第3話 トイレからこんばんは

「……トイレだな、つまらん」


 その日をさかいにトイレに行くのが楽しみになっていたが、婆ちゃんちのトイレはただのトイレのままだった。つまらん。


 いや待て。これが普通なんだ。


 扉を開けるたびに、金ぴか宮殿のトイレだったらどうする。トイレまでの長い廊下を歩かなければならない事態になったら、それはそれで困るんだ。私は一度目的地まで歩いたからなんとかなりそうだが、婆ちゃんが入りたい時だったらどうするんだ。どう考えても間に合わないじゃないか。


 前言撤回ぜんげんてっかい


 やはり婆ちゃんちのトイレは、今まで通り普通のトイレでいてほしい。念のためにと、もう一度トイレのドアを開けて確かめる。うむ、普通のトイレだ。良し。


「絶対、あの悪人顔のお兄さんが、前で見張ってるんだろうな」


 もしかしたら、髭モジャが鏡の前に立つのを禁じているのかもしれない。それともあの部屋を立入禁止にしたとか。きっと何気に偉そうにしていた髭モジャのことだ、自分の部屋なのに何故に立入禁止なのかと、文句をたれているに違ない。


「しかし、何であんな変なポーズをとっていたんだろうな……?」


 鏡の前でってことは、自分でその格好を見ているんだよな? あのポーズをだぞ? 自分で自分が恥ずかしくならないか?


「もしかしてボディービルダーとかいうやつか? そんなに筋肉がついていたようには見えなかったけど。あ、もしかしてボディビルダー志望で、トレーニング中とか?」


 あのトイレの住人が考えることは、まったく理解できん。とにかく寝よう。それでも念のためにと、ドアストッパー代わりの漬物石を、トイレの脇に置いておく。備えあれば憂いなし。本日の見回りはこれにて終了。


 なにを見回っているかって? もちろん、金ぴか宮殿とつながっている場所がないかに決まっている。


 だって心配じゃないか。トイレがいきなり金ぴか宮殿につながったんだぞ? もしかしたら、別のドアや押し入れのふすまが同じように、あそこのどこかと繋がっているかもしれないじゃないか。玄関があっちにつながってでもしてみろ。郵便屋さんや宅配の兄ちゃんがあっちに行ってしまったら、それこそ一大事だ。だから、考えられる所はすべて確認している。


 トイレのドア、風呂場のドア、玄関、押し入れ、そして台所の床下収納と冷蔵庫。ついでに茶箪笥ちゃだんすの引き戸も。幸いなことに、今のところ変な場所とつながった形跡は、トイレ以外は見つかっていない。


 そして今日も何事も無かったと安心して部屋に戻り、布団に入ろうとしたところでトイレのドアが開いた音がした。待て……待て待て待て!! 次はなんだ?! 慌てて部屋から廊下に飛び出した。トイレからは明かりが漏れている……そして顔を出しているのは、金髪髭もじゃ男!!


「おい、なに何してるんだ、人んちで!!」

「おお、これは一体どうなっておるのだ?」

「待て、出るな! ってか動くな!」


 ビシッと指をさして怒鳴ると、髭モジャは顔をしかめた。


「その口のきき方はなんなのだ。仮にも私は国王なのだぞ」

「トイレの国のことなんて知ったことか。とにかく出るな!!」


 髭モジャの前に立つと、向こう側はたしかに金ぴか宮殿だ。こっちとあっちがつながったということはだ、原因は一つしかない。原因は目の前にいる髭モジャだ。


「またあのポーズをしたのか? もうするなって、あの目つきの悪いお兄さんに言われなかったか?」 

「自分の部屋でなにをしようと勝手だろうが」


 どうして立入禁止にしなかったんだ、あいつ。


「あのポーズをしなければ死ぬ病気でもあるのなら分かるが、どう考えても違うだろ。さっさと引っ込んで閉めろ」

「だからどうしてそのように偉そうなのだ、お前は。もしかしてお前も王族なのか?」


 髭モジャは顔をしかめてこっちを見下ろしている。


「やかましい。私は立派な一般市民様だ、文句があるのか」

「……平民にこのような無礼を許す国とは、まったくなっとらん」

「人様の家に土足で踏み込もうとしているあんたの方が、よほど無礼だぞ」


 馬鹿みたいにキラキラしている靴をさす。まったく、靴もキラキラしているのか。王様ってのもあながちデタラメではなさそうだ。


「少し興味がわいたのだ。お前のような無礼な子供がいる鏡の国とは、どのようなものかとな」


 髭モジャは興味深そうに婆ちゃんちをながめている。


「なんとも粗末そまつな家だな。木でできているのか? お前の家は貧しいのだな」

「うちは貧乏びんぼうじゃない。この辺じゃ木造の家はいたって普通だし、都会に比べたら、婆ちゃんちはめちゃくちゃでかいぞ。そっちの金ぴかの方が、よっぽどおかしい」

「そうなのか?」

「うちは爺ちゃんが残してくれた田んぼも畑もあるし山もある。婆ちゃんは悠々自適ゆうゆうじてきに暮らしている」

「山もあるのか。お前の祖母は荘園しょうえんの領主夫人なのか? いや、この場合は未亡人なのか……?」


 髭モジャは意味不明なことをボソボソと呟いている。


「なあ、家の周囲を見て回ったら気がすむって言うなら、少しだけ見て回るか?」

「視察をさせてもらえるのか」

「……いちいち大袈裟おおげさな物言いなのが気になるが、まあそんなところだ。今は夜だから、蛍ぐらいしか見れないと思うけどな。あ、まずそのド派手な靴を脱げ。土足で廊下を汚すと、婆ちゃんにぶっ飛ばされるぞ」

「お前の祖母は、なかなかの女傑じょけつらしい」


 不満げになにやら言いながらも、おとなしく靴を脱いだ。


「それとそこの石をドアの前に置け。そうすればトイレのドアも閉まらないだろ」

「私にやらせるのか」

「子供にそんな重たい石を持たせて平気なのか、トイレの国の住人は」

「だからトイレではないと言っているのに」


 文句を言いながらも髭モジャは、私がトイレの横に置いておいた漬物石で、トイレのドアをおさえた。


「もう婆ちゃんは寝ているから静かにな」


 そう言って玄関から外に出た。


「なんと、辺境へんきょうの荘園なのか、ここは」

辺境へんきょう……」


 婆ちゃんちの周囲は、ひたすら田んぼが広がっている。舗装ほそうされた道路には、ポツポツと街灯がいとうが立っているだけで、ほとんどなにもない。


「まあ、田舎なのは認める。隣の家はあそこだから」


 そう言って、隣の家の明かりが見える所を指さした。


「こんな場所で隠遁いんとん生活とは、よほど傷心なことでもあったのか領主夫人は」

「……いや、うちは米農家なんだが」


 こっちの話を聞こうともせずに、髭モジャは街灯がいとうを興味深げに見上げている。


「ガス灯ではないのか、不思議な仕掛けだな、これは。一体どうなっているのだ」


 そして少し先にあるジュースの自動販売機に「いらっしゃいませ」と言われて、中に人でもいるのかと飛び上がらんばかりに驚いている。魔法ではないのか?と言わないところを見ると、意外とトイレの国はこっちの世界と似たような世界らしい。


 それから散々歩き回って、髭モジャはここはやはり辺境へんきょうであると結論づけた。……まあ間違ってはいないんだけどな。そんな髭モジャが満足したらしいので、家に戻ることにした。


辺境へんきょうってのは、もっと人がいないところだろ。ここにはそれなりに人が住んでるんだぞ」

「私には立派な辺境へんきょうに見えるがな。昼間に視察すれば、また違って見えるのかもしれないが」

「私にこっちに二度と来るなって言ってただろ。その言葉そっくり返す」

「……まったくもって無礼な子供だな、お前というやつは」


 とにかく、そこそこ見て回って満足したらしい髭モジャを連れて戻った。そっと玄関のドアを開けると、寝間着ねまき姿の婆ちゃんがこっちに歩いてきた、しかもその両手には見たことのある石が……。


「ば、婆ちゃん、その石は……」

亜子あこちゃん、トイレの前に漬物石があったんだけど、どうしたんだい? こんなもんをあそこに置いたら、ドアが閉まらないじゃないか」

「……婆ちゃん」


 当然のことながら、廊下の先のトイレのドアは閉まっている。


「で? そちらはどちら様で? もしかして道に迷ったかね? 最近は外国の人が田んぼの写真を撮りに来るって、町内で話題になっとったが、それかね?」


 婆ちゃんの質問に答える前に、慌ててトイレのほうへと走る。そしてドアを開けた。そこは我が家のトイレだ。何度開け閉めしてもトイレはトイレのままだった。


「亜子ちゃんや、そんなに開けたり閉めたりしたらドアが壊れるよ」

「……」


 そんなわけで、髭モジャめでたくこちら側に取り残されてしまった。

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