恋の魔法はその他諸々
恋愛戦記1
『何故、またここにいるのか……』
焼きたてのブレドの香りがする店の前で座り、大きな硝子窓から店の中を覗きつつオルドはぼんやりと呟いた。
清々しい青空、陽気でぽかぽかの日差し、鼻をくすぐるブレドの香り、店の中に入るのを邪魔する硝子、心もとない所持金、憎らしい坂道、だんだん高さが増すような気がする階段……気が付けば虚しさが襲ってくる午後のことだ。
オルドはクディートの恋愛成就のために、また高級住宅地にいた。
『マァーダ、嫌がってるのカァー? 先払イもするんだカラそろそろ機嫌直してクレェ』
ここへ来る原因となったクディートがオルドの頭の上で弱ったような声を出す。オルドはそれに構わず、ふいっと勢いよくそっぽをむいた。
パンツ泥棒を捕まえてからというもの、オルドは機嫌が良くない。それというのも事あるごとにクディートがオルドの頭や背中に乗ってくるからだ。
ただ、クディートが頭や背中に乗ってくることはよくあることである。ハーシュに枕にされても怒らないオルドは、それだけで不機嫌になったりしない。またかと思うだけだ。
こうして機嫌が悪くなるのはクディートがオルドにまとわりつき、よく喋るからである。
しかも声を控えるでなくギャアギャアと騒がれ、耳がいいオルドはかなり辟易としていた。
ゆえにオルドは現在、クディートに対してとても冷たい。
『機嫌など……ただ、フラルメアに会うのが憂鬱なだけだ』
けれど、ただ機嫌が悪い顔をしているのは何だか大人げない。ずっと微睡んでいただけとはいえオルドも長く生きている。子供のような態度を取り続けることもはばかられた。
それゆえオルドは、クディートがオルドとハーシュに会わせようとしている女神フラルメアをいいわけに使ったのである。
これもいいことではないが、理由がないよりマシだろうというオルドの悪あがきだ。
それに悪あがきでもあったが、オルドが不機嫌である原因のひとつでもあった。だからオルドのいっていることに嘘はない。
『同じ神話出身ナンだから、マァー、ホラ。仲悪いわけじネーンダロ?』
『それはそう、だが。良くもない』
『イヤ、デモ、ホラァ』
オルドが嘘をついていないとわかっているからこそ、クディートも普段よりしつこくオルドに絡んでいた。
それはオルドに知り合いが少ないことを考えてのことか。それとも惚れっぽいクディートが惚れた女神にいい顔をしたいがゆえか。
どちらにせよ、オルドにとってそれは同じ神話の神と縁を作るいいきっかけではあった。しかしまだオルドには心の準備ができていない。
今度は激しく身震いしクディートを落としにかかり、仕返しとばかりにワンと吠えた。
『では同じ神話どころか、同じ神に仕えているリーリエに会ったらどうだ』
『ヤダー!』
クディートはパッと宙に浮くと何度か羽ばたき、オルドの隣に降り立つ。そして嫌がるあまりすぐに地団駄した。
リーリエはハーシュやクディートの同僚にあたる神で、豹の姿を持つ美しい女だ。
どこに行っても恋をするといわれるほど惚れっぽいクディートが唯一口説いたことのない女神でもある。
それなのに彼女はクディートが好きだという変わり種だ。だから一時はハーシュの仲間内でもクディートの本命ゆえにリーリエを口説かないというからかいが流行った。
しかしそのからかいはまったくの見当違いだ。
『あいつすぐ、オイシソウっていウー!』
クディートは汚れるのも構わず、地面に転がりバタバタと羽を動かし全身で嫌がった。
リーリエは美味しそうに見えるからクディートが好きなわけではない。
けれど彼女はとても正直者で、肉食であった。
クディートのことを愛してやまないが、その上で美味しそうに見える。だから彼女はついついクディートに会っては正直に美味しそうだという。
クディートにはこれが恐ろしく、また嫌だったのだ。
『黒と青だなんて食欲のわかない色をしているというのに……それも惚れた色目というやつなのだろうか』
オルドは雑食であったが、クディートのことを煩いと思っても美味しそうだと思ったことがない。そのためリーリエがすぐに美味しそうだというクディートを見ても腹が減ることはなかった。
クディートが安心してジタバタできるのも、そのおかげである。
『そんなわけあるカァー! 食欲だァ! アレは絶対食欲だァ!』
リーリエの目の前でジタバタし何度も可愛いと美味しそうを繰り返されたクディートは、オルドの周りを跳ねまわって抗議した。
煩いばかりでなく鬱陶しい動きをされてはたまらない。オルドはそれを尻尾をゆっくり動かすことで邪魔をした。
『ただ煩いだけだというのに、奇怪な』
『……ン? あいつの趣味についていってるはずなのに、ドーシテだか、オレが貶されてる気がスル』
オルドは首を傾げたクディートには答えず、硝子窓の向こう側を見る。
店の中ではペイグルやプレツェル、ドナッツなど穴の開いたブレドと菓子を器に重ねて吟味しているハーシュがいた。
『せめて早くハーシュがこちらに来てくれないものか』
店の中にいるハーシュはブレドに夢中というより真剣で、同じ種類のブレドが盛られた大皿を睨みつけている。硝子窓越しだというのにハーシュが悩み過ぎて唸っているのが、オルドにも前足を置くように分かった。
『イヤ、早くはムリ。アイツの食い意地、代替食の域を越えてるモン』
それほどハーシュの食に対する真剣さはわかりやすい。
煩がっていることには気づけないクディートにもさすがにわかるのか。そんなことを思い、オルドは尻尾に邪魔され、右へ左へうろうろしているクディートに顔を向ける。
だが、オルドは耳慣れないことばがあったことにすぐ気が付き、尻尾を動かすのを止めて怪訝な顔をした。
『代替食?』
ようやく自分自身が飛べることを思い出したのだろう。クディートはオルドの尻尾が動かなくなると飛びあがり、またオルドの頭に止まった。
『ハーシュの主食は悪ゥイ魂。ケド、その役目は終ったシ、ココでヤッタラもれなくお縄。そこで、代わりがヒツヨー!』
頭の上で得意げにするクディートが気にいらず、オルドはまた全身をブルブルと震わせる。
クディートは仕方なく再び地面へと下り、不満げに嘴を鳴らす。
『モー、さっきから落ち着きネェーナァー!』
お前にいわれたくない。
オルドは鼻の頭に精一杯皺を寄せ、そういうかわりに唸ってクディートを威嚇する。
するとクディートは何度か首を傾げた。このままではオルドの機嫌は悪くなるいっぽうである。どうしようかと思案していたのだ。
クディートが困っているのを知ってか、オルドの機嫌が悪化したことを察知してか。そこにハーシュが両手に紙袋を持って店の中から出てきた。
『ホラァ、そうやって不機嫌にナルから、過保護が出てキチャッター』
オルドの機嫌を悪化させたのはクディートだというのに、クディートは得意げに羽ばたき、店から出てきたばかりのハーシュの肩にとまる。
クディートの行為にハーシュは迷惑そうな顔を隠しもしない。クディートはハーシュのその顔を見ると知らんふりをしてカァと烏のように鳴いた。いつものことだ。
ハーシュはため息をつき、両手に抱えていた紙袋を片手で抱えなおして口を開く。
「過保護は否定しねぇけど、買い終わったから出てきただけだ。あと、お前はなんでわかんねぇのか……だからいつも振られるんだぞ」
『……オーウ、皆、この小粋さがワカラナイだけかと』
ハーシュとクディートの付き合いは長い。その分だけハーシュはクディートの恋愛劇を見ていた。
クディートはとても惚れっぽく、様々な方法で相手を口説き、ハーシュのような付き合いのある神を巻き込んでは振られる。
なんだかんだと世話を焼いてしまうハーシュは、どの神よりも多くクディートに付き合ってその現場を見てきた。だからこうしてクディートに付き合うことを嫌がる。
「んなわけあるかよ」
だがクディートが泣きついてくると、仕方がないなといって付き合うのがハーシュだ。ハーシュはよく自分の性格を理解している。最終的にクディートに付き合うことになるのだから、ハーシュはそこを割り切って、クディートから自分の欲しいものを巻き上げることにしていた。
「……オルド。悪いが、これで機嫌直してやってくれ。焼きたてだそうだから」
それと違い、オルドはまだ自分自身が何を許せて何を許せないかを理解していない。
『……今回だけだ』
そういいつつも、外はカリッと中はふわふわな焼きたてのペイグルを渡され、オルドは尻尾を振った。
神様天国 亀吉 @tsurukame5569
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