第14話 3-6 西留久宇土紛争の終結

 「誰が、魔女よ! 失礼ね! 主婦よりひどいよ! 私の名前は、シノノメだよ!」

 シノノメはいつもの台詞でぷりぷりと怒っている。


 「ほほほほほ、兵士を土の壁で閉じ込めて大量に殺戮する、それを魔女と呼んで何が悪いのかしら」

 シェヘラザードが高らかに笑いながら言った。

 周りのプレーヤーは同意しながらも、その言葉を発しているシェヘラザードにも戦慄していた。シェヘラザードの表情は、明らかに歓喜しているものだったからだ。確かにプレーヤーの死は本当の死でない。だが、NPCもいる。ここまで大量の人間が一度に殺される光景など、経験した者はほとんどいなかった。


 「失礼だよ! 殺してる筈なんてないでしょ! みんな、ちゃんと連れて帰って!」

 シノノメはますます怒ってふくれっ面になった。


 「は!?」

 「何だって!?」

 「何を言っているの?」

 意外すぎるシノノメの言葉に、ノルトランド残存軍全員の目が点になった。

 シェヘラザードですら、何を言っているのか理解できない様子である。

 

 「私がそんな火加減にするわけないでしょ!」

 シノノメはとんがり帽子のようになった土の円錐のてっぺんを軽く叩いた。

 それほど力を込めたようには見えないのに、土のドームは真っ二つにひび割れて行く。


 「ボナペティート(召し上がれ)!」

 シノノメが叫ぶとともに、土壁の天蓋部分は一気に崩れて消えた。

 天蓋が崩れ去るとともに、全身から湯気を出した馬が飛び出して来た。

 残ったのはわずかな――膝の高さほどの巨大な円形の土盛りである。

 もうもうとあたりに湯気が立ちこめる。

 湯気の中で、何かがもぞもぞと動いた。

 

 湯気が徐々に晴れると、そこにいたのは、‘土鍋’の中ですっかり蒸し上がったノルトランド軍だった。


 「暑い、暑い!」

 「暑かった……水をくれ」

 「とにかく暑い!」


 兵士たちは全員生きていた……シュウシュウと体から湯気を出して。

 どの兵士も甲冑は全て脱ぎ、武具は放り出し、風呂上がりのようにほとんど裸で、ふらふらしながら鍋の外に出てくる。


 「いやぁ、暑くって甲冑なんか着ていられないって」


 唖然として見つめる本隊の兵士たちの視線を受け、蒸し上がった兵士たちが恥ずかしそうに言い訳する。


 「でも、ちょっとサウナみたいで良かった」

 「ロウリュして貰いたかった」

 「これで水風呂があったら最高なんだが」

 「牛乳飲みたい」

 「俺、フルーツ牛乳」

 「俺、コーヒー牛乳」

 「体重減ったかな」


 兵士たちは心なしかさっぱりした表情をしている。

 ロウリュというのは熱したサウナストーンに水をかけて発生する蒸気を浴びることだ。

 北欧や東欧、ロシアに文化の近いノルトランドの兵士にとっては、土鍋蒸しは快適だったらしい。

 サウナの中では金属は高熱を帯びて火傷の原因になることがあるので、甲冑は慌てて脱いだようだが。


 カルカノスは土鍋の中央で蒸しあげられ、ぷりぷり艶々、真っ赤になっていた。

 甲殻類特有の熱を加えられたときの変化だった。急速冷凍から急速解凍された彼の顔は、なぜか安らかに見えた。


 「こ、これは!? 砂漠地帯で水なんてほとんどないのに……蒸し焼きだと?」

 本当は、この目の前の状況に呆気に取られて言葉がほとんど出せないのだが、ユグレヒトはかろうじて驚きの言葉を絞り出した。


 「タジン鍋と同じ原理よ! 素材の水分でおいしく蒸し上がるの!」

 主婦は開いた土鍋の上をくるくると旋回して飛びながら説明する。


 「はっはっはっはっ!」フレイドは爆笑した。「流石はシノノメ殿!恐れ入りました。我々の完敗ですね」


 「あ! この前迷宮であった騎士の人だ!」

 シノノメはフレイドの事を珍しく覚えていた。名前は完全に忘れていたものの。


 「でも、男の人と馬とエビ蟹の出汁だから、あまり美味しくないかも」

 シノノメが首をかしげる。


 シノノメの言葉に、ノルトランド兵士全員が笑っていた。

 いつの間にか、兵士たちの中にシノノメに手を振る者が現れた。

 素っ裸の男たちが、大笑いしながら体から湯気を出して空飛ぶ猫に歓声を送る。


 ちょっと間抜けで、それでいて平和な風景だった。



 土鍋を挟んでノルトランド軍の反対側では、グリシャムが相変わらず、いや、土鍋の蓋が開く前よりも呆然としていた。

 「そんな、馬鹿な……でも、こんな魔法も‘あり’なんですね」


 「グリシャム殿、これは一体、何がどうなっているんですか?」

 カゲトラ率いる素明羅スメラの部隊が息を切らせながら到着した。グリシャムの背後から声をかける。

 侍、忍者、琉球武士ルキオ・ブサー鏢師ひょうし、剣士、騎士、全ての戦士が玉の汗をかき、肩で息をしている。

 これでも彼らは決死の戦闘を覚悟してひた走って来たのだ。

 砂クジラがあっという間に掃除してしまった距離を移動するのは、どんなに急いでもシノノメの‘調理’が終了するまでに間に合わなかったのである。


  彼らはびっくりして辺りを見回した。

 「どうみてもどこかの温泉地の男湯だ」

 「真ん中にエビみたいな変なオブジェがある」

 「男祭りだな、これは」

 「ノルトランドって女性兵士あんまりいないんだ」


 「シノノメさんの、奇跡です」グリシャムが説明する。

 「……私たちはどうすれば?」

 「とりあえず、みんなと一緒に笑えばいいと思います!」

 戦士たちは顔を見合わせた。


 ラブに乗ったシノノメは、ゆっくりユグレヒトの前に着陸した。

 空飛び猫は再び小さくなってシノノメのエプロンのポケットに収まった。

 「それで、まだ戦争をする気がある?」

 ユグレヒトが現在のノルトランド軍全軍を掌握していることを、シノノメは一目で察したらしい。真っ直ぐに顔を見て言った。


 なるほど、あなたには力だけでなく、その直感的な洞察力があるのですね……ユグレヒトは密かに感心しながら答えた。「実は、あなたに勝つ方策が一つあります」


 「え! 何!?」

 シノノメは目を瞬かせた。


 「持久戦に持ち込むことです。事前にあなたの戦法を研究させてもらいました。 あなたは早い時間にログアウトしないといけないんでしょう?」

 「あ! ずるい! でも、今日は少し遅くても大丈夫なんだよ!」

 少し怒った表情も愛らしい。

 ノルトランド軍の戦士たちはすっかり毒気を抜かれていた。


 「ですが、私たちの誰も、もうあなたと戦いたいとは思えないでしょう。」ユグレヒトはにっこりと笑って言った。「ですので、あなた向けの有名なセリフを贈ってここを去ります」


 「『この馬鹿げた戦争を、終わらせましょう』そして、『戦争が終わったらまた伺いましょう。心変りは人の世の常と申しますから』」ユグレヒトは神官帽をとり、深々と挨拶して言った※。


 「あ、私それ大好き!」

 「やはりでしたか。それでは全員、撤退!」

 ユグレヒトは神官杖の先端から撤退の信号弾を打ち上げた。


 ノルトランド兵たちは脱いだ甲冑をぶら下げ、体の熱を冷ましながらぞろぞろと北へ引き上げていった。その光景はもはや兵士ではなく、温泉から上がったばかりの修学旅行生のようだった。

 どの顔にも、もう戦意はない。どの兵士も故郷へと帰る喜びと安堵に満ちていた。


 西留久宇土砦からも祝いの花火が上がる。

 魔法使い達が喜びとシノノメへの感謝を表しているのだ。

 遠くから砂漠の風に乗って歓声が聞こえる。

 ……あの例の変なシュッ! フー! コールらしい。


 月の沙漠に、光る砂を振り撒いたような満天の星と花火が輝く。

 シノノメはうっとりとそれを見上げながら、ゆっくりと手を振ってログアウトして行った。


 「いやー、良かった。良かった。戦争が無事済んで」

 にゃん丸は凝った肩を肉球で叩いてほぐす。

 「何を言うか、にゃん丸殿。その戦争が目的でお主はここに来たのだろう」

 

 カゲトラとにゃん丸は、敵の残して行った装備品の点検をしていた。

 使えるアイテムがあるかをチェックするのも目的だが、主には謎の術者の手掛かりを手に入れるためである。

 土鍋蒸しにされた男たちの汗臭い装備の中に手を入れるのは、剣道部の小手の中に手を入れるようなおぞましさであった。

 噴霧式の芳香剤が欲しいと思いながら、二人は調査を続けていた。


 「それを言われると弱いなあ。あれっ?」

 にゃん丸の手が止まった。

 「どうした? にゃん丸殿」

 カゲトラが覗きこむ。

 「これ、空っぽだ」

 にゃん丸が手にしていたのは、まさに目的の術者の甲冑だった。光輝の騎士と呼ばれていた、あの謎の人物の物である。

 青銀色の甲冑は、継ぎ目がなかった。

 まるで脱皮した蛇の抜け殻のように、人の形を残したまま打ち捨てられていたのである。


 「これ、どうやって脱いで逃げたんだ? 関節が外れないぞ」

 「そもそも継ぎ目がないな。どうやって着るんだ?」

 スライムのような不定形生物が入っていたのか、それとも初めから中空のままで動いていたのか。迷宮ダンジョンにいる、魔法で動く甲冑のような物だったのか。

 カゲトラとにゃん丸は首をかしげた。


         ***


 そのころ、西留久巣丹の平地を見下ろす高台には、戻って来た平和に湧く西留久宇土砦と、平和に撤退するノルトランド軍を見つめる人間プレーヤーがいた。


 「ふん、下らない。何がファンタジーだというの。……それにしてもカルカノスめ、我々デミウルゴスの理想を下らぬところでペラペラ喋るとは……実社会を知らない学者馬鹿というやつか。他に使い道を考えねばならないわね」


 形の良い口元が嫌悪感でゆがむ。鈴の音のような美しい声でありながら、その言葉は地獄の底から響いてくるような禍々しさで満ちていた。声の持ち主は月光に映える艶やかな漆黒の髪と真珠のように光輝く肌を持っていた。

 ノルトランド軍から一人離れた、シェヘラザードである。


 「東の主婦、シノノメ。我らと相反する理想を持つ者。我々の’物語’に現れた異物。計画遂行の障害は……排除せねば」


 月に照らされる仮想世界を氷のような視線で見下ろしながらシェヘラザードは呟くと、いずこかに去っていった。。


 そして、シェヘラザードの背後では、もう一人の人物がその様子を窺っていた。

 その男は、岩陰に身を隠し、シェヘラザードにも誰にも見つからないように息を潜めていた。

 呼吸のリズムに似た低い電子音が響く。

 黒い金属の体と顔、青白く光る機械の目を持つ、言葉を喋れないアメリアの機械人間だ。


 ――黒騎士だった。


***


※ 引用提示;映画「ハウルの動く城」より.

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