第3話 白蛇の呪い(2)

 その日の放課後は、僕の心を写すように、今にも泣き出しそうな天気だった。

 おまけにゴロゴロという音まで聞こえてくる。きっとすぐにあまが降り出すだろう。

 正直言って白い蛇のことなど無視して早く帰りたい。でも、平穏を愛する僕にとって平穏を乱されるのには我慢がならない。一方では今の僕にできることはたかが知れているというか、何もないのが現実だ。


「坂上さん、これから裏庭へ行くつもりじゃないよな?」


 まさか裏庭へ行く筈はないよな? 原田には行かないと言ったし……。

 こんな時に藤崎さんはどこにいるんだろう?


「帰りたいんだけど、ちょっと困ってるの」

「どうしたんだ?」

「体が重くって……、熱っぽいし。私、どうしちゃったんだろう」

「坂上さん……」


 僕は意識を集中して坂上さんを見た――

 白い蛇の変わりように、愕然とするしか無かった。

 坂上さんの首に巻き付いていた白い蛇は巨大化し、体に巻き付いているのだ。

 これは拙いぞ――


「保健室に行った方がいいと思う。一緒に行こう」

「うん、お願いするね」


 よりによってこんな時に藤崎さんが見当たらない。

 他の女子は……。あっ、一条さんと目が合った。ちょっと気まずいけれど、頼むしかないな。


「神夜君。今、私を見つめていたわね」


 一条さんの方から来てくれたのはいいけれど、彼女は何か勘違いしているかもしれない。


「一条さん、いいとこに来てくれた。今から坂上さんを保健室まで連れて行くので、手伝ってくれないか?」

「もちろんいいわよ。神夜君の頼みだし。坂上さん、歩けるかな?」

「うん、歩けるけど……」

「肩を貸すよ。一条さんは右側を頼む」

「OKよ」


 実のところ、坂上さんは自力では歩けないくらいまで衰弱していた。これほど酷いなら、早退した方が良かったのに――


 そして肩をそうとしたところ、白い蛇が僕を睨み、威嚇し始めた。僕は反射的に避ける。


「どうしたの神夜くん。女の子に触れるのは嫌?」

「そんなことないよ。むしろ……。あっ、誤解されるようなことは言うなよ」

「そうね。誤解されるような振る舞いも止めた方がいいわ」

「そうだな。でも……」


 白い蛇は「シャーッ」という音を出して僕を睨んでいる。困った――


「神夜君、お待たせ!」

「藤崎さん。遅い!」


 藤崎さんと待ち合わせをしていた訳ではないが……。


 その後、藤崎さんには坂上さんの状態を説明した。でも、一条さんが居るので白い蛇の巨大化については話すことができない。もっとも、彼女にもそれが見えているから説明する必要もないだろう。

 そして一条さんと藤崎さんの二人が坂上さんを運ぶことになった。僕は三人の後ろをトボトボとついていく。

 白い蛇は相変わらず僕を睨んで舌を出している。なんとも腹立たしい奴だ。

 それにしても、何でこの蛇は藤崎さんを攻撃しないんだろう? 藤崎さんも藤崎さんで巨大化した白い蛇が見えているのに勇気があるよな。


 保健室は僕達の教室と同じ一階の中央付近にあるので直ぐに到着し、坂上さんをベッドに寝かしつけた。後は保険の先生に任せればいいのだが、こんな時に限って先生は不在だった。


 その時大きな雷鳴が聞こえた。そして、雨も降り出した。坂上さんはこのような状態だし、帰宅が難しくなってきたぞ。


「神夜君、ちょっと来てくれるかな」

「どうした?」


 ベッドの横で坂上さんの様子を見ていた藤崎さんが呼んでいる。一条さんも一緒だ。

 僕も二人と同じように、ベッドの横のスツールに腰掛けた。


「原田君のことなんだけど」

「今頃あいつは裏庭でびしょ濡れになってるんじゃないか」

「彼が濡れても誰も困らないわ」

「そりゃそうだ」


 三人は軽く笑った。

 一条さんのキャラが解ってきた気がするよ。


「私、原田君の情報を集めてたの。そしたらね、彼は変な呪術に凝っていることが判ったの」

「呪術だって? 高校生にもなってそんなことしてるのか?」

「私は大野さんから聞いたことがあるわ。原田君が蛇を使った呪いをしてるって。でも、誰を何のために呪っているのかしらね」

「坂上さんに巻き付いている白い蛇は原田君の呪いじゃないかしら」

「でも、この大きさは冗談では済まされるレベルじゃないし、本当にそんなことできるのか?」

「ちょっと待ってよ。あなた達は何を話しているのかしら?」

「一条さん、信じられないかもしれないけれど、僕達には坂上さんの体に巻き付いている白い蛇が見えているんだ」

「白い蛇? だから坂上さんがこんな状態になっていると言うの?」

「そうなんだ。それは原田君が坂上さんに呪いをかけているからじゃないかと、僕達は疑っている」

「非現実的だわ。何か証拠でもあるのかしら?」

「証拠か~。客観的な証拠なんて何もないな」

「私にも説明できないわ……」


 藤崎さんも僕もそれを説明することはできない。この白い蛇は誰にでも見える訳ではなさそうだし……。


「くそっ、この白い蛇が現れなければ……。うっ、頭が……」


 頭が痛い。締め付けられるようだ。

 その時、校舎を揺らすほどの雷が落ちた! それと同時に明かりが消えて、保健室全体が稲光で明滅する。二人の女子は耳を塞ぐ。


「神夜君、藤崎さん……」

「どうしたの一条さん?」

「今の稲妻の光で、蛇の影が見えたの。そこの壁に」


 一条さんにも間接的だけど、蛇の姿が見えたようだ。それは良かったけど、頭が痛い……。


「神夜君、大丈夫?」

「大丈夫じゃない。くそっ!」


 この蛇、僕を攻撃しているのか! それなら僕にも考えがある。

 僕は白い蛇の頭部を思いっきり殴った。


「神夜君!」


 白い蛇は仰け反ってから、頭を左右に振った。よく見ると、殴った部分が凹んでいる。

 効いている。間違いない!

 その隙きを突いて、首の部分を両手で力いっぱい絞めつけた。

 嘘だろ……。それはまるで綿のように柔らかく、両手が容易く食い込んでいく――


「神夜君! 蛇の頭が落ちそうよ」

「どうしたの? 何が起こってるの!?」


 やはり一条さんには蛇を直接見ることができないらしい。

 次の瞬間、蛇の頭部があっさりとベッドの上に落ちた。僕はすかさずそれを掴んで窓の外に投げ出す。


「うそっ! 神夜君、凄いわ!」


 坂上さんの体に巻き付いていた白い蛇の胴体は霧のように消え去った。


「終わったのか?」

「神夜君、蛇を退治したの?」

「そうかもしれない。いや、倒したと思う」

「坂上さん! 起きて!」


 藤崎さんが、いつの間にか寝入ってしまった坂上さんの体を揺すって起こそうとしている。


「んっ、どうしたの?」

「体の調子はどう?」

「そうね……。不思議だわ。もう体は重くないし、頭も痛くない」


 藤崎さんと僕は小さくガッツポーズをした。


「二人共、説明してくれるわよね?」

「もちろんさ」

「神夜君、その前に気になることがあるの」

「何だろう?」

「呪いを解くと、呪いをかけた方に呪いが跳ね返ると聞いたことがあるの」

「私もそれは聞いたことがあるわ。確か呪詛返しというのよね」

「でもそれって、自業自得というものだろ」

「そうね、その通りだと思うわ。でもね……。遠野さんのこともあるし」


 原田が死ぬかもしれないと、藤崎さんは言っているのだろう。でも、呪術の知識がない僕達に何ができるというのだろう? 坂上さんにかけられた呪いだって、偶然に解けたとしか思えない。運が良かっただけだ。


「ドッカーン!」校舎が落雷で震えた。おそらく、校舎のどこかに落ちたんだと思う。

 意外なことに、一条さんが耳を塞いで屈み込んでいる。緊張の糸がほぐれれたせいで、急に怖くなってきたんだろう。

 クールビューティーな印象とのギャップがあって、ちょっと可愛い。一方、藤崎さんは耳を塞いだだけで、結構冷静に見える。いや、べつに可愛げがないと言ってる訳ではない。


「雨が酷くなってきたわね。帰りはびしょ濡れになりそう」

「坂上さん、家の人に迎えに来てもらった方がいいと思うよ」

「うん、お母さんに車で迎えに来てもらうから大丈夫よ」

「よかった」


 その後、僕達は坂上さんのお母さんの車で家まで送ってもらった。坂上さんの負担になるから遠慮したのだが、彼女が頑なに送ると言って譲らなかった。

 いずれにせよ、坂上さんが回復して本当によかった。


 これで坂上さんの件は終わったと思うのだが、藤崎さんには心配事があるらしい。それは呪詛返しのことだ。だが、いくら心配しても、僕達には何もできないことに変わりはない。


 僕にとって一つだけ問題が残る。それは一条さんに事の顛末をきちんと説明する必要があるということだ。話すことが苦手な僕にとっては深刻な問題だ。


 そして、今回の件では謎が残った。

 僕は何で白い蛇を倒すことができたのだろう?

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