第3話 保護しましたが、何か?(後編)
その、『試練』とやらは、私に突然襲いかかってきた。
ある日の仕事帰りの事。
自宅の最寄り駅で電車を降り、自宅のマンションへと歩いていた時の事。
私は、最寄りのコンビニに寄ろうとした時。
『事件』は目の前で起こった。
私の横を物凄い勢いでスポーツカーが通り過ぎたかと思うと、「ドン!!!」という大きな音と共に、そのスポーツカーが急停車した。
「なに?事故??」
私は何気なく車に近寄った。すると…。
一匹の黒猫がぐったりと倒れていた。
そして、車から若い男女が降りてきた。見た目は私と同じ位だろうか。
「何か当たった?」
女がいぶかしそうに車の前を見ている。
「やべ、何かぶつけたみてぇだわ。」
男は車の前に出て、車を確かめる。そして、しゃがんで車のバンパーを見た。バンパーは少し凹んでいる。
「あーあ。バンパー凹んじゃったよ。」
「えー?新車でしょ?やっちゃったねw」
「マジ凹むわー。」
「で、何が当たったの?」
男は黒猫の方を見た。
「猫だよ猫。野良猫。」
「うわ、しかも黒猫じゃん。縁起悪ぅー。」
プッチーンーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
女の一言に、私の中で何がが弾けた。
いや、頭の血管が三本ほどキレた音がした。頭のネジも5本程折れた。
そして、父、光太郎が私に
「おい、ねーちゃん。今何言うた?」
「はい?」
「何言うたって聞いてんねん?」
すると、今度は男の方が私に突っかかってきた。
「何だ?お前?」
「お前か?運転してたんは!」
「だからなんだよ。」
男の吐く息が、妙にアルコール臭い。
「お前、酒飲んでるやろ?」
「は?」
「息がめっちゃアルコール臭いで!」
「だから?おめえに迷惑かけたか?」
「アホかお前!飲酒運転やろが!」
「だからなんだよ!お前に迷惑かけたかって言ってんの!」
「猫引いとるやんけ!」
「はー?只の野良猫じゃん。人間じゃねぇから問題ねーだろ!」
ブチブチブチ!!!!!
私のギアが更に入った。
「じゃあ何か?人間やったらアウトで、動物やったらOKってことか?」
「そりゃそうだろ!だいいち野良猫引いた所で罪にならねぇだろ?」
「アホかオンドレ!!酒飲んで車運転してる時点でアウトやろ!で、野良猫やったらOKやと?ほんなら、ワレ、うちが見過ごしてたら、そのままスルーするつもりやったんか?え?」
私は更に巻き舌でまくし立てる。
「ワレ、舐めた事言うとったら、コンクリ詰めにして、海に沈めンどゴラぁ!ほんなら、お前、飲酒運転しとるさかい、うちがここでフルボッコにしてもOKって事やな?」
私は、左手で右手の拳をボキボキ鳴らした。
「なんだお前?女の癖に俺とやる気か?」
「オンドレにこの野良猫の気持ち、味あわせてやるわ!往生せいや!!!!」
その時である。
コンビニの店員か、近所の人が騒ぎを聞きつけて110番通報したのだろう。パトカーがサイレンを鳴らしてやってきた。そして、警官が2人、慌ただしくパトカーから降りてきた。
「どうしました?」
「おお!ポリか!ええとこ来たのォ。この兄チャン、飲酒運転の現行犯やで!」
「何?」
男の警官は、私が殴りかかろうとした男に詰め寄った。
「君、ちょっと私の顔に息吐いて貰えるかな?」
警官の言葉に男は黙り込んだ。
「どうしたんですか?ちょっと息掛けるだけでいいんですよ?」
流石に警官の勘は鋭かった。
「じゃあ、ちょっとパトカーの中で詳しい話聞かせてもらいましょうか。」
警官は男をパトカーに乗るよう促した。男はさっきの威勢はどこへやら、素直に警官の指示に従って、パトカーに乗り込んだ。
「巡査長。同乗者の女性も聴取しますか?」
「もちろんだ。パトカーへ乗せてくれ!」
「は!」
もう一人の警官は同乗していた女性をパトカーに連れて行った。
「お嬢さん。お嬢さん!」
私は誰かに背中越しにポンポンと肩を叩かれた。振り返ってみると、後から駆けつけたであろう、中年の男性警官が立っていた。
「大丈夫ですか?怪我はないですか?」
私はそこで、やっと我に返った。
「あ…、ああ、はい、大丈夫です…。」
そうだ、野良猫だ!はねられた野良猫!!!
私は、直ぐにぐったりしている猫の所に駆け寄り、様子を見た。
黒猫は左目が大きく腫れ上がり、口からは微かに血が流れていた。
私はそっと体を触ってみる。
体はまだ暖かい。
生きている。
直ぐに助けなきゃ…。
「あのぉ…。お嬢さん?少し話を聞かせて欲しいんだけど…。」
私は財布から免許証を取り出した。
「お巡りさん!書くものありますか?」
「あ、ああ。」
警官はメモを取り出した。
私は胸のポケットからボールペンを取り出し、警官から貰ったメモに自分の携帯番号を書いて、免許証と一緒に警官に差し出した。
「事情聴取なら、後で交番に出頭して受けます。それより、この辺に動物病院はありますか?」
「え?動物病院?」
「そうです!一刻を争うんです!」
私の勢いに圧倒されたのか、警官はメモと免許証を受け取ると、この先に一軒あることを教えてくれた。
「ありがとうございます!」
私はぐったりしている黒猫を抱えると、警官に教わった動物病院へ向かって走り出した。
警官に教わった所に行ってみると…。
建物はかなりの年数が経っていて、そこら中に
玄関の上には、大きく『大槻動物病院』と看板が掲げてあった。
しかし、その看板をよく見ると、手書きで、
『ただし、イケネコに限る』
と書いてある。
ここの病院、本当に大丈夫だろうか?
しかし、今は一刻を争う時だ。迷ってる暇は無い。
私は思い切って、玄関を叩いて、大声で叫んだ!
「夜分すみません!!お願いです!!助けて下さい!!」
しかし、何の反応もない。
私はなりふり構わず大声で叫んだ。
すると…。
病院の部屋の明かりが点灯し、玄関のドアが開いた。
中から中年…、とう言うのは失礼だろうか、すらっとした長髪の綺麗な女性が、頭をボリボリ掻きながら現れた。
「何?こんな時間に…。」
「すみません!至急この子を診てくれませんか!」
「エー?」
女性は面倒くさそうに、私の抱いている黒猫に目をやった。すると、さっきまでのだるそうだった彼女の表情が一変した。
「直ぐに入って!」
「ありがとうございます!」
女性は私と黒猫を招き入れた。
「その子をベンチに寝かせて。」
「はい。」
私は言われた通り、待合室であろう長椅子に黒猫をそっと置いた。彼女は触診を始め、目にライトを当てて瞳孔を調べたり、脈を測ったりした。どうやら、この人がここの病院の先生のようだ。
「まだ息はあるわね。直ぐにレントゲンを撮りましょう。」
「おねがいします。」
その時である。
ふと、私の足元に気配を感じたので、目を移すと、そこには茶トラのてっぷりした猫がチョコンと座っていた。すると、先生がその猫に話しかけた。
「小太郎!おばさん呼んできて。」
すると、その猫はニャーとひと鳴きすると、てくてくと歩いて奥の部屋へ消えていった。
「貴女、その子を診察室のベットに移すから、手伝って。」
「はい。」
私は、黒猫をそっと抱いて、先生の後に続いて診察室に入った。
先生は診察用の椅子に無造作にかけてあった白衣を着ると、素早く髪を括った。
そうすると、さっきの猫と一緒に初老の女性が入ってきた。
「
「そうなの。おばさん!悪いけど直ぐにレントゲンの準備して!それから念のため手術の準備も!」
「はいはい。」
看護婦らしい女性も慌ただしく部屋を出た。
「あの…。先生…。」
「今見た限りでは、命に別状はないと思うわ。ただ、酷く顔を打っているみたいだから、全身と、頭部のレントゲンを取ってみましょう。」
「はい。」
「私はここの医院長の
「
「じゃあ、林さん、貴女は待合室で待ってて。」
「…。」
「大丈夫!私に任せてw必ずこの子は救ってあげる!」
私は先生の言葉を信じて、待合室で待つ事にした。すると、さっきの猫が私の所にやって来て、『大丈夫だよ』と言わんばかりに私の足元で丸くなってじーっとし始めた。そして数分後…。
「林さん。診察室にどうぞ。」
と声がかかった。
診察室に入ると、大槻先生はレントゲン写真とにらめっこしていた。
「驚いたわ。」
先生が呟いた。
「林さん。この子、どうして怪我したか教えてくれる?」
「はい。」
私は事の
「なるほどねぇー。」
先生はもう一度レントゲン写真を見やった。
「しっかし驚いたわー。内蔵には異常はないし、脳も大丈夫。手足の骨折もない。左目辺りはちょっと手術してみないと分からないけど…、とても車に轢かれたとは思えないわ。ただ…。」
「ただ、何ですか?」
「全身と頭を強く打ってるから、痛みからしばらく体も動かせないし、餌を食べるのも、現状厳しいかもねー。」
「そうですか…。」
「それともう一つ、確認をしておきたいんだけど。」
「なんでしょう。」
先生は真剣な顔で私を見た。
「この子、野良よね?」
「はい。」
「この子が元気になったら、どうするつもり?」
「は?」
「
「え?」
「だってそうじゃない。保護するなら手当するけど、保護する気ないなら、手当しても意味ないしィーw」
その時、私は高校時代に言われた父の言葉が頭をよぎった。
『お前に覚悟はあるんか?』
もう、あの時とは違う。いや、私が変わらなければならないんだ。
目の前の傷ついた命を見捨てる訳には行かない。
この子は私が守る。そして、『覚悟』を持って命を育んで行くのだ。
私は、先生の目を見てこう答えた。
「保護します。責任を持って面倒を見ます。」
「そう。わかったわ。じゃあ、早速左目の手術をしましょう。ただ、レントゲン写真を見た限り、最悪左目は失う可能性はあるわ。それだけは理解しておいて。いいわね?」
「…。わかりました。おねがいします。」
先生は、席を立つと黒猫をストレッチャーに移した。
「おばさん。手術始めるわ。手を貸して。」
「はいはい。」
そうして、黒猫を乗せたストレッチャーは先生達と共に、手術室に消えていった。
そして、『手術中』のランプが点灯した。
手術は30分も経たないうちに終了し、まずは看護師がストレッチャーを押して出てきた。
黒猫には点滴が施され、顔の左半分が包帯で覆われ、首にはエリザベスガードが施され、何とも痛々しい姿に変貌していた。
黒猫は、そのままストレッチャーで病室へと運ばれていった。
その後、手術室から先生が出てきた。
「先生、手術は…?」
「あー、疲れたー。林さん。外で話をしましょう。私も一服したいし。」
煙草を吸うジェスチャーをする先生に、私はなんとなく安堵した。
玄関を出ると、病院の庭先で先生は白衣の下に着ていたシャツの胸ポケットから煙草を取り出し、火を付けて煙草を吸った。
「はぁー!手術の後の一服は最高だわー!」
そう言って先生は両腕を高々と上げて、伸びをした。
「で、先生…。」
「全治1ヶ月ってとこね。左目は手遅れだったわ。傷が酷くてね。ごめんね。」
「そうですか…。」
「でも大丈夫よ。傷は上手く処理したから、逆にイケメンになってるわよw」
「イケメンって…w」
私は、先生に尋ねた。
「先生。もし、私が保護しないって言ってたら、手術してました?」
「うん。してないと思う。」
「…、そうですか…。」
「なーんてねwどっちにしても、手術はしてたわ。」
先生は、そう言って煙草を吸いながら微笑んだ。
「先生…。」
「連れてきた人が保護しようが、しまいが、飼い猫だろうが、野良猫だろうが、命を救うのが、私達医師の仕事だもの。当然でしょ?」
先生は、私の顔を見て、こう言った。
「あの子の事、頼むわよ。天寿を全うさせてあげてね。」
「はい!」
先生は満面の笑みを浮かべて、私の頭をポンポンと叩いた。
「じゃあ、後は任せて、貴女はもう帰りなさい。時々様子を見に来てあげるのよ。」
「はい。じゃあー…。」
私は礼を言って去ろうとした時、
「ちょーっと待った!」
と言って、先生が一枚の紙を取り出した。
「はい、これ。」
先生はその紙を私に手渡した。
「何ですか、これ…。」
「見ればわかるでしょ?」
手渡された紙には『請求書』と書いてあった。
「支払いは分割でも一括でも、何時でもいいわ。じゃあね!」
そういって、先生は煙草を咥えながら、病院の中へ入っていった。
私は、改めて請求書を見た。
一、十、百、千、万…。…。
「ええええええええええ!!!!!!!!!!」
私は目が点になって、脱力した。
こりゃ、明日から昼飯抜きで、毎日卵かけご飯だ…。
だが、何はともあれ、私は黒猫を保護したのである。
いや、しちゃったのである。
【つづく】
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