第14話「湯の音に打たれて」

 天地英友アマチヒデトモは、初めて知った。

 初恋の幼馴染おさななじみ瑪鹿真心メジカマコロの決意と覚悟を。

 彼女は『孤性ロンリーワン』を持ちながらも、心身をきたえて過酷なトレーニングを自分に課している。あの、病弱で寝たきりだった幼少期とはまるで別人だ。

 同時に、やはり初恋のままの少女だとも思う。

 玲瓏れいろうなる無表情で、じっと英友を見つめてくる可憐な女の子だ。


「しっかし、驚いたな…真心、気合入ってるじゃねーか。いい根性だぜ!」


 独り言がれたタイルに反響する。

 ここは瑪鹿家の風呂場だ。

 しかも、大豪邸だいごうてい相応ふさわしいだだっ広さである。まるで温泉旅館か豪華ホテルの浴場だ。ご丁寧に口から湯を出すライオン像まである。

 熱めの湯に使って、英友は疲労が溶け消える中で天をあおいだ。


「……あいつ、毎日こんな特訓してんのかな」


 最初は、地球圏最強ヒーローという言葉と、必死でおのれを鍛える真心の姿が重ならなかった。どこかで英友は、『個性オンリーワン』や『孤性』を持つ人間をねたんでいた。生まれながらに才能を持っている、世の中が認める本当の人間なのだと思っていたのだ。

 だが、違った。

 同時に、同じだった。

 瑪鹿真心という少女は、天地英友と何も変わらない人間だったのだ。


「ちょっと、真心に礼を言わねえとな」

「……ホント?」

「ああ。今度なんか、安くて美味うまいもんをおごってやろう」

「うれしい、な……私、沢山食べちゃう、けど」

「腹ペコキャラだもんなー、お前……って、えええええ!?」


 振り向けば、すぐ側に真心が立っていた。

 

 申し訳程度にタオルで前を隠している。

 湯煙ゆけむりでぼんやりとした視界が、かえって起伏の豊かな長身を神秘的な美しさにかざっていた。髪をいていつものロングヘアを下ろしている真心は、じっと英友を見下ろしてくる。

 恥ずかしくなるくらいに直視してくるのだ。

 だが、背後からの声に彼女は振り返る。


「真心先輩、すっごいお風呂ですね……あ、湯加減ゆかげんどうですかー?」

「ほらほら、アチャチャちゃん、入った入った!」

「ちょ、あのっ! 学園長がくえんちょう、アタシはアーリャ・コルネチカですってば!」

「んもぉ、巫琴ミコトおばさんって呼んでねぇん? 今はプライベートなの


 裸体の美女と美少女とが、こっちに向かってくる。

 そのシルエットだけでも、はっきりとわかる。

 アーリャは確か、東ロシア帝国から来たと言っていた。その肌は白く、ツインテールを解いた金髪は朝日を浴びた稲穂いなほのようだ。真心とは対象的にスレンダーだが、細い柳腰やなぎごしがびっくりする程刺激的である。

 そして、真心の母の巫琴は、大人の色気がムンムンのムッチリボディだ。

 突然のことで、英友は思考が停止してしまう。

 そのまま彼は、湯船から脱出不能な状態になってしまった。


「って、ちょ、ちょっと! ヒデ、何でアンタがここにいるのよっ!」

「いや、その……スンマセン。って、俺が悪いのか? なあ!」

「オーッホッホッホ、ヒデちゃんも今日は頑張ったから、おばさんからご褒美ほうびよん? ね、アリーナちゃんもほら、スキンシップよ! 裸の付き合い、!」

「そ、そうなんですか? ……そう、なんだ」


 おい待て。

 突っ込め、否定ひていしろ。

 そんなの伝統でも文化でもない。

 あと、お前は旧世紀のRPGロープレに出てくるお転婆姫てんばひめみたいな名前じゃない。お転婆だけど、姫じゃない。そう思ってると、じっと真心が見詰めてくる。

 怜悧れいりと言えなくもない仏頂面ぶっちょうづらで、真っ直ぐ眼差しを注いでくるのだ。

 昔から英友はこの、星の海を閉じ込めたようなひとみに弱い。


「な、何だよ……」

「ヒデ君。今日、ありがと……凄く、嬉しかった」

「ああ? 気にすんなよ。へっ、俺もパイロットとしてならヒーローになれるかもな! お前から3本も取ったぜ!」

「うん……人工知能AIだと、得られないデータ、取れた。特訓、楽しかった」

「そっか、そりゃよかった。まあ3勝29敗だけどな、俺ぁ」

「……日課の、トレーニング……楽しかったの、初めて、だよ?」


 そう言って、湯船の英友に真心は屈み込む。

 自然と英友は、目線の高さに太腿ふとももから尻への曲線美が降りてきて目をそらした。


「ヒデ君、上がって? 私、背中、流したげる、ね。遠慮、しないで」

「いや! いやいやいや! 待て、待つんだ! おいクラス委員長! この馬鹿を止めろっ! ……アーリャ? なあ、アーリャ」


 振り返れば、頼りになるクラス委員長の姿はそこにはなかった。

 彼女は洗い場の方で、巫琴と女子力の高い会話に花を咲かせている。


「すっごい……シャンプーもボディソープも超高給品です! やだ、ブルジョア……」

「ささ、こっちおいでおいでー? おばさんが髪、洗ったげる」

「あ、いや、それは流石さすがに」

「遠慮しないの! 親御おやごさんから離れて暮らすと寂しいでしょ? ごめんね、無個性の子をどう扱うかについては、学園長としてもあちこちに掛け合ってるんだけど」

「その、すみません……」

「なーに暗くなってんの! って、すっごい綺麗な髪ね。サラサラ……肌もつるつる」

「ひぁう! ちょ、ちょっと、学園長、あの!」

「だーめ、おばさんて呼ばないと。はい、シャンプーしましょうねー」


 何ていうか、湯気で見えないのが逆に……エロい。

 そうこうしていると、だんだん英友ものぼせてきた。とりあえず、一時期は戦闘モードSTAND BYに変形していた愚息マイサンだが、元通りになったので立ち上がる。

 ガシリ! と遠慮なく真心は手を握ってきた。


「こっち……」

「待て、引っ張るな!」

「えっと、ママが……言ってた。日本の、伝統。マットを、いて、あわの国? そう、それは男の子の夢と希望……浪漫ロマン

「違うっ、違うぞ真心! それは違う!」

「……わかった。じゃあ、普通に背中、流す」

「お、おう。……って、あれ?」


 その時、英友は見た。

 真心の白い肌、黒髪が揺れる背中に……はっきりと赤いケーブルがぶら下がっていた。それは風呂場の外の脱衣所へと伸びている。

 英友に見られているのに気付いたのか、そっと真心は長い髪をたくしあげた。


「……な、なあ、真心。それ」

「ん、ヒデ君に、なら……見られても、いいよ? これは、私の……私の、

「お前……え、これ、痛くないのか?」

「大丈夫。触っても、いいよ?」

「え、いや、その」


 ほっそりとしたうなじの下、背骨に直接刺さるようにしてケーブルが生えている。その周囲には、金属製のコネクタが基部として肌に張り付いていた。

 まるで、機械の電源ケーブルである。

 肩越しに英友を見下ろす真心は、真顔でほおを朱に染めていた。


「……触って」

「えっ?」

「ヒデ君は、おっぱいとか、お尻が好きかも、だけど……」

「いや、それは否定できないけどさ!」

「ちっちゃい頃から、ヒデ君……おっぱいが好き。男の子ってでも……でも、こういうのが、好きなん、でしょ?」

「ち、ちげえよ!」


 そうは言いつつ、震える手でそっと触れてみる。

 やはり、赤いケーブルは脈動みゃくどうしている。そして、それを飲み込む背中のコネクタは、冷たい金属の肌触りだった。それは、周囲の真心の肉体とはあきらかに別種の、硬い輝きを放っている。

 どうにも理解不能だが、これが真心の『孤性』の秘密なんだろうか?

 そうこうしていると、不意に鼻がむずがゆくなる。


「へっ、へっくし! 湯冷めしちまう……あのな、真心」

「う、うん」

「俺はもう、頭も身体も洗った。全部洗ってから湯船に入るだろ、普通」

「……うん」

「おい、何ですげえ残念そうな顔してんだよ」


 ずっと真心は無表情だ。

 それでも英友にはわかるのだ。

 表情のない真心の顔に浮かぶ、彼女の気持ちを読み取るのは得意である。


「……じゃ、じゃあ、俺がお前を、洗ってやっから、よ。せっ、背中だけな! 背中流すだけな!」

「ホント? いい、の?」

「男に二言はねぇぜ! さっさと洗って湯船にかれ! 俺ももう一度温まるからよ」

「うん……うんっ!」


 洗い場で椅子に真心を座らせ、そのなだらかな背をスポンジでこする。見たことも聞いたこともない高級ブランドのボディソープは、きめ細やかな泡立ちと一緒に柑橘系かんきつけいの香りを広げていった。

 真心の背を流しながら、やはり先程のケーブルとコネクタに触れてしまう。

 まるで、彼女とタラスグラールをつなぐ血管……いや、へそのだ。


「そういやさ、真心。タラスグラールの名前って」

子宮Uterusと、聖杯Graalで、タラスグラール、なの」

「……何か、ちょっとエロくねえか? そっか、じゃあこのケーブルはやっぱ」

「へその緒、みたいな?」

「それより、何でウタラスグラールじゃねえんだ? Uユーが抜けてるだろ」

「うん……Youユーはまだ、なの」

「まだ? っと、おいおい、何だよ!」


 突然、背後から英友の背に泡が触れてくる。


「ふっ、振り向かないで! 振り向いたらアタシ、蹴っ飛ばすからね!」

「アーリャ、あのな。別に無理しなくても」

「むっ、無理してない! 無理じゃ、ない……ア、アタシも背中、流したげるから」


 真心の背を流しながら、アーリャに背を流される。

 そうしてちょっと離れて湯船に浸かる頃には……勝手に巫琴が夕食を全員で食べるべくメイドに指示を出していた。こうして英友は、アーリャと一緒に瑪鹿家の晩餐ばんさんにお呼ばれすることになったのだった。

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