あわせ鏡の部屋
「警部、この事件を担当する探偵についてなんですが」
「どうした」
「探偵の方は動くことが出来ない状態のようでして、こちらの方に来て欲しいと」
そう言うと笹垣は住所の書かれた一枚の紙の切れ端を差し出してきた。住所を見ると、そこは都内にある高級住宅地で、新海は年を取った富豪の探偵が趣味で探偵をしているのだろうか、と思った。
しかし、その切れ端には住所しか書かれていなく、他の情報が書かれていなかったため、新海は不思議に思ったが、そんなこともあるかと思い自分のデスクの傍らに立ったままの笹垣に別のことを訊いた。
「で、この住所に我々が行って探偵に事件の説明をすれば良いのだな?」
「いえ、聞くところによると、説明はいらないので容疑者たちを連れてきて欲しいとのことです」
「そうなのか、なら話が早い」
そうは言ったものの、新海はなぜだか不安を覚えた。
*****
その事件は閑静な住宅街で起こった。被害者の男性、
藤枝はその様子から、頭部を何らかの鈍器で殴られたようで、真正面から殴られたにも関わらず全く抵抗の形跡が見られなかったことから、被害者の知人による犯行だろうと考えられた。また、死体を隠そうともしなかったことから犯人はかなり急いでいたか、気が動転したものとみられている。ちなみに、犯行に使われた凶器は見つからなかった。
そのようなことから捜査本部では当日藤枝と飲み会をしていた友人が怪しいとにらんでいた。その友人三人――
三人とも犯行のあった時刻はそれぞれ帰宅中だったようで、アリバイは無かった。
「ここがその住所か……なんだか、その、すごいな」
「ええ、警部。間違いなくここの筈なんですが……」
新海は、署で笹垣に渡された紙に書かれた住所のところに来たのだが、そこにあった家は住宅街の中で異彩を放っていた。それはレンガ造りの古めかしい洋館で、それだけを見れば高級住宅街にあってもおかしくないと言えるのだろうが、その洋館の窓はよごれていて、さらにその壁にはびっしりと蔦が這っていた。
誰も住んでいないかのように、その家は太陽の高く昇る昼であっても薄暗く感じた。
「刑事さん、探偵がいるというのはこの家で間違いないですか?」
そう不安げに聞いてきたのは被害者の友人の一人、増山だった。後ろでは金井と幸田も同じようなことを思っている様子で頷いている。
まだ事件の捜査が始まったばかりなので容疑者と呼べるほど人物は絞り込めていなかったので、金井、増山、幸田の三人は容疑者、というわけではなかったが、探偵に話すにあたって、いた方がいいと新海は判断したため、指定された住所に連れてきた。
新海がどう返事したものかと思い悩んで、目の前にある洋館を見ていると、まるで新海たち五人が来ることが分かっていたかのように、洋館の扉が開いて中から老人が出てきた。
その老人はひどく腰が曲がっており、杖を使わないで立っているのが不思議なくらいだった。老人は新海たちを見つけると、曲がった腰をさらに折り曲げて、丁寧に挨拶をしてきた。
「あなた方が、ここに来ると言っていた刑事さんたちですか。私はここの管理をしております
「ええ、そうです、探偵の方に会いに来ました。捜査一課の新海と申します。あの、探偵の方は……?」
そう言って新海はあなたが探偵かという顔で見つめていると、筧はまさか、と苦笑した様子で話した。
「探偵はこの家の中にいます。私はそこまで案内します」
「そうですか、ではすみませんが早速」
新海がそう促すと筧は家の中へと彼らを招き入れた。
館の中は外観とは違い綺麗だった。もっとも、壁に張った蔦で薄暗くはあったが。新海たちが探偵の元に案内されている途中、唐突に筧が話し始めた。
「ところで刑事さん、探偵はどんなものだと思いますか?」
意味の分からない質問だなと新海は思いつつ、答えた。
「どんなものも何も、事件を解決する存在、ではないのですか?」
「おや、刑事さん、様々な体験をしていらっしゃると見える。そこで事件を解決する人間と答えなかったのはとても素晴らしい。しかし、惜しい」
そのように一行の前を歩きながら話をする筧の姿を見てどこか不気味なものを新海は覚えた。
「では、あなたの考える探偵とはなんですか」
「考えるも何も、事実なのですがね。探偵とは、事件を解決する現象のことなんですよ。何がどうあろうと事件を終息へと導く、ね」
そこまで言うと、筧は一つの扉の前で足を止め、新海たちに告げた。
「ここが探偵のいる部屋です」
ここに探偵がいると聞き、早速新海はその扉をノックしてから入ろうとして、筧に止められた。
「すみません。この部屋には一人ずつ入るようにお願いします」
「わかりました。では私から入らせてもらいますね」
そう言って新海は皆より先に部屋に入った。
部屋に入ると、新海がまず驚いたのは部屋が真っ暗なことだった。暗い、そう思った瞬間に後ろのドアは締められてしまったので、しょうがなく持っていた携帯端末のライトをつけた。すると、目の前に鏡があるのか、反射した光が新海の目に飛び込んできた。
その後しばらくして、新海はその部屋の全体――壁、床、天井が鏡に覆われていることが分かった。その為、部屋には証明がなく、暗いのも当然のことだった。さらに、探偵はその部屋には見当たらず、もしや鏡の中にいるのではないかと思って話しかけてみたが何も反応はなかった。これ以上この部屋にいても頭がおかしくなりそうだったので新海は諦めてその部屋から出ることにした。
部屋から出ると、心配そうに笹垣が話しかけてきた。
「長いこと部屋にいましたね、警部。探偵は中に?」
「いや、まあ、中に入ればわかる。次、笹垣入るか」
「いえ……私は遠慮しておきます。なんだか嫌な予感がするので」
「そうか……ならわかった。では、関係者にも一人ずつ入ってもらいましょう」
関係者三人にも中に入ってもらう事を伝えたが、その際に中が暗いことと、人がいないことを伝えた。人がいない、というと彼らは不思議そうな顔をしていたが、安全は確認した、とごまかすと何も言ってこなかった。暗所恐怖症などの人間はいなかったので、一人ずつ入る部分にも何ら問題はなさそうだった。
一人目は金井に入ってもらった。金井は中に入って五分もしないうちに出てきた。
「刑事さん。なんですかあの奇妙な部屋は。頭がおかしくなるかと思いましたよ。よくあの部屋に長いこといられましたね?」
暗にお前の頭がおかしいんじゃないかと仄めかす金井を無視して、次の人間に入ってもらうことにした。
次は幸田に入ってもらうことになった。増山は笹垣と同じようになんだ嫌な感じがすると言ったので、最後に入ってもらうことになった。
幸田が入った後、新海は一行が部屋に入っている間静かに佇んでいる筧に話しかけた。
「あの部屋に探偵がいるんですか? 中を見たところ誰もいなかったのですが」
「先ほどの話をもう忘れたのですか? 探偵とは存在ではなく現象だと。まあ、見ていればわかりますよ」
筧がそう言うのとほとんど同時に、部屋の中から悲鳴が聞こえた。悲鳴は断続的にあげられ、中にいる幸田が何かに苦しめられていることは分かった。
慌てて新海が扉の取っ手を掴んで開けようとしても、びくとも動かなかった。鍵などはないことは確認していたのに、唐突に扉が開かなくなった。依然として悲鳴は続いている。仕方ないので、新海は笹垣とともに扉を壊して開けることにした。二人で何度か体当たりをしていると扉の木材自体は頑丈ではないようようですぐに壊すことが出来た。
中を見ると、外からの明かりで床に幸田が倒れているのが分かった。新海は倒れている幸田を起こそうとして、身体に触れたが、どうにもおかしい。慌てて脈をとってみると、脈がなかった。
*****
救急車を呼び、その間講習で受けた心臓マッサージ等を試みたが芳しくなく、搬送された病院先で幸田の死亡が確認された。幸田が病院に運ばされる前から筧の姿はなくなっていた。
さらに幸田が死亡してから、事件に関する証拠が唐突に湧き出したかのように出てきた。被害者の自宅近所にある監視カメラに幸田が映っていたり、事件当日、事件現場の家から走り逃げる幸田に似た人物を見たとの証言が出たり、幸田の一人暮らしの部屋からは犯行に使われたであろうゴルフクラブが見つかったりと、あらゆる証拠が幸田が犯人であると示していた。
しかし、新海はこれらの証拠がどうにも胡散臭いもののように感じていた。藤枝と幸田の間で金銭によるトラブルがあり、動機なども出てきていたが、なぜ、幸田がゴルフクラブをわざわざ持って藤枝の家に行ったのかが分からなかったのだ。
そのような新海の小さな疑問はどうでもよくなってしまった。それよりも、警察官二人もいたのに目の前で事故が防げなかったことに対しての責任が追及されたからだ。
調査で分かったことだが、事故のあった家には誰も住んでおらず、筧などという管理人がいるという事は出てこなかった。さらに驚くべきことに、後でその屋敷を捜査したとき、全面鏡張りの部屋が見つからなかった。隠し部屋、地下室などが無いかも調査されたが、それでも見つからなかった。
さらに、奇妙なことには探偵協会の方からも、そんな探偵は存在しない、との回答があったのだ。しかし、書類では間違い無く指定されており、さらには署長の印まで押してあるので、署内でその事故に関する調査は混乱を極め、最終的にはうやむやになり、新海と笹垣の責任は追及されることがなくなった。
新海は不謹慎だと思いながら、責任を追及されなくてほっとした。それにしても、あの部屋は一体何だったのだろう、部屋の中で幸田に何が起きたのだろう、と新海はそう思った。
事件は被疑者死亡として解決した。
探偵を呼べ 三〇七八四四 @4h3scar
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