第32話 決意のポリッジ

「まだお熱が下がりませんねぇ」


 私の額に手を充てたまま、心配げに覗き込んでくるのは、私付きのメイドであるレイ。


「アデイラ様。蜂蜜レモン水飲まれますか?」


 私の背中にふかふかのクッションを当てて、氷の入ったグラスを向けてくれるのは、同じく私付きメイドのミゼア。


 差し出してくれたグラスを受け取り、ひとくち飲み込む。


「おいしい……」


 甘くて、酸っぱくて、冷たくて。

 この世界では氷というか、冷蔵事情は大変で、前の世界に比べるとふたつもみっつも前を行ってる状態。それでも我が家は公爵家の為、一般の家庭に比べるとそれなりに設備は充実している。

 だから氷自体も手に入れやすい状況ではあるものの、前世にしたら割と大変な事の部類だったりする。


 余りにも美味しくて飲みきったグラスをミゼアに渡し、しばらく寝てるからと二人を退出させる。

 二人が扉の向こうに消えたのを確かめると、私はゴロリとベッドに転がり「前世かぁ」と独り言ちった。


 数日前、リオネル兄様に前世の話をした。それも、この世界が私の書いた小説と同じもので、兄様もクリスもカールもみんなが将来、一人の少女に懸想する事を。

 そして、兄様の妹で、クリスの婚約者である私が、少女を散々虐めてみんなに嫌われちゃうって事も。


 兄様はなかば信じられない眼差しで私を見てたけど、兄様をドゥーガン家の苦しみから助けたくて、家族の絆を取り戻そうとした事を台頭に話をしたら、半信半疑ではあったものの、私の言葉を信じてくれた。


 そして、私にお礼を言ってくれたのだ。


『ありがとう、アデイラ。君が僕の妹でとても誇らしいと思う。だから、どんな事でもいいから、今度からはちゃんと相談するんだよ』って。


 あの時の感情を、どう言葉にしたらいいのか分からない。


 七歳でアデイラに転生したのを知って、きっかけはどうあれ兄様に前世の事もバレ、それを知っても尚、兄様は私に兄と妹という心地よい居場所を与えてくれた。


 正直ルドルフの件がなければ、秘密を抱えたまま兄様と接するのは心苦しかったから、良いきっかけではあったものの、自分で作った物語が兄様ルートに関しては完全に崩壊してしまった事に不安が募る。


 それから、クリスとカールの事も。


 双子なのに全く違う人間性を持つ二人は、お互いに強いコンプレックスを抱いている。そこをヒロインがそれぞれの個性を認める事から、次第に惹かれていくんだけど。


「最近の様子を見るに、元の性格と変わってるみたいなんだよね」


 王太子として日々頑張ってるクリスだけど、元々の俺様気質はどこへやら。ただの食いしん坊に成り果ててる。

 でも、本質的な人を思う優しさは変わらず、ルドルフの事で取り乱した私を必死で慰めてくれたりする、年上なのに可愛らしい一面もある素敵な人だ。

 今回の件で迷惑かけちゃったから、近々お詫びとお礼しなくちゃね。


 それから、王子ではあるものの、早々に継承権を放棄し、今は父様について騎士として訓練に励むカール。

 飄々とした様子は物語通りだけど、色んな事に気を配る事ができる人。兄様とクリスと三人揃うと盛り上げ役に徹しているみたいだけど、本当は本を読んだりとか静かな環境が好きみたい。

 本当は、軽い男の子だった筈なんだけど。

 あ、プリンと干菓子の感想聞いてないや。今度会ったら聞いてみなくちゃ。


「ルドルフはどう……なんだろう」


 まだ出会っていない宰相子息のルドルフ。

 真面目一辺倒で、白黒はっきりさせる、他人にも自分にも厳しい人。

 だからこそヒロインに出会って、自身を認めてもらって、人を想う感情に花を咲かせる。ある意味騎士っぽい人だったりする。

 まっすぐ故に、悪役令嬢のアデイラの卑怯なやり方が許せないのもあったから、あの断罪イベントが発生するんだけど。


 将来はクリスの片腕として傍に仕える運命だから、そう遠くない内に出会う機会もあるんだろう……。


「でも、会いたくないな……」


 もし、物語通りの人物だったら、あの辛いイベントが現実になったら。きっとアデイラは耐えられない。

 物語の展開上とはいえ、自分自身に降りかかる災難となれば、心穏やかに受け入れる事は出来ないだろう。


 だからこそ怖いのだ。


 兄様もクリスもカールも、まだ性格面が固まっていない年齢に出会ったから、多少の緊張はあったものの、両親の不仲改善に頭が向いてたのもあって、そこまで意識してなかったのも良かったのかもしれない。


 でも、ルドルフは現在なら十三歳。人格は固定されているだろうし、今更覆る事はない筈。

 すなわち物語のルドルフとイコールになってるかもしれない訳で……。


「もう、兄様にお願いして、クリスと婚約破棄しちゃいたい……」


 布団に体を巻きつけみのむしになりながら、ベッドの上を右に左に転がっていると、コンコンと扉を叩く音がして、入室を促す「どうぞ」と声を掛けると。


「アデイラ、熱が出たそうだけど大丈夫?」

「風邪と聞いたが、無理はしていないか?」

「母様? 父様?」


 開いた扉の隙間から顔を出したのは、父と母の心配そうに眉を歪めた姿だった。


「一体どうしたんですか? 父様、お仕事は?」


 公爵家の人間というのは想像以上に忙しい立場というのを、アデイラになってから知っていた為に、二人が揃って顔を出している事に驚きが隠せない。


 特に父様は騎士団長として王城に詰めている事が多く、ドゥーガン家の領地ですら以前はおじ様がされていたようだけど、最近は兄様が中心になって収めているそうだ。

 母様も妊娠中であるにも拘らず色んな貴族との交流をされていて、国中の情報を手中にしているようだ。時々我が家でもお茶会とかするから、私も新作のデザートとか考えてりしてるけど。


「仕事は副隊長に丸投げしてきた。普段は無駄に元気なアデイラが熱を出したとか、何か悪い病気じゃないかと気が気ではなくてな」


 父様、黙ってればイケメン騎士様なんだけど、しゃべると残念様になるのは如何かと。というか、無駄に元気ってなんですか。アデイラになってから病気くらい……あれ? あれれ? もしかして、病気してない?


「もう、ヴァン様ったら。アデイラは女の子なんですよ。無駄に元気とか酷いじゃありませんか」


 プリプリと頬を膨らませて怒る母様。三人目を妊娠中とは思えない程、今日もプリティですね。嗜められた父様は、マッチョボディを小さくしてシュンとしている。

 母様、猛獣使いになれそうですね。


「すまない、アデイラ。いつもは元気なお前が寝込んでるって聞いて、動揺しているみたいだ」

「父様」

「そうよ。ミゼアとレイから話を聞かされて、母様、赤ちゃんが出てきそうな程驚いたのよ?」

「「いや、それはダメ!」」


 な、なんて事言い出すんだ、母様。この世界で早産とか危険一直線だから!


「か、母様。お願いですから、安静。無理、ダメ、絶対!」


 あわあわしながら母を諭すけど、おっとりと「だいじょうぶよ~」ってのたまう母。可愛いが、私のせいで大変な事になるのは、本気で勘弁です。


 春には弟か妹が産まれる予定の母様のお腹は、ふっくらと膨らみ、見てるだけで大変そうなのが分かる。それなのに、沢山心配かけちゃって……ああ、もう。

 父様も普段はこんな時間に姿を出す余裕なんてない程多忙なのは知ってる。王家を守る大事なお仕事だもん。時々執事長のガイナスやリオネル兄様が心配を吐露する位だし。

 そんな二人が、私を心配して揃って来てくれた事が本当に嬉しい。


「父様、母様、お二人共お忙しいのに、私のお見舞いにきてくれてありがとう。本当に、嬉しい」


 前世の時、私はずっと白い部屋の住人だった。いつも顔を合わせるのは、消毒の匂いをしたお医者さんと、色んな顔だけど白い服を着た看護師さんたち。

 両親は、私の治療費を払うのが大変らしく、いつも仕事仕事で、顔を出すのも数え切れる位だった。

 私は、両親を煩わせる自分が嫌いだった。

 どうして健康な体に生まれなかったのか。両親を困らせる存在になったしまったのか。

 本当に自分が嫌いで、一日でもはやく死んで、両親をくびきから解放してあげたかった。

 だけど、同時に両親と一緒に過ごせない寂しさもあって、余計に自分を呪ったのだ。


 私には罪がある。


 両親を私の病気という枷に繋ぎ、死んだ事によって悲しませてしまった、罪。


 だから、アデイラになって決めたのだ。

 何があっても、両親やリオネル兄様、ドゥーガン家のみんなを幸せにしようと。


 それが、前世で両親を傷つけたまま死んでしまった私の贖罪だと思っていたのだ。


「気にしなくていいんだ。アデイラが元気で、いつも笑ってくれる事が、俺たちの願いだからな」

「そうよ、アデイラが元気じゃないと、我が家は暗くなっちゃうもの。珍しく、あのガイナスですら、アデイラが熱を出したって知って、オロオロしてるのよ?」

「は?」


 頭がグラグラする程頭を父様に撫でられていると、思いもよらない内容が耳に飛び込んでくる。


「ガイナスが……ですか?」


 あの、私を令嬢として扱わないし、人を馬鹿にするように鼻で笑う厚顔無恥なガイナスが?


「まあ、信じられないのも仕方ないが。アイツはアイツで、アデイラを可愛いと思ってるんだが、なにせ天邪鬼が服を着て歩いてるような奴だからな」


 ははは、と笑う父様。いやいや、笑い話違いますよね?


「そんなガイナスから、お前にお見舞いの品を預かってきたんだ」と、父様は扉の向こうに声を掛けると、すっと扉が開き現れたのはミゼア。何かワゴンを押してるけど、あれがガイナスのお見舞い品なのかな?


「ずっと寝てたからお腹空いたんじゃないかしら?」

「ええ、まあ」

「それなら丁度良かったわ」


 不思議そうにミゼアに視線を向けていると、母様は私の上半身をゆっくりと起こし、背中に沢山のクッションを敷いてくれて、ミゼアから銀製のトレイを受け取ると、私の膝へと乗せる。


「ガイナスがポリッジを作ったそうよ。アデイラがこの間作った栗の甘煮と戴いたサツマイモをたっぷり入れたみたい」


 視線を落とせば、真っ白な器にミルクで煮た大麦がベージュ色にふっくらと炊き上がり、栗とサツマイモの黄色が映える。上にはカリカリに焼いたアーモンドが色を添えていて美味しそう。


 私は「いただきます」と言って、スプーンで掬って一口含む。

 甘い。第一の感想がそれだった。たっぷり蜂蜜を入れたポリッジは、お粥というよりデザートのようだ。栗はホコホコで、サツマイモはほっくりと口の中で崩れ、アーモンドのカリカリが食感を楽しませる。


「甘いけど、とても美味しいです」

「やっぱり甘いか」

「やっぱり?」

「あいつな、あの見た目で物凄く甘党なんだ」


 父様は苦笑してそう零すのを、私は目をパチパチ瞬かせる。

 時々氷の刃を父様に投げつける事のあるガイナスは、黒髪をびっちりと後ろに撫で付け、アイスブルーの瞳は小さな子供が見たら一発で泣く程冷たいのに、やたらと私のやる事に参加したがる謎な執事長が、実は甘党。

 確かにこれまで色々作ったお菓子とかを率先して食べてるのを見たことあるけど、いつも難しい顔で食べてるから、甘いのは苦手だと思ってたんだよね。


 何だか笑いたいのを堪えつつポリッジを食べ進めてたんだけど、


「今までアデイラが色々菓子を作ってただろう?」

「はい、ガイナスも何度か試食に付き合っていただいてますが……」

「付き合う? アイツがそんな殊勝なもんか。メイドたちの話では、アデイラが作った菓子は、必ず食べる以外で一個は確保して、自室で食べてるそうだぞ」


 父の暴露を聞いた途端、口の中のポリッジを吹き出してしまいそうになった。


「あとな、ガイナスのポリッジを食べたのは、王を除いてお前が初めてだ。それほどアイツはお前が大事なんだよ。ガイナスだけでなく、俺もエミリアもリオネルも、うちの人間は、皆お前が大好きで、大切にしたいと思ってるんだ」

「アデイラがこの家を救ってくれた。そんな貴女が病気になっちゃったから、みんな心配で仕事も手につかない子が多いのよ。レイもミゼアもいつもと様子が違って消沈してるからね」


 母様がそう言って、ミゼアに視線を向ける。確かに、少し顔色が悪い。

 ああ、こんなに沢山の人に心配をかけてしまった。


 ルドルフの件が発端で、みんなに幸せになって欲しいと願っている筈なのに、熱を出して心配させてしまった。

 ダメだな、私。何のためにアデイラに生まれ変わったか分からない。


「みんなごめんなさい。ありがとう、だいすき」


 いつまでも引きずってはいけない。だって、こんなに私を愛してくれる人達を悲しませる方が罪深く、何よりも優先させなくてはならないのだから。


 ルドルフの事はこれからどうなるか分からないし、想像もできない。

 だけど、私は何があってもドゥーガン家のみんなを守りたい。


 歯が溶けそうに甘いポリッジを飲み込み、破顔した私は心を強く決めたのだった。

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