第6話 2-3 不可解な戦闘
「皆さんこんにちは.キャスターを務める,クリスタです」
そう言って画面に出てきたのは
ここぞとばかりに胸の開いた紫色のチャイナ服を着ている.
彼女はそのキャラクターを‘肖像権’として利用し,現実世界のCMや雑誌にも登場している有名人,現実世界と仮想世界を股にかけたアイドルなのだ.
テレビというとユーラネシアの設定を著しく逸脱している気がするが,実は魔道師たちが使う水晶玉から転送された映像である.店の中に念波受信用の水晶玉があり,壁などの白いスクリーン状のものに投影される仕組みになっている.
正確には念波映像というのだが,プレーヤーはみんな面倒くさがって結局テレビと呼んでいた.
「ユーラネシア統合歴五百三年,本日午後二時二十五分,ノルトランドと素明羅は交戦状態となりました.こちらの様子をご覧ください」
クリスタの背景が
「あ,ほんとに戦略ゲームみたい」
三毛美がつぶやく.
シノノメはミルクを注文し,浅い皿に注いで
ラブは一心にミルクを飲み,ペチャペチャと音を立てている.
シノノメは本当に‘戦争’が嫌いなのだった.
「解説は軍事評論家,レベル70の魔法使い,アイザックさんです」
「どーも,アイザックでーす」
髭でぎょろ目の魔法使いが画面の左端に出てきた.間延びした口調である.
「今回の戦争ですが,いかがでしょうか.手元の資料では,ユーラネシア大陸における大規模戦闘は,五年前の南北戦争以来ですね」
「そーですな,南北戦争のときはー,結局ー,北の
「ええ」
「朝から晩までー,ベルトランはハンドカノンで魔法弾をぶっ放す! これがまた速いのなんの! それをクリシュナが半月刀で,こう,こう」
不格好な実演――アイザックの身ぶり手ぶりが入り始めた.
「はいはい」
クリスタは明らかに少しいらいらしていた.適当にあしらいながら話を進めている.
「それでもってー,西のー,魔術院の魔法使いがー」
「はい,魔法院のトップ,クルセイデルが仲介して休戦協定を結んだのは,皆さんご存じのことですね.初心者のプレーヤーの方はあまり詳しくないかもしれませんが,おほん」
我慢の限界に来たらしいクリスタは,アイザックの話の続きを先に喋ってしまった.
「それで,今回はどういう展開になると予想されますか?」
もうこの男に話を振るのは嫌,という表情でクリスタは尋ねた.
「そうですのー,前方集団に何をおくかですのー,騎馬隊を持ってきたら,北が有利ですしのー」
「ノルトの騎馬隊は有名ですね.しかし,素明羅にも騎馬隊があります.今回はレベル70台では将軍職のホウセンさん,カンウーさん,武将職のマサムネさん,ユキムラさん,ノブニャガさん,ケンシンゲンさん達も参加されるそうです」
「三国志マニアと戦国マニアじゃな.とりあえず初め弓矢で攻撃しておいて,釘づけにしたところを横か斜めから騎馬隊で急襲するというのが定石かのー」
「そのあとは乱戦に?」
「そうじゃのー,後は
「あ,ここで中継が入ります!」
アイザックは誰でも予想できる解説をしていたので,クリスタはさっと画像を切り替えた.
「こちらは戦場上空の飛竜中継隊です.見えますか?」
クリスタの後ろに骸骨の顔が映った.骨だけになったアンデッドである.水晶玉を通して中継しているので,魚眼レンズのように彎曲している.
「はい,ホネボーンさん,見えますよ」
「ちょっとえらい事になっています」
ホネボーンはあわてた口調で答えた.顔が骨なので,表情は全く読めない.
「というと?」
「今回,北の軍勢はゴブリンとオーク,
「亜人? レベル20以上のプレーヤーなら,物の数ではないのでは?」
「その数が数万体なんです.ご覧ください!」
映像を送るカメラマン役の術師がさっと水晶玉をかざしたようだ.画像が揺れて,地上が映し出される.
「この黒い集団全てが亜人軍です!」
「えーっ!?」
マンマ・ミーアの店内をどよめきが包んだ.
ゴブリン一族の襲撃とか,ゴブリン王の誕生とかのイベント,クエストがあるときでも,これだけの数は誰も見たことがない.
「うわっ! 気持ち悪い!」
シノノメは小さいものがたくさんごちゃごちゃ集まっているのが苦手だ.
あわててスクリーンから目をそらした.
カウンターテーブルの上でラブがミルクを飲むのをやめ,不思議そうにシノノメの顔を見ている.
「うー,ぶるぶる,鳥肌が立つ!」
そう言っていたらアキトとアズサが手を差し伸べてきたので,すかさず払いのけた.
「No!」「Ouch!」
アキトとアズサが叩かれた自分の手を切なそうにさすった.
「しかも,ゴブリン達の武器が火槍なんです! 棍棒とかじゃありません!」
「火槍?」
クリスタがアイザックに尋ねた.
「原始的な火縄銃じゃな.明の時代は火竜槍,モンゴル帝国時代の中近東やロシアでは‘マドファ’と呼ばれておった」
火槍は棒・槍状の長い柄のついた武器で,先端に筒が付いている.筒の中には火薬だけ,あるいは金属片を詰めて爆発させる.そのまま柄を的にぶつけるタイプと,弾丸が飛んでいくものがある.しかし命中率は悪く,どちらかというと大きなロケット花火に近い.
「北は,ゴブリンを捨て駒に使って,大量の火器で攻撃しています.東の騎兵が消耗しきったところにオークと北の騎兵が襲いかかるのを繰り返しています.……これは,殺戮です.まるで,本物の戦争みたいです!」
映し出される,焦土と化した大地.ゴブリンと東の騎兵たちが人馬折り重なって倒れている.
大量の火器が使われた証拠として,方々から黒い煙が立ち上がっていた.
「そりゃそうじゃろ,これは戦争なんじゃから」
ホネボーンの悲痛な叫びに,アイザックの冷静なコメントが逆に見る者を凍えさせた.
「誰かが黒色火薬を大量に練成したな.……いや,調合か.魔法じゃない」
アイザックはポツリと言葉を継いだ.多分,ゲームキャラの口調でない素の言葉遣いが出ている.
「……」
さすがのクリスタも言葉が出ない.
「だがのー,東の魔道師も何をしとったんじゃ? 魔法使いに陰陽師に呪禁道士,玄道士に方術師もおるじゃろ.騎馬兵と歩兵を国境守備の砦まで一旦下げて,遠隔攻撃に切り変えればよいではないか.それとも,指揮官がアホなのか?」
アイザックは自分デフォルトと設定してあるらしい,のんびりした口調に戻っていた.
「いや,それが不思議なんです.ゴブリンを操っている術者はすぐに同定できたので,騎馬集団が急襲をかけたんですよ.ところが,前方集団が北の術者に迫った瞬間,ぴたりと動きが止まってしまいました」
ホネボーンは一生懸命骨の手を振りながら説明していた.あまりのオーバーアクションで飛竜の背中から墜落しそうだ.時々水晶玉の画像からもはみ出ている.
「そこを面白いように北の兵士に襲われて.レベル50クラス,時には60クラスの戦士が一桁クラスに簡単に倒されてしまうんです」
「これは,アイザックさん,なにか未知の魔法が使われたということでしょうか? メドゥーサやゴルゴンの頭のような石化アイテム,それともコカトリスやバジリスクみたいな石化能力のある魔物を北が手に入れたとか?」
少なからず衝撃を受けているらしいクリスタが早口で質問した.
「いや,魔法は考え難い.これだけの人数にいっぺんに
アイザックが唸る.
「騎馬が突入してくるより早いスピードで呪文を詠唱したり,魔法が発現できる奴なんて,北でいえば最高神官クラス,東でいえば主婦さんくらいじゃろ」
のんびりキャラのアイザックも,真剣に考え込んでいる様子である.
「少なくとも,上空からは石化させる魔獣は見えませんでした!」
ホネボーンが答える.
テレビで‘主婦さん’という言葉が出たので,マンマ・ミーアの店員やお客たちの視線が,一斉にシノノメに注がれた.
「何か変だね.何かが起こってる」
ミーアが腕組みして誰に言うことなくつぶやいた.
「それで,ホネボーンさん,今は?」
クリスタが問う.
「現在,東の軍勢は,
水晶玉が切り立った崖沿いに建設された砦を映し出した.
城壁のあちこちから煙が立ち上っている.
カラスの群れがゴミ捨て場を狙うように,あるいは鳶が獲物を狙うように,火竜と飛竜が砦の上をゆっくり旋回している.
「空からワイバーンとファイヤードラゴンが攻めてますが,魔法防壁と弓矢で応戦してます.防空戦闘はまずまずです.ですが……」
水晶玉の画像と音声が大きく乱れた.
「もしもし,ホネボーンさん?」
「……が,門にはゴブリンとオーク,そして謎の魔獣が迫って来ています.今にも城門が破られそうです」
「謎?」
「あんな魔獣,見たことがありません.・・・強いて言えばそう,キメラです! あーっ!
突然火竜の顔が大写しになった.
「うっわあ!」
野太い声を出してクリスタが驚いた.ウサギらしく……というよりそれ以上にはしたない感じで席から飛び跳ねてしまった.これでは折角華麗に着飾った姿も台無しである.
「もう退避する
ぶつん,と映像が切れて真っ暗になった.
念波放送局のスタジオが一瞬沈黙する.
クリスタは一瞬後ろ向きになって,超高速でメイクと服の乱れを直し,振り向いた.
「えー,とりあえず皆さん,戦争に参加される方はセーブをこまめにして下さい.あと,怖いのや痛いのが苦手な方は,ナーブ・スティミュレータの知覚レベル設定を落として参加して下さい.運営側からの注意です」
「キメラ?」
アイザックが首をかしげた.
「本日の特集番組はここまでです.臨時中継は予定が決まり次第,告知用メールでお知らせいたします.ありがとうございました」
「のう,クリスタ?どう思う?」
「いや,だからあのさぁ,番組はこれで終わりなんだって,流れを読みなよ!」
「キメラは西のダンジョンの十七層にしかいないのに,どうしてじゃ?」
「だから,終わりなんだって! もー! 誰? こいつゲストにした奴!」
クリスタはアイザックを兎人の基本スキル,ラビットキックで蹴り飛ばした.
チャイナ服のスリットから白い大腿が覗く.
「あ,失礼しました! それでは,さようなら!」
急ごしらえの笑顔でクリスタが手を振ると,スクリーンはもとの壁に戻った.
ウサミが念波中継用の水晶玉に布をかけて戸棚に仕舞う.
「何だか怖い事になってるね……」
手が震えている.水晶玉を落としそうだ.
マンマ・ミーアの他の従業員たちも動揺していた.
「戦争マニアどもの戦争ごっこと思っていたけど,ほんとにちゃんと終わるのかな?」
「ノルトランドは本気で東を征服する気なのかな? 覇道帝国とか,ネーミングだけだと思っていたのに」
「北の皇帝は,プレーヤーでしょ? ユーラネシアン(NPC)じゃないのに」
「一人で戦略ゲームを始める気になったっていうこと? ただのイベントで終わらない可能性もあるかも」
「運営側が,ノルトの戦争を,この世界の一つのストーリーとして了承したということになるのかな」
「商業ギルドの預金,どうなるの?」
「怖いね ……例えば,征服戦争で皆殺しにするとか,そういうのもありになるの?」
「焼き討ちとか ……町はどうなるのかな.安全じゃなくなるね」
「そうなっていても,僕は永遠の愛を女の子たちに注いでいたい……」
最後の台詞はアズサのものだが,全員が意図的に無視した.
「はい,はい!」
ぱん! とミーアが手を一つ打ち鳴らした.
「みんな,考えても仕方がない事は考えない! お客さんが待ってるよ! ウサミ,ご案内! 三毛美! お勘定ね.アヤネはオーダーとって! アキトとアズサは……何でもいいから働け!」
ミーアの指示で慌てて全員が動き始めた.
五分もすればすっかりいつものマンマ・ミーアに戻っていた.
シノノメはカウンター席に座ったまま,少し大きくなったラブの背中をゆっくり撫でていた.
「でも,実際問題として,商業ギルドでポイントの取り付け騒ぎや,他の国への避難,亡命も始まるんじゃないかな」
ミーアがホールを睨んだままで,シノノメに背中を向けたままで話しかける.
従業員たちはいそいそと,一生懸命働いている.
他のことを考えないようにしているのだ.
……アキトとアズサは客の女の子を口説いているだけだったが.
「あんた,どうする気だい?」
しばらく腕組みしていたミーアが口を開いた.
「どうするって……」
シノノメは目を伏せたままで答えた.まつ毛が長いので,目をつぶっているように見える.
「今,素明羅を救えるのはあんただけじゃない? 行ってやらないのかい?」
「そんなこと言っても……私,戦争みたいなの嫌いだし」
「じゃあ,たっぷりたまった経験値にスキル,有り余るアイテムとお金.これからどうするんだい? レベル100を目指すのかい?」
ミーアは時々思う.シノノメの中に何かぽっかりと空虚なものがあるような気がするのだ.
シノノメはとてもいい娘だ.少し子供じみたところもあるが,無邪気で天真爛漫.
だが,どこか壁を作っている.
主婦ギルドに仲の良い人たちはできたものの,踏み込んだ友達をあまり作ろうとしないのだ.
コミュニケーション下手なのだが,何かその行動に違和感を感じることが少なくなかった.
……この子はこの世界に何を探し,何のためにゲームに参加しているのだろう?
マグナ・スフィアのプレーヤーは,この仮想世界に何かを求めてやって来る.
ある者は感動であり,ある者は友情であり,ある者は癒しであり,ある者は興奮であり……
だが,シノノメは分からない.
何かを求めて探しているようで,何も考えていないようでもある.
どこか浮世離れした空虚さを時々感じてしまうのだ.
「あまり上にいっちゃうと,それ以上は上が無くなってつまらないよね.私,携帯ゲームとか固定器のゲームでも,ラストが近くなるとあまり進みたくなくなるの」
ラブが小さな羽根を伸ばして,羽ばたき始めた.
「ゆっくりその物語をずーっと楽しんでいたくなるのよね.クエストも,しらみつぶしに全部攻略して楽しみたい」
シノノメは少し退屈そうな表情で小さなため息をついた.
「ゲーム倦怠期かい? あんた,こんな時にも平常運行だねぇ.でも,このままじゃ,このユーラネシア全土が戦乱になるかもしれないよ.あんたと同じように考える人間は多くない.マグナ・スフィア(大いなる天体)は,もともと惑星環境シミュレーションだ.大国の王が世界統一を目論むというストーリーが,この世界の歴史として自然だと判断すると,どんどん進めていく」
あくまで他人事……気のない様子のシノノメに,ミーアは少し焦れていた.
「ファンタジーじゃなくなるね」
「ファンタジーが好きな人間は,ただ去れば良いだけの事なのかもしれないけどね,他のゲームに.でも,あたしも生憎この世界が気に入っちゃってねえ.ギルドのみんなも好きだしさ」
このミーアの言葉に,ようやくシノノメもうなずいた.
「みんな,現実世界でちょっと疲れたりしているから,この夢の世界で楽しみたいんだろ? 現実世界の残酷を,夢の中に持ち込んでどうすんのさ?」
「うん……」
「行けば,レベルはともかく,もっと何か面白い事も見つかるかもよ?」
「何か……そうかな?」
チリン.
シノノメの頭の奥で鈴の音が鳴る.
私の……何か忘れてはいけないもの……
「ちょっと,世界救ってみたら?」
ミーアは,シノノメがわずかに興味を示し始めたことに気づいた.
「世界,救っちゃうの? それ,おもしろいクエストだね? やってみようかな?」
まるで近所に買い物に行くようなミーアの言い回しが気に入ったシノノメは,笑みを浮かべた.
不可思議な戦闘が行われている危険な戦地に赴くとはとても思えない,子供のような屈託のない笑顔だ.
「それでこそ,東の主婦シノノメだよ」
ミーアは振り向いてシノノメの両肩を抱きしめた.
「あたしも本当は一緒に行きたいところなんだけど,飛行船じゃ今から乗っても間に合わない」
ミーアは
「うん,空飛び猫を手に入れたから,私は行けるね」
「じゃあ,ギルドマスターとしてクエストを命じる! シノノメ,世界を救ってきなさい!」
シノノメを’のせる’ことに成功した
「了解しました! 行ってきます!」
思い立つと――スイッチが入るとシノノメの行動は早い.
ミーアの命令に元気よく答え,少し成長したラブを抱き上げるとドアベルを鳴らして店を飛び出した.
店の前でラブを地面に下ろして命じる.
「空飛び猫ラブ! 大きくなれ!」
ラブはみるみる大きくなったかと思うと,大人のライオンくらいになった.
シノノメが頭をなでると,嬉しそうに喉を鳴らす.
肩からは逞しい羽根が一対生えている.フォルムは鷲の翼だが,全体にふわふわの
背中にシノノメは飛び乗った.
シノノメを背中に乗せると,ラブは大きく翼を動かして宙に浮き始めた.
マンマ・ミーアの建物がみるみる小さくなる.
「ラブ,北西の国境へ飛んで!
「にゃおー!」
空飛び猫は一声大きく鳴くと翼をはばたかせ,白銀の矢となって北西の空に飛んで行った.
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