第5話 婆ちゃんの田んぼ

「その姿のままで外に出るのは、まずいと思うんだ。だからこれに着替えろ」


 それから三十分ほどあれこれした後、トイレの国への帰還きかんをとりあえずあきらめた髭モジャに、服を差し出した。それは死んだ爺ちゃんがよく着ていた甚平じんべい草履ぞうり、それから麦わら帽子だ。


「私の衣服になんの問題が」


 そう言いながら、髭モジャは自分の着ている服を見下ろす。婆ちゃんは気にしていなかいようだったが、住んでいる金ぴか宮殿と同じでかなり派手派手しい。


「どう考えても大ありだろ、それ。どこから見ても日本人じゃないあんたが、あきらかに日本人の服装には見えない派手派手な服を着てそのへんを歩き回ったら、不審人物として通報されて大騒ぎだ」

「私のどこが不審人物なのだ、失礼な」

「とにかく郷に入れば郷に従え。ここにいる間は、せめて私達と同じような服装をしろって話だよ」

「だがしかし、なんとも薄っぺらい衣服だな」


 髭モジャは、うさんくさげにそれらをつまみあげる。


「その汚いものをイヤイヤ持つような持ち方はよせよ。ちゃんと洗濯がしてある清潔なものなんだからな」

わらで作られた履き物とは。やはりお前達は貧しいのか?」


 草履ぞうりをつまみながら言った。


「あのな、このへんじゃ年寄りの夏の普段着はそれなんだよ。古き良き時代の名残なごりってやつでさ。べつに貧乏なわけじゃない。草履ぞうりなんて最近はなかなか売っているところがなくて、逆に貴重なんだぞ。いい加減に人んちを貧乏呼ばわりするのはよせ」


 そりゃあ金ぴか宮殿に住んでいるこいつからすれば、一般市民の私達は貧乏なのかもしれないが。


「私は年寄りではないぞ」

「だけど私よりはずっと年寄りだろ? それにこの家にはあんたが着れそうなのは、今のところそれだけなんだ。文句を言わずにさっさと着ろよ。適当な服を見つけてくるまでは、それですごしてくれ」


 そこでふと思い立ったので、念のために質問してみる。


「まさか、着替えさせてくれる人間がいないと、自分で脱ぎ着ができないとか言わないよな? いちおう爺ちゃんが着ていた時の写真を渡しておくから、こんなふうに着るように。靴下もちゃんと脱げよ?」

「赤子ではあるまいし、それぐらいは自分でできる」


 髭モジャはムッとした顔をしながら、私が差し出した写真をひったくると、婆ちゃんからあてがわれた和室へと入っていった。そしてしばらくして部屋から出てくる。


「どうだ。これなら文句あるまい」

「なかなか似合うじゃないか」


 金髪で長身、髭に青い目だからどうなるかと思っていたが、意外と似合っている。爺ちゃんが、昔の人間にしては大柄だったことが幸いしたな。あとは足や腕が毛深いの少しばかり気になるが、それはしかたがないか。剃れというわけにもいかないし。


「それじゃあ行くぞ。ああ、そうだ。これを忘れるところだった」


 玄関で靴箱の上に置いてあったスプレーを髭モジャに向けて発射する。


「なんだ、それは!」

「虫けだよ。いちいち大袈裟おおげさに驚くなよ。田舎にはいろんな虫がいるからな。刺されでもしたら大変だろ? あんた、そういうのに耐性がなさそうだし。それと帽子も忘れるな。日射病になりたくなかったら、ちゃんとかぶって外に出ろよ?」


 そう言い渡すと、自分にも虫除けスプレーをして帽子をかぶる。行き先は婆ちゃんがいる田んぼだ。家の前の道路に出ると、緑色の稲が風に揺れていた。髭モジャは立ち止まると、しばらくその景色を見渡す。その表情からして、景色を楽しんでいるようだった。


「これはまた素晴らしい景色だ」

「だろ? 夜とは全然違って綺麗きれいだろ?」

「だがこういのうは珍しいな。家畜を放牧しているような草原ではないのだな」


 道路の端に歩いていくと、そこから田んぼを見下ろした。


「これが水田すいでんってやつだ。あんたの国にだって、お百姓ひゃくしょうさんはいるだろ?」

「我々は農民のうみんと呼んでいる。そして彼等の土地には、こんな水を満たした畑はないな。私も見たことがない。これが初めてだ」

「なるほど。あんたの国では米は作ってないのか」


 私達が婆ちゃんの田んぼに到着すると、婆ちゃんはすでに田んぼに入り、こちらに背中を向けて作業をはじめていた。


「あれはなにをしているのだ?」


 それを見た髭モジャが質問してくる。


「田んぼに生えた雑草を抜いてるのさ。ほおっておくとよけいな雑草や水草が生えてきて、稲に栄養がいかなくなるから」

「そのような労働を領主夫人がしているのか? 驚いたな、使用人や小作人達はなにをしている」

「そんな人はいない。何度も言うが、貧乏で人が雇えないってわけじゃないぞ? 昔みたいに広い田んぼじゃないから、婆ちゃんだけでなんとかなるのさ。それになにかあれば、お隣さんが頼まれてくれるし」


 そう言いながら、かなり離れた場所にあるお隣さんの家を指でさした。


「今やってる田んぼいじりは、婆ちゃんの趣味みたいなもんなんだよ。刈り入れだけはお隣さんに頼んでいるけど、水草や雑草を抜くこの作業だけは自分でやるって聞かないんだ。あまりうるさく言うと〝年寄りの楽しみを奪うのか〟ってぶっ飛ばされるからな」

「趣味……」


 私の言葉に、髭モジャは微妙な顔つきをした。明らかに異議ありって顔だ。


「じゃあ聞くが、髭モジャの国での〝領主夫人〟の趣味ってなんなんだ?」

「そうだな。刺繍ししゅうや編み物、それに絵をたしなむ人間もいる。活動的な人物だと乗馬や狩猟しゅりょうといったところか」

「馬で走りまわったり猟をすることに比べたら、田んぼいじりなんておとなしいもんだろ」

「比べるのはそこなのか?」

「外でする趣味だろ、あれだって」


 そう言って、婆ちゃんの後ろ姿を指でさす。


「外……」

「じゃあ、庭で花を育てたりするのを趣味にしている人はいないのか?」

「それはいるにはいるが……」

「それと似たようなものだろ。花か稲ってだけで、婆ちゃんは稲を育ててる」

「……」


 理解できないって顔だな。ま、髭モジャが理解できなくても、田んぼいじりが婆ちゃんの楽しみの一つなのはたしかだ。こんなことでそこまで理解不能って顔をするのなら、隣のお兄さんのバイクに乗せてもらってツーリングなんてことを話したら、どんな顔をするんだろうな、こいつ。あ、意外と乗馬と似たようなものかと、逆にあっさりと納得したりして。そのうち話してみよう。


「婆ちゃーん!! モジャさんが田んぼの作業、手伝いたいってさー!!」


 とたんに髭モジャはギョッとした顔をした。


「私は手伝うなんて一言も言ってないぞ!」

「でも、領主夫人が一人で作業するのはいただけないんだろ? だったら手伝うしかないじゃないか。言い出しっぺは髭モジャなんだ、ここは率先そっせんして手伝うべきなんじゃないのか?」

「……私は国王なのに」

「トイレの王様だろうとどこの王様だろうと、自分の言った言葉には責任を持たなきゃな。もちろん私も手伝うんだから、文句はないよな?」


 婆ちゃんが顔を上げてこっちに振り返った。髭モジャの着ている甚平じんべいに気づいてニカッと笑う。そして手招きをした。


「おや、モジャさん、よくお似合いだよ、爺さんの甚平じんべいさん。うちの爺さんが着ているよりずっといいね。やっぱり男前はなにを着ても似合うもんだねえ、ヒャヒャヒャヒャ」


 似合うと言われて少しだけ気を良くしたらしい。田んぼの手伝いをしてくれるのかね?という婆ちゃんの問い掛けに、髭モジャはあっさりとうなづいた。


 広くない田んぼといったって一枚だけじゃないし、屈みこんでの作業はそれなりに重労働だ。ましてや初めて、さらには背の高い髭モジャにとっては、かなりの苦行になったのは言うまでもない。


 ただ、男のプライドからか、私や婆ちゃんの前では疲れた顔は見せなかったけどな。

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