十七 2007年4月
「最近は調子がいいみたい」
発作が出ることが少なくなってきた、そう近況を説明するユキコの表情は明るく、以前のような屈託のない笑顔が戻り始めてきたように感じる。
ここのところメールや電話、接骨院に来る回数も増えだし、大したことを話すわけでもないが明るい話題が多くもなってきた。
小さな声で体重が増えてきたとの報告もあった。
食欲も幾らか戻り始めたこともあり顔色も前に比べて随分いい。
一時期寝込んでいたこともあって体力が落ちているとはいえ、家の仕事の手伝いは出来るようになってきたとのことだ。
以前の彼女に戻りつつある。
すべては自分のおかげ、などと考えてはいない。
彼女自身の病気の克服、家族や周りの人間の支え、もしかしたら少しばかりはキリスト教の支えなどもあったかもしれない。
それでもあの夜を境にであれば、幾らかは自分の功績もあったと自惚れても構わないだろう。
自惚れついでに考えれば二人の関係も随分距離が縮まったような気もする。
その態度や言動から今まで感じていた壁の様なものが無くなり、まるでさらけ出すかのように心を許している様にさえ感じる。
宗教の問題が片付いたわけではなく、未だに周囲には関係を隠しているとはいえ、表立っての交際宣言や結婚もそう遠い日の話でもないのかもしれないと夢想し期待してしまうほど、ユキコは大きな変化を見せていた。
まだ時折朝夕には冷え込みを見せる四月初旬の木曜日。
陽も落ちて暗くなった午後七時半頃。
接骨院内に今は患者が二人ベッドに入っていた。
片方に腰と右膝に低周波などの電気をあて、その間にもう片方の患者の手技に取りかかる。
こちらは寝違いのようで朝方から痛むらしい。
夜寝ている時や朝などの血が行き渡っていない身体の冷えた状態で筋肉に負荷がかかると、ちょっとしたことでも筋肉の損傷は起こりやすいので注意が必要だ。
悪い状態であれば下手に揉みこむと悪化する恐れがあるが、軽い状態であれば力を入れない軽いマッサージで痛みも和らぐ。
無論それなりの技術は必要なので家庭でやるのはお勧めしない。
今日の患者であれば、ある程度痛みも消えそうなのでマッサージを選んだ。
押さえて痛くないかと手技を進めていると扉の開く音がする。
覗くとユキコのにこやかに手を振る姿があった。
最近では受付嬢のいない夜七時過ぎに来て、他に患者がいなければ受付終了の八時、それ以降まで居座り逢瀬を楽しむことも少なくない。
とりあえずしばらくお待ちくださいと接客仕様で応対し、ベッドに戻り手技を再開して五分が経った。
電話が鳴った。
受付嬢がいないから出なければならないのだが、施術中は中断してまで出ることは無い。
すぐに留守番電話に切り替わるが、一分と経たずに再び電話が鳴り始める。
「すいません、しばらくお待ちください」
施術中の患者に断りを入れ電話に向かう。
いつもなら無視している。
予感があったのかもしれない。
「もしもし・・・おじいさんがたおれた」
取り乱し叫ぶような声は祖母の声だった。
脳出血で倒れてから、多少の障害は残ったものの祖父は元気だった。
身の回りのことも誰の手を借りるわけでもなく一通り一人で済ますことが出来ていた。
今日も七時になると風呂に入ると一人で風呂場に行き、とくにおかしな様子も無かったらしい。
異変に気付いたのは叔母だった。
三十分以上経っても戻ってこない、いつも烏の行水の祖父にしては遅過ぎる。
風呂場に行くと祖父が意識を失い倒れていた。
救急車を呼び、とりあえず叔母だけが付添い市民病院へ向かう。
その後だった、祖母が電話をかけてきたのは。
手が空き次第帰ると答え、まだ死んだと決まったわけじゃないからとなだめて電話を切ってはみたものの、楽観出来る状態ではないだろう。
施術中の患者二人は終わるまで残り十分もかからない。
待合で座るユキコに近づき小声で事情を話し、帰らなければならないことを伝える。
「悪いな、せっかく来てくれたのに」
「私は大丈夫、それより先生こそ大丈夫?」
言われて初めて顔が強張っているのを自覚する。
「済まない、あとで連絡する」
祖母を車に乗せ市民病院に着き、薄暗いロビーでしばらく待つと叔母が姿を現した。
告げられた言葉に祖母が泣き崩れる。
祖父は死んだ。
取り乱すことは無かった。
八十を過ぎれば大往生だ。
とりあえず携帯電話で父に連絡する。
伝え、必要なことだけ決めた短いやりとりを終えると電話を切る。
明日の朝一番の電車で来るとのことを祖母に伝えるが、さすがにこちらは返事もままならない。
死因をはっきりさせる為に解剖するかとの医師の問いを辞退し、簡単な説明と手続きを終えると、祖父の遺体を納めた棺は葬儀屋の用意した車で家に運ばれる。
感傷に浸る間もなく葬儀屋との打ち合わせは始まり進む。
悲しみに落ち込む気分を紛らわすには、確かに休むこと無く慌ただしく葬儀の打ち合わせや準備に追われるのはいいかもしれない。
とはいえ早急に相応の物や手間が必要であるから頼らざるをえないのは事実だが、浮足立った遺族へ矢継ぎ早にプランやオプションを薦めてくる葬儀屋に煩わしさを感じないわけでもない。
もっとも嫌なら本人と生前細かく決めて手配をしておくべきであるから文句を言っても始まらない。
一通り決まり葬儀屋は帰り、叔母と二人きりになると緊張の糸が切れた様に倦怠感に襲われる。
時計を見ると十二時近い。
祖母は病院から帰るとそのまま寝室に入ったが、寝ることが出来たのだろうか気にかかり、しばらくして部屋を覗きこむと微かな寝息が聞こえたので胸をなでおろす。
あとは接骨院に戻って片づけ、通夜と葬儀がある以上二日は院を休む必要があるからシャッターに貼り紙でもしておかなければならない。
そのまま接骨院に泊り朝帰ってくると、叔母に告げて家を出た。
接骨院に着き、何げなく携帯電話を確認するとユキコからメールがきていた。
余程心配かけていたようで、大丈夫かと不安げな文章が液晶画面に映し出される。
祖父が他界したことを返信すると間をおかずに電話が鳴った。
「悪いな、起こしたか」
とっくに寝ているものだと思っていた。
「ううん、寝れなかったから起きてた」
もしかしたら寝ないで待っていてくれたのかもしれない。
改めて祖父が他界したことを伝える。
「結局生きてる間、大したこともしてやれないまま逝っちまった」
気が緩んできた所為か自嘲めいた愚痴が口をつく。
「でも最後に先生と一緒に暮らせていて、お祖父さんは幸せだったと思うよ」
慰めの言葉に今はすがりつきたくなる。
「ああ、そうならいいな」
何かが胸にこみあげてくる。
心の弱さを曝け出しそうになる。
なんとなく意地を張り誤魔化すように、事務的に今後の予定、明日は通夜で明後日は葬儀であるから金・土、そのまま日曜日と院は休むことを伝える。
「月曜に再開するからまたおいで、その時に今日の埋め合わせはするよ」
「そんなこと気にしなくてもいいよ、それに今日はそれほど体調は悪くなかったから」
こんな時に不謹慎とでも思ったのか、会いたかっただけと申し訳なさそうに小声で呟く。
こんな時でもその言葉は嬉しい。
そんな今の気分を紛らわしてくれる他愛のない会話をまだ続けていたい気持ちもあったが明日の朝は早い。
これから接骨院の片づけもしなければならないからと告げ、名残惜しいが切り上げる。
疲労が気力と余裕を奪っていた。
「無理しないでゆっくり休んでね」
気遣う普通の言葉がやけに心に沁みた。
そのまま掃除を始める気力は湧かず、治療用のベッドに横たわる。
やめておけばよかった。
疲労の溜まった躰が一気に虚脱状態に陥り、指先ひとつ動かすのも億劫な気分で薄暗い天井を見上げた。
じわりじわりと滲み出るように悲しみが湧き上がり口煩かった祖父の顔が浮かぶ。
一緒に暮らし始めて七年が過ぎていた。
接骨院もそこそこ軌道に乗り、これから孝行でもしようかという時だった。
何もしてやれなかった、そんな想いばかりが頭に浮かぶ。
飯を食いに連れていったり、たまに遠出をしたり、家に帰ればマッサージなどをしたりはしていた。
そんなささやかな積み重ねが孝行なのかもしれない。
それでも今はそれが孝行に値するものだったかわからない。
今の自分を納得させるにはまるで足りないような気がした。
ただ何も出来なかったと罪のように自分を責め後悔することしか出来なかった。
何かしてやれていたのだろうか。
死のあとでは何の意味もない後悔は更に続く。
知らず、涙がこぼれた。
大した睡眠もとれないまま朝を迎え、八時過ぎに家に戻った。
しばらくすると父と母が到着した。
朝早くに出て高速道路を数時間、離れて暮らしているとこんな時が大変だ。
父が長男であるから当然喪主を務めるため、休む間もなく葬儀屋と今後の段取りなどの打ち合わせを始める。
次第に近所からは祖父の親戚縁者が手伝いにと集まり始めた。
近くにこれだけよく居たものだが、この辺りの人間関係には関与していなかった為、挨拶をし相槌は打つものの誰が誰だかさっぱり判らず多少の煩わしさを感じる。
それでも傍らで交わされる祖父の思い出話はどこか耳に心地よかった。
祖父の葬儀は当然ながら仏式で執り行う。
やはり葬儀などは一番宗教色がでそうなものだが、形式化されている為、どの宗教も基本的な流れは変わらないようだ。
通夜などもキリスト教には無いものだが「柔軟な対応」により一般の参列者の為に行うこともある。
勿論細かな違いは幾らでもあり、言葉からして「成仏」「供養」などは仏教用語として神道・キリスト教などでの使用は厳禁とされているなどがある。
通夜は近所の斎場で行った。
本来通夜は夜遠しで行うらしいが、今では一般客を招き午後六時頃から始めて数時間で終わる半通夜が一般的である。
遺体と共に斎場に移動すると、ただっ広い和室の控室で祖母と一緒に茶をすする。
会場の用意は業者が、受付は親戚が、弔問客への対応は喪主である父と叔母がしているので特にすることも無く手持無沙汰にくつろいでいた。
葬儀が始まる三十分前になると叔母が来て祖母を手洗いに連れて行く。
そろそろ式場に入らなければならないが、独りになったところでその前にと外の喫煙場へと向かう。
辺りはもう薄闇に包まれ始めていた。
正面の入口は照明の光が眩しく、背を向けて少し離れた喫煙所で煙草に火をつけ、苦い煙を吐きながら何気なく顔を上げると見覚えのある車が目に留まった。
駐車場を越えた道路の脇、数十メートル先の街灯から少し離れた暗がりに浮かぶ白い車体、ガラス越しのかろうじて女性と分かるシルエットが妙に気にかかる。
あれは・・・
「兄さん」
背後からの声に不意を突かれて心臓の鼓動が跳ね上がった。
振り向くと、妹だった。
「なんだ、お前か」
地方で働いている妹は仕事が休めそうになく、来れるかどうか分からないと聞いていた。
どうにか今日は昼から休めたらしいが、それでも通夜が終わればそのまま帰るらしい。
忙しい話だ。
「なんとか間に合って良かった。そろそろ時間でしょ?はいろ」
煙草を消して歩き出した妹を追いながら、確かめようと後ろを振り返ると、もうその車は消えていた。
思い過ごしだ、似たような車など幾らでもある。
通夜が始まり会場に読経が響き始めた頃にはそれも忘れ、焼香の手順を思い出すことに努めていた。
翌朝目を覚まし居間に向かうと、父と叔母が葬儀屋相手に葬儀のあとに僧侶に支払う戒名料がどれくらいかかるのか聞いている。
「相場では・・・」などと曖昧に返すあたりが気にかかる。
戒名料など初めから決めておけば余計な気を遣わせずに済むだろうに、と朝から苛立つ。
【 戒名とは本来生前に戒を受けて仏門に入った者に与えられる名前であり、元のインドには無く中国で発生した風習である。キリスト教で洗礼を受けた際に授かるクリスチャンネームと同様の性質のものだったが、これがいつの間にか死後に付ける名前として定着したらしい。
意味合いが変わった理由に、死ねば誰でも仏になるという思想や、信者でない者を仏式の葬儀で行う為には死後戒名を授け仏門に入ったことにしてから行う必要があったことが挙げられる。
どちらにせよ後付けの理由に過ぎず、戒名をつけなければ成仏出来ないなどと言うことは無く、ましてや高い金を払い、文字数を増やしたからと言って極楽に行けることなどありえる話では無い。
坊主の小遣い稼ぎのようなものだ、と断ずるのは穿ち過ぎだろうか。】
時間になる頃には親戚も集まり、僧侶が到着すると葬儀・告別式が始まる。
僧侶は風邪でも引いているのか読経の途中で度々咳き込み中断する。
掠れた声が耳障りに感じ、祖父の死に疲れた心が苛立ちを始める。
意味の無い戒名に金を取り、肝心の読経はこの体たらく、この僧侶に本当に死後の世界を信じているのかを一度聞いてみたい。
全てとは言わないが、今時の僧侶などは宗教と言う空想産物の既得権益の上に胡坐をかき、分かる筈も無い死後の世界をさもあるかのように語り商売とする欲にまみれた俗物くらいの認識しかない。
勝手にすればいいと普段なら関心も無いが、身内の葬式なら粗が目立てば腹も立つ。
気分は悪いがそれでも場をわきまえなければならない。
面に出さず、口をつぐみ、ただ大人しく祖父を偲びながら早く読経が終わることを待ち続けていた。
葬儀を終えると火葬場に向かい遺体を火葬する。
肉体が焼かれ小さな壺に骨が納められると、何もかも終わったように寂しさと悲しみが胸に去来した。
その後精進落としの食事を終え、親戚が帰り、父と母も帰る。
叔母は疲れたからと自室で休んでいる。
あまり寝ておらず、率先して雑務をこなしていたので無理もない。
残された居間に祖母と二人でソファーに腰を下ろして一息ついた視線の先に肘掛椅子が目に映り、空っぽの椅子の風景にいつも座っていた祖父の姿が想起された。
全てを受け入れるにはまだ時間が足りない。
「そういえばお塩でお浄め忘れてたわ」
思い出したのか疲れた声で祖母が呟く。
【 清め塩とは死を「穢れ」とする神道の風習にあたる。
一般的に行われているが本来死を不浄としない仏教・キリスト教には無い風習である。
またこの風習自体戦後からのようで、やらなければならないようなさしたる根拠や歴史は無い。】
「もう手遅れだからいいだろ」
家の中に穢れを入れないよう玄関先でやるものだ。
そんなことより肩でも揉むかとテレビを点けて祖母の背後にまわりこみ、首や肩に触れるといつも以上の張りを触知する。
当たり前の話だ。
夫と死別した祖母が誰よりも悲しみが深く、また高齢の身体には負担が大きい。
ここ二日で急に老け込んだような祖母の小さな背中は今なお泣いている様に見えた。
葬式などは結局遺された人間の為のものなのだろう。
故人を偲ぶ場、準備の慌ただしさで遺族の悲しみを紛らわせる場、そしてその人間が死んだことを認め成仏・往生・昇天・帰天したと納得させる為の場で、生きている人間の自己満足に近いように思う。
故人の為などおこがましい。
だからと言って余計なことを口にして「自分の葬儀の時はどうなるのだろう」などと祖母や親達を不安にさせるつもりは無く、とくに要望が無ければ逝ったあとは一般的な葬儀を行うつもりでいる。
それでも自分が死んだあとのことなら葬儀は不要にして貰いたいとおもう。
読経も、戒名も、仏壇も、何もいらない。
ただ火葬場で焼いて墓にでも入れてくれたらいい。
身内だけで見送ってくれたらそれでいい。
気になるなら般若心経でも唱えてくれたらいい。
どうしても戒名を付けたければ本やインターネットで簡単に付けることが出来る。
祖父の葬儀に初めて自分の死後のことを真剣に考えてみた。
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