第13話 3-5 主婦の土魔法

 「マルミット!」


 シノノメが叫ぶと、両手をついた場所から、左右に土が盛り上がり始めた。

 まるで、地面の中に超高速で走るモグラがいるようだ。

 土手状の土盛りが凄まじい勢いで緩いカーブを描きながら敵軍を囲み始める。

 土盛りはグリシャムが密かに配置したゴーレムを点状に結び、ついに敵軍を囲む巨大な円を作り上げた。

 ゴーレムの頭にひょろりと一本植えつけられた亜麻色の髪の毛が光る。シノノメの髪の毛であった。土盛りは完全な円を形成すると、今度は上へ上へと高さを伸ばし始めた。

 

 「うわっ! こ、これは何だ!?」


 最前列の兵士がやっと異常に気付いたが、進撃の始まった大勢の軍隊は急に止まれない。

 慌てて槍を突き出したが、土盛りは槍の一撃などびくともせず、あっという間に土塀となり、兵士たちの背の高さをはるかに超えた巨大な壁となり始めた。


 「退路を断たれたぞ!」

 「うわっ! 横も前も、後ろもか!」

 「助けてくれ!」

 あちこちで兵士の悲鳴が聞こえる。完全に閉じ込められてしまったのだ。兵士たちを閉じ込めてもなお土壁は高さを増していく。

 光輝の騎士達に助けを求める声も聞こえるが、シノノメの魔法は止まらない。


 「い、いつの間にこんな大規模な魔法の準備をしたんだ!」

 作戦本部にいたユグレヒトも異常に気付いた。

 本陣の前に突然そそり立つ壁が現れ、攻撃部隊と完全に分離されてしまったのだ。

 将軍エーギルも、シェヘラザードも目の前の光景に呆然としている。


 全てはもう遅い。解除呪文が間に合う段階ではない。

 土壁はさらに高さを増し、やがて巨大な天蓋を作り始めた。天蓋はすぼまり、やや円錐状のドームを形成していく。


 小さな土色のゴーレムが砂漠をこっそり移動しても、砂クジラに圧倒されていた敵軍は何も気づかなかったのだ。ゴーレムにはシノノメの分身とも言うべき、髪の毛が植えつけてあった。

 シノノメの魔法を受け取って力を発揮するための予備魔法――シノノメ言うところの‘下ごしらえ’がしてあったのである。


 土壁、いや今や完成した土の巨大なドームは攻撃軍を完全に封じ込めていた。

 さっきまで聞こえていた兵士たちの声はもうほとんど聞こえない。

 土壁を内側から叩く音と、助けを求める声が低いくぐもった音となって伝わってくるのみである。

 ドームはあまりにも巨大で、両側の岩壁ほぼいっぱいに広がっていた。

 そのため、本隊は迂回することもできない。シノノメ達も西留久宇土砦も、ユグレヒト達からは完全に見えなくなった。


 「これは、閉じ込めて、ち、窒息させる気か?」

 エーギルが呻く。

 本隊を守る両翼の騎士、兵士たちも言葉が出ない。


 「東の主婦、噂とは違い残酷な女のようね」

 何故か、シェヘラザードの美しく紅い口元に笑みが浮かぶ。

 「私と気が合いそうだわ」



 「これは……」

 同じころ、そびえたつ土壁の反対側でグリシャムは呆気にとられていた。

 自分の前に唐突に巨大な土の構造物が出来てしまったのである。これだけ巨大な造形魔法は使ったことがない。

 その上、土のドームが完成する直前に、シノノメは「ついでに」と言わんばかりに、空飛び猫に命じて氷漬けのカルカノスまで中に放りこんでしまった。


 「グリシャムちゃんが協力してくれたおかげだよ」と、シノノメは笑うが、自分の協力がどの程度のものなのかは重々承知している。


 「でも……これでどうするんですか?まさか、ずっと閉じ込めておいて窒息させるとか、餓死させるとか?」


 「そんなひどいことしないよ! グリルオン!」


 ボン!


 ドームの周囲に、一斉に青い火が熾った。

 小さな炎の列だ。シノノメは満面の笑みを浮かべている。


 「うわぁ! シノノメさん! これって!」

 可愛い顔をして、なんてひどい事をするのだ。言っていることとやっていることが完全に裏腹だ。


 よく耳を澄ませば声が聞こえる気がする。

 「助けてー」とか「出せー」とか、何とかかんとか。

 しかし、エルフの敏感な聴覚をもってしても聞き取れるのはその程度である。土のドームの密閉性、恐るべしだ。

 グリシャムはドームの中で起こっている地獄絵図を想像して青ざめた。

 

 「うわっ!」

 同じように、ドームの反対側でも驚きの声が溢れていた。

 土のドームの周辺に円形に現れた青い焔の列。

 すでに日が沈み、ゆっくり月が昇り始めている。

 青い焔は夜の野辺送りをするための葬列の灯りにも似ていた。

 いわば、鬼火である。

 決して大きな炎ではないが、伝わってくる熱と不気味な光に、恐怖したノルトランドの残存部隊は思わずたじろぎ、後退し始めた。


 「恐ろしい!」

 「奴は悪魔だ!」

 「魔女だ!」

 「容赦なく焼き殺す気だ!」

 「助けてくれ! 俺は死にたくない!」


 兵士の間に恐怖が伝染していく。ついに戦列を勝手に離れる逃亡兵が出始めた。

 騎士として従軍しているプレーヤーや、エーギルの近衛兵であるNPC達は流石に敵前逃亡することはなかったが、動揺していることには違いない。


 ノルトランド軍は完全に瓦解しつつあった。


 「おのれー! 主婦めぇ! 奴は、魔女かぁ! 誰か、あの土壁を打ち破れる者はおらんのかぁ!」

 乱心したエーギルが口角に泡を飛ばして絶叫し、辺りの兵士に当たり散らす。

 

 兵士たちは顔を見合わせる。土壁だけならばまだしも、青い炎を避けて突き崩すなど不可能だ。


 エーギルは、もうすでに、まともな精神状態ではない。

 誰の目にも明らかだった。

 いや、この進軍が始まった時からどれだけ正気を保っていたのかは分からないが……

 シェヘラザードは美しい眉をひそめ、エーギルの傍から、すっと身を遠ざけた。

 

 「俺が斬ってみましょう」

 エーギルの脇に控えていたフレイドが前に進み出た。エーギルの命令に従うというよりも、自分の力量スキルを知るためだった。

凶狼咆哮剣フェンリルハウンド!」

 閃光を帯びた大剣を握り、大上段から全力で土壁を斬りつけ、炎の中を走り抜けた。

 流石のスピードである。火が体にまとわりつく隙も与えていない。


 この斬撃で土壁にはかろうじて傷がついたものの、すぐに再生してしまった。


 「むう、流石だな」

 それでも、刃こぼれしなくなっただけ俺のスキルが上がっているのか。フレイドは土壁を睨みながら思った。


 「おのれぇ! どけどけ! 儂がやってみせるわ!」

 エーギルの目はすっかり狂気に支配されていた。押しとどめようとする近衛兵を振り払うと剣を抜き放ち、火の中に飛び込んで力任せに土壁に斬りつけた。

 剣技というよりも、ただただ剣を何度も叩きつけているだけだ。

 スピードもフォームも何もない。みるみる炎がズボンに引火するが、エーギルはそれにも構わず滅茶苦茶に剣を振りまわし続けている。

 ついに、鈍い金属の音がして、剣が折れた。

 「ぎゃああああ!」

 ようやく自分の体が燃えていることに気づいたらしい。

 失神したエーギルは大火傷を負って兵士たちに救出された。


 混乱の極み。

 これを見たユグレヒトは、事態収拾に動くことに決めた。

 「集団として軍事作戦を行う能力は、もうほとんど残っていません。作戦参謀として、撤退を進言します!」

 副官とプレーヤーの騎士たちが頷く。

 ノルトランド内の地位、プレーヤーとしての経験年数、レベル、どれをとっても彼を上回る者はいない。

 「もう作戦能力はない。十分だ。撤退。よろしいな、シェヘラザード殿!」

 ユグレヒトはシェヘラザードを睨みつけた。


 「よろしくてよ。作戦参謀様」

 シェヘラザードは半透明のベールの下で、ぬらぬらと濡れた唇をちろりと舐めた。


 「全軍撤退! ノルトランド国境、ベルクシュバイツまで兵を下げる。各位はそれぞれ部下を取りまとめ、移動の準備をせよ!」

 「了解しました!」

 伝令が部隊を走る。

 「撤収!」

 「撤収!」

 指示が両翼の部隊に伝わっていく。兵士たちは皆怯えきっていたので、撤退命令に安堵する様子が見て取れた。


 「ユグレヒト殿、ドームの中に閉じ込められた兵士たちは、いかが致しましょうか?」

 参謀副官が質問した。

 「捨て置くしかない。後日救援部隊を送ることとする。ここは迅速をもって残存部隊の温存を図るべきだ」

 ユグレヒトは歯噛みしながら言った。

 「……分かりました。しかし……」

  ……もう助かることはないだろう。


 その言葉を飲み込み、副官はうなだれた。確かに、高熱を放つ土のドームを見る限り、助かるとはとても思えなかった。


 「ちょっと待ったぁ!!」

 その時、澄んだ明るい声が響いた。

 それとともに、一斉に灯っていた青い炎が消える。

 突然暗闇になったため、一同は一瞬目が見えなくなった。


 空の上から羽ばたく翼の音がする。

 目で翼の音を追うが、黒いシルエットになっていて見えない。

 徐々に目が月明かりに慣れ、声の主をとらえた。


 銀色の空飛ぶ猫に乗った少女である。

 亜麻色の髪が砂漠の夜風になびき、月の光を浴びてキラキラと輝いている。


 「し……シノノメ殿!」ユグレヒトが呟く。


 「あれが東の主婦か!」

 「あの少女が主婦!」

 「主婦……」 

 「……魔女!」

 兵士たちがシノノメを見上げて声にならない声を上げた。

 先程までの恐怖の体験をもってしても、シノノメが空を飛ぶ姿に見とれてしまう。

 それほどに、それは幻想的で美しかった。

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