第7話 2-4 シノノメの参戦

 空飛び猫はぐんぐんスピードを上げ、鳥を追い越し、雲を越えて飛んでいく。

 モフモフの毛の中に顔を埋め、シノノメは急いだ。


 「下ごしらえは終わっているけど、夕飯の支度に間に合わなくなっちゃう! 急がなくっちゃ!」


 「ラブ、頑張れ!」

 「にゃあ!」

 ラブはスピードを上げる。襟もとについたフードが風を受け、バサバサと音を立てた。


 やがて雲間から、西方山脈が見え始めた。

 中央のひときわ高い山が剣峰つるぎみねで、周りに並んでいるのがノコギリ山脈である。

 麓付近に西留久宇土シルクウト砦があるはずだ。


 徐々に高度を落とし始めた。

 地上がゆっくりと近づいてくる。


 「うわ……」

 実際に見ると、念波放送テレビで見た様子を遥かに超える。

 所々黒煙を上げながら、黒い蟻のようなものがウヨウヨと地面に満ち、一つの方向に進んでいく。集団全体が何か意志を持った黒いアメーバの様だった。

 先頭はゴブリンとオークの群れである。時々火槍が暴発して爆音が上がり、何体かの亜人が吹き飛ばされていたが、彼らは全く意に介さずに前に進んでいく。


 その少し後ろに光る銀色の集団が見えた。ノルトランドの傭兵集団と、正規軍がついてきているのだろう。二つの断崖に挟まれた西方山脈回廊の平地は、ノルトランド軍で満ちていた。


 その先をふさぐように聳えているのが西留久宇土シルクウト砦だ。回廊の先端は天然の峡谷となっており、関所として建設された要塞である。平時は盛んに商人たちが出入りしている門は、今は固く閉ざされていた。蟻がたかるようにゴブリンの群れが門や城壁に取り付いている。

城壁の上では素明羅の兵士たちが必死で応戦していた。


 そこまで見るとシノノメは再び高度を上げ、砦の上空に向かった。

 黒と赤の空飛ぶ魔獣がゆっくり旋回している。

 飛竜ワイバーン火竜ファイヤードラゴンである。


 砦の上空にはうっすら緑色のドーム―魔法障壁が張られていた。中から時々矢が放たれるが、あざ笑うように竜たちは軽々とそれをかわしている。

 時々風に乗って野卑な笑い声が聞こえる。

 竜の乗り手たちが、籠城している砦の人間を挑発しているのだった。


 「何だか……」

 ゴミ箱を狙うカラスに見えてきた。

 残飯を食い散らかして道路中にぶちまけるずる賢い憎い奴。

 黒光りする飛竜の鱗やトカゲに似たおぞましい姿が、嫌悪感を増大させる。


 「いずこの所属か! 名を名乗れ! 俺はノルトの鎖骨クラビクラ!」

 飛竜に乗った男が隊列を離れて声をかけてきた。黒い鉢金を額に着けた、骸骨の男である。服装も黒で、特殊部隊が着る戦闘服に似ていた。

 黒づくめのアンデッド。

 シノノメの中ではカラス一味に認定された。


 「私はシノノメ! 戦争なんてやめて、北へ帰りなさい!」


 骸骨の男―クラビクラは、シノノメの言葉を無視して飛竜の手綱を手繰り、攻撃を仕掛けてきた。

 「東軍スメラの者だな! 女一人で何ができる!? ここから消えるのはお前だ!」


 ワイバーンが鉤爪を振るうが、空飛び猫は敏捷だ。素早くそれをかわした。

 「そんな汚い鳥、油であげちゃうぞ! フライドチキンにしちゃうから!」


 「はっはっはっ! やれるものならやってみろ! 油も鍋もないのにか?」

 クラビクラは邪悪な高笑いを発した。


 そもそも、飛竜は爬虫類の仲間で、鳥ではないのだが。

 まあ、恐竜の近似種と考えると鳥に近いのかもしれない。


 「油がなくても! ノンフライヤー!」


 風と火の呪文の同時発動。

 シノノメは右手の親指と小指を立て、手首を内側に半回転して叫んだ。

 高熱と空気の塊が放たれる。空中に発生した熱の竜巻は、瞬く間に飛竜と骸骨男を飲み込んだ。

熱風が高速で対流循環する。体表面の水分が蒸発することにより、飛竜はこんがりサクサクの揚げ物にされていた。

 フライになった飛竜は無害な物体と判別されたせいか、魔法防壁のドームを通り抜けて砦の中に落ちて行った。


 「あーれー!」

 乗り物を失ったクラビクラは、タヌキ色の焼き目のついたバラバラの骨となって進撃中のゴブリン軍団の上に墜落した。

 それでもアンデッドなのでまだ生きていたが、空腹気味のゴブリンにポリポリと食べられてしまった。


 「貴様、何者だ!」

 「倒せ!」


 シノノメに気付いた残りの飛竜軍団が急旋回して向かってくる。

 全部で五頭。

 奇声を上げながら、蝙蝠のような羽根をゆっくりと動かしているがかなりのスピードである。

 その後をやや機動力に劣る火竜が追ってくる。

 火竜のほうが二回りほど大きい。機動性には劣るが、口から吐く火炎ブレスは、飛竜の鉤爪の何倍もの破壊力を持っている。


 「えーい、面倒くさい! 全部まとめて、ノンフライヤー!」


 風と火の竜巻が砦の上空に発生する。

 最高二百度の熱風が素材、いや飛竜に吹き付けられた。

 飛竜たちは、皮はパリパリ、中はジューシー、かつ油分を使わないヘルシーな揚げ物になり、すべて砦の中に墜落して行った。騎乗者も揚げ物になったのかもしれないが、シノノメはあまり気にしないことにした。


 「それより、あんなものが落下してきて砦の中の人大丈夫かな? 魔法使いが何人かいるから、きっと大丈夫だよね」


 ラブが鼻をひくつかせている。食べ物の臭いと思っているのかもしれない。


 やや遅れて、ゆっくりと火竜が迫ってきた。

 十トン以上はあるだろう。これだけのものが宙を飛んで迫ってくるだけで十分な威圧感である。

 四本の角にゴツゴツした赤い甲皮を備え、腹には赤いうろこが生えている。

 血走った巨大な両眼の中心にある黄色い瞳は、シノノメとラブを見据えていた。

 捕食者を意味する巨大な下顎。

 代名詞となっている火の息吹を使わなくとも、顎の力だけで大型獣を容易に屠る力を有している。口の中に生えている牙にはそれぞれノコギリのような細かい刃があるため、牙を打ち込むだけで獲物は寸断されてしまうのだ。

 両手足には水牛の角ほどの鉤爪が生えており、牛馬などたやすく引き裂く。

 サイと恐竜、ワニ、コモドオオトカゲを混ぜあわせたような巨大な爬虫類である。プレーヤーが召喚し騎乗するモンスターとしては、最強レベルに分類されていた。

 これを所有することが一つのステイタスとなるので、背中に鞍を付けてまたがっている魔道士は、自信をみなぎらせて胸を張っていた。

 赤いローブを着てサラマンダーの飾りのついた赤銅色の杖を持っているので、炎の属性に長じた魔道士というところだろう。


 「ふふふ、貴様、なかなかやるな! 俺はドラゴンライダー、北最強(自称)の炎の魔法使い、ローグだ!」


 男は聞いてもいないのに名前を名乗ってきた。赤い前髪が風になびき、不敵な笑みが口元に浮かんでいる。炎の魔法使いというだけあって、少々暑苦しい性格ではある。


 「これでも喰らえ!」


 ローグが命令すると、爆音とともに火竜の口から火炎が放たれた。

 軽トラックほどの大きさの炎の塊が迫ってくる。

 空にいきなり炎の奔流が出現し、先端がシノノメに迫る。


 空飛び猫は雲から雲へ飛び移るように機敏に飛び回り、火の輪をくぐるライオンのように炎をかわした。

 騎乗者は落ちないようになっているらしい。シノノメは首につかまっているだけで振り落とされることはなかった。


 ……火竜に火の属性の魔法が通用するはずがない。場合によっては、吸収されてエネルギーを与えてしまうことになる。水魔法? 雷撃?

 でも、あまり時間がない。シノノメは少し考えた。


 「ウィートボール!」


 シノノメは左手をかざした。

 シノノメの右手には西洋の四大元素である地水火風と空の力、左手には東洋の五行、つまり木火土金水の力が宿っているのだ。


 ぐっと握りしめて開くと、掌の中に、白い球が現れる。

 やや大きめで、サッカーボールくらいだ。


 火竜が再び火炎ブレスを放とうと大きく口を開けた瞬間に、両手で弾を振りかぶり、口めがけて投げ込んだ。サッカーのフリースローの要領である。


 「広がれ!」


 パンと両手を打ち鳴らすと、白い球は粉になって広がった。

 ローグは慌てて口を押さえたが、少し吸い込んでしまったらしくむせた。

 「煙幕か? 小癪な……やれっ! 火炎攻撃!」


 火竜が再び巨大な口を開け、新たな火炎を放とうとした瞬間……


 ボン!


 巨大な閃光の球が空に出現した。

 爆音が西方山脈に反響を繰り返し、より大きな轟音となって伝わっていく。

 大気が震え、振動はノルトランドの地上軍と砦の城壁を振るわせた。


 自身の炎が引き金となって火竜が爆発したのである。

 巨大な火の塊となった火竜の体が地上に向かって落ちていく。

 炎に包まれた体は砦の前に墜落し、さらに爆発を起こした。体内で火を作りだす火臓ひぞうという臓器に引火したのだ。爆発のせいで城壁に取り付いていたゴブリンが何百匹か消し炭になった。


 騎乗者の魔道士はかろうじて脱出し、杖を使って空中浮遊していた。

 鮮やかな赤だったローブと前髪の一部が真っ黒に焦げてぼろぼろになっている。


 「お……お前! 一体何をした!? 火薬か? いや、違うな。火薬は調合が必要だ。単一成分でない限り、簡単に錬成できない筈だ」

 「小麦粉よ!」

 「小麦粉!?」

 「ほら、昔から言うじゃない! 火に小麦粉投げ込んじゃ絶対ダメ! って!」


  シノノメ自身もちょっと驚いていた。

 ……あわてて魔法防壁を張って爆風を防いだけど、まさか、こんなに威力があるとは。

 今度からこの技を、小麦粉爆弾フラワーボムと名付けよう。うーん、やっぱりお母さんの言うことは正しいわ。火遊びはしちゃいけません。


 空飛び猫が、飛び散る火の粉をかわしながら炎の魔道士の周りを旋回する。

 ローグはシノノメの言葉の意味を必死に考えていた。


 「あっ! そうか! 粉塵爆発か!! なんていう恐ろしい奴だ!」


 「ふんじん……よく分からないけど、多分それ!」

 シノノメは粉塵爆発を知らなかった。


 「お前! ……その天然っぷり! そしてそのエプロン! もしかしてお前が噂に聞いた東の主婦だな!」

 「失礼ね! 私の名前は主婦じゃなくってシノノメだよ! 勝負する?」


 「いや、ギブ! ギブ! 遠慮します! また今度! お達者で! 再見!」

 ボロボロになった魔道士ローグは慌てて杖を握りしめ、這う這うの体で北の空へと戦線離脱していった。


 かくして、ノルトランドの飛行戦闘部隊は十分足らずで壊滅したのである。


            ***


 「おーい、中に入れて!」


 砦の城壁に立っている兵士に声をかけ、シノノメは徐々に旋回の輪を小さくしながら高度を下げて行った。

 砦の天蓋を守っていた緑色の魔法防壁に、二メートルほどの穴が開く。

 穴をするりと潜り抜け、城壁に囲まれた中央広場に向けて空飛び猫は飛んで行った。

 ラブは猫らしく、音もなく軽やかに降り立つ。肉球は着陸の衝撃を完全に消していた。

 シノノメがから飛び降りると、空飛び猫は翼を畳んで元の子猫の大きさに戻った。


 「ご苦労様、少し休んでてね」

 シノノメは抱き上げてエプロンの胸ポケットにしまった。

 石畳を歩きながら辺りを見回すと、砦の中には負傷兵が大勢いた。

 負傷兵たちは血に染まった包帯を手足に巻きつけ、ある者は城壁の陰に隠れるようにして横たわり、ある者は壁にもたれかかっている。

 魔法使いたちは負傷者の間を走り回って治療呪文の詠唱を唱えている。

 門の裏側では、必死にバリケードを作って防御呪文をかけている術師がいる。

 わずかに残った騎兵は、最後の決戦に向けて剣を研ぎ、疲れ切った馬の鼻づらをなでている。

 弓兵が、残り少ない矢の数を数えている。

 ファンタジー世界と言えば決して間違いではない。

 だがそれは、助けを求める声が満ちる、凄惨な戦場の光景だった。


 「おーい、みんな! 来たよ!」

 重苦しい全ての雰囲気を払拭する様に、シノノメは叫んだ。

 澄んだ声が城壁に反響する。


 砦の城壁に上で防戦している兵士も含め、素明羅守備軍全員の手が止まり、視線が一点に集中した。

 ありえない夢を見たように、すこしずつ声が起こり始める。


 「主婦だ!」

 「主婦さんだ!」

 「助けに来てくれた!」

 「これで助かるぞ!」

 「本物か?」

 「さっき飛竜倒したの見たでしょ!」

 「火竜も一撃だった!」

 「すごい……あれが東の主婦!」

 「かっけぇ……」

 「俺、初めて見る」

 「ちょっと萌えるな」

 「いや、マジで可愛いじゃん」

 「でも既婚なんだろ?」

 「そりゃ主婦だもの」

 「うおおお! 主婦万歳!」


 今日のシノノメはガウチョパンツにフードのついたノースリーブのニットを合わせ、フリルのついたエプロンをつけている。現実世界の町の中で、家事の最中に近所に買い物に来たような格好だ。もちろん、飛び切りの美少女ではあるのだが、誰もが美形のアバターを選ぶ仮想世界ではあまりに普通すぎる。

 

 しかし、空から翼のある猫に乗って降りてきたただ一人の少女は、戦場の殺伐とした雰囲気を一瞬で変えたのだった。

 剣士は剣を打ち合わせ、敬意を表する。

 魔法使いたちが杖から打ち上げ花火を放って、偉大な友への感謝を表す。

 弓兵は弓の弦をかき鳴らして来訪者をたたえる。

 獣人たちは歓喜の雄たけびを上げる。

 傷ついて動けないはずの兵士がそろって踊り始める。

 まさにその光景こそ、シノノメの愛してやまない幻想ファンタジーだった。

 

 「みんな、あんな人たち一緒にやっつけちゃおう! 私、頑張るよ! 任せて!」

 シノノメは胸をぽんと右手でたたいた。

 豊かな胸がポヨンと揺れる。勇ましい言葉とは裏腹にどこかユーモラスな、可愛げな仕草である。


 「うおーっ!」

 「主婦さん!」

 「しゅっふー!」

 シノノメの言葉を合図にするように、城壁の中に歓声がこだました。

 声のうねりは反響しあい、巨大な鬨の声となって爆発した。そして、シノノメを称える歓声はやがて’主婦コール’に変わっていった。


 「しゅっふ、しゅっふ、しゅっふ、しゅっふ、しゅっふ、しゅっふ、しゅっふ、シュッ! フー!」

 「何これ? 卓球部の素振り? 変なの! うんもーっ、やめてよ! 恥ずかしい! 名前はシノノメなのに!」

 折角上機嫌だったシノノメは、微妙に不機嫌になってしまったのだった。

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