魔女鍋会議3


『なるほど……ハーシュは学校とは違うことを教えてくれる』


 オルドの関心はいつの間にか鍋からそれていた。鍋よりもすごいものを見つけたのである。オルドの目はハーシュを映し輝いた。もっと色々なことを知りたくて仕方ないのだ。その上耳まで新たな情報を聞く準備ができていて、ハーシュのことばを聞き漏らさぬようにハーシュのいる方へ向いていた。


 その目がまぶしかったのか、それとも学校について思うところがあるのか。ハーシュはオルドの視線から逃げ、鍋の中を覗き込んだ。鍋は肉と魚を入れ静かになっていたが、再び騒ぎ出していた。


「実はな、オルド。あの学校は……カミナの規則を教えたりするところだから、本当のところ世話役だけでも足りる。なぁ、ライール」


 鍋が吹きこぼれる前に野菜を入れ、ハーシュはオルドの追撃が来る前に視線を横に走らせる。その目はオルドを通り越し、コンジを座卓の前に座らせた気の弱そうな男……ライールに向けられた。


「そうだね。オルドのようにこちらに来たばかりの神の半数は学校に行くけれど、世話役だけでいいって学校に行かない神もいるよ。最近は学校に行かない神が増えているとも聞くね」


『なんと……ならば何故、学校などあるのだ?』


 オルドは目を丸くして頭を揺らす。不思議で仕方ないと、先までわずかに振っていた尻尾も動きを止める。


『それは友神をつくるきっかけであったり、世話役だけでは足りないところであったり、神々の事情であったり……様々であるが、カミナでは暇つぶしの面が強いのう。妾とケーブも暇つぶしがてら学校に派遣されておる。おかげで面白い友神ができたが』


 その疑問に答えたのはハーシュでもライールでもなく、コンジだった。コンジはようやく夫の出世に与えられた衝撃から立ち直ったらしい。オルドの向かい側で、明るい声をあげた。

 だが明るい声で告げられたというのに、その内容にいくつか引っかかりを感じ、オルドは尻尾で小さく一度だけ床をたたく。


 オルドを面白いという友神は秘密事が好きなきらいがある。場合によってはオルドが何度尋ねてもハーシュのように気持ちよくはっきりと答えてくれない。

 この思わせぶりないいかただ。きっと今回はふらふらと曖昧なことを答えられるに違いない。そう思って、オルドは不満を表に出したのだ。


「確かに面白いかもしれないな。方向音痴で帰ってこれなくて、道案内させるために友神を背負って帰るのは」


 そんなオルドをなだめるよう、ハーシュはまたオルドの背を撫でた。話題が変わったからか逃げて行った視線は戻ってきて、ふたたび鍋の様子を見始める。

 鍋はいいにおいを部屋中に漂わせ、すっかり出来上がっていた。


『おかげで妾は美味しそうな鍋にありつけるがの』


 ころころとコンジが笑い、オルドは拗ねてハーシュとコンジが視界に入らない方を向く。

 方向音痴で家に帰れない。世話役で良い話し相手であるハーシュにいいだしにくいことだった。それなのに他の神がいる前で茶化されてしまったのだ。オルドがそれをきっかけに突然反抗期を迎えてもおかしくない。


 オルドの反抗期がやってきそうな雰囲気を察したのか、オルドを迎えに行かず鍋をつつきながら酒を飲んでいた二柱がハーシュのことばを笑い飛ばす。


「そっか。それで遅かったんだ、オルド」


『あんなこといってるケドナァ、オルドが心配で外に様子を見に行ったのハーシュだカラナァー』


 二柱のことばに卓についた全員の視線がハーシュに集まった。

 子供には見つけられた瞬間におびえられる。きつい、怖いといわれる顔をしているハーシュはとても面倒見がいい。時々、過保護だといわれるほど預けられた神の面倒を見る。


 それを面に似合わないといわれ続けたのだろう。ハーシュはオルドが心配でカフィ専門店で待っていたことを揶揄からかわれても狼狽うろたえなかった。


「可愛げのある世話役だろう?」


 ハーシュはしれっとした憎らしい態度で、おかしなことはしていないと知らん顔して出汁の染みた野菜や肉を器によそう。

 その堂々たる声を耳にし、オルドはハーシュに振り返る。ふてぶてしい態度のハーシュは、オルドの目には堂々とした立派な姿に映った。


 オルドの反抗期はその瞬間に顔を引っ込める。自分もこうありたいと凛々しい顔までして見せた。

 しかし堂々たる姿に感動したのもつかの間、くったりした野菜と白いぷりぷりとした皮が付いた鶏肉が目に入ってしまい、オルドの腹が大きく鳴る。


「まぁ、可愛げのある保護対象がいての可愛らしさだがな……熱いからちょっと気をつけろよ」


 丸く浅めの器に盛られたそれらは湯気を出し自らその熱さを訴える。けれど腹の減ったオルドはハーシュのことばに頷くこともなく、器の端にある根菜にかぶりつき、その熱さを実感した。


 それでもオルドはその根菜を口の中で何度も転がし、なんとか噛み砕く。噛みつくたびに熱い出汁が飛び出し、耳を立てたり伏せたりしたが、それでもオルドは幸せそうに小刻みに尻尾を振る。ほこりをたてないようにと配慮して、尻尾を振るのを我慢した結果だ。


『妾を待てないとは、それほど美味しいと……?』


 自らの前に器がくるまで待っていたコンジがオルドの様子に、クンッ……と鼻を動かした。

 部屋に充満したにおいは、もはや空きっ腹に対する暴力だ。随分魔女鍋は美味しそうである。

 コンジは期待を込めて鼻を動かす。


「魔女鍋は具とそれを入れる順番と煮える時間さえ間違えなければ大抵うめぇよ。ほら、お前の分もよそったから食え食え。俺も勝手に食う」


 野菜や肉に噛みついては幸せそうにまぶたまで閉じていたオルドが、ハーシュの発言にカッと目を見開く。ハーシュが魔女鍋の具を食べるというのなら、急がなければなくなってしまう。そういった危機感からオルドは一気に野菜と肉の両方を口の中にいれる。

 ハーシュが浅い器にそれらをいれたおかげで、すでにオルドは熱さと一戦交える必要がなくなっていた。


『そうだ、明日からパンツ泥棒を追うから遅くなるかもしれない』


 ついに鍋料理争奪戦へと参加したハーシュがすべて食い尽くす前にと急いで食べ始めたオルドであったが、器の中が空になり魚の入った鍋の前に器を寄せると我に返ったように明日からの予定を告げる。

 急いでいるように見えないが、いつの間にか何度も鍋の中に入った具材をよそっているハーシュはそれに緩く頷く。そして自らの器によそうように自然とオルドの器に魚と野菜をよそった。


『パンツ泥棒ォ……? ワッオー! ハーシュも追いかけてる奴ジャン? 一緒に追えばすぐ片付くじゃネーノ』


 すでに腹はいっぱいになっているのか、酒ばかりを飲んでいたクディートが保護者と被保護者に嘴を挟んだ。パンツ泥棒という単語に覚えがあったのである。


「いや、同一犯とは……つうか、学生を巻き込むのはちょっと」


 クディートのいう通りパンツ泥棒を追っているハーシュは、パンツ泥棒については乗り気でない姿勢をみせた。家に帰る前にもパンツ泥棒について聞いていたというのに、微塵も仕事でパンツ泥棒を追いかけていることについて触れなかったのもそのせいだ。

 だがどんなにパンツ泥棒に積極的になれなくても、ハーシュはけして料理を食べる速度を緩めない。ハーシュの食べ物にかける情熱は仕事にかけるそれの比ではなかった。彼は着々と鍋の中身を減らしていく。


 カフィ専門店でもあれほど食べた形跡を残していたというのに、この男は一体どこまで食べるのか。ハーシュの胃袋について考えてしまい、食べることをやめ、若干引き気味だったコンジがパンツ泥棒については身を乗り出す。


『先もいうておったろう。カミナの学校は世話役で事足りる程度。学生といってももの知らぬ子供でもないし、学校の拘束時間も短いほうゆえ。何を遠慮する必要がある。むしろ一緒に追うた方が効率が良い』


 コンジのいうことに賛成であったオルドは器から目を離し、乗り気ではないハーシュを見つめる。

 ハーシュはオルドの雄弁な目からまたもや逃げて、飯を食う手を止めた。

 オルドの目はいつもハーシュに信頼と期待で輝く。ハーシュとしてはそれがむず痒いようで、いつもこういった反応をする。


「……で、本音は?」


 オルドの視線から逃げたまま、ぶっきらぼうにそういったハーシュは照れていた。

 コンジはハーシュの反応にまるで犬のように息を吐くようにして吠え、ニヤニヤと目を細める。夫とのことで揶揄われることの多いコンジは、たまに知人を揶揄う機会を見つけては笑う。そのあと立場が逆転したぞというように胸元の白い毛を見せつけ胸をはる。


『ふふ。ケーブが激怒しておって……早急に捕まえたいと妾たちの手を掴んで離さんのだ。だから、どうあっても一緒に泥棒を捕まえてもらうぞ。もし嫌だというのなら、お前の上司である旦那様にお手紙を書くゆえ、否は聞かぬ』


 これは面倒なことになった……思ったことを隠しもせず、ついには手に持っていた器を置いてハーシュは片手で頭を抱えた。断れないと判断したからだ。

 オルドの友神はときに異常な押しの強さを発揮する。パンツ泥棒事件に巻き込まれた神の一柱であるオルドは、鍋料理争奪戦も忘れ、鼻を鳴らしハーシュを慰めたのであった。

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