第80話 14-3 カカルドゥア公国の異邦人

 「さあ,大航海時代の幕開けです! あなたも,今投資しませんか!」

 「アメリアからの船が到着します! 珍しい新大陸の商品が揃っていますよ!」

 「ドラゴンの卵が入荷しました! おひとついかがですか?」

 「スライムの燻製,いい味ですよ!」


 威勢の良い声が響く.

 カカルドゥア公国の首都,サンサーラ.

 港に面した美しい臨海都市である.

 南国の強い太陽の日差しが,路地に陽炎を作り,カモメが青い空に白いシルエットを作っている.

 カカルドゥアの文化風土は,インドとアラビアとペルシャを足して東南アジアを少々加えた様な感じ――南アジア風に設定されている.アラビアンナイトとヒンドゥー神話の世界,と言えば分りやすいだろうか.

 ドーム状の屋根と尖塔を持つ建物が立ち並び,港には南海諸島からの積み荷を乗せた帆船が行き来して交易している.

 東の素明羅が多様な文化を,北のノルトランドが軍政を特色とするならば,この大国の特徴は商業だった.

 現実世界の商取引のシミュレーションのほとんどが可能であり,実際の企業の支社や出張所がある.

 電脳世界における新製品のマーケティングや開発も行われている.

 魔法の絨毯に乗って空を急ぐプレーヤー達の職業ジョブは,ほとんどが商人だった.


 「へえー,カカルドゥアってにぎやかだねー」


 シノノメはきょろきょろしながら街を歩いていた.

 ヤシの木が生い茂り,極彩色の鳥が飛び交う.

 所狭しと並ぶ商店や出店ではアバターやアイテム,服やスキル,はては召喚獣まで売られていた.

 「町中がバザールみたい」

 シノノメは北東大戦――ノルトランド対素明羅の戦いは今ではそう呼ばれている――で,すっかり有名人になってしまった.

 おかげで,現代風の服でも,ましてや和服姿では目立ち過ぎてすぐに人に囲まれてしまう.

 カカルドゥアに入国するなり,シノノメはアラビア風――というか,古ペルシャ調の服を買って着替えていた.

 顔を隠すならブルカを被ってもいいのだが,折角なので可愛い服が着たかったのだ.ただ,ベリーダンスの踊り子風というのか,胸が強調されるのと,お腹が全部出ているのが少し恥ずかしかった.

 だがしかし,南国なのでこれが普通らしい.道を歩く女性プレーヤーのほとんどはシノノメと同じような服だった.


 「どうしようかな?」

 シノノメは導きの石を取り出して手の平に載せた.

 クルクルと石は回り,路地の一角を指した.


 「こっち?」

 石が指したのは,一軒の建物だった.

 土づくりで,一階は雑貨屋だが,二階に上がる階段の方を指している.

 階段の脇に,小さく看板が出ていた.

 

 「バー・サクラス……」

 

 ふと,家のことを思い出した.

 あれから一度だけログアウトして帰ってみたのだ.

 ヤルダバオートの痕跡は,嘘の様に何もなかった.

 自分も,普通にいつものソファの上でゲーム機を被っていた.

 携帯端末の留守番電話には,音声メッセージが入っていた.

 

 『急に出張に行くことになった.学会と,災害援助を兼ねることになったので一,二週間は帰れません.突然で,ごめん』

 

 というわけで,家に帰らなくても――夫の帰宅に合せて帰る必要はなくなった.

 不安な今,一刻も早く彼の顔が見たい気もする.

 だが,怖くもあった.

 夫を見ても,夫だと分かるのだろうか.

 固定電話機と携帯端末の着信履歴を遡り,メッセージやメールが入っている時間を照らし合わせてみた.

 毎日のように同じ名前が並んでいるのだが,意味をなさない文字列のように見えてしまう.理屈では,これが夫の名前なのだと思う.

 

 それでも,全く確信が持てない.

 その事実は,唯にとって大きな衝撃だった.

 

 自分の記憶の問題を,なるべく早く解決したい.そして,その鍵はこの世界にあるような気がしていた.


 「とりあえず,入ってみよう」

 唯は階段を上がり,シックなオークの木戸を開けた.


 「いらっしゃいませ」


 カウンターだけの,こじんまりとしたショットバーであった.

 カウンターの中にはバーコートを着たバーテンダーが立っている.


 「お好きな席にどうぞ」


 店の中に客はシノノメだけ……かと思ったら,カウンターの隅に一人客がいた.その客はカウンターに突っ伏して丸くなっている.どうやら酔っぱらって寝ているらしい.

 シノノメは,カウンターの中央に座った.バーテンダーの仕事を見るのが好きなので,お店が空いているときはいつもそうする.

 バーテンダーが手際よくフルーツをカットしたり,バースプーンをステアして美味しい飲み物を作る様子は,現実世界でもまさに魔法の様だ.


 「何にしましょうか?」

 「私に合ったお酒をください……炭酸抜きで.言っておきますけど,未成年じゃないですよ」


 シノノメは炭酸飲料が苦手なのである.


 「承知しました」


 バーテンダーはペパーミントリキュールと生クリーム,ホワイト・カカオ・リキュールを取り出した.混ぜ合わせてシェークし,親指の付け根にある窪み―嗅煙草窩スナフ・ボックスに乗せて味を見てからグラスに注いだ.

 見事な手つきだ.


 「グラスホッパーです」

 「あ,私これ大好き.でも,バッタ(グラスホッパー)の気持ち?」

 「いいえ,貴女が好きな味だと思って」


 シノノメは,チョコミントに似た味のカクテルを一口飲んだ.

 

 「美味しい!」

 「ありがとうございます」

 

 バーテンダーは頭を下げた.

 グラスホッパーはお店によってはベタベタした甘いカクテルになってしまう.今口にしている物は上品な甘さで,これ一杯が最高のスイーツに匹敵する.今まで飲んだ中でも,一,二を争う出来だった.

 それにしてもバーテンダーは変わった風貌をしていた.肌はピンク色で,うろこが生えている.竜の髭があり,目は虹色である.


 「あなたは……?」

 「竜人を見るのは初めて?」

 「ええ,うん……」


 おまけに,言葉遣いが女の人の様だった.ついしげしげと見てしまうが,どう見ても男である.いわゆるオネエの人かしら,とシノノメは思った.

 

 「ふふふ」

 竜人のバーテンダーはじっと見つめ返してきたので,慌ててシノノメは目を逸らせ,カクテルに集中した.

 「探し物があるのね……」

 「え……?」

 「竜人には,不思議な能力スキルがあるって知ってる?」

 「いいえ……友達には,いなかったので」

 「フフ……竜人なんてキャラを選ぶ人は,レアだからね.竜人には,霊感が備わっているのよ.霊力,神秘力と言ってもいいわ.だから,この店には時々私に占いを頼みに来る人がいるの」

 「それで私のことも……?」

 「そうね……東の主婦,シノノメさんが来るとは予想していなかったけど」

 「分かってたの?」

 「あなたは有名人だからね」

 「探し物って……分かるの?」

 「観てもいい?」

 シノノメが頷くと竜人は正面に立って,カウンター越しにじっと目を見つめてた.虹色の瞳が,自分の眼の奥底――心の奥底を覗いてくるような気がした.

 「それは……あなたにとって,とても大事な物なのね」

 「うん……どうやれば,取り戻せると思う?」

 「そうね……それは,とても難しい」

 「そうなんだ……」

 シノノメはうつむいた.

 「でもそれは……とても近いところにあるわね」

 「近いところ?」

 「何故かこんな言葉が浮かぶわ……‘本当に大切なものは,目に見えない.真実は,目に見えないところにある’」

 「……星の王子様みたいだね」

 だが,何故かその言葉はシノノメの胸にストンと落ちた.

 「そうね.サン・テグジュペリの霊でも降りて来たのかしら」

 竜人はそう言って肩をすくめた.

 「あとは,何か分かる?」

 「そうね……あちらの隅っこのお客さんと,何か縁があるようよ」

 「あちら?」

 シノノメは,カウンターの隅の客を見た.


 全身に毛が生えている.両腕の中に顔を埋めて寝ているのでよく分からないが,頭にはボロボロになったターバンの残骸が載っていた.毛並みはガタガタで,汚らしい.尻尾と耳の形からすると,猫人の様だった.しかも,猫成分が多く,ほぼ人猫ワーキャットとでも言った方がよさそうだ.

 

 「私,こんなボロッちい猫人の知り合いなんていたかしら?」


 猫人は,ムクリと起き上った.


 「ボロッちいとは何だ,失敬な!」

 「でも,毛並みがぐちゃぐちゃだよ.おまけにガリガリだね」

 シノノメは,浮いたあばら骨を突っついた.

 「ううっ……落ちぶれたとはいえ,こう見えてもカカルドゥア最大の商業ギルドの元・あるじ,ニャハールとは俺のことだぞ!」

 「ニャハ? 誰?」

 「ああっ! お前,東の主婦じゃないか! お前,俺のこと忘れたわけじゃないだろうな!?」

 「ごめん,忘れた」

 ケロリとシノノメは答えた.

 毎度のことだが,シノノメは顔と名前を覚えるのが苦手だ.

 「あああああ!」

 猫人ニャハールは頭を抱えてかきむしった.ボロボロと毛が飛び散る.ノミもいるかもしれない.

 「うわあ,ばっちい猫ねえ.これじゃ営業妨害だよ.ねえ,えーと……バーテンダーさん」

 「……アドナイオス,みんなはアドさんって呼ぶわ.あとで大掃除しなきゃ……でも,ニャハールは忘れられて悲しいみたいよ」

 「四大国公会議で,会っただろうが! ああ,何で分からんのやぁ!」

 「あー! あの,太った猫の人!」

 「そう! それ! あの,華麗なニャハールグランド花月の姿を忘れたんかいな!」

 「あー,太った踊る猫の人ね.でも,もっと太ってたし,何だかエセ関西弁チックな言葉だったよ」

 「ああーっ! そこ? そこじゃないでしょう,君! ニャハールさんはニャハールさんでしょう?」

 「うーっ! お酒臭いよ! アドさん,お水をください」


  ***


 水を貰って少し落ち着いたニャハールは,身の上話を始めた.

 猫は魚が好きに違いない,というシノノメの独断と偏見で,おつまみは鰯缶詰オイルサーディンだった.

 「北東戦争の前頃から,カカルドゥアはアメリア大陸との交易を開始したんだよ」

 機械文明の大陸,アメリア大陸ではデスゲームが常時行われている.

 ユーラネシアの様に生産系や造形系のゲームを楽しんでいる者はいない.そこに目をつけ,ニャハールの商社ギルドは貿易を開始したのである.

 「でも,アメリアの機械のほとんどは,ユーラネシアでは役に立たないでしょう? ユーラネシアの,魔法で動く物はアメリアでは役に立たないし」

 「ムフフ,そこが,素人の考えるところだな.硬度の高い金属材料の加工機械とかは,向こうにあるわけよ.向こうは逆に,生体系の素材がないわけ」

 「なるほど……」

 シノノメは,黒騎士の鎧にエクスカリバーが敵わなかったことを思い出した.確かに,あんな材質の鎧や剣があれば無敵だろう.

 「それで,会社がバンバン大きくなって,ついに株式上場を成し遂げた時に,悲劇が起こったんだ.敵対的企業買収をくらって,会社が乗っ取られてしまった.おまけに,俺は取締役会で解任されて,全財産を失ったんだ.豪邸も,自家用空飛ぶ絨毯も,魔法のランプも……くそーっ! あいつら,ぶちまわしちゃるけん!」

 ニャハールはオイオイと泣いた.

 「悲劇っていうか,企業戦争の常じゃない?」

 アドナイオスがため息をついた.

 「厳しいところだね,カカルドゥアって.でも,何で痩せてバッチくなったの? 言葉も変わっちゃったし.今の,何語?」

 「今のは,広島弁で’殴り倒してやる’,かな.えーと,俺,もともとオヤジの仕事の都合であっちこっち引っ越ししていたんで,言葉が色々混ざってるんだ.たまに,‘なまら’とか‘せからしか’とか出るし.アバターは,現実の体に近づけた方が動きやすいだろ?……現実世界でも今回のM&Aに悩みすぎてガリガリに痩せちまったから……」

 「ゲームの世界のことなのに,そんなに悩んだの? せめて,身ぎれいにすればいいのに.M&Mって,お菓子?」

 「いや,企業の合併と買収のこと……」

 「ふーん.これから,どうするの?」

 「そうだなー.とりあえず,なんか小商いでもしないと……職業‘商人’だし……でも,元手が無い……副職業サブジョブ錬金術師なのに,かねは作れないという……」

 「あんた,何言ってるの.キンとお金は違うでしょ」

 アドナイオスはグラスを磨きながら笑った.

 「株と先物取引の錬金術師と言われたこの俺が……」

 「そういうこと言ってるから,駄目なんだよ.ちゃんと物を作って,それを売ってお金をもらって働かないと」

 「主婦のくせに,なんてまともなことを……」

 「それは失礼だよ.他に仕事を持って働いてる主婦も,いっぱいいるよ!」

 「むむ……確かに.これは失礼! では,どうしたら良いんだろう?」

 「そうねぇ……みんなが欲しがるものを作って売るのがいいんじゃない? それで,元手もかからないもの.私,前から思ってたの.ポーションって,いつも瓶に入ってるでしょ? あれ,昔のテレビゲーム時代の名残だよね.それを混ぜてクッキーとかビスケットにしたらどうかなあ」

 「へ?」

 「ほら,落としたら割れたってたまにあるでしょ.それに,かさばるし.焼き菓子にしたら小さくなるし,分量が分けられるし,長持ちするよ.落として割れても食べられるし.ダンジョン攻略を考えてる冒険者の人たちに売れると思う」

 「おおっ? だが,小麦粉とかの材料はどうするんだ?」

 「私,だって魔法で出せるもん.ほら,ウィートボール!」

 シノノメの手に,ピンポン玉くらいの小麦の球が現れた.

 「おおおお!」

 「あと,お砂糖と牛乳も出せるかな.もちろん,卵やバニラエッセンスとかシナモンとか,買い足しも必要だけど,それは少しでしょ」

 「おおおおおおお! それやー! ワイは今,猛烈に復活のストーリーが頭に浮かんできたでー! それを東の主婦印でバンバン売るんや! 来た来た! ついでに主婦グッズも売って,ぼろもうけや!」

 ニャハールは席を立って踊り始めた.

 「こら,そういうところがダメなんだよ! まだあなたと一緒に商売するなんて言ってないよ」

 シノノメは叱った.

 「はっ! どうもすみませんでした! 調子に乗りすぎました!」

 ニャハールは突然礼儀正しくなって頭を下げた.

 「これだから,こいつはねえ……」

 アドナイオスがため息をついた.

 「シノノメちゃん,あまりこいつのペースに乗っちゃだめよ.ホントにいい加減なんだから.お金があるときはこの店で高価なお酒をバンバン赤の他人にまで振る舞ってたのよ」

 「ううっ……杜子春とししゅんみたいな俺……いや,もう真面目にやりますから.何とかこのニャハールを男にしてやってください,主婦様」


 ニャハールは土下座を始めた.

 そもそも,トッププレーヤーとなれば――もちろんゲームの世界の中ではあるが――大金持ちである.有力な出資者を見つけたニャハールはここぞとばかりに頭を下げた.ほとんど地面に額をこすりつけんばかりである.

 こうなると嫌とは言えないシノノメであった.


 「そうね……」


 シノノメは考えた.

 当分カカルドゥアにいて,手掛かりを探すためには,案内役が必要だ.

 拠点とする家や,人間関係,コネクションも必要になるかもしれない.

 ただ……


 「いいよ.いいけど,条件があるよ」

 「はっ! ありがとうございます,主婦様! 何でも聞きます!」

 調子のよいニャハールは,飛び上がって喜んだ.

 「まず,経営責任者は私がやります.あなたは危ないからダメ!」


 こう見えてもシノノメ――唯は,簿記と秘書検定,各種コンピュータ・プログラム,販売士などの資格を持っているのであった.


 「そうね,それがいいわ.間違いない」

 アドナイオスが頷く.

 「それと,そのバッチい毛並みを綺麗にしなさい.お風呂に入ること」

 「俺,今,自分の家が無い……」

 「私がお家を借りたら,貸してあげます.それと……」

 「ま,まだあるんでっか!?」

 ニャハールの髭がブルブルと震えた.


 「私の名前は主婦じゃないよ,シノノメだよ」


  ***


 落ちぶれたとはいえ,カカルドゥアの名士である.

 ニャハールは各方面にコネクションを持っていた.

 知り合いの不動産屋に口をきき,海に面したコテージを手配した.

 サンサーラの美しい入り江を見下ろす高台にある二階建てで,一階にはウェスティニアから休暇に来ている裕福な商人夫妻が住んでいた.

 天蓋付きベッドと午睡用ベッドまでついた高級住宅だが,シノノメは即金で一ヵ月分の賃貸料金を払って契約してしまった.彼女の財力なら,安いものである.


 「ひえー,さすがは主婦様……いや,シノノメ社長」


 ニャハールは高級リゾートホテルと見まがう部屋を見回した.

 広々とした部屋の天井ではシーリングファンが優雅に回転している.

 ミニバーに,キッチン.

 バスルームは二つもある.


 「焼き菓子を作るのはこっちのキッチンにオーブンレンジを出せばいいしね.ところで,ニャハール.お風呂に入りなさい.ごしごし洗うから.」


 シノノメの眼は炯炯と光っていた.

 シノノメは大のモフモフ好きである.捨て猫を拾ってきてお風呂に入れ,フワフワに仕立てるのは,ほとんど趣味であった.


 「いや,それ……一人で出来ますから……」

 「観念しなさい!」

 「いやーっ! やめてー! あーれー! おやめになってー!」


 男のプライドをかけて抵抗したニャハールであったが,北東戦争の救世主シノノメにはかなうはずもなかった.


 三十分後.

 「うう……何か大事なものを無くしてしまった気がする……」

 しおらしくさめざめと泣くニャハールを,シノノメはドライヤーで乾かしていた.念入りにブラッシングしている.

 「うーん,モフモフ.いい感じ!」

 ニャハールはツヤツヤ毛並のスリムな美猫に変えられていた.

 シノノメは手触りを楽しんだ.

 「うーん,モフモフ,モフモフ!」

 「きゃー! シノノメ社長,大概にしてー! セクハラ―!」

 

 だが,これは正しかった.

 人はまず外見で判断する.

 美猫となったニャハールは,その日のうちにカカルドゥアの各方面に新規の商売の手続きや仕入れに走ったが,いずれもあっさり上手くいったのである 

 かくして三日後には,小さな屋台ではあるがサンサーラの目抜き通りに見事開店してしまった.


  ***


 「いらっしゃいませー! 東の主婦,シノノメ印の,ポーションクッキーですよー! 今なら五個からお買い上げ可能です! 十個お買い上げの方には一個おまけがついてきます! 如何ですか?」

 いまや,‘毛並みの良いスマートな灰色の猫人’となったニャハールが声を張り上げて客を呼び込む.

 「結構毛だらけ猫灰だらけ,ポーションゼリーにドリンク,ジュース,飴もありまっせ! おっと,ありますよー!」


 ニャハールは一応錬金術師なので,パッケージや缶や瓶などは材料があれば作れるのだった.手作りだが見た目は立派な工業製品並みである.


 「いかがですかー」

 シノノメは店の奥でニャハールの見張り,もとい会計をしていた.


 二人の店は開店以来連日大繁盛であった.

 シノノメがあり余るポーションと小麦粉を練って,菓子に仕立てた商品が飛ぶように売れる.特に人気のカリカリしたクッキーには‘東’印の焼き印が押してあった.

 半ばシノノメ目当てではあるが,冒険者たちの押すな押すなの行列ができた.


 「美味しいし,持ち運びに便利.回復ポーションの革命ですね!」

 「今度,ダンジョン攻略に持っていきます」

 「主婦さん,握手してください!」

 「主婦さん、東南の砂の海に住んでる、砂鮫サンドシャークを攻略するにはどうしたら良いですか?」

 「中央平原のお化けウサギ(ウォルパーティンガー)攻略に、このお菓子を持って行ってもいいですか?」

 「えーと,砂鮫は真後ろが死角なのでそこを狙ってね.ウサギは数が勝負なので,数稼ぎのために持久戦に持ち込むときにはあった方がいいかな」

 購入者はシノノメからアドバイスが受けられる.店の人気はうなぎのぼり,評判が評判を呼んでいた.

 シノノメも道を歩いてむやみやたらに捕まることが無くなった.決まった場所・時間に必ずいるのが分かれば,ファン(?)はみんなこの場所に集まってくれる.

 

 「ははは! 笑いが止まりまへんなあ!」

 「こら,ニャハール,関西弁が出てるときは,要注意よ! あんまり調子に乗ってると,お風呂でしょげてる写真,公開しちゃうから!」

 「はい! スミマセン! シノノメ社長!」

 「うーん,それにしてもぼろ儲けだなあ.戦闘系のクエストが好きだけど,こういうのも面白いね」

 「これが,商売の醍醐味ですわ! おっと,ご用心御用心」

 ニャハールが口を抑えた.

 

 「おや,お嬢ちゃん,今日も来たんでっか? いや,いらっしゃったんですか? あ! ども! ナジーム商会のハメッドの旦那!」

 「あ,マユリちゃんとお父さん.こんにちは」

 

 ニャハールは肉球の手を揉み合わせながら,二人連れの客に挨拶した.

 開店してから一週間,毎日やって来る仲の良い親子である.娘は十五,六歳.父親は五十代だろうか.

 もちろんゲームの中なので,本当の年齢や人間関係は分からない.実は恋人同士や赤の他人なんてこともあり得るのだが,二人の様子から実際の親子であることが想像された.

 裕福な商人とその令嬢――お姫様といった出で立ちである.

 父親はターバンとゆったりした服を着け,口髭を蓄えている.指には精霊ジンの封じられた魔石の指輪をたくさんつけていた.

 マユリは林檎色の髪で,くるくると変わる表情が愛らしい.シノノメと同じようなお腹を出したセパレーツの服だった.高価な魔石・宝石を使った金細工の耳飾りと首飾りをつけているが,派手派手しくなく,良く似合っていた.

 

 「シノノメさん,こんにちは! シノノメさんのプリン,私大好きなんです! すっごく美味しいんだもの.きっと,マグナ・スフィアで一番!」

 マユリは元気よく答えた.父親は目を細めてそれを見ている.

 「あんた,冒険者じゃないのに,ポーション飲むのは不思議やなあ」

 「だって,元気が出る気がするんだもの!」

 「元気って,元気あり余ってるやないかい!」

 「こら,ニャハール! プレーヤーのみんなの好きなようにすればいいでしょ! ごめんね,マユリちゃん,こんな駄猫で」

 「駄猫は,いいなあ.はっはっは!」

 マユリの父親は口髭を触りながら,上機嫌で笑った.

 「良くないです,ハメッドの旦那.なんかいい商売の話があったら,是非御贔屓に!」

 「今はアメリアとの交易が一番だろうね.うちのギルドでは,今面白いものを取り扱っていてね」

 「何ですか?」

 しめしめ,と言う顔のニャハール.株式売買のネタを集めているのだ.一獲千金の発想から抜けられない駄猫であった.

 「アメリアの人とは,言葉が通じない.ニャハール君,何が必要と思うかね?」

 「……」

 ニャハールは首を傾げて考え始めた.

 

 「今日は何にしようかな,プリンは絶対.それと,クッキーと,シフォンケーキと,あ,コーヒーゼリーもある!」

 「それは新製品だよ.ミルクをたっぷりかけて食べるとおいしいよ」

 シノノメはマユリの相手をして,好きなお菓子を選ぶのを手伝っていた.マユリはいつも本当に食べきれるのか,というほど買って行ってくれる上客だ.といっても,父親が全部代金を支払うのだが.

 「うーん,迷うな……とりあえず,全種類ね!」

 「そんなに食べれるの?」

 「大丈夫です!」


 いつもアバターが身につけている服やアクセサリーが違っていた.これも,父親が買い与える物なのだろう.一見甘やかされているお嬢様なのだが,嫌味なところがないのでシノノメは好きだった.どことなく素明羅のコノハナサクヤ姫に似ている――とも思う.


 「シノノメさんは,凄く強いんでしょ? なのに,お料理も上手なんですね」

 「だって,主婦だもの」


 シノノメ――ゆいには,妹でなく,弟がいる.

 マユリを見ていると,子供の時の弟を思い出す. 

 最近会っていないけれど,今頃何をしているのだろう……そんなことをふと思った.

 もう会わなくなって一年近くになるかもしれない.結婚して家を建ててから,ちょくちょく泊りがけで遊びに来ていた.

 そういえば,しばらく電話でも話していないし,そうしようとも思わなかった.何故だろう.

 カカルドゥアに来てからゆっくり生活しているせいか,色々なこと――特に昔のことを考えるようになった気がする.


 「おお!」

 ニャハールが突然叫んだので,シノノメは突然現実に呼び戻された.

 「もしかして,あれでっか?」

 「あれ……というと?」

 ハメッドが腕組みしてニヤリと笑った.

 「つまり……翻訳アイテムですな!」

 ニャハールもニヤリと笑いを返した.

 「さあ,どうかな,ははは,ナジーム商会をどうか御贔屓に.さあ,マユリ,決まったかい? 今度は海辺のレストランに行こうか.バザールで買い物かな? それとも,家でゆっくりシノノメさんのお菓子を食べるかな?」

 「えーと,じゃあ,早くお菓子を食べたい!」

 マユリは目をキラキラさせて飛び跳ねた.

 「分かった.じゃあ,これがお代です.釣りは要りません」

 ハメッドは金貨がどっさりと入った皮袋をシノノメに渡した.

 「いけません! こんなに!」

 シノノメは中を見てお釣りを渡そうとしたが,ハメッドは手を上げてそれを固辞した.

 それでも渡そうとすると,ハメッドはアイテムボックスから毛足の長い高級な空飛ぶ絨毯を取り出し,娘と山の様なお菓子を乗せ,最後に自分が飛び乗った.

 「結構,結構! 礼を言うのは私どもの方です! シノノメさん,また明日来ますね!」

 「シノノメさん,ありがとう! また来ます!」

 二人はそう言い残すと,邸宅が立ち並ぶ海岸地域に向かって飛び去って行った.


 「まいどありー! またお越しー!」

 ニャハールは両手を振って見送った.

 

 こんな生活も楽しい,とシノノメは思った.

 だが,こうやっていつまでも楽しんでいるわけにはいかない……

 この国のどこかでも,サマエルが恐ろしい企みをしているに違いないのだ.

 そして,そこにきっと自分の記憶の手がかりがあるはず.

 店を経営しながらの一週間,シノノメは少しずつ情報を集めていた.

 アメリアとの通商開始により活気に沸くこの国の裏で,必ず何か蠢いている……

 そんなことを考えながら再び始まった客とニャハールのやり取りを観察していると,一人の女性が店先に訪れた.


 武装した冒険者ではない.質素なワンピースを着た二十代後半の女性だった.冒険クエストに参加しない民間人,それも特殊なスキルを持たないNPCである.おろおろとして落ち着きがなく,一見して不安そうである.

 

 「すみません」

 女性はニャハールに声をかけた.

 「はい,毎度.何個御入り用ですか?」

 「いえ……そうではありません.私,NPCなので……」

 「なら,ポーションクッキー食べてもあまり効き目はないですなあ.健康回復にはいいみたいですけど」

 「こちらに,東の主婦様がいらっしゃるとうかがいました.どうか,お話しさせて下さい……」

 「売込みなら,お断りでっせ」

 「違います.助けてほしいんです」


 女性の真剣な様子に,シノノメは自ら対応することにした.

 「ちょっと待って,ニャハール.シノノメは私です.どうかしましたか?」

 女性は恭しく頭を下げ,シノノメの手を取った.

 「私の名前は,ナディヤと申します.主婦様,どうかお助け下さい.子供たちが行方不明なんです」

 「あなたの子供さん?」

 「私の子供もそうですが……プレーヤーの方も,とにかく,たくさんです.何十人,何百人という数です.大領主マハラジャ様の所に行っても,聖堂騎士団に相談しても,取り合ってもらえませんでした.どうか,助けてください」 

 シノノメは屋台の裏に手招きし,事情を聴くことにした.

 「子供たちはおそらく,アメリアに連れて行かれています」

 「アメリアに? それなら……とても大きな犯罪組織ね」

 アメリアへは,飛行船で行くことができない.飛行船内の魔素がアメリアの制空権では働かなくなるからである.そんな大人数を誘拐するとなると,大きな外洋船を準備する必要がある.

 「ええ……実は,カカルドゥア大公も関わっているようなのです」

 「大公……王様まで?」


 どこかで聞いたような話だ.

 

 「なにか,手がかかりがあるの?」

 「……これです」

 女性は不思議な絵の描かれたカードを取り出した.

 「連れ去られた後にこれが落ちていました」

 上半身が獅子で,下半身は蛇の不気味な怪物が描かれている.

 「これは……?」

 「……造物主デミウルゴスと呼ばれています」


 デミウルゴス.


 ヤオダバールトが,自分はその一部にすぎないと言っていた‘モノ’.

 シノノメは,じっとそのカードを見つめた. 


  ***


 「お嬢様はとても楽しそうですね」

 「ああ,今日も楽しそうだった」

 ハメッドは目を細め,庭を走るマユリを見つめた.

 東屋のテーブルには,シノノメから買ったお菓子が山盛りで並んでいる.

 マユリは家に着いて早速プリンを平らげたので,空の器が二つあった.

 ハメッドの前に一人の女性が座り,話し相手をしながらマユリを見ていた.

 美しい女だった.ペルシア風の踊り子の服装で,顔の下から半分は半透明の赤紫のベールで覆われている.真珠の様につややかな肌を持ち,髪と瞳は濡れた様な潤いを持つ漆黒だ.


 ハメッドの家は,海岸近くのリゾート地に構えた白亜の豪邸である.

 宮殿シャトーといってもよい規模だった.

 庭にはカカルドゥアの海を模したプールがあり,中央には口から水を吐くマーライオンの置物が置いてある.

 ヤシの木や蘇鉄,溶樹ガジュマルで作庭されており,あちこちに石造りの動物が置いてあった.


 「おいおい! 気をつけなさい!」

 マユリが石の熊の上に飛び乗るのを見て,ハメッドは思わず席を立った.

 「大丈夫よ! お父さん!」

 手を振る娘を見て,ハメッドの顔はほころんだ.


 「本当に……素晴らしいな」

 いつしかハメッドの目尻には涙が浮かんでいる.


 「これが,第六世代VRMMOマシンの力ですね」

 「ああ,ありがとう.君の言う通りだった.ゲームなんて,と半信半疑だった自分が恥ずかしいくらいだよ」

 「世界中の子供たちに,この喜びを伝えたいですね」

 「その通りだ」

 「ですが,本質的な解決が必要です.現実世界だけでなく,この電脳世界でも計画を進めていかなければ」

 「うむ,それは是非君に任せるよ.プロジェクトを進めてくれ,片瀬く……失礼,ここではシェヘラザードさんだったな」

 「ありがとうございます」

 シェヘラザードはこぼれるような美しい笑みを浮かべた.

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