東の主婦が最強 現想世界の眠り姫
くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第1話 エピソード0
|一時間前に出て行ったあの人の面影を、ドアの向こうに追う。
土間に降りてサンダルをひっかけ、数歩歩いてドアノブに触れてみる。
電気が流れたような気がして、私は慌てて手を引っ込めた。
今日もできなかった。
……せめて家の敷地のところまで、彼を見送りたかったのに。
ため息を一つついて、磨いたばかりのフローリングの廊下に戻る。
奥の客間から、柔らかな光が家の中に満ちている。
家の中に畳の部屋が一つ欲しくて、客間の窓には障子紙を生かした和風のブラインドがとりつけてある。桜色の暖かい光が廊下の方にまで届いている。
結婚を機会に、理想――二人の大好きなものを集めて建てた家だ。
二十二歳で結婚なんて早いって周りには言われたけれど、少しでも長い時間を一緒に過ごしたくて選んだ事に後悔は無い。
むしろ、幸せなことがたくさんになったと思う。
結婚してからもうすぐ二年になる。それまで色々なことがあった。
自分の知らない世界をたくさん知ることができた。海外にも行ったし、国内も色々なところに行った。
輝く海も、光る山も見た。
一緒に色々な体験をした。
おいしい物も、へんてこな物も食べた。
一緒に笑ったこともあるし、喧嘩したこともある。
十歳も年上のせいか、どこか父親ぶった説教をするかと思えば、実生活のことは何も知らなくって、子供のようなところもある彼。そんなことを想うと、私の胸の中いっぱいに温かい気持ちがあふれて、少しだけ動悸が速くなる。
……今日も帰りは遅いのだろうか。
いつも疲れて帰ってくるから、たくさんおいしい物を準備して待っていよう。
そんなことを考えながら、私は階段を上がる。
二階はリビングダイニングで、私が最も好きな場所だ。
階段を上り終えると、白人工大理石が印象的なシステムキッチンがある。料理が好きな私のために、電子調理器でなくガスレンジを勧めてくれたのは、彼だ。
二階にもいっぱいの光が満ちている。
洗い物も、洗濯も済ませた。
私はリビングの隅にある、日だまりのソファに腰を下ろした。
そこには、カチューシャとバイザーを合わせたような機械がある。
アイオーンという会社のVR《バーチャル・リアリティ》ゲーム機だ。
……いつも家の中で一人でいると、寂しいんじゃないか。
そう言って彼が買ってくれた、新しい高価なゲーム機。
彼の仕事で使う関係で、もともと私たちの家は今時珍しく固定電話回線、しかも量子回線が引いてあった。
……工事はいらないから、ゲーム機だけ買えばいいし。
主婦的には少し気になる出費だったけど、気にしてくれているのはとても嬉しかった。買ってきてくれたときのことを思い出すと、またニヤニヤ笑いが自然に出てしまう。
……いけない。夕飯の支度に間に合わなくなっちゃう。急いでログインしよう。
寝癖がつかないように注意して機械を頭につけ、ソファにねそべって準備完了だ。
耳の上にあるスイッチを入れると、わくわくしてくる。これで人工の異世界に行くことができるのだ。
行くと言っても、実際にはこの機械で脳に刺激を送って、体験することができるという物だけれど。
行き先は、日本の誇るすごいコンピュータが管理している、マグナ・スフィアという惑星だ。
マグナ・スフィアには大きな二つの大陸があって、プレーヤーはどちらかを選んで参加することになっている。
一つは機械人間が戦闘を繰り広げる、アメリアという大陸。シューティングゲームが好きな人とかが参加しているそうだ。
もう一つは
私が選んだのは、もちろんユーラネシアだった。
物語や映画も、そしてゲームも、ファンタジーものが大好き。
魔法使いや妖精が出てくる世界が良いに決まってる。
だけど、今になって時々思う。
私は何であんな
魔法使いでも剣士でも騎士でもなく……
マグナ・スフィアなら、千以上の仕事が選べるというのに。
マグナ・スフィアでの私の職業は、主婦。
……マグナ・スフィア・ログイン。
表示とともに現実世界での意識が次第に遠くなる。
まるで、夢に落ちていくように。
ああ、始まった。もう何故かなんていいや。
マグナ・スフィアで私はこう呼ばれている。
――東の主婦、シノノメと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます