第12話 3-4 土魔法、発動

 急速冷凍され氷像となったカルカノスを前に、ノルトランド正規軍は大きく動揺していた。

 無敵の強さを誇っていた魔獣も、圧倒的な数で自分たちの盾となっていた亜人軍団も瞬く間にいなくなった。

 それも、自分達よりはるかに頼りなげな武器――包丁を一本持った、たった一人の少女によって、である。

 いまだ、千名以上の兵士がいる。

 しかし、彼らはもともと今回の特殊な編成の陰に隠れてきた軍隊である。自分たちは安全な場所にあって、最前線の戦闘は亜人と魔獣に行わせれば良いという立場であった。

 そこには、根本的な士気の問題があった。


 「ふふん、どう思う? ユグレヒト」

 中央部隊のやや後方、軍隊の参謀本部で竜騎士補フレイドはメッセンジャーを立ち上げ、盟友と密かに会話していた。


 ユグレヒトはノルトランドの国教、トゥアサー・デ・ダナンの神官であるが、ノルトランドにおける神官とは軍事参謀の役割も持っている。

 実際に現実世界リアルの彼自身も戦史・軍略の研究が趣味で、ローマのユリウス・カエサル(シーザー)や、フランスが誇る天才参謀ベルトラン・デュ・ゲクランのファンを自認している。


 「見事としか言う他ないよ。流石は東の主婦。あれだけの召喚獣を持っているとはね。砂クジラはほとんど伝説級の魔獣だ。だが、あの人らしいな」

 ユグレヒトはラージャ・マハール迷宮で一度会ったシノノメの姿を思い出した。

 素晴らしい剣技の冴えと、絶大なる魔法の威力を兼ね備えながら、あくまでその戦い方は華麗で優しい。敵対している今でも魅了されてしまう――もっとも、剣技ではなく包丁さばきと言った方がいいのかもしれないが。

 残念ながらメッセンジャーの友達申請の返事はまだ帰ってこない。


 「お前は今回作戦本部の人間だろう? 全軍突撃で主婦さん、おっと、シノノメさんの包囲戦を行うのか? 情けない。俺は嫌だぜ。」

 フレイドは今回の進軍に参加するように命じられ――ゲーム上はクエスト参加の意思を問われたということであるが――、武勲を上げるためにやって来た。

 ノルトランドの最高位、竜騎士ドラグーンに少しでも近づくためである。現国王であるベルトランもかつては竜騎士だった。


 ところが、やって来てみれば仕事は亜人デミ・ヒューマンどものお供である。

 亜人の後始末の掃討戦をするわけでなく、攻城戦に入るわけでもない。

 せっかく果敢に接近してきた敵の武将は妙な術で動きを止められ、レベルの低いプレーヤーの餌食になっていくのを遠目で眺めるばかりなのだ。


 「シノノメさんと一対一で決闘するっていうんなら、もちろん全力で戦いたいよ。だけど、これじゃ乱戦のモブキャラだ」

 フレイドはため息をついた。これでは折角この戦闘に参加した意味がない。

 「大体、この作戦はどこまで本気なんだ?攻城塔の準備もないし、投石機を使ったのは初めだけだ。投石機用の岩も準備してない」


 「……本気は、まるでないな」ユグレヒトは即答した。

 「というと?」

 「これは、実験だよ。おそらく」

 「実験?」

 あの得体のしれない魔術――いや、もっと何か本質的にマグナ・スフィアのシステムに働きかける何かだ――の実験に違いない。

 ユグレヒトは隣で将机に腰掛けている将軍、エーギルを横目で睨んだ。


 燃えるように赤い髪に、同じ色のあご髭を蓄え、筋肉質のたくましい体に碧銀色の甲冑をつけている。得意の獲物は戦槌である。

 NPCのキャラクターであるが、目の焦点がおかしい。軍隊が出陣する前からどこか上の空だ。


 それよりも気になるのは、その隣に立っている妖艶な美女である。ペルシャ風の衣装に身を包み、シェヘラザードと名乗るその女は、今回の作戦に相談役のような立場で参加している。

 年のころは二十代の半ばか。漆黒の髪に真珠のような白い肌を持つ、美しい女だ。ステイタスの職業ジョブは吟遊詩人・踊り子。レベルは40。

 とりわけ何か特別な技能スキルを持っているようには見えない。しかし、切れ長の瞳の奥に凶器を忍ばせているような危険を感じる。


 「シェヘラザード……千夜一夜物語アラビアンナイトの語り手か」

 ユグレヒトはあえて声に出して言った。


 「どうかなさいましたか? 神官――いえ、軍事参謀どの」

 シェヘラザードがうるんだ瞳をこちらに向けながら紅い唇を開く。彼女の顔の下半分は半透明のベールで隠されている。


 「この後、どうするのだ? 全軍に総攻撃を命じるのか?あの、たった二人のプレーヤーに総掛かりで?」

 ユグレヒトは神官杖の先で、シノノメとグリシャムを指した。グリシャムが今回砦の中にいたのは作戦前のメッセンジャーで確認済みだ。碧剣歯虎団ブルーセイバーキャッツを解散してからもたまに連絡を取っている。


 「私の立場からあれこれ作戦の指示を出せるものではありません。全て、将たるエーギル殿が決断されることです」


 虚ろな目でエーギルはユグレヒトを見つめ、頷いた。


 心にもない事を……ユグレヒトは歯噛みした。どう見ても、どうやってか知らないがエーギルはこの女の意のままに操られている。


 「まだ、術者の技を封じ込める四人の騎士がおります。あの者たちがいる限り東の主婦といえども無力でありましょう」


 エーギルはシェヘラザードの言葉通り、頷く。


 「そんなに上手くいくかな。東の主婦、シノノメ殿は容易く我々の想像を超えることを成し遂げるぞ」

 「主君の憂いを除くのは臣下の役目かと存じますが?ユグレヒト殿はなにもなさらないのですか?」シェヘラザードは小さく笑った。


 「あたら勇敢な戦士たちを犠牲にはできないと言っているのだ」

 そんな挑発には乗らない。ユグレヒトは侮辱するかのようなシェヘラザードの薄笑いに耐えた。


 「では、殿、ご自分でお命じになってはいかがでしょうか?」

 シェヘラザードがそう言うと、エーギルは将机を蹴り飛ばして立ち上がった。


 「第一から第六部隊は、前へ! 光輝ゾハルの騎士を囲み、進軍せよ! 奴らを殺せ!」

 エーギルの命令に呼応して、鬨の声が上がる。


 参謀本部・本陣とその両翼を除く全部隊が進撃を開始した。

 甲冑が盛大に音を立て、歩兵の足踏みが始まる。最前列から十列目までは巨大な槍を構えた部隊だ。槍衾やりぶすまという表現がふさわしい。

 彼らに守られ、光輝ゾハルの騎士と呼ばれる騎士たちも進む。

 相変わらず手には長柄の鉾――正確には、聖職者の法具のようなもの――を持っている。光輝の騎士たちは例によって兜で顔が完全に隠されているため、表情が読めない。体の動きにも全く変化がないため、何の感情も持ち合わせていないように見えた。

 友軍の兵士にすらも彼らの存在は畏怖の存在として見られているようであった。




 「やや、まだやる気だ!」

 カルカノスを急速冷凍したシノノメは、自分に向かって進んでくる軍隊の様子を見て、ため息をついた。

 「もう諦めたらいいのに!」


 「でも、数の原理からすると、向こうの方が遥かに有利ですから」

 グリシャムは若木の杖を握りしめた。二対千の戦いなど、もちろん今まで経験したことはない。

 ダンジョンのクエストで数ばかり多い魔獣を相手にするとしても、せいぜい数百で、しかも一度に一人で相手にするわけではない。

 確かにシノノメの魔法や剣は圧倒的だ。なにせ、先程は驚いた。

 砂漠の真ん中で、無詠唱で氷の魔術を使って見せたのである。

 しかも、あのスピード。

 ’急速冷凍’とはまさにあのことだ。

 だが、これは話が違う。

 ゲームと分かっていても、たった二人の自分たちに軍隊が押し寄せてくるこの状況は異常だ。


 「グリシャム殿!」

 グリシャムのメッセンジャーが立ちあがる。カゲトラからだ。


 「今から何とかそちらに助勢を向かわせます。ただ、城門からその場所に至るまでには距離がありすぎます。騎獣と騎馬、拙者も必要とあらば虎に変化へんげして向かいますが、何分かでも時間を稼ぐことができますか?」


 カゲトラ達砦の守備部隊も固唾を飲んで二人の様子を見ているに違いない。


 「シノノメさん! カゲトラさんが助けを送ってくれるって言ってます。何分か時間を稼げますか?」


 シノノメはじっと自分の方に向かって来る軍隊を見つめていた。


 「ううん! 何分もかかるんなら、料理を開始しちゃおう! 私も早く帰らなくっちゃ!」

 シノノメは空を指差した。


 いつしか太陽は沈み、茜色の空がうす紫に染まり始めている。

 宵の明星が明々と輝き、辺りは夕闇に沈み始めていた。


 「そんなぁ! 状況がわかってるんですかぁ!」

 ゲームの中の死は本当の死ではない。グリシャムも分かってはいる。今までもスライムに窒息させられたり、毒蠍に刺されて死んだことはあったけれど、槍に突き刺されまくって死ぬなんて、まるで中世の魔女狩りだ。


 「分かってるよ! グリシャムちゃん、魔法探知! 今ゴーレムたちはどこ?」

 「えっ! いや、今、もうノルトランド軍の四隅にいると思います、いや、いますぅ!」

 進軍する兵士たちの軍靴の音に体を震わせながら、グリシャムは必死で声を絞り出した。


 「雨で地面も少し濡れてるし、出汁用の冷凍エビもいる!」

 「何のことかさっぱり分かりません~!」

 グリシャムはもう半泣きである。

 「行くよ! 久しぶりの、主婦の土魔法!」


 シノノメは膝をつき、両手で地面を叩き、叫んだ。


 「マルミット!」

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