第22話 照りも食には大事なんですよ

 流石に、貰っておきながら「はい、さようなら」と客人を帰すのは、人道としてはいかがなものなので、客間から中座した私がやってきましたのはいつもの厨房。


「お嬢様? まだ夕食までには時間がありますよ」


 と、苦笑混じりに対応してくれた厨房長のジョシュアさん。私、そんなに腹ペコな子じゃありませんよ。……いや、まあ、食べるの大好きですけどね。


「違いますよ。ギリアス公爵様がこちらをくださったのです」


 私はミゼアに目線で促すと、彼女はその細腕が折れそうな程。重量感のある箱を軽々と調理台に乗せた。中には人の腕くらいの太さがある、臙脂のサツマイモが沢山詰まっていた。それにしても、ミゼアって意外と力持ち……げふんごふん。

 女性にそんな事を思ってはいても、口にしてはいけまえんよ。これ大事。


「これはまた……沢山ありますねぇ」

「でしょ。だから、お礼にこのサツマイモを使ったお菓子を作って、お土産に持って行ってもらおうかな、って」

「おや。お嬢様の新作ですか?」

「……まあ、ね」


 感嘆するジョシュアさんに、私は曖昧に返事する。だって、私が考案したものじゃないから、大きな声で「自作です」とは口に出来ないのです。


「まずは、これを洗ってから蒸してもらってもいいかしら?」


 箱の中から傷もなく艶やかな物を数本取り出し、ジョシュアさんに渡す。彼は快く頷いてから、助手の方達に指示を出していった。


「次に乳脂を欲しいのだけど……」

「こちらをどうぞ」

「あ、カイン君。ありがとう」


 スっと私の前に差し出してくれたのは、最近厨房に入ったカインという少年。お父様が元々下町で食堂をされてたらしいのだけど、病気で亡くなったそうで、お父様の友人であったジョシュアさんを頼って、こちらで働くことになったんだって。

 ちなみに、空間系魔法が使えるっていうのは、このカイン君の事。

 少しぶっきらぼうな子なんだけど、結構柔和な顔つきをしてる為か、うちのメイドさん達にも人気があるようですよ。

 顔がいいって得だよね。うちの兄様にしても、なし崩しで婚約者になったクリスとその弟であるカールフェルド様も。

 自画自賛じゃないけど、私だってそれなりに可愛いと評判なんですよ。主にうちの両親と兄様、それからミゼアとかレイとかが賛辞する程度だけど。

 と、いうのも、まだ年齢的な理由もあって、公式な場所に出てないから。もう十歳にもなったし、色々お誘いがありそうで嫌だなぁ。


「……はぁ」

「アデイラお嬢様? これでは駄目でしたか?」


 お皿を眺めながらため息したからか、カイン君が不安そうな顔で覗き込んでくる。一応ね、これは私が厨房にいる間は身分差関係なく接してって言ってるから、カイン君もそうしてるだけで、普段はこんな態度取ったりしてないよ?


「ううん。丁度室温で柔らかくなってるし、本当にありがとう」

「でしたら、良かったです」


 カイン君はホッと胸をなでおろすような仕草をすると「僕は他の仕事があるので」と厨房の片隅にある水場へと向かって行った。入りたての彼の仕事は、主に野菜や皿洗いのほかに、先輩調理人たちのお手伝いも含まれてる。和食料理でいう追い廻しみたいな感じ。

 もともとお父様のお手伝いをしてるのもあって、とても気の利く子だってジョシュアさんも褒めてた。

 母ひとり子ひとりらしいので、うちで頑張ってお母さんを安心させて欲しいって思ってるんだ。


「お嬢様、芋の方が蒸しあがりましたが、どうしますか?」

「最初にお手本見せるから……」

「熱いから駄目ですよ、お嬢様」

「でも……」

「駄目ですよ、お嬢様」

「……」

「……」

「じゃ、じゃあ。ナイフで縦半分に切って、皮を破らないようにして中身をくり抜いてもらっても?」

「畏まりました」


 無言の圧力こわい……。仕方ないからジョシュアさんにお任せすることに。でも、プロがやったほうが見栄えもいいだろうから、結果オーライなんだけど。

 むむむ……自分でもやりたかったよぉ!


 ジョシュアさんはじめ、他の厨房で働くみなさんも一緒に、せっせとくり抜いた中身をボウルに入れていく。あっという間にボウルはいっぱいになり、私は急いでまだ熱さの残る金色の塊を丁寧に裏ごししていく。

 こうすることによって、サツマイモの繊維が取り除けるし、口当たりも滑らかになっていいのだ。

 レイとミゼアもお手伝いしてくれたおかげで、完全に冷めきる前に作業が終了した。


「次に、砂糖と生クリームと室温で柔らかくしたバターを投入して、均等になるように混ぜる、と」


 木べらから伝わるねっとりとした重さに腕が痛くなる。だからといって手を休めてしまうと、ばらつきが出て食感が悪くなる。


「んうー! 腕いたいー!」


 今日は一斉に同じ事をしてるせいで、誰かに頼むのもできないんだよね。


「お嬢様。自分の分が終わったので代わりますよ」


 んぎぎ、と歯を食いしばりながら混ぜていると、隣から不意に手が現れ、ボウルが姿を消す。ジンジンと筋肉が痛む中、そちらに視線を上げると、そこにはカイン君がボウルを持って微笑んでいる。


「え……でも」

「僕は先輩たちより子供ですが男ですし、昔からお手伝いでやってましたので」


 彼はそう言いながら、素早くしかも均一になるよう木べらを動かしている。おお……これがプロの技。


「カインくん、お願いしちゃうね」

「お任せください」


 彼は笑みに目を細めながらも、捏ねる腕は止まることはなかった。

 これは調理ができて嬉しいのかしらね。だったら止めるのは野暮ってものでしょ。


 他を見回してみると、多少の差はあるものの程なくボウルの中身が完成する様子が分かったので、さっきくり抜かれた皮を並べていく。こうすればみんなも手に取りやすいしね。


「じゃあ、混ざったものは、この皮に詰めていってくれる? それと、ジョシュアは卵黄に少しの水を足したのを用意してもらってもいい?」

「卵黄に水……ですか。一体何に利用されるので?」

「うふふ。仕上げが大きく変わっちゃう魔法の水なの。あと一緒に刷毛もお願い」


 ジョシュアは「はあ……」と意味が理解できてないよう。それでも私が指示を了承したのか、器用に卵の殻を使って卵黄と卵白を綺麗に分けたのち、卵黄の半分程度の水を注いで、均等に攪拌したのを刷毛と一緒に私へ渡してくれた。


「こちらでよろしいですか?」

「ええ、上出来よ。では、皮に詰め終えたのを、天板に並べて」


 そう私が言うと、それぞれが天板に並べていく。臙脂の皮に黄金の身が映えて、このまま焼いても美味しいのだけど、今回は人にお渡しするからね。ちょっと一手間かけちゃうますよ。


 ジョシュアから受け取ったボウルに刷毛をぺちゃりと浸し、金色の身にそっと刷く。周囲は私が何か謎の行動をしてるから不思議そうに視線を注いでる。

 この世界では、照りを加えるという手間を知らない。

 パイでもタルトでも素地のまま提供される。

 一般家庭で供されるのなら、それはそれで素朴で味わいがあっていいのだけど、元の世界では普通にてりってりのを見てるから、ちょっと地味に見えちゃうんだよね。

 だからこれを機に広まってくれたらいいなぁ。


 みんなの視線を一身に浴びながら、全ての芋に卵水を塗り終える。


「ジョシュア、これを少し焦げ目がつく程度まででいいから、焼いてもらってもいいかしら」


 満足そうに笑みを零す私の言葉に、まだ怪訝そうに眉をひそめながらも、ジョシュアは請け負ってくれた。

 そして待つこと数分。オーブンの扉が開いた途端、甘く濃厚なバターと芋の焦げる仄かな匂いが厨房全体に広がる。


「おお……これは」


 呻くような驚きに満ちたジョシュアの声が香ばしい匂いに混じる。うん、きっとビックリすると思ってた。

 思わず小さくガッツポーズしつつ、ジョシュアの隣に立ち、彼の顔を窺う。


「どう? 全然違うでしょ」

「ええ……焼く前はどうして無駄な手間を、って思ったものですが、これは……」


 静かに興奮してるジョシュアが、天板のひとつを調理台に乗せる。色の濃くなった臙脂の皮と金色の身のコントラストが美しい。そして、それ以上に目を引くのは黄金の輝きを増す艶やかな照り。


「美味しそうでしょ。これ、パイ生地にも応用できるから、次からやってみて」

「そうですね。あの手間がこれほどの変化に繋がるのでしたら、次回から是非取り入れてみます」


 さりげなく前の知識を広めるのが成功し、私は思わず口元を笑みに歪めたのでした。

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