第31話 悩みは紅茶の香りと共に薄れて(リオネル視点)

 泣き疲れ再び眠ってしまったアデイラを彼女の専属侍女であるミゼアとレイに任せ、僕は自室に戻った途端ソファにドサリと身を預ける。


 時々父の代理で執務をする事もあり、疲れた心と体を休める為の家具類は、優しく僕の体を包むような肌触りの良い布地と、アデイラ案で中に綿を詰めてある為か、このまま眠りに落ちてしまう程に心地よい。


 それだけ今日一日で色々あったが為に疲労が蓄積しているのを感じていた。


 クリスの見舞いに始まり、途中で迷子になったアデイラの捜索、ちょっと席を外して戻ってみたら、クリスのベッドに伏せて寝ていた妹の頬はまだ乾いていない涙に覆われ、その件について追求してみれば、思いもよらぬ名前が飛び出し、果てにはアデイラから告げられた驚愕の話。


 幾ら僕が優秀とはいえども、こんなに一度にトラブルがやって来たら、混乱するに決まっている。


「お疲れのようですね。リオネル様」

「リナ」


 カチャリ、とテーブルに湯気の立つ紅茶を微かな音を立てて置いたのは、僕専属の侍女であるリナだった。

仄かに立つ湯気の向こうで微笑むリナからそっと視線を外し、僕はゆったりとした動作でカップを持ち緩やかに息を吹く。鼻腔を秋摘みの芳醇な茶葉の香りが通り、落としかけたため息を紅茶と共に飲み込む。


「まあね。でも、時間の無駄にはならなかったのは、ある意味収穫だったかもしれないけど」


 目まぐるしい一日だったけど、長年疑問だった部分がひとつ解決したからか、疲労はあってもどこか清々しい気持ちに包まれていた。


「そうですか。それは良かったですが、あまりご無理はいけませんわ」

「……ありがとう」


 またひとくち濃い水色の紅茶を喉に流す。

 秋に摘まれた茶葉は、春摘みのものに比べると色も深く、香りも強い。僕は目が醒める気がしてストレートをよく口にする。反してアデイラはもっぱらミルクティにするのを好むけど。


 アデイラ……か。


 半ば脅して彼女の秘密を暴いたせいか、少しだけ罪悪感がじわりと胸を蝕む。


 クリスの所へカール先導で見舞いに行ったまでは良かった。

 僕はただ単にルドルフに妹謹製のプリンを自慢しに行ってる間に、まさかそのルドルフが原因でアデイラが謎の号泣をし、何故かクリスのベッドで眠ってしまうとか、普通では考えにも及ばない現実に、どっちを責めたらいいのか分からず途方に暮れた僕を誰か慰めて欲しかった。


 仮にも婚約者同士、室内に見張りでクリスが配置していたメイドの目があったとはいえ、あれはダメだろう。普通。


 と、本来であればこんこんと説教コースだったのだが、クリスから放たれた言葉に、そんな事はどうでも良くなってしまったのだ。


『アデイラは、ルドルフ・ギリアスと接点はあるのか?』


 ある、と言えばある。ない、と言えばない。僕はクリスにそう返答するしかなかった。実際、会って話したのは、ルドルフの父親であるギリアス公爵だったのだから。


 秋の初めに僕と父様とで領地の視察に出かけている間に、沢山のサツマイモを携え現れたギリアス公爵を、アデイラはスイートポテトという甘くて美味しいお菓子でもてなしたとの事。

 いたく気に入った公爵はアデイラからレシピとスイートポテトをお土産に帰ったそうだが、あの親バ……いや、子煩悩な公爵なら、ルドルフに土産を食べさせただろう。

 そういった意味では、お菓子を通して接点がある訳だが……。


 ただ、ギリアス公爵が、ルドルフの父親というのには気づいてなかったのかもしれない。アデイラから一度としてその件については尋ねられた事はなかったのだから。


 だからこそ、クリスから言われたルドルフという名にアデイラが過剰反応をし、挙句の果てに泣いた事実を鑑みて、昔彼女が告げた『転生』というワードを思い出したんだけど。


 当時、七歳のアデイラから、自分はこの世界とは違う世界にある『ニホン』という国に住んでいて、そこで病気と闘っていたが、気がついたらアデイラとして目覚めてしまったという、正直荒唐無稽な話を聞かされた。

 まだ何かを隠している雰囲気を感じたものの、この国では転生というのはなく、あっても外国の奇跡レベルの話だったから、僕も脳内処理が追いつかなくて、結局捨て置いてしまった。


 もうちょっとあの時問い詰めておけば、今アデイラが泣くこともなかった。

 まあ、後悔しても遅いのだが。


 それにしても、まさか僕やクリス、カールにルドルフの運命が、アデイラの前世の人物が書いた物語の物だなんて、どう解釈したらいいのやら。転生の奇跡レベルを遥かに凌駕している。


「転生ね……」

「リオネル様? いかがされましたか?」

「あ、いや。何でもない」


 不安げに瞳がわずかに揺れるリナの姿を見て、僕は罪悪感が芽生える。リナには全く不手際はない。どちらかといえば、悪いのは僕で……。


「ごめん。ちょっとぼんやりしていたんだ。今日もリナのお茶は美味しいから、安心して?」


 眉尻を下げてリナに微笑めば、ほっとした様子で微笑み返してくる年上の少女。


 ドゥーガン家のお仕着せである清楚なワンピースと白のフリルのついたエプロンを纏う年上のリナは、十七歳であるにも拘らず年齢以上に落ち着いて見え、まるで長年我が家に仕えているように感じるも、まだ四年程しか居ない。


 そういえば、リナが当時荒んだ我が家にやってきたのは、アデイラが今のアデイラになる一年位前だったな、と思い出した。

 以前は王宮でハウスメイドをしていたそうだが、侍女長の紹介により当家に雇われたと、執事のガイナスが話していたな。正直、当時の僕は他人に無関心で、もっと詳しくガイナスは話してたとは思うけど、記憶に全く残っていない。


 王家ではないとはいえ、我が家はソレに匹敵する家系で、どのような経緯でハウスメイドだったリナが侍女へと昇格したのかは分からないけど、腐敗したドゥーガン家でリナは同化しつつも異質な存在だったのは確かだ。


 王宮仕込みの完璧な所作。細かいところまで気が回り、あっという間に使用人達を掌握し、さりげなく誘導するとか、一介のハウスメイドだった人間にできるだろうか?


 故に、僕はリナに対して疑問を持ってしまった。


 ──彼女は王家から我が家の内情を探る為に侵入してきた『影』ではないかと。


 最初は一定の距離を保ちつつリナと付き合うつもりでいた。しかし、懸念を残したままドゥーガン家に置いておくのも不安だった僕は、思い切ってクリスに尋ねたのだ。

 だが、返ってきたのは、クリス自体はリナというハウスメイドが居たという記憶はない事、そしてわざわざ侍女長に尋ねたら、確かにリナをドゥーガン家にリナの紹介状を渡したのは侍女長で、身元も不審な部分がないとの事。

 それから、彼女の出身が本当に東の国であった事。

 たったそれだけ……だった。


 まあね、王城に居る使用人なんてどれだけいるんだって話で、王子であるクリスが全て把握できるなんて思ってない。逆に出来てたら怖いから。


 そういえば、と不意にリナの事で思い出していたら、別件の方も思い浮かんだ。


 リナが我が家に来た当初は、どちらかといえば存在を消していたかのように感じたけど、アデイラが今のアデイラになってからというもの、リナの方から接触が増えてきた気がする。

 今のアデイラと一緒に作ったちまきもだし、餅つきも、さりげなくリナの介入があったような。これが僕の気のせいだったらいいんだけど。


 僕はすっかり冷めてしまった紅茶をひとくち飲み込む。香りは飛んでしまったけど、濃厚な味が口の中で転がっていく。


『ごめんなさい兄様。でも、兄様が幸せになって貰いたかったのは事実だし、お父様やお母様のこじれた糸を解きたかったのも私の意思だから!』


 先程の涙と洟水でぐしゃぐしゃになったアデイラの姿が蘇る。


 今のアデイラになる前。実の妹アデイラは、生まれて間もなく王の勧めで三歳のときにクリスと婚約式を行った。たまにクリスが吐露する事もあるが、当時のアデイラは乳母によってドロドロに甘やかされ、僕でも手に負えないわがまま娘だったのは否定しないし、あの頃の彼女は本当に苦手だった。だから、関わりたくなくて接触も避けていた位だし。

 その後、情操教育が出来てなかった乳母が辞めさせられ、寂しさからなのかアデイラが引きこもったのは五歳の誕生日が過ぎた頃だったろうか。

 一日の殆どを部屋で過ごし、彼女付きのミゼアとレイ以外の人間と接触せず、あの広い部屋でアデイラは何を思って過ごしていたのだろう。


 もし、可能なら、あの頃のアデイラと向き合ってみたいものだが、流石に都合の良い話か。


 ただ、本当はチャンスがあったのに、当時の僕は親にも家にも見切りをつけてしまった為に、ガイナスからの言葉を右から左に流してしまっていた。


 ガイナスが言うには、当時、アデイラが変な夢を見るようになった、と。内容までは把握できなかったそうだが、ミゼアとレイが日々消沈していくアデイラが可哀想で、一度医師の診察を受けさせてはどうかと進言があったそうだ。

 僕はそれを聞いても、ミゼアとレイがアデイラを甘やかして、必要以上に心配してるだけだと言い捨て、ガイナスにしばらく様子を見るように告げただけだった。


 もし、あの時にちゃんとアデイラの夢の悩みを聞いてあげてたら?

 アデイラが今のアデイラではなく、実の妹としての関係が変わっていたかもしれない。


 まあ、今更の話だし、当時の僕も今のアデイラよりも子供だったから、そんな余裕なんてなかった。でも寄り添う位はできたんじゃないかな、と胸が痛む。

 本当に今更の話だけどね。


「本当、どうしようかな」


 ずっと解消できない問題を独りごちる。


 クリスは今のアデイラに心酔しているのは、僕だけでなくカールも気づいている。

 王子ではなく、一人のクリスとして見てくれるアデイラを、信頼以上の思いを抱き、できることなら時が来たら妹を妻に迎えたいと考えている事も。


 そして、弟のカールも同じようにアデイラに思い寄せている事にも、僕は気づいていた。


 あの二人はずっと小さい頃から一緒に育ってきたのだ。女性の好みもそれなりに似てくるだろうし、突拍子もない今のアデイラは彼らにとって良い起爆剤となり、それは刷り込まれて印象も強いだろう。


 ただ、カールはきっと自分からはアデイラに言い寄る事はないと知っている。

 あれでもクリスを慕っている部分もあるし、早いうちから継承権を放棄した時点で、再び取り戻すなんて微塵もないと思う。

 そういった点ではクリスの一人勝ちとも言えるのだが、果たしてクリスに「君が好きというアデイラは、僕の妹のアデイラではないんだ」と言っても、信じてもらえるか。ともすれば、狂人扱いさえるのが落ちなのは見えている。


「ああ……面倒臭いなぁ……」

「お悩みのようですね、リオネル様」


 頭を抱えて唸る僕の耳に、クスリと軽やかで爽やかな声音が聞こえる。


「まあね。大事な妹の将来に繋がるから、当然悩みも深くなるよ」

「本当、リオネル様はアデイラ様を大事にされてますね」

「……アデイラには内緒にしてくれる? あんまり甘やかすと調子に乗るから」

「うふふ、承知しましたわ」


 僕は唇に人差し指を当て、おどけたように告げると、リナの笑みが更に深くなる。

 破顔するリナの姿に、僕の胸がトクリと高鳴る。ああ、やっぱり好きだな……。


 彼女が王家の『影』で、ドゥーガン家の人間を監視する存在だったかもしれなくても、それ以上の思いが僕の中にある。

 大事にしたい。大切に育てたい。公爵家の跡継ぎと侍女が結ばれるなんて、物語の中でしか実現できないかもしれなくても、僕はリナとの事を諦めたくない。


「リナ」

「はい。なんでしょう?」

「リナがもしアデイラだとして、心底苦手な相手とどうしても関わっていなくちゃならないとしたら、リナはどうする?」


 唐突に切り出した質問に、リナはきょとんと目を瞬かせながらも、細い指を顎に当て思案の表情を浮かべる。


「その方とは避ける事は不可能なのでしょうか?」

「うん、ほぼ確実に難しいかな。だからといって、王子妃なったら子供のような我が儘は絶対しちゃいけないからね。今後を考えると、接触せずにっていうのは無理があるかも」

「そうですか」


 しばらく思案に暮れるリナを横目で眺めつつ、僕はカップに残った紅茶を一気に飲み込む。ザラリとした渋みにアデイラの作ったお菓子を口が求めていると。


「でしたら、以前のようにお餅大会のような催しをされては如何でしょうか? 食べ物を通じてアデイラ様をお知りになれば、その方もまた違った視点でアデイラ様も見られるでしょうし、アデイラ様もご一緒に食事をされる方を無碍には致しませんでしょう?」


 手を小さく叩き、一息に話したリナの提案に、僕は瞠目する。


 餅つき大会かぁ。確かにあれのおかげで、ドゥーガン家がひとつに纏まったのを感じたのは憶えている。

 しかし二番煎じになるのは、僕としては避けたい所……。


「あ、そうか」


 ギリアス公爵領では今年サツマイモが豊作と言っていた。アレ・・なら、僕でも手を回して準備が出来る!


「ありがとう、リナ。光明が見いだせたかもしれない」

「それはよろしゅうございました」


 にっこり微笑むリナに笑みを返し、僕は執務机に向かうと、早速ギリアス公爵宛に手紙を送る為、便箋とペンを取り出したのだった。

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