化した。
発作は頻繁に起きるようになり鬱状態が酷い。
食事もまともに摂れないような状態が続いている。
「宗教なんかやってるからおかしくなるんスよ」
そんな突き放した物言いでも、その声に隠せぬ姉への心配が、不安を纏って響いていた。
「何かあったのか?」
「分かんないスよ、母ちゃんは何か聞いてるみたいなんですけど。こっちには何も説明してくれないもんスからね・・・」
弟には私たちの関係のことは黙ってて、そんな台詞を言っていたユキコの気持ちを考えれば、確かに詳細は聞かせにくいだろう。
「とにかく四月から急におかしくなったんスよ。ホントに何があったんスかね」
どこかで予測していた症状の悪化、祖父の通夜直前に見かけた白い車がユキコだったと何故か今は確信している。
頭の中で全ては繋がり一つの推論が成立した。
祖父の死後、ユキコに対してひとつ懸念があった。
結婚を僅かにでも考えていたかもしれない相手の近親者の死が彼女に与える影響についてだ。
異なる宗教の「死」に対する異なる概念が色濃く浮き出たこの時、彼女は何を思うだろうと。
葬儀の場に居ながらも車から出てくることが出来なかった。
その後の症状の悪化が答えを示している。
受け入れられなかった。
そして姿を見せなくなったのは決めたのだろう。
結論として、それは彼女が恋慕を諦め宗教を選んだことを示していた。
【 死に対する概念は宗教によって大きく違い、例を挙げるならキリスト教の「復活」と仏教の「輪廻」「成仏」が代表的だろう。
キリスト教においてはキリストが再臨する「最後の審判」の日に全ての死者は甦り、永遠の命を与えられ天国に迎えられる者と地獄に堕ちる者とに分けられる。この復活には魂だけでなく肉体も含まれている為、葬儀の際には火葬を嫌い土葬にすることが多い。
これらは死後から最後の審判までの間は各教派によって解釈の違いがあるとはいえ、聖書にもあるキリスト教の統一した見解であるようだ。
仏教になると特に日本では極楽や地獄といった概念で通っているが、これには神仏習合による神道の影響やキリスト教の天国と混同されており、明確な定義を求めるのは難しい。
あくまで日本における仏式の死後の定義を考えれば、ひとつに「輪廻」の言葉のように生き死にを繰り返し生まれ変わること。もうひとつの「成仏」とは悟りを開いた仏に成るというよりは死後そのまま極楽浄土に往くことの意味合いのもの。これについては行いにより地獄に送られることもある。
仏教は混合された思想が、更にそれぞれ宗派や民間の解釈の上に成り立っている為、統一された見解は無いように思える。】
ユキコはあまりにも宗教に真面目過ぎた。
キリスト教では死後、最後の審判で選ばれれば個の存在を有したまま永劫に尽きぬ肉体を持ち楽園に迎え入れられる。
宗教の意義を未知である死後の不安や恐怖に対して道を示すことが出来ることに他ならないと考えれば、彼女はただその一点を信じているからこそ、聖書を読み、信仰して、戒律を守っているのだろう。
そうやってユキコは穏やかに聖書を信じていた。
二人の出会いで綻びが生じた。
最後の審判の日に選ばれる為にひたすら日々を務めてきた彼女にとって、その恋愛を成就することが約束された楽園を失うことと同義だとすれば、そこにどれだけ不安と恐怖を覚るのか計り知れない。
加えて彼女が、無宗教の愛する相手が地獄に堕ちることに恐れを抱いていたと考えるのは自惚れだろうか。
「今生で無理なら来世で添い遂げよう」と言った時、来世など信じていない彼女がどんな気持ちで聞いていたのか、今は知る術は無い。
宗教と恋愛の間で悩み苦しみ、精神疾患で己の死を考え、客観的に異なる宗教の死を見たことで、ようやく彼女は自分自身の答えに辿り着けたのだろう。
そして天秤は宗教に傾いた。
だからこそ改めて想いを断ち切ろうと決意した結果が、彼女の現状であることに疑いはなかった。
もう来ることはないだろう。
確信めいた予感が、吸い込んだ煙草の煙と共に胸に拡がるのを感じた。
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