パンツ泥棒の怪2
高級住宅街の道は坂や階段が多いものの、とても広い。障害物といえば植えられた木やたまに見かける住人とその住人を運ぶ乗り物、大きすぎる邸くらいだ。この辺りは入り組んだ道もない。オルドが絶望する必要もなかった。
けれど、それほど広いと二柱くらいでは道を塞ぎきれず、どうしても穴ができてしまう。
パンツ泥棒はその穴を狙った。
突然道を塞がれたにも関わらず、パンツ泥棒は走る速度を落とすことなくオルドの方へと足を向けたのだ。
「なるほど、逃げられるわけだ。いやに冷静に判断してやがる」
ハーシュは舌打ちをすると動きそうになる足を止める。
後ろから追いかけられており、道まで塞がれたというのにパンツ泥棒は冷静だった。ぱっと見てオルドより複雑な動きができそうなハーシュを避けたのだ。
この場合ハーシュがオルドを助ければいいのだが、まだパンツ泥棒とは距離があった。今、パンツ泥棒に向かって走るとその分大きな穴ができ、オルドの方に足を向けると今度はハーシュが居た方の穴が大きくなってしまう。
それならば、パンツ泥棒が近くにくるまで足を止めた方が賢い。
オルドもそれを理解しており、牙を剥き出しにしパンツ泥棒を威嚇する。
その威嚇にひるむことなくパンツ泥棒はオルドの方へと突っ込む。彼が目指しているのはオルドと屋敷の間だ。それは人間の大人が三人ほど余裕で入る空間である。オルドが動く機会を間違えれば、パンツ泥棒は簡単に逃げおおせるだろう。
あと三歩ほどでオルドとパンツ泥棒が横に並ぶというとき、オルドはパンツ泥棒に飛びかかった。
パンツ泥棒もオルドが動かないとは思っていない。横へと跳躍しオルドから逃れると止まることなく走り抜けようとした。
この行動に惑わされたのはパンツ泥棒を追いかけていた青年だ。パンツ泥棒は単純にオルドから逃げただけであったが、青年は不意を突かれ立ち止まった。急に横にいどうできなかったのだ。
しかし、パンツ泥棒の行動に惑わされなかったものもいる。ハーシュだ。
パンツ泥棒が飛び込んだ先にハーシュは待ちかまえていたのである。ハーシュはオルドが動くと同時に斜め後ろへと移動していた。
当然パンツ泥棒はそれも避けようと動く。さすがに勢いは殺しているが華麗な足取りで横へとずれる。
「あんた、甘い匂いがするなぁ……悪神の類か」
ハーシュは匂いを嗅ぎとり鼻で笑うと、同じような動きでパンツ泥棒の邪魔をした。パンツ泥棒が右へ左へと動いても、ハーシュもそのたび右へ左へと立ちふさがる。
この間、パンツ泥棒を追いかけてきた青年もどう行動すべきか迷ったように二柱と同じような動きをした。
「く……っ! どきたまえ、鮮度が落ちてしまうだろう!」
一体何の鮮度であるのか。
ハーシュが一瞬足を止めたとき、パンツ泥棒はハーシュという壁から抜け出した。
そこにオルドとが再び飛びかかる。
今度こそパンツ泥棒をとらえたかに思われた。だがパンツ泥棒はやはりオルドより一枚上手だった。
「
パンツ泥棒は大声を上げながら赤い球体をオルドへと投げつける。
赤い球体はオルドにぶつかった瞬間に魔法陣となって広がり、オルドの動きを止めた。
『魔法……ッ』
オルドの動きが止まると、パンツ泥棒は立て続けに灰色の球体を地面へと投げつける。
「
パンツ泥棒の声とともに、それはあっという間に煙となって広がった。目くらましに魔法を使ったのだ。
オルドは煙から逃げるためその場から後退し、ハーシュはまた舌打ちをして口を開く。
「
するとその場に風が舞い込み、辺りに広がった煙をどこかへと吹き飛ばした。
動きを封じられていたオルドは一声吠え、身震いをすると辺りを見渡す。
そうしてパラパラと赤い固まった塗料のようなものを身体から落としつつ、オルドは鼻の頭に皺を寄せる。
煙が晴れた高級住宅地の一角には、怪しげな風体の男はいなかった。
『……転移の魔法でも使っているのか』
パンツ泥棒が消えたとわかるとその姿を探すのを諦めたハーシュは、灰色の球体がぶつけられた場所に近寄り首を振る。
「それは、所定の場所でしか使えないようになってんだよなぁ……姿を隠す魔法、だとは思う……そういうのを探るのは俺じゃなくてクディートの方が得意なんだが。あの野郎、またどこぞの女神を守るとかってふらふらしてやがる」
そんなことをいいながらハーシュは座り込み、灰色の球体の残骸を摘み上げた。残骸は指で潰すと粉になり、地面へと落ちていく。
ハーシュは指からこぼれていく灰色の粉を見送り、本日何度目かになる舌打ちをする。
『愛の多きことだ……鳥とはそういうものなのか?』
ハーシュの悪態には慣れたものであるオルドは小さな疑問をこぼす。ハーシュは身内に甘いが容赦もない。主に容赦のなさはクディートに発揮され、甘さはオルドに発揮される。
オルドはそれをよく知っていた。
「求愛が成立すれば……いや、あるいは個体差や種族差次第だが。あれでも神だからなぁ……動物を象るときにもとにされただけあって似てるところもある……しかし、あれはアレの特性みたいなもんだ」
ハーシュが立ち上がると、オルドももう一度身震いをして完全に赤い欠片を身体から落としきる。
『……おれの方向音痴のようなものか?』
「そうだな。ま、とにかく。使う魔法さえわかっていれば対処の仕様もあるだろう。いよいよもって、ケーブん家にいって詳しい話を聞かなけりゃならねぇか」
ハーシュはケーブの屋敷がある方を見上げ、溜息をつく。ケーブの屋敷にいって得られる情報は重要であるが、今からまた坂や階段と格闘しなければならないとなると自然と重たいため息が口から旅立ってしまうのだ。
『しかし、その前にもう一柱……今、二柱になったのか? 被害者に話を聞いてもいいだろう』
オルドもその重要性について気がついていたが、やはり早々にケーブの屋敷にいくつもりはなかった。オルドはくるりとその場で反転し、パンツ泥棒の動きに翻弄され挙句困ったような顔をしてオルドとハーシュを見つめていた青年に振り返る。
「いや、たぶん話を聞く必要があるのは一柱だ」
ハーシュも青年に目を向けたあと、オルドのことばに首を振った。
「……お話は終わったようですね」
二柱の視線にようやく会話の終わりをみたのか、青年は小さく頭を下げる。橙色と黒という青年をいかつくも見せそうな色を柔らかく見せる、気が優しそうに見える仕草であった。
「悪い、あまり力になれなかった」
優しそうな青年を放っておいたことを申し訳なくなったのか、それとも力になれなかったことを申し訳なく思ったのか。ハーシュが自らの頭に手を当て謝ると、青年は焦ったように体の前で手を振った。
「いえ、手伝ってくださりありがとうございます……本当はこうやって会う予定ではなかったのですが……」
青年が目を細め、哀愁漂う笑みを浮かべる。パンツ泥棒を追いかけこんなところまで来てしまったという事実が彼にそうさせたのだ。
オルドはその得も言われぬ悲しみを思い、項垂れ、悲しそうに鼻を鳴らす。
しかし、ハーシュはそんなことはお構いなしだった。
「というとあんた、やっぱりグラントゥス……だよな?」
ハーシュが話を聞くのは二柱ではなく一柱であるといったのは、パンツ泥棒を追っていた青年、グラントゥスの顔を見たことがあったからだ。
「そうです。俺が世話をしている神が……あと、さっき俺も被害にあいました」
彼はより一層悲しそうに微笑む。
そしてやはりオルドも一緒になって悲しく鼻を鳴らしたのである。
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