第4話 至って普通の憧れという気持ち

塾に通う普通の男子生徒】


僕には、兄のように慕っている人がいる。

兄と言っても、僕の一方的な印象で、実際は遠くから見ているだけ。

間違っても僕と彼との間には、そんな距離感はまったくない。

単純に、僕が一方的に、ただ憧れているだけ。

出来ることなら、彼のようになりたい。

そんな、誰でも思うような、どこにでもある普通の憧れ。

彼は、僕の行く塾の先生をしている。

共通点というか、彼と会える時間は塾の時間だけ。

それ以上で以下でもない。

彼の教えている科目は国語。

彼はたくさんの事を知っていて、そしてきれいな字を書く。

まるで、彼を表しているようなきれいな字を書く。

繊細で、それでいて力強い。

あの、細くしまった腕で抱きしめてもらいたいと思うのは、異常なのだろうか。

そんな彼の授業は、塾の科目の中でも一番真面目に受けている。

しかし、はっきり言って、僕は国語というモノが苦手だ。

特に古文。

現代人の考えている事が分からないのに、昔の人の考えはもっとわからない。

分からないことだらけだけど、一つだけ知りたいことがある。

それは、あの人の気持ちが知りたい。

先生は、来月結婚するらしい。

きっと、いい旦那さんになるのだろう。

安易に想像がつく。

優しい笑顔で、奥さんと楽しそうに笑って話をする。

きっと子供が産まれて父親になっても、その優しい笑顔は生まれてくる子供に与えられるのだろう。

決して、僕に向けられる笑顔とは違う、優しい微笑みで。

この気持ちを伝えたら、絶対迷惑になることは分かっている。

だから、授業はがんばって受ける。

そして、話す事は必要最低限な質問だけ。

それ以外で、話しかける事はない。

わからないところを教わるだけ。

それだけなのに、近くにいるだけでドキドキしてしまう。

こんな気持ちのまま、先生の背中を見ることしか出来ない僕。

自分が歯がゆい。

ところで、一つ誤解があるかもしれない事を確認しておく。

僕は、男性が好きなわけではない。

先生の事が、好きなのだ。

彼だけが・・・

幸せに結婚する先生を笑顔でお祝いしたいけど、どうしても上手に笑えない。

ある日の塾帰り。

入り口に見知らぬ女性が立っていた。

その女性は、確かめるまでもなく、すぐに分かった。

でも、信じたくなかった。

僕から見ても、きれいな人だった。

先生にお似合いの、きれいな大人の女性。

先生と一緒に帰って行く後ろ姿をこっそり見送る。

想いが言葉にならない。

決して口に出さない、この想い。

先生・・・こんな僕ですが、あなたのことをずっと好きでいてもいいですか?



普通の塾の教師】


塾の講師になって、何年になるだろう。

いままでたくさんの卒業生を見送ってきた。

自分の授業が少しでも役に立っていると思うと、仕事にやりがいも感じる。

そういえば、今年は特に熱心な生徒がいる。

実際、彼の成績は伸び悩んでいるが、やる気だけは感じられる。

真面目に授業も受けているし、よく質問をしにやってくる。

少しずつではあるが、成績も良くなってきている。

この調子でいけば、今より上を目指せるのではないかと思っている。

個人的な見解だが、最近何故か、妙にその生徒の事が気になっている。

授業終わりに彼からの質問を教えていると、必然的にふと目があう。

しかし彼は、必ず目をそらす。

そして、時々少女のように赤い顔でうつむくこともある。

いったいどうしたのだろう。

どこか体調でも悪いのだろうかと心配になっている。

真面目に受けているのは分かっているが、授業中もあまり目を合わせようとしない。

国語教師として、様々な問題を解いてきた自分だが、彼の心情がよくわからない。

気がつくと、いつしか彼を目で追っている自分がいる。

彼のことが、少しずつ気になっているのかもしれない。

これは、どういうことだろう。

決まっていることが一つ。

自分はもうすぐ結婚する。

付き合って5年になる彼女がいて、最近やっと仕事も順調になり、収入が安定してきたので、思い切ってプロポーズした。

答えはもちろん、OK。

喜びの絶頂というはずだが、なぜか塾の生徒である彼の事が頭をよぎった。

自分は、いったいどうしたのだろう。

彼女も、なんとなく自分の異変に気づいて、変な質問をするときがある。

決して浮気なんてしていないし、する気もない。

このまま、幸せに結婚したいと考えている。

ただ・・・

なにか、今の自分に違和感を感じる時がある。

今のこの状況は、本当に幸せなのだろうか。

いったい何を幸せと感じるのだろうか。

きっと疲れているのだろう。

今日は珍しく、彼女から連絡があった。

仕事の後、一緒に食事に行こうと言ってきた。

もちろん喜んで行きますの二つ返事で返した。

塾の出口で、約束の時間より少し早めだったが、彼女は待っていた。

彼女と職場を後にした時、少し離れた所にいたあの生徒が目に入った。

自分は彼を横目に、彼女と職場である塾を後にした。

気のせいかもしれないが、ふと目に入った彼の悲しそうな目が、自分の心の中に引っかかっている。

このままいけば、普通の幸せが待っている。

それだけで、満足なのだろうか。

どこかで何かが引っかかる。

そんな気がする。

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