僕の話 第19話

 両側を田んぼに囲まれた道を僕らは並んで走っている。周囲に大きな建物がないせいか、時折吹く大きな風で稲穂が波打った。

「沙仲ちゃんと幼馴染って結構大変でしょう」彼女が言う。

「そうなんですよ」

 分かってくれますか、と同意した。沙仲の我儘わがままに付き合うのにどれだけ時間を割いたことか。世の中には外見に騙される男が多くて困る。本質を見抜く目を養ってほしいところだ。

「あれだけ可愛いと言い寄ってくる子も多いでしょう。守るのも大変よね」

 何を勘違いしているのか彼女はそんなことを言う。

「僕と沙仲はそういう関係ではないですよ。たまたま家が近かっただけです」

「そうだったんだ。沙仲ちゃんがあんまりにもあなたの話ばかりするからてっきりそうだと思ってた」

 大丈夫ですよ、と言いつつ僕は内心ビクビクしていた。一体何を沙仲は話したのだろうか。

良い内容は期待できない。

「大丈夫?」

 熟考する僕を心配した彼女が声を掛けてくる。これでは駄目だと思考を切り替える。何事に対しても過剰に心配してしまうのは僕の悪い癖だ。

「どんな話を聞きました」恐る恐る問いかけた。

「楽しい話しか聞いていないけれど、うーん」

 何か言うのを躊躇ためらっているのか彼女の口からその先の言葉は出なかった。

「そこで止められても困りますよ」

「でも、これを知ったら怒りそうだし」

 沙仲のことを心配しているのか彼女の口は堅い。

「そう簡単に人が怒ると思いますか。それに僕は人よりも寛容かんようですからね、右の頬を殴られたらさらに左の頬を差し出して次にまた右の頬を差し出すくらいですよ」

 そんな軽口を叩く。さすがに怒るほどの話はそうそうないだろうと高をくくっている部分もあった。

 じゃあ言うね、と彼女が話始める。

「中学の頃の彼女が未だに交際に気付いてないって本当なの?」

 核弾頭のよりも強烈な一言が発せられる。怒りよりも動揺の方が大きかった。心の動揺が体に伝わったのか、風に煽られてあわあわと道路と田を隔てる小さな斜面に前輪を取られた。

 ガタガタと小石を踏みながら自転車は斜面を降り、田んぼの水を調整するために作られた側溝に落ちた。前輪がはまり、田んぼに転倒しそうになる。足を出して踏ん張ろうとしたものの、勢いが収まらず、態勢が崩れる。滑る自転車に押されて足が溝のコンクリートに押し付けられる。

「イタっ」思いがけず大きな声が出てしまった。

 続いて後輪も側溝そっこうはまり、何とか転ばずに済んだ。しかし、右足は自転車と側溝に挟まれ、少し動かすだけで皮膚がコンクリートに擦り付けられて痛んだ。

「大丈夫?」クールな印象の彼女に似合わず大きな声を出して心配してくれる。

「なんとか転ばずに済みました」僕は笑って言うが、圧迫されている右足は痛んだ。

 なんとか自転車から降りて側溝脇の小さな土手に体を置く、右足だけは未だに挟まったままだ。

 道路脇に自転車を停めて、美薗さんが様子を見に来る。

「右足抜けないの?」僕の状況を見て彼女が言う。そんな彼女に対して僕は情けなく頷く他なかった。

 自由な両手で自転車を前後に動かす。その少しの振動が傷口に直接伝わる。僕が苦悶くもんしたせいか、美薗さんの顔が一層険しくなる。醜態しゅうたいを晒し続けるのを避けるべきだ。痛みで脳が働かないかと思えばそんな打算的な考えはすぐに思いついた。どんな苦しい状態でも他人の目は気にしてしまうのだなと思った。

 現状を打破するには痛みは必要不可欠だった。

 せーのっ、自分の中の掛け声と共に全ての力を注いで自転車を前に押した。

 あああ、と僕が、ぎぎぎ、と自転車がうめいた。自転車が前進するとすぽっと足が抜ける。側溝から足を引き抜き、土手に上げた。元々白かった靴は元の色が分からないほど泥で黒くなっていた。

「良かった」足が抜けた僕を見て美薗さんは安堵あんどの声を漏らした。

 僕自身も安心する一方、傷口を見るのが怖かった。制服のズボンの引っかかっていた部分は破けてはいなかったものの、コンクリートに擦りつけられて傷ついていた。

 ゆっくりとズボンのすそを上げる。生々しい傷口があらわになる。肌の表面が剥け、グロテスクな肉がむき出しになっていた。その見た目の痛ましさもあるがそれ以上に違和感を感じる。足の痛みを感じた部分に対して傷口がそれほど大きくなかったためである。不思議に思って傷口を注視していると、肌がだんだんと傷口を塞いでいく様子が確認できた。ゆっくりと、しかし確実に普段目にする肌が傷口を覆っていく。

 それは気味の悪い光景で、自分の右足にも関わらずまるで他人の物に感じられた。

「傷はどんな具合」美薗さんが僕の方を覗き込む。

「いや、ほとんど傷はなかったよ」傷口をズボンで隠して言った。

 直観であったが、この光景を誰かに見られるのはまずいと思った。

「あんなに痛がってたんだからそんなことないでしょう」

 ちょっと待っててと彼女は自らの自転車まで走り、ミネラルウォーターとティッシュを持って戻って来た。

「ほらこれ使って」彼女はそれらを差し出す。

 本当に大丈夫だって、気にしないで。僕は申し訳なさで遠慮しているていで断りを入れた。彼女もまさか傷が異常な速度で回復しているとは思っていないだろう。

「そんな遠慮しないで、ほら見せて」そう言って彼女は僕に詰め寄る。

 ほんとにいいって、僕は抵抗したが強く拒否することもできず、足を捕まれてしまった。彼女はズボンの裾を無理やりめくり、傷の様子を見る。

 しかし、そこに傷はなく、傷のあった所だけぽっかりと脛毛すねげが無くなっていた。クレーターのように脛毛のない部分を見て彼女がしばらくぽかんとしていた。

「痛がりなのね」彼女は最後にズボンの裾を戻しながら言った。

 不自然な光景であったけれど、彼女がそれに気付いた様子はない。傷は無くなったが、不名誉なレッテルが残った。

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