悪役令嬢は恋を知ってしまった
なぜここにジル様が? って疑問は、次に隣のリナから発せられた言葉で霧散するどころか疑問が増してしまったのだ。
「あら、ジル。今日は王太子様の警護ですか?」
「あ、リナねえさん。お久しぶり。そうだよ、今日はお仕事」
「へ?」
リナとジルが顔見知りなのもびっくりですが、「ねえさん」のワードに更にびっくり。確かに二人共ツヤツヤな黒髪をしてるけど、リナは紺に近い黒色の瞳に対しジルは宝石のような真っ赤な瞳をしていたから、姉弟と言われて驚きが隠せないんだけど。
「リナとジル様は姉弟なの?」
「あっ、申し訳ございません、アデイラ様。ジルとは実際は血縁関係はありませんが、同じ郷で姉弟のように育ったものですから、彼が勝手にそう言っているだけなんですの」
「へー、そうなんだぁ」
いわゆる『幼馴染』って関係なのか。
……そういえば、私の前世でも『お姉ちゃん』って呼んでいた相手がいたのを思い出す。私が十歳の頃だったかな。その時は看護学生というか、定時制の看護科に通いながら病院で看護助手の仕事をしていた小柄な少女で、私とは六歳差だったのもあり、看護助手と患者というより、姉妹な関係になっていった。
その右も左も知らない彼女は高校卒業後は看護大学に入学し、何故か助産師学校へ入学。なぜ助産師? と、当時は呼吸するのも自発では難しく、気管支切開をしてたんだけど、そのカニューレを交換している時に尋ねたのだ。
『ほら、あなたがいつか退院して、素敵な人と出会って結婚して、子供が出来たら、私が取り上げたいもの』
彼女は明るく笑ってそう言ってくれた。
きっと、私がそこまで生きる事はないと、知っていただろうに、彼女は私が生きる希望を少しでも持てるよう、自分の時間や労力を使ってまで支えてくれた。
明るくて、でも時々怒ると怖くて、でも、優しくて大好きだった『お姉ちゃん』の看護師さん。
彼女は今も元気でいるだろうか。もう結婚したのかなぁ。
「アデイラ嬢?」
「アデイラ様?」
二人の声がハモって聞こえ、私は遠い過去に思い馳せていた思考を慌てて切り替える。
「ん、何でもないわ。そういえば、ジル様って親衛隊でしたね。もしかして、今日はクリストフ様とカールフェルド様の護衛かしら?」
「うん、そう。今日はお二人について来たんだけど……ところで、アデイラ嬢」
首を傾げてまっすぐに赤い目を私へと向けてくるジルは、不意に言葉を止めて不思議そうな色を滲ませている。何か変な所でもあったかな?
「なに……かしら?」
「僕、アデイラ嬢よりも身分低いんだけど」
「はい?」
「別に貴族位を持ってる大層な人間じゃないんだけど」
「はぁ……」
「それなのに、アデイラ嬢はどうして僕に『様』とつけるのかなって」
コテリ、と音がしそうなあどけない様子に、内心『このイケメンあざとすぎ!』と叫んでいたが、公爵令嬢としてはアウトなので──リナも近くにいるわけだし──口元を引きつらせながらも、問いかけに答えようと口を開いた。
「だって、ジル様は私より年上ですよね。その分だけ私よりも知識がある訳ですし。私、貴賤関係なく、年上の方には『様』を付けるようにしてます。あ、でも、年上でも浅慮な方に差し上げる『様』はありませんけどね」
ほら、たまにいるじゃない。
やったら年上とか年寄りでさ、マナーは守らないは、自分が年上をかさに着てわがままし放題な人。ああいうの見てると、自分はこうなりたくないな、って反面教師になるよね。権力もしかり。特に何代も続いてるボンボンオッサンとか、過去の人の頑張りで今の地位があるの忘れてさ、でっぷりお腹を揺らして好き勝手してる人とかも大嫌い。
たまにクリスとも、『ああいうのが国をダメにするんだよね~』ってお茶しながら悪態をつく事もある。
つまり、ジルは私が王宮で迷子になった時、ためらいも嫌悪もなく手を差し伸べてくれて、クリスの所まで案内してくれた。
道中も色々お話して、彼が知識量溢れた素晴らしい人物だった認めてる訳で。
「なのでジル様には『様』とお付けしたのですが、嫌でしたらやめますよ?」
私もコテリと首を傾げれば、何故かジルはパッと顔に朱を散らし、「あ」とか「う」とか口をパクパクさせてしまったのである。
一体どうしたよ。
「お嬢様、愚弟はここに捨て置いて、そろそろ天ぷらの準備をしませんと……」
「あ、そうだった」
「天ぷら!? 天ぷらってあの!?」
おおーっと、めっちゃ食いついてきましたよ、ジル様。
「ジル様は、天ぷらご存知なんですか」
「うん、うちの郷ではご馳走だったよ。中でも魚の天ぷらは、こっちのフリットと違ってサクサクフワフワで美味しかったな」
と、美形様がうっとりと思い馳せてるけども、その内容が天ぷら。更に申し訳ないけど、今日はサツマイモメインの会だから、魚の天ぷらはないんだなぁ。
「魚の天ぷらも美味しいですよね。でも、本日はサツマイモの会なので、これから作るのは、サツマイモの天ぷらなんですの」
「あ、そうなの?」
「はい、ご期待に添えず申し訳……」
「僕、サツマイモの天ぷらも好きだよ。アデイラ嬢の天ぷら、僕にも味見させて?」
す、と腰を落として私に視線を合わせたジル様は、うるうる赤の瞳を潤ませて懇願してくる。なに、これ、かわいい……っ。
「なにを、公爵令嬢であるアデイラ様に物乞いしているんです、あなたは」
「……っで」
傍に控えてた筈のリナが、それはそれは見事なスイングでジルの頭をはたく。ガンって音がしたけども、大丈夫なのかしら……
というか、リナってこんなキャラだったっけ? いつも兄様にひっそりと仕えてるイメージしかないんだけど。
「ほらほら、お嬢様は忙しいんです。ジル、あなたもふたりの警護で来たのでしょう? こんな所でサボってないで、さっさと戻りなさいな」
リナは涼しい顔でジルの頭をポンポン叩きながら、私との距離を離そうとしている。
「リ、リナっ。そんなにジル様の頭叩いちゃダメだから!」
咄嗟にリナにしがみついて止めたんだけど……あれ?
「もう、もうっ、本当にお優しくて可愛らしいっ! できることなら、私もアデイラ様の専属メイドになりたかったですっ」
「ちょっと、なに、この天使! うちの郷ではまず見ない程の純真さ! 僕も王城勤め辞めて、こっちで働きたくなってきた!」
「え、え、えぇーっ!?」
ふたりに挟まれるようにギュウギュウ抱きしめられ、身動きどころか呼吸すらできません。なんなの、このカオス状態。
「……何やっているんだ、お前たち」
変声期に入りつつある声が聞こえ振り返れば、クリスが兄様とカールとルドルフ様を従え立っていた。
「あ、クリス」
「『あ、クリス』じゃない。どうして俺の婚約者のお前が、うちの近衛であるジルに抱き締められているんだ!」
柳眉を不機嫌にひそめ、久しぶりに出た俺様発言するクリス。どうして、って言われてもなぁ。私の方が知りたいんですけど。
「そんなことを言われても……私だって知りたいです」
「じゃあ、離れろ。今、すぐに」
「だったら、クリスが助けてくださいよっ」
「……仕方ないなぁ」
そう不満を漏らした途端、私の腕に強い力が襲い、それから開放感と共に温かいなにかに包まれる。
「ほら、助けたぞ」
すぐ傍からクリスの声が柔らかに聞こえてくる。彼が話す度に耳のあたりに少し湿った吐息が触れ、自分がクリスの腕の中にいるのだと自覚してしまい、顔に熱が集結した。
すぐ近くにクリスの鼓動がトクトクと打っているのがはっきりと分かる。少しだけ高い体温も、仄かに香る爽やかな香水の香りも、昔とは違うのだと、明確に知らしめた。
こんな風にクリスを異性として意識するのは初めてだ。
ずっと、彼は前世の私が創った世界の登場人物で、その中の彼は私を断罪して、婚約をなかった事にして、唯一の相手と結ばれる人だった。
だからこそ、私は一線引いた場所から火の粉が降りかからないように、クリスとは一定の距離を保ったまま付き合いを続けてきた。
たしかにクリスは私の理想を具現化してると言ってもいい。過去の私が白い世界で想像した、輝くばかりの王子様。クリスが幸せになるために、
(最近、未来が分かっていても、クリスと一緒にいるのが楽しくて、時折忘れてしまいそうになっているけども)
兄様は別にしても、カールもルドルフ様も、今は私に対して好意的な感情を持っているかもしれないけど、ヒロインが彼らの前に現れたら、きっと彼女を好きになるに決まっている。
それが正しい姿だと理解しているのに、私の胸はズクリと軋む音をたてていた。
「……ありがとう、クリス。ちょっと困ってたから、助かったわ」
私はそっとクリスのいつの間にか広くなった胸元を軽く押して距離を取る。
この場所は私のものではない。未来にクリスと結ばれる筈の彼女の場所なのだから。
「アデイラ?」
不思議そうに顔を覗き込んでくるクリスの視界から隠れるように逸らし、無理やりに笑みを浮かべる。
「こ、これから美味しいものを作るから、楽しみにしててね! クリス」
「あ、ああ」
「じゃあ、兄様。皆さんを向こうにご案内お願いねっ」
「……分かったよ、アデイラ」
それじゃあ、とみんなに手を振って、リナの背中を押して厨房へと向かう。
きっと兄様には気づかれた。私がクリスに対して湧き上がってしまった感情を。
(……知りたくなかったな、この気持ちは……)
ドキドキ、ズキズキ。
脳裏にクリスを思い浮かべると、複雑な心が私を乱す。
クリスには絶対知られてはいけない。微塵も悟られてはいけない。
(私……いつの間にか、クリスのこと、好きになってたみたい……)
大事なのは、形を変えつつあるドゥーガン家が没落することなく、家族みんなで笑っていける未来。
だから、この思いは箱に閉じて鍵をかけなくてはいけないのだ。
だって、みんな幸せになって欲しいから──
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