第三章 殲滅の主婦

第9話 3-1 シノノメの召還獣

 「準備はいいか、二人とも!」

 カゲトラは後方のグリシャムとシノノメに声をかけた。


 「いーよ!」

 「いいと、思います!」

 二人は答えた。

 グリシャムの肩掛け鞄が大きく膨らんでいる。アイテムを準備して、すぐに取り出せる状態にしているのだ。


 シノノメはというと、手に長い竹箒を持っていた。

 シノノメの九百九十?のアイテムの一つ、召喚の箒である。

 本職の召喚師でないシノノメのこの魔法には、一つ欠点があった。

 遠隔召還ができないのである。

 つまり、魔方陣上に直接魔獣が召喚され、離れた場所に召喚を誘導することができない。

 シノノメ自身の言によると、それだけではなく、魔獣を操る事が出来る距離や大きさの問題からも、どうしても砦を出たところで発動させなければならないという。

 シノノメが何を考えているのか――説明されても十分理解できないカゲトラ達だったが、一縷の望みをこの作戦に託さざるを得ない状況だ。


 そうなると、ゴブリンやオーク、押し寄せる亜人の軍団を門の前から後退させ、シノノメが術を発動させる時間を稼がなければならない。

 カゲトラは砦の生き残りを三つに分けた。

 砦を守る部隊、門から軍勢の中に突入する部隊、そして、突入部隊が出発した直後に門を守る部隊である。

 門を開けた瞬間に、断じて亜人を砦の中に入れるわけにはいかない。

 砦の中には民間人や非戦闘系のプレーヤーも多くいる。


 かき集められた侍、鏢師ひょうし琉球武士ルキオ・ブサー、剣士、騎士、忍者、クシャトリヤなど、種族も様々な戦士たちが自分の武器を手に門の外を睨んでいる。


 門の両脇には、開いた門を守るための長距離攻撃に長けた弓矢使い、そして魔法や式神を使える陰陽師たち魔法職達、そしていざという時に門を急いで閉じるため、力の強い獣人の種族やドワーフたちも並んでいた。


 「それでは行くぞ! 開門」

 ワ―タイガーのカゲトラが、文字通り吠えた。


 城門の上から矢が一斉掃射される。門の前の亜人を少しでも減らすためだ。


 開けるのは人ひとり分の大きさ。魔法石でできた堅牢な城門がわずかに隙間を作った。

 途端に一人のオークが体を隙間からねじ込もうと入ってくる。


 「ちゅえええぃ!」

 高い掛け声とともに、琉球武士がオークを一刀のもとに斬り倒した。琉球武士は体術‘ティ’と薩摩示現流剣術を使える特殊な戦士だ。


 「行け! 続け!」

 カゲトラの指示で、次々と戦士たちが門の外に斬り込んでいく。

 個々の戦士たちの能力からすれば、亜人たちは問題のない敵であった。


 カランビットナイフとクリスナイフを操るクシャトリヤ。

 中国武器術を得意とする鏢師は、縄鏢でオークの動きを止めたかと思うと、2本の青竜刀で撫で切りにする。 

 大刀を抜き放ち、白刃を四方に振るう侍たち。

 騎士は盾でゴブリンを殴りつけ、大剣で止めを刺す。

 忍者であるにゃん丸も、棒手裏剣を乱れ打ちして忍者刀を斜に構えている。


 たちまち門の前に半円形の防御陣が出来上がった。

 最後にシノノメとグリシャムが走り出た。

 「じゃあ、行くよ! 召喚できたら皆はすぐに門の中に逃げてね!」


 「おうっ!」

 「分かった!」

 「了解だ!」

 戦士たち一同が必死の戦闘の中で応える。


 シノノメは、竹箒で地面に絵を描き始めた。

 ほとんど落書きタイム。激戦のさなか、ここだけ違う時間が流れているようだ。


 「こっ!これは!?」

 グリシャムが驚く。これは……

 「金魚?」

 2本のむなびれに、先が二つに分かれた尻尾。

 にっこり笑った顔が付いている。


 「違うよ、クジラだよ!」

 シノノメは頭上に2本の曲線を描き足し、全体を丸で囲んだ。

 落書きのような絵の線が、青白く光り始める。

 「出でよ、タンゴ!」

 竹箒をひっくり返し、柄で魔方陣――グリシャムにはほぼ落書きにしか見えない――の中央に突き刺した。


 ドン。


 地響きが始まる。

 魔方陣の外縁から光があふれ、空に向かって伸びる。天を突く巨大な青い光の柱が出現した。


 ボエー……

 ボエー……

 大型船の霧笛に似た音が山々にこだまする。

 シノノメの箒の柄を中心に光る青い波紋が発生し、どんどん広がっていく。

 まるで地面が水面に変わったようだ。


 「うわっ!」

 「地震だ!」

 「地面が……何だ?」

 「火山の噴火か?」

 「いや、馬鹿な! この砂漠地帯には死火山すらない……」

 戦士たちの足元が急激に盛り上がり始めた。西留久巣丹シルクスタンのきめの細かい土砂を押しのけ、地下から何かが浮き上がってくる。

 とてつもなく大きい。

 ズズズズ……という重低音の振動が腹に響く。

 まさに造山運動、丘が突然現れたようだ。それこそ、火山活動を彷彿させる。

 さらに、大地が割れる。

 現れたそれは丘のように丸く、どんどん高さを増していく。

 表面は白くてすべすべしているので、体の小さなゴブリンたちは転がり落ちていくが、戦士たちはかろうじてバランスを保っていた。


 「来たぁ! ……みんな! ありがとう! 急いで砦の中に逃げて!」

 シノノメが丘の頂上から叫ぶ。

 どんどん高くなる丘はもうすでに山に近い。山の頂上から転がり落ちそうになったので、グリシャムは必死でシノノメにしがみついた。


 「分かった! 頼むよ! シノノメさん!」

 にゃん丸がシノノメに手を振りながら、忍者の体技で丘から城壁の上に飛び移った。


 「主婦殿! 御武運を!」

 戦士たちは急激にできた‘白い山’をあわてて駆け下り、門の隙間に飛び込んだ。

 門の裏側で待機していた力自慢の予備軍は、間髪入れず門を再び固く閉ざした。


 「よっし! 行け!」

 門が閉まったのを確認したシノノメは、その‘山’に命令した。


 「ボーエー!!!!!」

 霧笛のような声を出し、その巨大な山は鳴いた。

 全長五十メートルの巨体に、丸い頭とつぶらな瞳、そして何より洞穴にも匹敵する巨大な口を持っている。

 これこそシノノメが呼び出した召喚獣――砂クジラであった。


 目の前に突然出現した白い山に、ゴブリンとオークの動きが止まった。

 本能的な恐怖が、術者の操術による影響力マインドコントロールを超えたのだった。


 砂クジラの大声で耳が聞こえなくなってしまうのを避けるために耳を押さえながら、シノノメは丸いなだらかな頭の上、山の頂上に立っていた。

 グリシャムは腰を抜かしてへたり込んでいる。もちろん彼女は砂クジラの実物を見るのは初めてであった。


 「素明羅の西にある小国、宝亀ホウキ砂海さかいって知ってる?」

 「は、はい……聞いたことはありますけど……」

 「あそこのクエストに挑戦して手に入れられる召喚獣、砂クジラだよ。名前はタンゴ」

 「ボエー!」

 砂クジラはシノノメの言葉に応えるように鳴く。小さめに鳴いているらしいが、それでも体が振動でブルブルと震える。


 「タンゴ、お掃除開始!」

 シノノメは命令した。

 「ボーエー!!!!!!」

 砂クジラはその巨大な口を開け、土砂を押しのけながら泳ぎ始めた。


 「ニゲロ!」

 「ギャー!」

 「プギー!!」

 「コンナノ、キイテネエ!」


 完全にパニックになった亜人たちが、隊列を捨て、散り散りになって逃げまどう。

 白鯨は土砂と一緒にどんどん亜人デミ・ヒューマンの群れを飲み込んでいく。

 ゴブリンもオークもお構いなしだ。

 こうなると、二つの断崖に挟まれた西留久巣丹の平地は全く逃げ場がない。

 オークより体の小さいゴブリン達は、何とか崖のくぼみに体をねじ込んでクジラの口から逃れようとした。

 だが、砂クジラはくるくると丸い頭を左右に旋回させながら強力な吸引力で吸い取ってしまう。

 黒く染まっていた地面が、見る見る間にきれいさっぱり黄土色の地面に戻っていく。


 「あー、すっきりする。お掃除って気持ちいいよね」

 シノノメは上機嫌で吸い込まれゆくゴブリンの群れを眺めていた。

 いつの間にかエプロンのポケットから出てきた空飛び猫のラブが、大きくなってちょこんとクジラの頭の上に座っている。まるで自分の定位置とでも言うように。


 「こ……これは……まるでお掃除ロボット?」

 くるくると回転しゴミのように敵を吸い込んでいく出鱈目なその姿は、まさに便利家電だった。

 グリシャムは目を丸くした。


 「あ、そろそろかな」

 「どうしたんですか?」

 「お腹がいっぱいになったの。そこの後ろのところ、気をつけて」


 ポコンと音がして、グリシャムの後ろにマンホールほどの穴が開いた。


 「ボエー!!!!!!」


 クジラは声とともに盛大に穴から何かを噴出した。

 噴気孔、つまりクジラの鼻の穴から噴出したのは、きらきら光る色とりどりの魔石と金貨だった。

 吸い込まれたゴブリン達がクジラの体内で変換されたのである。

 赤や青、緑色の輝石が、空高く吹き上げられる。

 数万の宝石の噴水だ。

 茜色に染まり始めた空から、吹き上げられた無数の光輝く結晶が再び落ちてくる。

 それはシノノメとグリシャムの体を雨粒のように叩いた。


 「手も汚れないし、綺麗でしょ!」

 シノノメはにっこりと笑った。

 夕焼けを受けて薄紅色に輝く白い丘の上に佇み、光の雨の中でほほ笑む美少女。

 グリシャムは、しばらく見とれた。

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