第30話 悪役令嬢は秘密を打ち明けました

「んー」

「お嬢様?」


 意識が浮上して唸っていたら、何故かミゼアの声が聞こえてパチリと目を開く。


「みぜあ?」

「はい、ミゼアですよ。どうかされましたか?」


 呂律が回らず、幼子のような声で尋ねれば、ひょいと覗き込むようにして顔を出してきたミゼアに、一瞬自分がどうしてベッドに横になってたりとか、ミゼアが覗き込んでいるのか分からず、頭がグルグルする。


「ここ……どこ?」


 肌に触れるシーツの香りや、心地よい寝衣の感触で自分が置かれている状況は何となく理解できるものの、頭がそれに追いついていない。

 確か、クリスが熱を出したから、プリンと落雁を持ってお見舞いに行ったら迷子になって、ジルっていう親衛隊──とは全く信じてないけど──の青年と出会って、それでクリスのお見舞いしたら、思ってたより元気な様子に安心して、一緒にプリン食べてたら……そうだ。


 ルドルフ・ギリアス公爵子息。


 彼の名前をクリスから聞いて、パニックになった私は号泣したんだっけ。


 でも、それならクリスの寝室もしくは、王宮のどこかにいる筈なんだけど……。


「アデイラが目覚めたって?」


 前室に続く扉が開き現れたのは、兄のリオネルだった。


「リオネル兄様」

「大丈夫かい? クリスから突然体調を崩したと聞いて、ビックリしたよ」


 眉根を下げ、心底を気遣う兄の姿に、自然と「ごめんなさい」と言葉が零れた。


「怒ってる訳じゃないから。いつも元気なアデイラが急に倒れたって聞いたから、僕も動揺しちゃってね。慌てて屋敷に戻ってきたんだけど」

「あ……そうなんですね」


 それで憶えのある寝室に、慣れた洗剤の匂いだったのか、とようやく納得ができた。


「それじゃあ、私クリス殿下にご挨拶もせずに帰ってきちゃったんじゃ……」


 流石に友人とはいえ、眠りこけた状態で屋敷に帰ってくるとか、失礼も失礼なんじゃ、と血の気が引く感じがして、慌てて兄に尋ねれば。


「心配しなくてもいいよ。状況が状況だったし、僕が代理で挨拶したから。アデイラはそんなに気にしなくても大丈夫だよ」


 アデイラの寝顔見て嬉しそうだったし、と何やらぼそぼそ言っていたけども、何て言ってるのか分からず、私は首をコテリと倒すしかできなかった。


 リオネル兄様は、大丈夫、と私に言い聞かせるようにしながら、私の頭を優しく撫でる。


 前世を含め、こうして優しく頭を撫でて貰うなんて、数多く経験しなかった私は、地肌を滑る緩やかな指の温もりに、目を閉じて擽ったいような感覚を堪能する。

 だから、うっとりと目を閉じてて気付かなかった。兄が部屋の中にいたミゼアを退室するように促していた事に。


「……さて」


 しん、とした部屋の中で、突然兄の声が切り替わるように固くなり、頭を撫でていた指がすっと離れていく。


「リオネル兄様?」


 まだ撫でて欲しいな、と後ろ髪引かれる気分で目を開けてみれば、真っ直ぐに私を見詰める兄様の視線が私を射抜く。

 普段はちょっと意地悪だけど、私の作るお菓子や食事をつまみ食いしたりと、少年らしさの残る表情をする彼が、今は高貴な空気を身に纏い私を凝視している。


 彼のそんな姿を見た事なかったからか、心臓がドクドクと不安に高鳴る。


 一体どうしたというのだろう。


「アデイラ」

「は、い」


 喉がカラカラに乾いているせいか、声がスルリと出てこなくて、詰まった物になる。


「緊張しなくてもいい。ただ、昔聞いた『転生』の事で幾つか尋ねたい事があるんだ」


 予感はしていたものの、こうもはっきりと言葉にされてしまい、高鳴る鼓動は勢いを増していく。


 きっと、兄はクリス殿下から、何が発端で私が泣いてしまったのかを知っている。

 今更ながら、ルドルフの名前を聞いてしまって動揺した自分の落ち度に問題があるのだけど、兄には転生の話をしてしまっている以上、下手な誤魔化しで逃げれる気がしない。


 こんな事なら、転生の話も濁しておけば良かった、と後悔しきりだ。


「アデイラ、そんなに不安にならなくてもいい。君がクリスに黙って欲しいと願えば、僕は彼に話すつもりはないし、それは約束できる。ただ、急に泣き出したって聞いて、僕もクリスもとても心配した事だけは忘れないで欲しいんだ」


 私の不安を感じ取ったのか、兄はふわりと微笑み、私にそう言ってくれる。


 どこまでも甘い兄に、ほんの少しだけ心の曇りが薄らいだ気がした。


「じゃあ、教えてくれる? どうしてルドルフの名前を聞いただけで、あんなにも心を乱した理由について」

「それは……」


 何て答えたらいいのか分からない。

 昔、リオネル兄様に話したのは、自分が日本というこの世界とは違う次元に住んでいた事、そして病気で死んでこの世界のアデイラに転生してしまった事。それだけだ。

 だから、私が転生者という事実は知っていても、ルドルフに過剰反応する理由は分からないだろうし、まさか前世の私が書いた小説のキャラクターなんて、もっと気づかない──と思ったんだけどね。


 どうにも、この敏い兄は何か気づいてるっぽいんだよなぁ……。これ、正直に話すべきフラグなのかな。


「実はルドルフ様が苦手で……」

「と、いうのは通用しないよ。アデイラは彼と会ったことないよね」


 はい、論破されました。


 舌打ちしたい気分になったけど、見た目美少女の令嬢がやるべきでないと、寸での所で我慢する。まあ、内心で盛大な舌打ちしたけどね。


「さあ、正直に話した方が身の為だよ、アデイラ」

「リ、リオネル兄様、怖いです。近いです。幾ら兄妹でもこの距離はアウトです」

「それじゃあ、素直に吐いてくれるよね?」


 銀髪に紫の目の兄は、それはもう天使のような笑みを浮かべて、言う事は悪魔の台詞でした。

 あー、うー、どうしたらいいんだよおおおおお!


 頭を抱えて悶絶しそうになっていると、悪魔な兄が突然、俯いた私の頭をポンと叩いて。


「本当はさ、無理やり問い詰める方法は取りたくないんだよ。でも、クリスと婚約している以上、いつかはルドルフと接触する機会があるだろうし、その前に憂いはない方がいいんじゃない?」

「……兄様」

「正直、クリスとの婚約も本当に嫌なら、解消する手もあるにはあるけど、それは最終手段であるし、実際そんな事態になってもクリスが婚約を解消するとは思えないんだけどね」


 ですよねー。私がアデイラに転生してから初めて会ったクリス殿下は、割と俺様というか、我が儘殿下だったのに、三年経った今では気の合う友人で、年上なだけあって気遣いできる感じだし、何故か餌付けされてるし……。

 こんな状況でいざ「婚約解消したいです!」とか言ったら、確実に反対するのは目に見えてるんだよなぁ。


 そうなると、婚約は続行。学園に入学するまでにルドルフと接触しない、なんて無理な話だし、放置していたらなし崩し的に物語通りになってしまう可能性も無きにしも非ず……それはちょっと勘弁願いたい。


「あのね、アデイラ。君が何を戸惑ってるか分からないけど、僕は君がアデイラとは違う人間だって知ってる唯一の存在だよ。それなのに、今更秘密にする必要ってあるのかな。普段はあんまり口にはしないけど、君がアデイラでいてくれたおかげで、崩壊寸前だったドゥーガン家は、新しい家族を迎えるまでに絆を強くなったし、僕も自由でいる事ができている。それはアデイラのおかげだと思っているんだ。だから、そんな恩人の君が悩んでいるのなら、少しでも憂いを取り除いてあげたいと思うのは変かな」


 労わるように何度も頭を撫でられ、私は抑えていた涙を止める事ができなくなっていた。


 明日も目が覚めて、好きな物語を綴って、仲良しの看護師さんとお話して、眠って、起きて、とタイムリミットが決められてたとはいえ、こんな急に終わりが来てしまって、起きたらアデイラになっていた時の絶望。

 バッドエンドは嫌だ。でも、一人でどうしたらいいのか分からなかった私に、手を差し伸べてくれ、疑いつつも私の話を聞いてくれたのは、リオネル兄様だった。


 時々喧嘩もしたし、意見が合わなかった事もあったけど、ふとした時に優しい眼差しで見守ってくれた人。


 ねえ、信じてもいいのかな。ずっと胸に秘めてて苦しかった事を話してもいいのかな。


「兄様。信じてもらえないかもしれないけど、私の話を聞いてくれる?」


 ボタボタと涙を流しながら私が告げれば、兄様は「もちろん」と穏やかな笑みを浮かべて答えてくれたのだった。




 この世界のクリス殿下やカール様、兄、それからルドルフ様が、私が前世で書いていた物語の登場人物で、将来クリスに最愛の人が出来て、私とは婚約破棄する運命である事。


 その物語では私はクリス殿下の最愛の人を執拗にいじめ、最終的には罪人として処されるという事。


 だけど死にたくなかった私は、一番身近に居た兄や家族の関係修復から始めた事。


 それから、物語は学園入学からスタートする事。


 私は自分に課せられた罪意外の話を、泣きながら、時折鼻を噛みながら話した。


「そうか。それで納得いったよ。急にアデイラの性格が変わった事も、やたらと両親の事を探りまわってからの餅つき大会も、全ては君が未来を知っていたからなんだね」

「ごめんなさい兄様。でも、兄様が幸せになって貰いたかったのは事実だし、お父様やお母様のこじれた糸を解きたかったのも私の意思だから!」

「うん。心配しなくても大丈夫。僕もあの二人の事はずっと心配はしてたから。ただ、子供の僕がどう動いても変わらなくて、途中で諦めてしまったんだけど」


 アデイラはめげずに頑張ったね、と涙と洟水でボロボロの私の顔をハンカチで拭いてくれ、笑顔のご褒美を私にくれた。

 その優しさにまた涙がこみ上げてしまったのは、愛嬌で済ませて欲しい。


「ありがとう、アデイラ。君が僕の妹でとても誇らしいと思う。だから、どんな事でもいいから、今度からはちゃんと相談するんだよ」


 兄の深い愛情と良い香りのするハンカチに助けられ、私は何度も頷いていた。



 

 ──リオネル兄様、本当にありがとう。これからもよろしくね。


 声が詰まって言葉にできなかったけど、私は最大の感謝を心の中で告げたのだった。

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