第23話 スイートポテトの中に見えた未来(ルドルフ視点)

 数度のノックが聞こえ、どうぞと入室を促すと、入ってきたのは老齢の執事。


「旦那様がお帰りになりました」

「ああ、分かった」


 僕が頷くと、執事は静かに笑みを浮かべたのち、音もなく部屋を辞していった。身のこなしも年齢にしては柔軟だし、彼は隠密なのではないかと疑いたくもなる。

 そんな益体もない考えを巡らせつつ椅子から立ち上がり、あの国の宰相にも拘らず賑やかしい父の相手をせねば、とため息を零しながら、部屋を後にした。


「父上、お帰りなさい」


 ギリアス邸のエントランスへと降りると、僕は外套を執事に渡してる父へと声をかける。


「おお、ルドルフ。只今帰ってきたよ!」


 父はそう破顔して僕へと駆け寄ろうとするのを、一歩横に移動しやり過ごす。空振りした腕は空気を抱き、勢いづいたその体勢のまま床へと倒れ込んだ。周囲の使用人達も「いつものこと」と分かってるので、慌て騒がず静観している。

 何故、こうも国や国王をまとめてるであろう人が、こんなにも軽率な行動をするのだろうか。時折不安がよぎる。これでも一目置かれてるのだから、不思議でしようがない。

 このまま父に不幸が来なければ、次の宰相は僕だ。クリストフが王になった暁には、もっと厳しく清廉であろうと心に決めた。


「ところで、本日はどこに出かけてたのですか? 母上が父上がいなくて困ってましたよ」


 今日は珍しく城の勤めが休みと聞いた母は、久しぶりに観劇に行こうと父を探したけど不在だったとらしく、僕の所にも尋ねてきたのだ。


「ああ、そうなの? 今日はドゥーガン家に出かけるって言ったはずなんだけどなぁ」


 悪びれた様子もなく、父は苦笑して告げる。


「ドゥーガン家? リオネルの所ですか……。一体何の用向きで」


 公爵家のドゥーガン家には、王子達を中心にして交流のある、長子のリオネルが居る。他にも妹君がいるという話だったが、何故か最近ではクリストフが事あるごとにその妹君に会うために出かけてるような話を聞いたが……。

 将来の王たるもの、気軽に出かけられるのも困ったものだ。何かがあってからでは遅すぎるのである。

 それに、将来リオネルの近侍を宣言してるカールフェルドも、何故苦言を呈しない。身内なら、そこは叱るべき案件ではないのか。というか、リオネルもリオネルだ。本人曰く「僕が不在を狙って来るんだ。どうやって注意を促せると言うんだい?」と飄々とのたまってくれるが、彼がクリスやカール達と一緒に何やらしているとの報告も受けているんだ。

 正直、あの三人を今のうちに御せなければ、将来は混沌になりかねない。


(それに……、リオネルの妹君である、アデイラ嬢もか)


 ドゥーガン家の令嬢アデイラ。

 王家の特徴を流し込んだような容姿を持つ少女は、母が元王女だからか、厚顔無恥、我慢勝他、奸佞邪知、と既に王家に嫁いでるのかと問いただしたい程の無礼さを持つ少女だと、以前隠密からの報告で知った情報だ。


 いずれクリスが即位すれば、現在婚約者であるアデイラが正妃になるのは覆らない。それが現実化した時には、なるべく関わらない方向で行こうと、報告書を読んで決めたのだった。


「実は、領地でサツマイモが大量に出来てしまってね」


 場所を移動し、サロンで父とテーブルを挟んで座る僕は、唐突に告げられた言葉に首を傾げるしかない。


「ええと、父上。どこをどう転じたら、サツマイモが豊作だったの話になるのでしょうか?」


 こう問いただす僕は悪くないはずだ。


「え? さっき訊いてきただろう? 私がドゥーガン家に訪ねた理由」


(今更それを言いますか……)


 確かにドゥーガン家に訪問した理由を尋ねた。あの時には答えずさっさとサロンに向かっていったのに、何故今になって返事をするのだろうか。

 たまに父の思考が分からない……。


 多分、父には父の考えがあるのだろう。そう信じたい。


「そういえば、うちの領で豊作って言ってましたね。それで、そのサツマイモとドゥーガン家との関係は?」

「ああ、端的に言えばお裾分けをしに行ったのだよ。質の良い物は城に納めるけど、それでも量が量だからね。だから友人であるヴァンの所に持っていったのさ」

「……はあ」


 理由は理解できた。しかし、わざわざ宰相でギリアス領主である父が足を伸ばす必要があるのか。自由すぎる父に溜息が出てしまいそうだ。


「それで、ドゥーガン家から土産を貰ったんだ。せっかくだから、ルドルフと食べようと思ってね」


 父はそう言って、執事に何か箱を渡し、執事は会釈の後に部屋をあとにしたのだった。

 僕ら親子以外の人間がいなくなり、沈黙が落ちる中おもむろに僕は口を開く。


「それで、ドゥーガン家の様子はいかがでしたか?」

「様子……ねぇ。生憎ヴァンとリオネル君は不在だったから、奥方とアデイラ嬢の事しか分からないが…そうだね。とても幸せに満ちた雰囲気だったと言うべきかな」

「幸せに満ちた?」


 父は虚空に視線を漂わせながら、僕にそう言った。しかし、返ってきた言葉に思わず首を傾げて雄武返ししてしまう。


 僕が知る限り、ドゥーガン家というのは、騎士団長のヴァン・マリカ・ドゥーガンに恋慕した元王女のエミリア様が、半ば押し切る形で嫁入りしたと風の噂で聞いている。

 だからリオネルも妹のアデイラ嬢も、愛の形ではなく家の為にといった存在として扱われてるそうだ。

 とはいえ、だいたいの貴族の子息なんてそんなものだ。高貴な血を絶やさない為の結婚や出産。僕らの小さな身体にあるのは愛情ではないと知っている。


(まあ、父上は母上は特殊な部類に入るが……)


「おや、ルドルフは私の言葉を信じないのかな?」


 否定に聞こえたのだろうか。さっきまでの温厚な眼差しの奥に顔を覗かせるのは、冷酷無比と称される国王を支える宰相の瞳。

 僕は咄嗟に「いえ」と首を振って否定するしかなかった。


「あ、そう。それでドゥーガン家の事だったかな。あそこの夫婦は政略結婚みたいなものでね、国王がまだ王太子の頃、彼を通じてヴァンと知り合ったエミリア様が、一方的に熱を上げちゃってね、降嫁と言えば聞こえはいいけど、臣下であるヴァンは拒否もできず、エミリア様を妻として受け入れるしかなかったんだ。当然、愛なんてない二人は、義務と惰性でリオネル君とアデイラ嬢を成したようだ」

「……ヴァン様は、よく我慢したんですね」

「我慢……?」

「?」


 ふ、と唇を歪めて笑う父上は、まるで僕を馬鹿にしているように見える。


「違うんですか?」


 問いを重ねる僕を、目の前の父は一度瞠目した後、柔和に微笑みを浮かべ。


「その事はあの二人の事だからね。私が簡単に口を割るわけにはいかないんだ」


 まだ熱さの残るお茶を優雅に飲んだのだった。


 きっと言葉を濁すのを見るに、父はドゥーガン公爵夫妻を深く知っているのだろう。だけど僕に言わないのは、僕が信頼に値する場所に辿り着いてないから。

 子供である自分に、歯がゆさを憶えてしまう。早く、一日も早く大人になりたい。


「ルドルフ」

「……はい」


 俯いて口を閉ざす僕へ、父の声が呼びかける。条件反射のようにうなだれた顔を上げると、そこに見えたのは国の宰相でもなければギリアス公爵でもない、僕の父として笑みを浮かべる姿があった。


「勉強も確かに大事だが、君はもっと自分の目で見て、耳で聞く事をしたほうがいいね。将来、本当に私の後を継いで宰相になりたいのならなおさら、人や風の噂ではなく、自分が確かめたものを信じないといけないよ」


 父の言葉が真っ直ぐ僕の心に突き刺さる。一瞬、余りにも的を得て、激情にカッとなったが、父は僕を下に見て言ってるのではなく、後に続く僕への励ましの意味を込めて告げたのだ。


(これが国を采配する宰相……)


 目先の事ばかりに囚われていた僕は、溢れそうになる涙を固く目を閉じて塞ぎ、「はい」と震える声で零すしかできなかった。


 しばし沈黙に包まれたサロンを一変させたのは、先ほど退室した執事と、ワゴンを押して続くメイドたち。


「旦那様、遅くなり申し訳ありません」

「いいよいいよ。お前も初めて目にしただろうし、扱いに慣れてないのだから仕方ないよ」

「寛大な配慮、感謝いたします」


 父と執事の会話を聞く僕の前に、メイドがそっと皿を置く。

 白磁の上に木の葉型をした黄金色の何かが乗っている。表面は潤みを帯びたように艶やかで、臙脂色の器とのコントラストが綺麗だ。


(……これは……食べ物、か?)


「父上。この皿のものは一体……?」

「ふふ。これは我が領で採れたサツマイモを使用したスイートポテトというものらしいよ。美味しいから食べてご覧」

「は、はぁ……」


 これが食べ物と言われても、目にするのも初めての物を、躊躇なく挑戦するほど豪胆ではない。

 皿に添えられていたフォークで恐る恐るスイートポテトなる物体をつつく。あれだけ照りがあったから、かなり柔らかいと思っていたが、思いのほか弾力がある。


「では、いただきます」


 意を決して端にフォークを落とすと、一瞬押し返すような抵抗のあとスっと銀が黄金色に沈んでいく。


(柔らかい)


 領の特産だからサツマイモ自体は何度も食べてるが、こんな食感は今まで感じたことがない。


 削った端をどうしたものかと思案しつつ、目の前まで持ち上げる。表面は焼いたからか多少硬さがあったが、この中のねっとりとしたものが、本当にサツマイモなんだろうか。


(だけど……目で見て知り、耳で聞いて判断する……か)


 先ほど父から言われた事を思い出し、僕は意を決して口の中にフォークを押し入れる。


「……っ!」


(甘い!)


 なんだこの甘さは。舌の上で固形だったスイートポテトが解けて溶ける。いつもはサツマイモの繊維が口の中にいつまでも残るが、これにはどこにも繊維らしいものが見当たらない。


(それに、これはサツマイモだけじゃない? 多少の砂糖と……仄かに香るのは乳脂と少量のアルコール?)


 複雑に混じり合い、あれだけ抵抗に思えたものが、すうっと喉の奥へと落ちていった。


「はあ……美味しい……」


 思わず感嘆の声を漏らす僕に、父は微笑んで見守っている。


「気に入ったかい?」

「はい。我が領のサツマイモがこのような美味な物になるとは思ってもみませんでした」

「そうだね。私も同じ事を思ってたよ」

「父上。もし、これを我が領の特産品とすれば、もっと民達に還元できるのではありませんか?」

「やはりルドルフも同じ考えに至ったか。……だろうと思って、レシピを書いてもらったんだ」


 だから予想以上に遅くなったんだけどね、とウインクする父に、僕は面映くなりながらも、笑みを向けていた。


 のちに、ギリアス領の特産品であるサツマイモを使った菓子「スイートポテト」は、貴族だけではく庶民でも爆発的に流行し、それまでは生のサツマイモを

献上していたのを、スイートポテトやサツマイモを使用した菓子になったのである。



♪゜・*:.。. .。.:*・♪


「アデイラ、それ何個目なの?」


 呆れたようなリオネルの声に、振り返ったアデイラは本日消化したスイートポテトの数を指折り計算する。


「んーと。三個……いや、四個?」

「違うよね。僕が憶えてる限り、確実に六個は食べてるよ」


 そんな馬鹿な、と皿の上のスイートポテトに視線を落とす。


「いやいやいや! 私そんなに食べてませんよ! これ、予想以上に高カロリーなんですよ!? 六個なんて食べたら、私おデブになるじゃありませんか!」

「いいや。僕が数えただけで六個だよ。多分君の事だから、その前にも何個か食べてるんじゃないかい? つまりは、今君のお腹の中には六個プラス三個もしくは四個が収まってるはずだよ」


 サツマイモだけなら、青ざめる程のカロリーはないが、スイートポテトはバターや砂糖、卵とかも使用してるから、何個も食べたら乙女的にリスクが……。


「のおおおおおおおおおおおお!!」


 アデイラは無意識にハイカロリーを溜め込んだ事実に、意味もなく部屋の中を走り回るのだった。


(……それにしても。ギリアスって名前、どっかで聞いた事あるんだけどなぁ……)


 兄監視の元、部屋をドレスのままひたすら走るアデイラは、昼間の訪問者の事が浮かんだものの、はふはふと息を弾ませながら走っている内に、些細な疑問はすっかり消えてしまっていた。

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