五 2005年2月

 あれからほぼ毎日のようにユキコは「体を治す為」とことさら口にして来ていた。

 それもおそらくは、そんな理由づけでもしない限り彼女は接骨院に来ることが出来ないのだろう。

 そんな彼女に毎回「好き」だと言葉で気持ちを伝える。

 柄ではないのは自覚している。

 そもそも過去に交際した相手を学生まで遡っても、このような台詞を面と向かって口にしたことなど皆無に等しい。

 好きならキスをして、愛していれば抱きしめた。

 言葉にせず行動で気持ちを伝える、身勝手だが男としてはしごく一般的な矜持を持っていた筈だった。

 それが行動を制限されるだけでこうも変わるものかと自分でも驚く。

 気持ちを伝えるのに言葉を使うのは基本とはいえ、行動を起こす衝動を抑える代わりに語る言葉は、後で思い返せば赤面し、背筋がうすら寒くなるようなくさい台詞ばかりだった。

 それでも柄にもない台詞を繰り返していたのは、その時の彼女の照れくさいながらも嬉しそうな表情が対価以上に値するものだったからだろう。

 望めるなら彼女の口から同じ言葉を聞きたかった。

 自惚れではなく彼女自身が恋愛感情を持っていることは態度で分かるのだが、言葉で表現されたことがない。

「今日も可愛いね、好きだよ」

 受付嬢は帰り、他に患者がいなくなったのを見計らって声をかける。

 軽佻浮薄な物言いなのは照れ隠しも入っている所為である。

「どこまで本気なんだか」

 初めの頃にあった拒否感や抵抗感もなく、今では受け入れ、聞き流し、冗談で返すことも出来るようになっていた。

 変わらないのは髪の間から覗く耳が真っ赤に染まるところだ。

「端から端まで本気ですよ。こんなにも僕は真剣なのに」

 芝居気たっぷりに返す。

 あははと彼女は笑ったあと、少し困惑した表情をつくる。

「どうした?」

 こんな表情は大概何かを言い出しかねている時だ。

「あのね、先生・・・ごめんね」

 唐突な謝罪に心当たりがない。

「先生がいつも好きって言ってくれるのは嬉しいの。でも・・・」

 思い詰めたような真剣な表情に、何かまた深刻な告白でもされるのかと思い緊張が走る。

「私、好きって感情がよく分からないの」

 一気に脱力感を感じる。

 腰砕けとはこのことだろう。

「先生に会いたいと思うし一緒にいると落ち着くの。でもこれが好きってことなのかよく分からなくて・・・」

 今更ながらの中学生、いや小学生のような台詞に眩暈すら感じそうだが、真剣な眼差しで見られると茶化すわけにもいかない。

「やっぱり私、変かな」

 自覚はあるようだ。


【 旧約・新約聖書の「約」は神との契約を意味する。人が救われる為に守るべき元の契約が旧約であり、モーゼの十戒などで知られる。

   1 わたしをおいて、ほかに神があってはならない

   2 いかなる像もつくってはならない

   3 神の名をみだりに唱えてはならない

   4 安息日を心にとめ、これを聖別せよ

   5 父母を敬え

   6 殺してはならない

   7 姦淫してはならない

   8 盗んではならない

   9 隣人に関して偽証してはならない

   10 隣人の家、妻、奴隷、持ち物をほっしてはならない

 これが守られるべき契約の代表的なものであるが、その他レビ記などに記される様々な「律法」と呼ばれる決まりごとがある。

 イエスがこれに対し完成・成就させる為に唱えたものが新約聖書、決まりを守ることによって救われるのではなくイエスを信じることによって救われるという新しい契約である。

 とはいえ新約聖書においても信じるだけでなく、書簡集などには信仰や生活がどうあるべきかが記されているようである。】


 十戒の「姦淫してはならない」などのような男女間の規則制限は宗教のお家芸で、その他にも恋愛・結婚観に関する決まりごとは数多く存在している。

 そんなキリスト教のなかで、三十数年真面目に励んでいた彼女には本来確固とした「教え」に基づく恋愛の形があるに違いない。

 であれば無宗教の相手との口づけや抱擁は容認出来るような行為ではないだろう。

 そう考えるとキリスト教の規律に背き逸脱した現状の形が、彼女の恋愛感情の自覚を抑えこみ、鈍らせているのかもしれない。


「あんまり難しく考えないほうがいいんじゃないか?」

 口で丸め込むのは簡単なような気がしたが、おそらく彼女は納得しないだろう。

「嫌いな相手にキスされたらあんなに嬉しがってないだろ?」

 とりあえず冗談めかして事実を突きつける。

「そうなんだけど」

 反論するかと思いきや素直に肯定された。

 言ったこっちが照れくさい。

「大丈夫、ちゃんと大人になったら分かるからね」

 そういってごまかしながら頭を撫でる。

 成長を見守る親の気持ちだ。

「もう大人です」

 少しむくれて彼女は答えた。



 施術が終わってからの帰り際、ユキコは受付の机の上に放り出してあったアクセサリーに目をとめた。

「それは何?」

 カウンター越しに指差したのは銀製の腕輪、バングルだ。

「ホピのシルバーのバングル」

 何それ、といった顔で小首をかしげる。


【 ホピとはネイティブアメリカンの一部族で、アメリカ大陸最古の住人を自認するホピ族のことである。

 彼らの言葉でホピは「平和」を意味し、その生活様式は農耕と祭儀を中心とする。

 現在ではある程度の一般社会への迎合があるだろうが、彼らはアリゾナ州北部の居留地やコロラド川沿いのメサと呼ばれる砂漠地帯にそびえる高さ一八〇メートルに及ぶ三つの岩石質の高台の上に住み、その荒涼とした不毛な台地で、彼らは主食であり祭祀に欠かすことの出来ないトウモロコシを主とした農耕をおこなう生活をしているという。

 ホピの宗教的な神話や祭祀儀礼は口伝として伝えられる。

 最初の世界はトクペラ(無限宇宙)といい、そこには創造主タイオワ以外に何も無い無の世界だった。

 やがて無限は有限をはらむ。タイオワはソツクナングを創造し、宇宙を整え生命を造る計画を命じる。

 ソツクナングは九つの宇宙を整えた。一つはタイオワ、一つは自分、そして七つの宇宙は後の生命の為である。

 その宇宙のひとつに地球と人類を創造する。その後世界を三度造り変える。それぞれ三つの世界は人類に芽生えた邪心によって滅びた。創造主の教えに忠実だった少数の人々が必ず警告を受け救済され、次世界に移された。

 そして第四の世界を完全な世界、ツワカキといいこれが今の世界である。】


 この世界を造り変える時には火と氷、大洪水によって滅ぼされるくだりがあり、その過程で人々を混乱させる蛇の姿を持つ者の話もある。

 こういった神話は聖書でのノアの方舟や、エデンの蛇などに共通するものが見られる。

 また仏教の大日如来や神道の天照大神などのように、神を宇宙や太陽と同一視することは他の宗教・神話にもよくみられる話であり珍しくもない。

 様々な神の定義や天地創造の逸話などは各文化や民族の解釈の違いとしてとらえるとすると、始まりである最初の神は皆本来同一として考えていいのではないかとさえ思う。


「ホピってのはネイティブアメリカン。それの伝統工芸品」

 伝統、といってもそれほど古いわけではない。ネイティブアメリカンに銀細工の技術が取り入れられたのは千八百年代半ば、スペイン人からナバホ族に伝えられて他の部族に拡がっていった。

「おもしろい模様だね、かわった造りだし」

 手にとって興味深げに幾何学的な模様を観察する。


【ホピの銀細工に特徴的な技術に、「オーバーレイ」という技法がある。

 オーバーレイとは二枚の銀板を貼りあわせて造る技法で、下の板の貼りあわせる面を黒くいぶし、上に重ねる板をモチーフなどの模様にカッティングして貼りあわせることにより模様の凹凸が強調されエッジの効いた立体的な仕上がりになる技法をいう。】


「腕輪の模様がメイズ、首輪のトップがサンフェイスって言うんだけどね」

 そう言って白衣の胸元からペンダントトップを取り出す。

 メイズは人生や第四の世界で安住の地に辿り着くまでの道程を現し、サンフェイスは太陽で創造主タイオワが地上を見る顔を表すらしい。

 由来と柄が気に入って購入したもので宗教を意識して身に着けているわけではないが、どちらかというと宗教的な意味合いの強いモチーフになる。

 キリスト教の他神信仰や偶像崇拝の禁止規定に引っかかる恐れがあるのではないか、相手のことを思えば考えないわけでもない。

「一応他の神様になるわけだが、その点については大丈夫か?」

 嫌悪感のようなものがあるか気になった。

「それは別に、先生がそこまで気にしなくて大丈夫だよ」

 言葉の通りさして気にも留めない様子でバングルを手に取って眺め、汚れを見つけたのかご丁寧にティッシュで拭き始めた。

「それでも今度は十字架に替えてみようか」

 ペンダントトップを指でつまみながら二十代の頃を思い出す。

 シルバーアクセサリーを色々物色し、有名ブランドのクロスのトップのデザインを気に入りはしたものの、その時はクリスチャンでもないのに十字架などと思い購入には至らなかった。

「もしかしたらクリスチャンの気持ちが分かるかもしれない」

 勿論キリスト教徒になるつもりはない。

 見透かされていた。

「んー、形から入ってもね」

 もっともな意見だ。



【 仏教には「五戒」がある。

 在家、出家をしてない普通の一般的な生活を営んでいる信者に与えられる基礎的な「戒」である。

   1 不殺生戒

   2 不妄語戒

   3 不偸盗戒

   4 不邪淫戒

   5 不飲酒戒

 これらは守らなくても罰則などは特にない、自発的に守るべきものといった意味合いを持つ。】


 不飲酒戒とは「酒を飲まないようにする」といった意味だろうか。

 これでも弱くなったが酒はよく飲むほうである。

 例え罰則が無くてもこのような戒めがあるのでは絶対に仏教の信者にはなりたくない、元々なる気も無いが改めて思う。


 週末の休日、祖父母と囲む食卓の晩酌で、祖父が一合を飲み終わる頃には一升瓶の半分近くは空けていた。

 ほどよく酔いが回ったあとはそのまま布団にもぐりこみたいところだが、祖父母が寝る十時をまわるまでは居間でテレビを見るのに付き合い、簡単な会話やマッサージなどをして過ごす。

 齢三十を過ぎ丸くもなれば、こういった時間も大事なのだろうと漠然と思うようになる。

 二人が寝たあとがようやく自分の時間だ。

 部屋に戻り独りになると、酔っていることも手伝ってか無性に人恋しい気分になる。

 傍らの携帯電話に手を伸ばす。

 十回コールして出ないようなら切るつもりが、九回目で出た。

「もしもし」

 ユキコの寝ぼけた声、もう寝ていたようだ。

「ごめん、起こした?」

「うん、だいじょうぶ・・・」

 時間は午後十時過ぎ、朝が早いらしく、彼女はいつも夜寝る時間は早い。

 その為いつもは電話をかける前にメールをしておくのだが、酔っているから気がまわらずに遠慮がなかった。

「どうしたの?」

「なんとなく声が聴きたくなったんだけど、駄目?」

「いいけど・・・酔ってる?」

 些かろれつのまわらない口調に気付いたようだ。

「うん、ちょっとだけ。そういえばお酒って飲めるんだっけ?」

 一緒に食事に行ったことや飲みに行ったことなど一度もない為、飲食に関する嗜好は聞いたことがない。

 キリスト教にはそれなりの制限があったりするのだろうか。

「少しだけなら」

「そうか、なら今度ふたりで飲みに行かないか?」

 話のついでに誘ってみる。

「・・・やっぱり人の目があるところはちょっと・・・」

 前にも昼食を誘ったことがあるが同じように断られた。

 地元であれば街中で知り合いや同じ宗教の人間に出会う確率は高い。

 そのような時、今の関係をどのように説明していいのか分からないと言う。

 関係性を考えればつきあっているといっても過言ではないように思えるが、未だに恋人とは認めて貰えてないようだ。

「ごめんね、先生」

「いいよ、そのうち堂々とデートできる日が来ることを楽しみにしてるから」

 内心落胆はあるものの、前向きでないとやってはいられない。

「そういえば、その宗教的に食べちゃいけないモノとかはあるの?」

 一応聞いてみるのは、未定とはいえ将来の食生活に関わることでもある。

「とくには無いよ」

 あっさりした答えが返ってきて些か拍子抜けする。

 仏教に精進料理あるように、出家者は肉を食べてはいけない、といったイメージがありキリスト教でも何かしら制約があるのではないかと思っていたからだ。


【 インド仏教において飲食に対する制約は五戒の「不飲酒戒」にあるとおり酒に対してだけである。

 出家信者は修行の為、托鉢により在家信者から食物を得、在家信者はこの布施により功徳を積むことになっており、この為出家信者は差し出されたものは肉でも選り好みすることなく食していた。

 ただし「見・聞・疑の三肉」は食べてはいけないとされる。その動物が殺された現場を見た時、自分の為に殺したと聞かされた時、自分の為に殺された疑いのある時の肉を指す。

 肉食禁止は中国あたりから広く定着したようで、日本では六七六年に天武天皇が仏教の精神に基づき肉食禁止の詔を発したことから始まり、その後明治四年に解禁するまでの長くに続いた。こういった歴史からみれば仏教は肉食禁止と誤解するのも無理はない。】


【 聖書の旧約聖書、レビ記には食物に関する細かな禁止事項が記されている。

 これが新約聖書、キリスト教になると違うようで、

『「口にはいるものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである」マタイによる福音書 第十五章』

『「すべて外から人の中に入ってくるものは人を汚すことはできないことが分からないのか。それは人の心に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される」「こうしてすべての食べ物は清められる」マルコによる福音書 第七章』

といったイエスの言葉があり、何を食べてもよいことになっている。】


「そうなんだ」

「うん。だから友達とイタリア料理のお店に行ったり、あ、このあいだ父と一緒にうなぎ屋さんに行ってきて・・・」

 そう言って最近開店したらしい近所のうなぎ屋の批評を始める。

 こんな会話をしている時は普通の女性と変わらない。

 そんなことを思いながら、大事なことを聞いてみた。

「肝焼きどうだった?」

「それは知らない、私食べられないから・・・」

 クリスチャンにも好き嫌いはあるようだ。

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