第5話
国語の時間に島崎藤村の「初恋」を習っていた。教師はこれが理解できないものはいるか、と言った。昇はおずおずと手を上げた。恥ずかしそうに手をあげたのは男子のみ数人であった。教師は微妙な笑顔をうかべ、「ほぅ」と言った。
あのとき、知子は手を上げてはいなかった。先ほど思いついた難解に見えた方程式の解を思い出した。そうだったのか、と昇は思った。数式が難解ではなくて、こころの問題だった。物理学者は数式に思想を込める。「この現象はこうあるべきだ」と。それと同じ理屈だ。初恋、この現象は「こうあるべき」という理屈を説明するように思えた。納得がいったわけではないが、理屈に隙がないように昇には思えた。
「知子ちゃん、いいよ、明日はうちの前で待ってる」
「ほんと、いや、照れるなあ」
知子は妙になれなれしく言った。知子にしても精一杯の演出だったのかもしれない。すこしだけ、愛おしさという感情らしきものがよぎった。なぜか、知子の目を見た。何のかげりもない。この夕ぐれでひとみが輝いている。これが解だ、そう昇は思った。
「まだあげぞめし、まえがみの......」
と昇は一人つぶやいた。しばらく知子は黙っていた。そして、知子が昇を見つめながら続きをつぶやいた。
「ひとこいそめしはじめなり......」
完
2017.9.17初稿
2017.9.19改訂
2017.12.2改訂2
君の見える坂道 いわのふ @IVANOV
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