第一部 素明羅皇国編
第一章 閃光の主婦
第2話 1-1 迷宮の冒険者達
2045年。
バーチャルリアリティ技術が一般化し日常と化した未来。
混迷を極める世界情勢の中で、極東の島国,日本は安寧を享受していた。
平和だが平凡な日常に倦んだ人々は、広い世界を望むことなく内に籠り、安全が保障された身勝手な危険と冒険を求めた。
政府は、世界最速の演算機能を有する惑星環境シミュレーション用コンピュータ‘那由多’を娯楽ゲーム用に転用することを決定した。
科学者たちは大脳生理学の粋を結集し、脳神経刺激装置ナーブ・スティミュレータと組み合わせ,広大な仮想世界マグナ・スフィアを生み出した。
そして五年後。
国民の半数以上がマグナ・スフィアに参加している現在。
多くの人々は日常で得られない感情を仮想世界に求め、満足していた。
興奮も、感動も、友情も、そして、愛情すらも。
***
‘シノノメ’はユーラネシア大陸南の大国,‘カカルドゥア’の迷路を歩いていた.ラージャ・マハール迷宮は首都サンサーラから北へ二十キロ,‘白の沙漠’にそびえたつ王家の霊廟だ.
ラージャ・マハールは,インドのタージ・マハルをモデルにしていると思われる白亜のドームを持つ美しい建物である.カカルドゥア大公家の御魂屋みたまやであり,代々の大公の亡骸なきがらが葬られている.
美しい建物の地下には,十二層からなる迷宮ダンジョンが広がっており,大公の遺骸と宝物を守る魔獣達が徘徊している.
シノノメが歩いているのは,まさにその十二層目,最深部に向かう迷路である.大理石でできたゆっくりとした傾斜の下り坂をひたすら下っている.
「ふむふむ,RPGのゲームでよくあるやつね」
シノノメは呟いた.
彼女は茜色の‘織’の和服に,水玉の割烹着チュニックを着ている.アラビアンナイトやイスラム,ヒンズー文化――南アジアの文化を主体とするカカルドゥアにはいささか不似合いな格好と言わざるを得ない.だが,着物が好きなシノノメは,あまり気にしていない.
通路は床も壁も全て白亜の大理石だ.青白い魔石の光が反射して美しく,薄暗い普通の迷宮とは違って湿度が高くないので,シノノメは機嫌が良かった.
ハーフアップにした亜麻色の髪をなびかせてのんびり歩く様子は,まるで近所を散歩している普通の少女だ.
ラージャ・マハールはカカルドゥア公国最大の迷宮である.難易度もトップクラスなので,中に入る場合には大規模な攻略隊が編成されるのが一般的だ.
だが,シノノメの前にも後ろにも連れ立つ仲間はいなかった.
地図も持っていない.彼女は迷路をすべて記憶していた.
……確か,エンタシスの柱を回れば,目当ての最深部の部屋,初代の王様のお墓だったけ.
シノノメは足取りも軽やかに進む.
バオオオオオン……!
曲がるや否や,咆哮しながらゾウの頭に人間の身体を持つ魔獣が現れた.
身長は五メートル,手には槍を持っている.インドの福神,ガナパティ・ガネーシャがモデルなのかもしれない.しかし,造形はきわめてリアルだ.マグナ・スフィアでは映像が脳に直接送り込まれるのだが,コツゴツとしたゾウの皮膚の質感は実在する生き物としか思えない.
これまでも獅子頭の魔獣や猪頭の魔人が出て来た.
最深部の入り口を守るこの魔獣の実力は推して知るべしである.
両方の牙と長い鼻を振り回し,槍をシノノメに向かって突き出して来た.
「ふーん」
シノノメは形の良い鼻を鳴らすと半歩だけ足を動かして身体を開き,唸りを上げて自分の胴を貫こうとする槍を避けた.
足袋に草履ばきの足捌きとは思えない.
帯からわずか三センチの距離を槍が走り抜けていく.
巨大な魔獣の身体がバランスを失い,宙に泳いだ.
「グリル・オン」
薄い桜色の唇を開き,短く技名を唱えた.長い呪文の詠唱は不要だ.右手の中指と薬指を畳んで印を結ぶ,それだけでいい.
魔獣の足元に円形の魔法陣が発生する.
同心円状のそれは青く輝くと,炎を噴き出した.
青い炎の火柱が魔獣の肌を焼く.
バオオオッ!
魔獣は槍を振り回してもがいた.
その時はすでにシノノメは安全な場所に移動していた.といっても,炎と槍がわずかに届かない絶妙の間合いだ.
シノノメの鳶色の大きな瞳に青い炎が映っている.しばらく彼女は長い睫毛を瞬かせ,魔獣を見つめていた.
「えい」
いつの間にか手に持っていた刃物が一瞬光る.
目にもとまらぬ速さで手が動くと,床にはバラバラに切断された魔獣が転がっていた.
まるでスライサーで斬られたような,平たい円盤状,いわゆる輪切りである.
輪切りにされた魔獣の身体は徐々に細かいピクセルとなり,空気に溶けていった.
「ありゃりゃ」
シノノメは帯を整えた.
床には魔獣退治の特典――魔石や金貨が転がっている.
だが,彼女は拾わなかった.アイテムもお金も有り余るほど持っているので興味がない.
それより今のシノノメは大きすぎる胸と細いウエストが和服に合わないことに困っていた.寸胴体形の方が着物は着やすいのだ.タオルで体形を補正するのは面倒くさいのと着心地が悪いので,VRMMOの世界でまでしたくない.だが,現実世界の体形に近い方が仮想現実世界では動きやすい.
「毎度だけど,仕方がないね」
シノノメはそう言ってまた歩き出した.
気付くと目の前で通路は行き止まりになっていた.壁の全面を占めるように,床から天井まである巨大な両開きの扉がそびえ立っている.
この扉は乳白色の大理石でできており,扉の引き手は黄金の獅子を象ったものだ.これが最終地点,初代大公の聖なる墓所に違いない.
大理石には美しいレリーフが彫ってあった.
おそらく大公とその妃に違いない.ターバンを被った男の隣に,ペルシア風のセパレーツの服を着た女性が立っている.
本物の美術品ではなく,自分の頭――脳の視覚野――に送られている映像なのは分かっていたが,シノノメは少し見とれた.
夫婦は手を取り合い,仲良く寄り添っていた.
チリン.
シノノメは頭の奥で小さな鈴の音が鳴る様な感覚を覚えた.
何か大事な事を忘れている感じ.
決して忘れてはいけない物を……
だが,それはいつもの事ではある.
シノノメは頭を振ってそのかすかな‘音’をどこかに追いやった.
少し扉が開いている.
たった今どこかのパーティがラストステージに挑戦中というところだろう.
「お邪魔しちゃ悪いかな?」
シノノメはそっと隙間から中を覗いた.
***
パーティ,碧剣歯虎団ブルーセイバーキャッツの冒険者プレーヤーたちは絶望していた.
「くそっ……くそっ……」
団長のフレイドはさっきからその言葉しか口にしていない.
青銀色の甲冑がやけに重く感じられる.
彼は北の大国ノルトランドの竜騎士補だ.ノルトランドは剣の王国と呼ばれる軍事大国であり,名声や富,階級ランク全ても武力次第という弱肉強食の国家だ.
フレイドは実績を積むためにこの難関迷宮の攻略に挑んだのだ.
……自分とて,決して弱いとは思わない.
この第十二層に至るまで,数々の敵を屠って来た.獅子頭の魔神,猪頭の魔神,ゾウ頭の魔神.数日かかる攻略戦だ.仲間たちと一緒にセーブを繰り返しながらやっとここまで来たのである.
だが,
長い黒髪に,大きな目を隈どるアイライン.
額には縦長の第三の目が開いている.
三つの目はうつろで,唇は血の色だ.
はっきりとした顔立ちは美女のそれだが,口から覗く牙の間から,だらりと長い舌が嘲笑うように垂れ下がっている.
肌は死体を彷彿とさせる青色だった.
おそらくインドの戦闘女神,カーリーやドゥルガーをモチーフにデザインしたに違いない.身長は十メートルで,裸体に人間の頭蓋骨で出来た首飾りを着け,人間の手足の骨をつないだ腰巻を着けている.
六本の腕には各々,半月刀,三叉戟,戦輪チャクラム,鞭,独鈷杵,両刃の剣を持っていた.
動く度に腰や首筋の骨飾りがカラカラと乾いた音を立てる.
一本の腕に,一人.
碧剣歯虎団の前衛達が必死で戦っている.
碧剣歯虎団は様々な国の寄せ集め,寄り合い所帯だ.機械大陸アメリアの機械人間こそいないが,メンバーはバラエティに富んでいる.
剣士・騎士のフレイドの他にも,侍やドワーフ,猫人にダークエルフまでいる.
全員が必死だった.
魔神にしてみれば腕一本であしらえる小動物のような存在なのかもしれない.
「畜生,何ていう強さだ!」
剣士ドムゼンは中世ドイツ式の長剣ロングソード使いだ.半月刀をかろうじて受け止めたが,手がビリビリと振動している.受け止めるのに必死なドムゼンのガラ空きの胴を,独鈷杵が襲った.
「ドムゼン殿,危のうござる!」
侍ノブツナは日本刀の‘粘り’を効かせ,切っ先を受け流した.丹田に力を集中してなし得る,日本剣術の精華である.
だが,そのノブツナの頭上から三叉戟が落ちて来た.
「うわああっ!」
ノブツナはかろうじて前方に逃げたが,背中を深く三叉戟の刃がえぐった.
致命傷はのがれたものの,HPがみるみる間に減っていく.
「魔法攻撃はまだか?」
フレイドは厚刃の洋剣で魔神の半月刀を薙ぎ払いながら走り,叫んだ.
「あと二十秒!」
ユグレヒトが叫ぶ.
ユグレヒトはフレイドの古い友人で,ノルトランドの国教‘トゥアサー・デ・ダナン教’の司祭兼軍事参謀だ.軍事国家ノルトランドでは宗教家もまた軍人なのである.後衛では彼を中心に,魔法使いのグリシャムと呪禁道士じゅごんどうしのゲンゲツが呪文の詠唱を行っていた.
時折気まぐれに飛んでくる戦輪チャクラムから魔法職達を守っているのは,ボウガン使いのコンラッドである.
魔神も当然彼らの狙いには気づいている,というか,ゲームを運営する人工知能が予測済みというべきだろうか.前衛が釘付けにして時間を稼ぎ,後衛が威力の大きい魔法攻撃をぶつける――RPGが生まれて数十年同じこのパターンを知らない筈がない.
魔神は第三の目を大きく見開き,徐々に前衛を突破して後衛に接近しつつあった.本来壁となる前衛の圧力が不足しているのだ.
「そちらには行かせない!」
前衛唯一の女性,ダークエルフのアイエルが叫ぶ.
彼女は高い運動能力を生かし,前衛と後衛の間を移動しながら戦っていた.
ダークエルフは魔法と剣の両方を使えるが,両方ともスキルを伸ばすのは難しい人種キャラクターだ.
それでもアイエルは良く戦っていた.
二振りの短剣を振るい,魔法使い達を狙う鞭と戦輪を払い落す.
褐色のしなやかな体とブルネットの髪が揺れる.合間・合間で小さな炎の魔法を眼隠しにしながら,何度も跳躍し,空中で回転しては魔神の大腿に傷を負わせていた.
団長のフレイドが司令塔,ユグレヒトが参謀とするとアイエルは攻撃の要だった.運動量が大きいため,消耗が激しい.いつしか額には汗の玉が浮かび,ライトアーマーに包んだ胸が大きく上下していた.
「この野郎! いい加減,いい加減倒れろよ!」
ドワーフのミグルドが足に戦斧を叩き込む.これで3回目だ.魔神の皮膚はあまりにも固く,ドラゴンの背びれを削りだして作った斧があちこち刃こぼれしていた.
「せい!」
裂帛の気合の下に放たれたフレイドの大剣が,ついに魔神の右腕を叩き切った.斬られた腕は両刃の刀ごとピクセルとなり,空気に溶けていく.
団員の間に鬨の声が上がった.
最大のチャンスである.
三人の魔法使い達は全力で詠唱に力を込める.
「……白い女神よ,大地の炎よ,ゲヘナの火よ,われらが腕に宿りて敵を焼き尽くせ!」
直径三メートルほどの紅い魔法陣が空中に描き出された.
「行くぞ!!」
合図の声で,前衛六人は一斉に撤退した.
間を置かずして魔法陣の中央が赤く輝くと,地獄の業火を思わせる炎の塊が吹き出して魔神を包んだ.
グオオオオオオ!
全員が固唾をのんで見守る中,魔神が吼える.
だが,炎の中で魔神はシルエットとなり蠢いていた.
「喰らえ,狼の一撃,フェンリルハウンド!」
凶狼咆哮フェンリルハウンドは,フレイドの必殺技である.
フレイドは渾身の力を剣先に込め,魔神の腹に叩きこんだ.
まさに会心の一撃.
魔神の肉を断つずっしりとした手ごたえが腕に伝わってきた.ぱっくりと胴が大きな切り口を開ける.
空中に血液にも似た微細なピクセルの血飛沫が飛び散る.
「やった!」
「流石,団長!」
「ついに,終わったな……」
「長い戦いだった……」
団員たちは炎の照り返しを受けながら,安堵の言葉を口にし始めていた.
予想だにせぬことが起こったのは,その瞬間だった.
「いかん! まだ終わりじゃない! 下がれ!」
魔神のHPゲージを監視していたユグレヒトが叫んだ.
肉片になった魔神を包んでいた炎が間欠泉のように天井めがけて溢れだした.
まるで複数の頭を持つ,炎の竜だ.
炎の奔流は四方にあふれ出し,碧剣歯虎団ブルーセイバーキャッツの団員に襲いかかった.
「うわああ!」
「何が起こった!?」
四散した炎の舌はドムゼンを焼き尽くし,一瞬で消し炭に変えた.
「ドムゼン!」
叫んだゲンゲツの胸を,炎の中から飛んできた戦輪が貫く.
「ぎゃあああ!」
あっという間に二人ともピクセルになってログアウトしていった.
過剰な痛みは脳神経刺激装置ナーブ・スティミュレータが調整して緩和してくれる.だがあの様子では二人とも少なくない苦痛を味わったに違いない.
こうなると数日は再ログインできない.放射線被爆線量と同じで,時間当たりに許容できる脳神経のダメージは法律で規定されているのである.
「散れ! 散るんだ!」
フレイドは必死で叫んだ.
言うまでも無く,団員たちはただちに散開――というよりも,必死に避難していた.
「何これ,再生しているの?」
グリシャムの三角帽子が爆風に飛ばされた.長い金髪が揺れる.彼女はエルフの魔法使いなのだが,現在は森と湖の魔法を習得するためゆったりした茶系のドルイド服を着ている.
「いや,違う,炎が消えているし……全身のダメージが回復している.これは……」
作戦参謀,ユグレヒトが驚きながらも必至で状況分析している.
まるで動画の巻き戻しを見るように,魔神が元の姿に戻っていくのだった.
魔神の右手にはめられた宝玉の指輪がひときわ明るく橙色に輝いている.それを中心に渦を巻くように 魔神の周りの空間がグニャリと歪んでいた.
すっかり元の姿を取り戻した魔神は,眼をぐるりと動かした.
自分を傷つけた冒険者達に焦点を合わせると,長い舌で自分の赤い唇を舐めながらニヤリと笑った.
「そうか! あれはレアアイテム,時の指輪! ……カーリー女神は時の女神……時間を操れるんだ! 時間を巻き戻したか!」
何が起こっているかを悟ったユグレヒトが叫んだ.
「そんな馬鹿にゃ! ……レベルが高すぎる! レベル80とはいえ,そんにゃ……」
猫人の三太郎は一瞬目の前が真っ暗になったような気がして,膝をついた.
「団長フレイド! 指示して! どうするの!? 撤退? 戦う?」
アイエルが気丈に叫ぶ.それでも彼女は魔神に一番近い位置で待機しているのだ
「くっ!」
フレイドがほんの少しだけ躊躇したその時,魔神はまるで四股を踏むように巨大な足を振り上げると,床を踏みつけた.
大理石の床が激しく振動する.
地震,いや魔振とでもいうべき重低音の波動が全員を揺さぶった.まともに立っていられるのはドワーフのミグルドとフレイドだけである.
この一撃でダメージが限界に達したノブツナは,砕けた彫像のようにピクセルに分解され,ログアウトしていった.
魔神の額の眼はグルリと回転し,地面に倒れていたアイエルを捕らえた.一番近くにいた彼女は重振動で内臓を震わされ,体内にダメージを与えられたのだ.現実世界ならば肝臓や腎臓が出血している衝撃だ.アイエルは嘔吐しながらもがき苦しんでいた.
「危にゃいっ! アイエル!」
猫人は敏捷さが売りである.三太郎は必死に立ち上がり,走って魔神の脚に斬りつけたが軽く蹴散らされた.三太郎はボールのように壁に激突し,その衝撃で剣を持った右腕が砕け散って消滅した.何とか転がりながら魔神から離脱したものの,こうなるとアイエルを守るものは誰もいない.
魔神はまるで小動物をいたぶるかのように,一人一人を仕留めていくつもりらしい.腰の骨飾りをガシャガシャと揺らし,逃げ遅れたアイエルに向かって三叉戟を振り上げた.まさにこの凶器でお前を殺すと宣告しているようである.
アイエルは身をよじりながら部屋の隅に体を動かしていった.魔神の足元を突破する力など残っていない.行き止まりと知りつつも,そちらしか逃げ場がないのだ.
「アイエル! そちらは駄目だ! コンラッド! 援護を!」
フレイドが剣を杖にして体を支え,叫ぶ.
ボウガン使いのコンラッドはまだダメージで床に倒れたまま,矢を連射した.矢は全て魔神の背中に命中したが,魔神は蚊がさしたほどに感じているようにも見えない.魔神は背中に鋼鉄の矢をハリネズミのように生やしながら,よどみない動きのままアイエルを部屋の隅に追い詰めていった.
三叉戟の三つの刃がギラリと光る.
……無様なんて言っていられない!
アイエルはそれでも必死に床を這って逃げた.
魔神の歩みはまるでそんな彼女をいたぶっているかのようにゆっくりだった.
「こんなの,難しすぎるよ」
「つまり,攻撃の威力と攻撃時間のタイムラグがあると全くダメってことか」
「仕方がない,今回はあきらめてまた次の機会を……」
「セーブポイントからやり直して」
次々メッセンジャーが立ち上がり,全員のメッセージが交錯する.
「みんな,駄目だ! まだあきらめちゃいけない!」
フレイドは鞘を捨て,剣を肩に構えると必死でアイエルに駆け寄った.
次にこのメンバーで一緒に冒険ができるのはいつになるのだ,みんな仕事や学校の合間に集まっている.
北海道から九州,台湾の奴もいるのだ.
気の合う仲間たち,仮想世界でしか出会えない貴重な友情の証.
今日攻略を完了しないで,次があるものか.
そんなフレイドの思いをあざ笑うかのように,魔神はゆっくりその美しい顔を彼に向けた.
「この野郎! 喰らえ!」
そう叫びながらも,体が震える.
恐怖か,武者震いか.
魔神の目がそんな自分を侮蔑しているように感じる.
最後の力を振り絞り,彼は跳躍した.
握る剣に力を籠め,魔神の右肩口に斬り込む.
だが,……それはアイエルに逃げる暇いとまを与えることもできなかった.
まるで退屈に満ちた現実世界の障壁のように,魔神は易々と半月刀で彼の必死の剣撃を受け止め,叩き潰した.
「くそぉ!」
彼は法学部の学生だ.
学歴社会の軋轢と,将来の就職への不安.
永遠に続くかのような現実世界の過当競争の日々.
内に抱える抑圧された感情を爆発させるようにフレイドは叫んだ.
だが,それごと魔神の半月刀は彼を床に向かって押し潰していく.
フレイドを押しつぶしながら,まるで‘ついで’とでも言うように魔神は三叉戟を振り上げた.
高々と天井まで差し上げられた鋭い切っ先は,アイエルを串刺しにしようとしている.
逃げ場はもうない.仮想世界と知っていても,湧き上がる恐怖を止めることはできない.アイエルは体を襲う痛みに備え,歯を食いしばった.
三叉戟がギラリと光り,急速にスピードを上げて自分の上に落ちてくる.
アイエルは思わず目を閉じた.
キン.
鉄琴を叩いたような,高い音が部屋に響いた.
……いつまでたっても攻撃が来ない……
ゆっくり目を開けたアイエルは,思わぬ物を見た.
誰かが自分の前に立っていた.
それは見知らぬ少女だった.
亜麻色の髪に茜色の和服.
凶刃は彼女の頭上で緑色に輝く魔法陣に阻まれ,止まっていた.
少女――シノノメはまるで重さを感じさせないように,ふわり,と立っていた.
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