2-7

◇◇◇


 千人近い生徒がひしめき合っている講堂内は、春先とは思えぬほどの熱気と緊張で満ちていた。

学年が上がるごとに、その人数は少なくなっていく。明日から行われるものと半年後にもう一度行われる実力試験の結果によってランク分けされ、基準に満たなかった者は退校処分となるためである。

「いや、俺は除外されているのか」

 学園から入学許可証は来たが、なにも無試験で入学できたというわけではない。数学や歴史などの一般科目に加え、体力や俊敏しゅんびん性、判断能力などを見る実技試験もある。そこで燐慟りんどうはあえて、手を抜いて試験に挑んだ。結果、明らかに入学できない点数になったはずだった。なぜこんな無能が、選ばれたエリートだけが通うことの許される学園の推薦を受けることができたのだろう、と採点官は思ったことだろう。だが燐慟りんどうは今、ヒトシキ学園の制服に身を包み、門をくぐり、栄えある学園の一生徒として入学式に出席している。結局、燐慟りんどうに課された試験は、入学の有無については何の意味もなかったということを暗に示していた。

「は、くだらねェ……」

 燐慟りんどうの実力を把握し、かつこれからの三年間、ノコノコとやってきたさかきに実力の差を見せつけ屈服させんと入学許可証を送ったのであろう。

 だから燐慟りんどうは決心して、ここに来たのだ。

 こんなヤツらに自分の手の内を晒すようなことはしない、と。自分の実力を侮っていることをいつか後悔させてやる、と──

「あの」

 右耳の鼓膜が空気の振動を傍受するが、燐慟りんどうはあえて無視を決め込むことにした。

「……ちょっと、聞いていますか? さかき 燐慟りんどう

 ちらとそちらを見やれば、珍しい銀灰ぎんかい色の髪と眼の女が、燐慟りんどうを見ていた。

 やや高めに縛られた二つの銀灰ぎんかい色の髪の束が、ふわりと揺れる。燐慟りんどうより頭一つ分ほど低いその女は、ひどく侮蔑ぶべつ的な目つきで琥珀こはく色の瞳を捉えていた。

「何か……?」

「教室でれん様と親しげに話しているように見えたけれど、一体何を話していたのですか?」

「……お前誰だよ」

 すると女は銀灰ぎんかい色の目を見開き、咳払いをする。

「四ノしのみや チトセです。この家紋でわかるでしょう?」

「悪い。知らないし興味もないんだけど」

 ついと視線を逸らそうとすれば、チトセは顔を真っ赤に染め、

「さっさと私の質問に答えなさい!」

 怒鳴った。

 四ノしのみや家といえば五大名家のうちの一つで、神咲かんざき家を補佐している名家であり、知らないものは少なくともこの国にはいない。何より、その銀灰ぎんかい色の髪と眼が、四ノ宮家の者であることを示していた。

 その周囲の生徒たちが驚いたようこちらを見、チトセを確認した途端に何事もなかったかのように前を向く。先ほどより静かになったところで、燐慟りんどうは口を開く。

「別に。明日からの実力試験のことだ」

「そう、ですか」

 チトセも納得したようで、前を向く。

「はぁ……せっかくれん様と同じクラスになれたのだから、積極的にアプローチしていかなければダメね。実力試験で、れん様に私の実力を見ていただかなければ……」

 と、何やらブツブツ言っている。

 実力がすべてのこの世界。

 ガルゼレスという化け物を討伐し功績を残すことでしか、地位と名声は維持するどころか得ることすらできない。幼少期から実力だけしか評価されなかった者たちは、当然ながら他人を蹴落すことしか考えていない。実力が高いほど社会性は皆無に等しいのであるが、この学園にはそれに近しい者たちがひしめき合っていると考えるのが妥当であろう。

「めんどくせェな……」

 これから三年間、そこまで深く関わらないとは言え学園に通わねばならぬ以上、彼らとの接触は必至。となれば、これから起こりうるであろうことは自ずと想像できる。そこまで考えて、燐慟りんどうは思考を停止させた。これ以上は頭痛を助長させるだけである。

「……であるからして、君たちには大いに期待している。これからの学園生活、気を緩めることなく各人の能力の向上を当面の目標とし、鍛錬に励むように。以上。」

 ようやく、学園長の話が終わる。

「続いては、新入生代表の挨拶です」

 司会進行役の男がマイクを握る。

 壇上だんじょうに現れた一人の女。

見間違えるはずがない。あの瑠璃るり色の髪、透き通るほど綺麗な碧眼。十年近くあっていなくとも、瞬時に分かった。

それまでのざわめきが嘘みたいに収束し、物音ひとつ聞こえないほど静まり返る。

「こんにちは。神咲かんざき 時雨しぐれです」

凛、と講堂内に響き渡る声。束ねられることなく背中の中ほどまで伸びた瑠璃るり色の髪が、ふわりと揺れる。

「この学園に入学できて、あたしは本当に光栄に思います。これからの三年間──」

 彼女は、神咲かんざき 時雨しぐれは死んだはずだ。十年前、自分がこの手で殺したのだから。今でも忘れない。あの冷たい頬の感触を。とめどなく溢れる鮮血の、あの生暖かさを。

「どういうことなんだ、時雨しぐれ……」

 燐慟りんどうの困惑を含んだ独白は、その異様なほどの静寂に呆気なく掻き消された。


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