2-3

 一年四組の教室。その窓際の一番後ろの席に、燐慟りんどうは座っていた。

「成績順……いや、それだけじゃないのか」

 燐慟りんどうは教室内を見回す。このクラスは四十人で構成されており、男子のほうが若干数上回っているというところであろうか。

 中でも、五大名家と呼ばれる高貴かつ権力を有する家柄の子女たちがこのクラスに在籍しているということは、すでに事前の調査で分かっていた。幹部クラスの地位を持つ家柄の子女も散見されるところをみると、意図的にこのクラスに集めたということなのだろう。

 かつては神咲かんざき家に劣らぬほどの地位と権力を有していたさかき家も、ある出来事がきっかけで没落し、今や"ちたさかき"などと蔑まれているのだが、そのおかげで周りの生徒たちからの視線は、明らかな嫌悪と敵意を含んでいた。

 そして、その名を出すだけで皆が低頭し、傾倒するほどの権力を持つ神咲かんざき家の子息も在籍しているはずなのだが、ホームルームが始まっているこの時でさえも、その席は空いていた。

「みなさんは全国民の希望です。ゆくゆくは軍の幹部となれるように日々精進してください。また、かの神咲かんざき様とともに勉学に励めるという身に有り余るほどの光栄を……」

 と、女性教師が恍惚とした表情で雄弁をふるう。対して生徒も、目を輝かせ一心に聞き入っている。

 ──と、熱を帯び始めていた教室に近づく、氷の気配。その正体はなんだと思考をめぐらせた直後に、ガラリと扉が開いた。

 女性教師の言葉が途切れ、生徒たちにも緊張が走る。

「え、なんでこんなに静かなの?」

「こ、これは蓮様。おはようございます。席はこちらで……」

「僕、視力は良いほうだから、そんなに前じゃなくていいよ」

 長身の少年に見下され、女性教師が言葉に詰まり黙り込む。

 きょろきょろと辺りを見渡していた少年はやがて、お目当ての玩具を見つけた子供のようにぱぁっと顔を輝かせると、ずんずんと歩き始めた。

「ねぇ、君。席替わってくれるかな?」

 人好きのする笑顔を貼り付けて、少年が女子生徒に微笑むと、

「は、はい!」

 話しかけられた女子生徒は頬を紅潮させながら、急いで荷物をまとめ始めた。

 悪寒が背中を貫き、恐る恐る声源を辿ってみれば、案の定悪い予感は的中していた。

 ちょうど彼の着る制服の襟元のあたり。学園の校章の隣に、異彩を放つもう一つのエンブレムがそこにはあった。見るだけで嫌悪感を催すその家紋。それは、銀髪碧眼の彼が神咲家であるということを、はっきりと主張していた。

「みんなごめん。さぁ先生、続けてください」

 狼狽しながらも女性教師は今後のカリキュラムについて、時折、神咲家の子息──蓮の様子をうかがいながら説明してゆく。

 窓の外に視線を移そうとして、

「ねぇ」

 あたりをはばかるような小さな声で、蓮が口を開いた。

「君だよ君。さかき 燐慟りんどうくん。リンドウって呼んでいい?」

 人懐っこい笑顔を色白な顔に貼り付けて、神咲の子息は意気揚々と燐慟りんどうに話しかける。その碧眼は爛々らんらんと輝いていた。

「……どうぞお好きなように」

「えー、テンション低くない? 華々しい青春の始まりを飾ろう、っていう大事な日なのに」

「別に。低血圧なだけなんで」

「ふーん、そうなんだ」

 当たり障りのない返答をしつつも、彼の質問の意図が燐慟りんどうにはさっぱり分からなかった。下手に興味を持たれる前に、先手を打つべく、燐慟りんどうは再度視線を左へずらそうと試みる。

「よくこの学園に入れたね。ここ、超有名門校なんだよ」

 しかし、会話は収束しなかった。否、蓮によって阻まれてしまった。

「……はぁ……」

 と、会話と呼ぶのもはばかられるそれを、意味もなく演じる。

「すごく勉強したでしょ? 僕もすごく疲れちゃってさ。あ、どこ中出身?」

 傍目から見れば、ごくごく普通の他愛ない会話。

 これからの高校生活への期待に胸を膨らませて、年相応にはしゃぐ神咲の子息。

 答えるのが億劫になり、鬱陶しげな目を彼に向ければ、困ったように肩をすくめ、

「あは、ごめんごめん。テンション上がっちゃってさ」

「……いや」

「僕、君のことすごく気になってたんだ。君の話、もっと聞かせてよ」

「……なぜ、下賤げせんさかきに構う? 目ェつけられてイジメられるのだけはご免なんだ。お友達ゴッコしたいなら余所で……」

「なぁ、リンドウ」

 相変わらずの笑みを浮かべながら、先ほどと変わらぬ声音で燐慟りんどうの名を呼ぶ蓮。

 そして、なぜか近づいてきた。席が隣とはいえ、机間の距離は多少空いているため、必然的に体の距離も離れている。しかしその距離はいつの間にか無に帰し、息遣いが聞こえるほどに近づいたところで、蓮が耳元で低い声を発する。

「つまんねェ嘘、かしてんじゃねェよ」

 冷たい視線は、ゾッとするほど異様な迫力に満ちていた。先に感じた氷の気配、そのものであった。

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