第5話 2-2 主婦ギルド マンマ・ミーア
斑鳩の街は扶桑樹の幹を中心に建設されているため,どの層もほぼ円形である.
石畳の街並みを進んで,外周―つまり木で言えば枝の先の方―に進み,やや南の角へ.
雑貨屋と洋品店が多く集まっている路地を2本ほど入ると,飲食店街である.
その角に主婦ギルド,マンマ・ミーアはあった.
ギルドがそのまま飲食店を経営していて,さらに店の名前もマンマ・ミーアである.
和風モダンの店構えで,通りに面した部分はオープンカフェにもなっている.
今日のおすすめメニューが書いてある黒板を避け,入口の引き戸を開けるとコロコロとドアベルが音を立てた.
「いらっしゃい!」
「あ!主婦さん!」
「シノノメさん!」
シノノメを見つけた店員と客の声が上がる.店員は3人を除いてすべて女性だ.全員,ギルド‘マンマ・ミーア’の団員である.
黒いメイド服を着ている団員と,着物姿の団員が半々くらい.いつもこの店に集まっては井戸端会議を行っている.というより,ネットで姿を変えて好きな友達と語り合うのが目的で参加しているのだ.
主婦の肩書でクエストを次から次へと制覇し,熱心にスキルアップしているシノノメはやはり不思議な存在なのかもしれない.主婦ギルドの店にいてすら主婦さんと呼ばれるのであった.
「こんにちは.ミーアさんいますか?」
「はいよ!」
店員が答える前に本人が元気のいい声で答えた.
厨房からエプロン姿の女性が出てくる.かつてドラゴンを殴り倒したという伝説を持つ,ミーアである.
実生活では高校生くらいの子供がいるらしい.赤い髪を両サイドでくくっているが,ツインテールとは呼べない.キャラ設定を行う際にほぼ実年齢と実際の体格を入力してしまったらしいが,熱い胸板と肩幅が逞しい.
「最近来なかったね,シノちゃん.どこかへ行ってたのかい?」
「南のラージャ・マハールへちょっと.見て!空飛び猫だよ!」
シノノメは胸ポケットから生まれたばかりの猫を取り出した.とはいえ,ゲームの中では時間が早く流れるせいで少し小さめの子猫くらいに育っていた.
「やあ,こりゃ可愛いね!初めて見た!」
周りの店員も集まってきた.
「わー,可愛い!」
「抱っこさせて!」
「モフモフよ!」
メイド服を着た店員の一人にラブを預け,シノノメは店の奥に入った.
マンマ・ミーアは斑鳩きっての人気店である.平日の午後3時にもかかわらず,テーブル席はかなり詰まっていた.
店には猫人のカップルとエルフの魔法使い,中国服の道士など様々な客がいる.
何人かはシノノメの顔を見ると会釈したり挨拶を返す.
店の一番奥の席に,一番変わった常連客がひっそりと座っていた.
黒い甲冑を着た―というよりも,甲冑そのものが体になっている男である.立てば2m近くあるはずなのだが,ちんまりと座っていつもの通りストローでコーヒーを飲んでいた.
顔も黒い金属で,目はスリットの中で青白く光っている.
頭から肩にかけてはつなぎ目のない金属で覆われている.
機械人である.
機械人はシノノメと目が合うと,軽く頭を下げた.
ごつい体に似合わない態度だ.
「あら,アメリアのお客さん,また来てるんだ」
「ああ,あの人いつもシノノメさんがいるときしか来ないよ.シノノメさん目当てだったりして」「でも,一言もしゃべらないんだよね.ブビュン,とかいう機械音だけで」
シノノメが問うと,大正カフェ風メイド服の娘,猫人の三毛美が答えた
「ていうか,喋れないんじゃないかな.アメリアの翻訳システムがうまく働かないとか」
西洋風メイド服を着た兎人のウサミが言った.
素明羅を含む東西南北の4大国があるユーラネシア大陸は,魔法文明の大陸である.
一方,新大陸と呼ばれる南北アメリア大陸は機械文明の国であった.
住んでいる人間は機械人で,動物も機械化獣である.
なぜこんな違いができたかというと―と言っても,ゲーム設定なのだが―大気や地面に含まれる
例えば,空を飛ぶ方法一つとっても違う.
ユーラネシアでは魔素を詰めた気球やワイバーン,ドラゴンを使って移動する.
人間が魔素の力を様々な術式で増幅することにより生活に利用する.
いわゆる,魔法だ.
しかし,アメリアでは魔素を含む魔石を燃料にした飛行機が開発されている.魔素が生むエネルギーは,我々で言うところの電気とあまり変わらない使われ方をされており,いわば,電池やバッテリーが天然資源として産出されるようなものだ.
マグナスフィアはプレーヤーの想像したものを現実化するが,例えば「飛行機」と想像したとして,AI・運営システムがポンと飛行機を出してくれるわけではない.
要求される想像力は,高度で徹底した想像力である.
精密部品を正しく組み立て,飛ぶに至る理論づけも含めた想像力が要求される.
飛行機を作るならば,本職の設計士とエンジニアが,すべての部品を正確に想像して認識し,場合によっては鉱物から錬成して組み立てねば作ることはできない.
工業製品とは,本来家電製品でもそういうものだ.
高度に文明化されたネットワークがあるからこそ製品ができるのだ.
基本設定が中世のユーラネシアでは,大気中の
同じ理由で,銃も発達していなかった.長距離の敵を正確に狙うなら,魔法か矢のスキルを伸ばした方が良い.たまに魔弾を放つ単発式のマスケット銃を組み立てて使うプレーヤーがいるが,多くはなかった.
一方,アメリアには理系の研究者やエンジニアが大勢プレーヤーとして参加しており,魔石による産業革命と工業化を成し遂げた.結果,魔法科学とでもいうような科学文明が発達している.
キャラクター設定やゲームの内容が根本から違っているので,アメリアで使えた機械がユーラネシアで動かなかったり,ユーラネシアで使えた魔法がアメリアで使えないなどということも珍しくない.時々大陸間を旅する者もいるが,基本的なプレーヤーのゲームの嗜好の違いもあり,決してその数は多くなかった.
しかし,あの黒騎士(?)はシノノメがギルドに来るとどういうわけか大概いるのだ.
「あのコーヒー,どこに行くんだろう?」
「おなかの中で燃料になるみたいよ.パンケーキを小さく切って爪楊枝で食べてたこともあるし」
「パンケーキ!?」
「あ,そうだ.シノノメさんの開発メニューも食べてたよ.モヤシのゆで豚しょうが乗せとか,厚揚げのねぎ味噌詰め,スペインは関係ないスパニッシュオムレツとか」
いかつい姿がそのメニューを食べているのは微笑ましいというか不思議というか・・・
シノノメは三毛美からラブを受け取り,再びエプロンの胸ポケットにしまった.
「ふふ……子猫は愛らしい……しかし,貴女の愛らしさに比べれば,霞んでしまう」
「このマグナ・スフィアに咲いた,色褪せることのない大輪の花……それが貴女だ」
歯の浮くようなセリフを口にしながら,狐人と犬人の二人組がやって来た.
この二人は当然主婦ではない.主夫でもない.
マンマ・ミーアの店員目当てで遊びに来ているうちに,ミーアの辣腕でただ働きさせられているのである.黒のベストを着ている姿は,飲食店の店員というよりホストであった.
二人とも長身で,ピンと尖った耳を持つ超絶美形の青年であるが,尻尾がせわしなく動いている.
「シノノメ……今日こそ返事を聞かせてもらうよ.中央高原の夕日を僕と一緒に見てくれないか?」
狐人のアキトがシノノメの肩を抱いて言う.
「いや,シノノメ,君の瞳は魔法石の輝きにも似ている.僕は君の
犬人のアズサがシノノメをアキトから奪って囁いた.
シノノメは苦笑しながら二人の間をするりと抜けて逃げた.
「何言ってるの,二人とも.私主婦だよ?」
「だからこそ,ヴァーチャルの世界で結ばれよう!」
「仮想現実こそ,二人の永遠の愛にふさわしい! 現実にない理想の愛を語ろう!」
「二人とも,乙女ゲーのNPCみたい.そんなの,所詮ゲームだよ」
「なんて現実的な!」
「主婦は現実的なものよ」
ちょっとだけ照れながらシノノメは答えた.
「ああ,なんてクールな!」
「でもそこに惹かれる!」
「いつまでも勝手にやってなさい!」
苦悩するアキトとアズサを放っておいて,シノノメはカウンター席に座った.厨房を覗くと,この店のもう一人の男性店員が一生懸命に茹でたスライムの下ごしらえをしている.
「ハジメ君,元気?」
「はいっ!」
青年は包丁を素早く動かしながら元気よく答えた.
ハジメもマンマ・ミーアの団員である.
別にオカマなのではなく,シノノメを見て主夫にジョブチェンジしてしまった奇特な青年であった.
しかし,シノノメのように武術に魔法に縦横無尽の活躍をするわけでなく,ひたすら家事のスキルが上がるのみである.
「頑張っている人を見ると元気が出るよね!」
「ありがとうございます!」
……いつか最強になれるはず?
憧れのシノノメの言葉に,ハジメは一層包丁のスピードを上げるのだった.
「それはそうとシノちゃん,あんたノルトランドとの戦争には行かないのかい?」
ミーアがシノノメに茶を勧めながら言った.シノノメの隣に腰かけると,カウンターの席がミシリと音を立てた.
「あー,さっき聞いたんだけど,私あまりあーいう戦争っぽい系好きじゃないし」
経験値なら腐るほど持っているし,大規模戦闘でレアアイテムがとれるわけでもない.王宮内での出世や地位,金や何かの尊称を狙っているなら別だろうが,シノノメはそんなものには興味はなかった.
生憎,金も商業ギルドの限度額いっぱいに預金していて,これ以上いくら稼いでもカウントされない.シノノメの口癖は,「これが現実のお金に換金されないかな」である.
「なるほど.RPGというより戦略・作戦ものだもんね.まあ,男子が好きだよねえ.三国志何とかとか,何とかの野望とか,提督の何とかとか.ファンタジーではないねえ」
シノノメは頷いた.
「ただ,今回のは,どうもねえ……」と,言うとミーアは腕組みして語尾を濁らせた.
「何か気になることでも?」
「これ,わかる?」
ミーアは右手をかざしてスクロールし,いくつかのウインドウを空中に浮かび上がらせて見せた.
豚の生姜焼き.
豆腐ハンバーグ.
ねぎ味噌入り厚揚げ.
マンマ・ミーアの主婦の井戸端会議で交換し合ったレシピである.
「これが何か?」
「ほら,うちら現実世界でさ,このレシピ紙の本や電子本で出版してるだろ?」
「うん,よく知らないけど結構売れてるんでしょ?」
シノノメはあまり興味なさそうに答えた.
「マグナスフィアは国内最大の電脳空間だ.その中で話題になったものは当然現実世界でも話題になる.服とか,料理とか.あんたくらいの年だともうわからないと思うけど,昔はSNSっていうのがあって,企業が映画の宣伝とか,予約サイトにリンクさせたりとか……」
ミーアは言いながら腕組みした.
「ああ,ファッションとか化粧品,お菓子のメーカーが,マグナスフィアで先行販売してるね」
「売り上げデータのシミュレーションをしたりしてるんだよ.現実と違ってお金がかからないからねえ」
「でも,それが,どうしたの?」
「どうも,軍需産業が今回の戦争にかかわっているらしいんだよ」
ミーアは少し声を潜めて囁いた.
「軍需産業? 戦車とか,鉄砲とかの?」
「それと,医療・製薬メーカー」
……どう考えてもメリットがありそうにない.
魔法世界で軍需産業が何のメリットがあるんだろう?
例えば,ゲームの中でどんなにすごい兵器を開発しても,魔法が使えない現実世界で役に立つとは思えない.
医療だって,魔法薬や回復師のいる世界で何かの役に立つんだろうか.
シノノメは首をかしげた.
「戦争の中継をテレビでやるみたいですけど,どうします?」
ウサミが店の壁にタッチしてスクリーンに変えた.
「居酒屋かスポーツバーみたいになっちまうから,うちの店の雰囲気じゃないけど,ちょっと出してみるかねえ」
ミーアの指示でスクリーンに画像が映し出された.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます