オリヴィアの目的

 朝を迎えた。床で寝た所為か、体が痛い。腰をぐりぐりと押しながら伸びをした。ベッドの上からは可愛い寝息が聞こえてくる。オリヴィアに外出しないようにと注意書きを書き食卓へ貼り付けると、音を立てないように支度をし、起こさないようひっそりと家を出た。


 今日は昼まで講義を受けて、それから夜までアルバイトの予定だ。オリヴィアの事が不安だったが、大学もアルバイトも休むわけにはいかなかった。


 午前中の講義を終え、急いで家へと帰った。アパートのドアを開けると、テレビを見ながら寛いでいるオリヴィアの姿があった。


「うぬ、其方か早かったのう。このテレビという物は面白いな。我の館にも欲しいくらいじゃ」

「裏側の世界には放送局が無さそうだから、持って帰っても何も映らないよ」

「うぬう、そうか残念じゃ」


 オリヴィアは悔しそうな顔をしながら足をばたつかせた。


「この後はアルバイトがあるので夜遅くなるけど待てるかな? 晩御飯は作っていこうと思うけど」

「我に気を使うなと言っておろう。見た目は八歳じゃが、精神年齢はそれなりじゃからのう。あの館でずっと待つことと比べると何ともないわい」


 オリヴィアは寂しい目をしながら笑った。僕はオリヴィアの事を何も知らなかった。あの深く恐ろしい森の中の館で、一人で何をしていたのだろう。


「オリヴィアはあの館で何をしていたの?」

「待っていたのじゃ、我が主が扉を開けるのを。それがいつになるかはわからないし、誰が開けるかも分からぬがな」


 オリヴィアの主は彼女を置いてどこに行ったのだろう。今は考えても分からないし、それを確かめる為には裏側の世界に行く必要がある。僕はオリヴィアの晩御飯用に炒飯を炒めるとラップをかけ冷蔵庫に入れた。玄関を開け、アルバイトへ行ってくると言うと、いってらっしゃいと返って来た。一人暮らしを始めてから、初めて聞く、いってらっしゃいだった。


 ある日、オリヴィアと買い物に出かけていると、ばったりと杏莉と出会った。杏莉は一瞬驚いた後、怪訝そうな顔で僕とオリヴィアを見比べる。


「坂口君、誘拐は犯罪よ? 大人しく出頭した方がいいわ」


 杏莉はとても真面目な口調でそう言うので、慌てて否定する。


「オリヴィアは親戚の子だよ。僕も外国人の親戚がいるなんて最近まで知らなかったんだけどね。オリヴィア、杏莉に挨拶をしてごらん」


 オリヴィアの方に振り返ると、オリヴィアは目を丸く見開いていた。まるで存在しないと思っていた宝物を見つけたような表情だ。オリヴィアはゆっくりと一歩ずつ、ギクシャクと足を動かし、杏莉に近寄る。杏莉はオリヴィアのその行動を、不思議な顔で見ていた。


「主様…。ずっと、会いたかったのじゃ。寂しかったのじゃ~!」


 オリヴィアは泣きながら杏莉に飛びついた。杏莉は事情がわからないといった顔をしていたが、小さい子を無碍には出来ないのだろう。飛びついてきたオリヴィアを抱き留め、頭をよしよしと撫でた。オリヴィアが泣き止むまで頭を撫で続いた。オリヴィアはひとしきり泣き終えると、杏莉から離れ、顔を上げた。


「オリヴィアちゃん? 初めまして、私は繭野 杏莉。杏莉って呼んでね」


 杏莉はオリヴィアの不安をほぐすように、にこりと微笑む。杏莉とは長い付き合いだが、笑顔を見たのは初めてだった。僕と話すときのあの興味なさそうな無表情からは想像出来ないほど可愛い笑顔だった。


「主様は私を覚えていないのですか? オリヴィアです。貴方が生んでくれたオリヴィアです!」

「杏莉、お前の子供だったのか……」


 杏莉は一瞬だけ、顔を僕の方に向け、じとっとした目をすると「坂口君は黙っていて」と一言だけいい。直ぐにオリヴィアへと向き直った。


「ごめんね、オリヴィアちゃん。人違いだと思うわ。私にブロンドの髪をした知り合いはいないもの」


 杏莉はそれからオリヴィアと何度か会話を交わすと、用事があると言って。僕達と別れた。杏莉の背中を見送った後も、オリヴィアはその場から動かず、ずっと、杏莉が行った方角を見ていた。オリヴィアを抱きかかえ、ベンチへと座らし、缶ジュースを手渡すと、気になっていた事を質問した。


「なあ、オリヴィア、主ってどんな人だったんだ?」


 オリヴィアは、ハッとした後、手の中にある、ジュースのプルタブを曲げ、ごくごくと飲んだ。ぷはーっと大きく息をすると僕の方に真面目な顔をして向き合った。オリヴィアが言うには、あの世界を作ったのは主だと言う。そして、その主は杏莉だったと言うのだ。


「そっくりの別人だという可能性は無いのか?」


 オリヴィアは杏莉の様に、じとっとした目をすると唇を尖らせる。


「我を愚弄しておるのか? 主を見間違えるわけなかろう、この、たわけ者」

「……すみませんでした」


 オリヴィアに許しを請った後、オリヴィアは今後どうしたいのかと質問した。オリヴィアは杏莉に忘れられている事がとてもショックだったようで、俯いて頬っぺたを膨らませていた。


「我は、主がどうしてあの世界を作ったのか、知りたいのじゃ。我に存在意義が無くなったとすれば、この世から消えるハズだからのう。まだ、存在しているということは何らかの役目があるはずなのじゃ」

「……わかった。杏莉に探りを入れてみるよ」


 オリヴィアは顔をあげ、期待を込めたキラキラとした眼差しで僕を見つめた。方法は思いつかないけれど、オリヴィアの落ち込む顔は見たくない。何とかしなければと心に誓った。




 家に帰るとオリヴィアはベッドにバタンと倒れ込み、そのまますやすやと寝息を立て始めた。色々あって疲れたのだろう。僕はベッドに寝かし直し、布団をそっと掛けた。


「んん……、主様。どうして……」


 それは寝言だった。オリヴィアの目じりから一筋の光が零れ落ちる。どれだけ悲しかったのだろう。オリヴィアは杏莉の為にずっと一人であの館で何かを待っていたのだ。寂しいとも、悲しいとも言う相手すらおらず、ずっと一人で。


 僕は居ても立っても居られなくなり、携帯電話を取り出すと、杏莉にメールを送った。オリヴィアの事で話がしたいと。暫くすると、携帯電話からメールを受信したメロディが流れる。


「明日の講義は昼までなので、それからでいいのなら。もし、オリヴィアちゃんを出汁にナンパのお誘いだったら絶縁しますね」


 僕はそんな風に思われていたのか……。頭をぽりぽりと掻いた後、了解とだけ打ち、メールを返した。

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