奥さまは名探偵
「警部、探偵の方をお連れしました」
「うむ。ご苦労。おや? 探偵の方が見えないみたいだが?」
新海はまたこのパターンが来たか、と諦めたような調子で尋ねた。
「ああ、警部。探偵自身に希望により、部屋の外で待機してもらっています。準備が整ったら読んで欲しいとのことです」
「なんだ、いつでも入ってくれて構わないのに」
「邪魔になってはいけないからとおっしゃっていましたよ。最近の警部の様子を心配してらっしゃるみたいで……」
笹垣が珍しく歯切れ悪くそう伝えてくる。今回の探偵は新海と面識のある人間なのか、と思った。しかし、新海の方には最近あった人物の中に探偵の知り合いなどいない。そもそも、ここ最近は忙しく、家と仕事場を往復しているだけの生活で、警察関係でない知り合いと会うことはほとんどない。
確かに、新海はここ最近の仕事は(主に探偵が原因で)非常にストレスと疲れがたまっており、簡単な作業をやっても普段はやらないようなミスを犯したりして、同僚たちからも休んだ方がいいのではないかなどと心配されてしまっている。
今日も、家から出るときに妻からも心配されてしまった。情けないことだ、もっとしっかりしなければと新海は反省した。
「ところで、笹垣、その眼鏡はどうしたんだ? 視力が悪いという話は聞いたことがなかったが」
笹垣の端正な顔に黒縁の眼鏡がかけられているのを見て新海は訊いた。
「これですか。いえ、視力が悪いというわけではないのですが、この間、私の彼女とデートしているときに似合うと言って選んでもらったのです。レンズに度は入っていません。いわゆる伊達眼鏡ですね」
なんだ、この、見た目はいいが不愛想な男にもかわいいところがあるじゃないか、と新海が感心していると、笹垣は口を開いて言った。
「警部、そろそろ探偵の方を呼びましょう」
「おっ、そうだったな。入って来てください」
そう新海が呼びかけると応接室の扉が開き、一人の女性が入って来た。肩の部分で切りそろえられた綺麗な黒髪、かわいらしい顔に浮かべられた魅力的な表情、服装はスカートスタイルのスーツ姿で姿勢が美しい。
その女性を見て、新海は驚きの為か、口を開けたまま一瞬固まってしまった。そして硬直が解けると、こうつぶやいた。
「
霞と呼ばれた女性――新海警部の妻、新海霞――は新海警部の方を見て微笑みながら、こういった。
「えへへ、来ちゃった」
「霞、どうして君がここにいるんだ? まさか、最近始めた仕事っていうのは――」
「ごめんね、ゆうちゃん。黙ってて。もうちょっと実績が出来てから探偵やってるってことを教えてびっくりさせようと思ってたんだけど。最近のゆうちゃんの様子を見ていると心配でいてもたってもいられなくって、協会の方に無理言って今回の事件の担当にさせてもらったの」
以前、新海は霞に昔推理小説に出てくる探偵に憧れたことがあると言ったことがある。しかし、警察関係者は探偵の資格を得ることが出来ないから残念だ、自分の能力なら確実に取れるのにななどど冗談めかして言ったのを霞は覚えていたのだろう。嬉しいことだ、と新海は思った。
霞は新海の七歳年下で、五年前にある事件の関係者である彼女と知り合い、新海に惚れた彼女の猛烈なアプローチが実って三年前に結婚した。それから日々、仲のいい幸せな夫婦生活を過ごしている。同僚たちからも羨ましがられることもしばしばだ。
「ありがとう。でも、大丈夫なのか? 霞、事件捜査は結構大変だぞ」
新海がそのように霞を心配すると、笹垣が霞に代わってこう告げてきた。
「警部、お言葉ですが、彼女、新海霞さんはかなり優秀な探偵です。犯罪事件専門の探偵として担当した事件はすべて彼女の推理によって早期に解決しています。その為、今回の事件の捜査を担当したいというわがままも通ったのでしょう」
「そ、そうなのか。では、今回の事件、頼りにするぞ。よろしく」
そのように声をかけられた霞は心底嬉しそうに、
「はい!」と答えた。
*****
大学で英語の講師を務めていた二十八歳のアメリカ国籍の男性、ジョニー・ウォーカーの死体が見つかったのは、三月十七日、金曜日の午後二十二頃、自宅のあるマンションの前にある通りで発見された。おそらく帰宅途中に襲われたものだと思われる。事件当夜、その道には人通りが少なく、不審な人物などの目撃情報は特に得られなかった。しかし、鋭利なナイフでめった刺しにされていたことから、怨恨による殺人であろうとみて捜査を進めている。
さらに、手掛かりが全くないというわけでもない。ジョニー・ウォーカーはめった刺しにされ、おそらく体に全然力が入らなかったであろうにも関わらず、血で書かれたダイイングメッセージを残したのだ。『
捜査資料をを読んできたという霞に確認がてら事件の概要を話すと、笹垣が報告をしてきた。
「警部、残されたダイイングメッセージですが、筆跡鑑定をしたところ、ほとんど本人のもので間違いないとのことでした。また死亡推定時刻は十九時から二十一時とのことです」
「そうか、ありがとう。それにしても『
「はい、日本人の女性で、
「よし、ではその女性にも後で話を聞くこととしよう。他に何かあったか、笹垣」
「いえ、警部。特に現時点ではありません」
「そうか、霞は何かあるか?」
「私も特にないかな。でも、そのダイイングメッセージについてもうちょっと考えてみた方がいいかも。あ、笹垣君、今まで気づかなかったけど、その伊達眼鏡、すごくかっこいいね。彼女さんに選んでもらったの?」
「ええ、ありがとうございます。よくこれが伊達だと気づきましたね」
「顔の輪郭のところが歪んでなかったからね。それにしてもよく似合うよ」
被害者の恋人、中田香奈に話を聞いたのはそれから少ししてのことだった。事件のことを知ったのか、泣きはらしたと思われる目元を見て、少し同情しながら新海は訊いた。中田は終始上の空といった様子だった。
「初めまして、ジョニー・ウォーカーさん殺害事件の捜査を担当しております。警部の新海と申します。あなたはジョニー・ウォーカーさんと交際されていた。中田香奈さんで間違いないですか?」
「はい、そうです……」
殺人事件の捜査をする度に悲しんでいる人に聞き取りをするのは大変心苦しいことだと新海は毎回思うが、仕事だと割り切ってまた訊き始めた。
「恋人をなくされたのは大変悲しいこととは思われますが、事件解決のために協力お願いします。まず、事件のあった三月十七日ですが、被害者の方と会ったりしましたか?」
「三月十七日は、ジョニーと朝から夕方までデートしていました。付き合ってからちょうど一周年の記念で、彼もとても楽しんでいました」
「彼と別れたのは何時ごろでしたか?」
「はい、十七時半頃だったと思います。ジョニーが翌日から出張があるとのことでその日は早めに解散したんです……」
解散しなければもしかしたら助けられたかもしれないのに……と、泣き出してしまいそうになっていたので、すかさず質問をした。
「彼は誰かに恨まれている……だとかそういう話を聞いたり、相談されたことはありませんか?」
「いいえ、ありません。人に恨まれていたことすら信じられません。ジョニーはとてもやさしくて、いいひとでした」
「そうですか。では、最後に、十九時から二十一時まであなたは何をしていましたか? すみません、形式上聞かなければならないことでして」と、新海は申し訳なさそうな表情で言った。
「ええと、その時間でしたら、大学時代の友人と食事をしていたと思います。確認するのでしたら名前と連絡先を教えます」
「ええ、ではここにいる、笹垣に教えてください」
中田香奈の元を後にしながら、新海は得た情報をもとに考えた。
「確かに被害者はデートしていたが、彼女には確実なアリバイがあった……何か別のことをさしているのかもしれないな……日付のことか?」
そう新海が悩んでいると、霞が声をかけてきた。
「まだ始まったばかりなんだから、そんなに悩んでもしょうがないよ。ほら、私もゆうちゃんの力になるからさ!」
その言葉に元気づけられたのか新海が笑いながら、
「そうだな、霞、ありがとう」と言った。
次に新海たちはジョニーの仕事の同僚であるという
ジョニーについて話を聞いてみると、森は少し寂しそうな顔をして、話した。
「ジョニー? ああ、あいつか。確かにあいつはいいやつだったと思うよ。英語を担当する講師で飲み会とかがあったときに結構話したことはあるけれど、受講する生徒のことをよく考えていた。他の奴に聞いても皆同じようなことを言うだろうね。恨んでるやつなんて、あいつに単位を落とされた学生くらいのものじゃないかな」
森もアリバイを持っていたことを確認すると、お礼を言い、その場を離れた。
他に被害者を知っている人物にもいろいろと話を聞いてみたが、森の言う通り同じような証言しか得られなかった。
また、学生でジョニーの講義を受けていて、単位を落とされたものは数えてみると思ったよりも多く、この中に犯人がいるとしてもかなり時間がかかるだろうと新海は思った。
やはり被害者の残したダイイングメッセージについて考えた方がいいのかとも思ったが、そう都合よく答えが出てくるはずもないと新海は笑った。周りのものがヒントになって偶然謎が解けたりしないことなど新海は痛いほど分かっているのだ。
そんな風に考えていると霞は心配そうに新海を見つめながらこう言った。
「ゆうちゃん、大丈夫? いったん休んで、昼ご飯でも食べよう? ほら、笹垣君も報告しに署に戻ってるわけだし」
「そうだな……少し疲れているのかもしれないな。よし、昼ご飯にしようか、何を食べようか」
「えへへ、今日はお弁当を作って来たの。近くに広い公園があるみたいだからそこで食べようよ! 疲れてると思って甘いものを結構入れて来たんだ。伊達巻きだとか」
「そうか、ありがとう」
何か見落としているんじゃないか、そんな気分のまま、自分を元気づけてくれようとする愛しい妻に新海は感謝した。
「ゆうちゃん、ダイイングメッセージのことなんだけどさ、やっぱり他に思い浮かぶことないの?」
「そうだな、『Date』か……うーんやはり最初の解釈以外だと全然出てこないな……人名? いや、デートなんて人間の名前なんて全然上がってきていないしな……」
新海がそう言うと、霞は非常に惜しそうな顔で何かつぶやいているが、よく聞き取れない。本人もあまり聞いて欲しいことでもなさそうだったので、新海はそれを詳しく聞くことはやめて、弁当箱に入っていた伊達巻きを口に入れた。控えめな甘みが口いっぱいい広がり、美味しいな、と新海は幸せな表情になった。
「やっぱり、あの伊達男、森が言うように被害者を恨んでる人間は全然話に出てこなかったね……やっぱり彼の講義を受講していた学生の中に犯人がいるのかなあ? あ、私にとって世界で一番かっこよくて好きなのはゆうちゃんただ一人だからね!」
仕事なのだから当たり前だと思うかもしれないが、それでも真剣に自分の力になろうとしてくれる霞の姿を見て、新海は嬉しかった。
結局、その日は特に捜査に進展はなく、家に帰り、一日の疲れを取ろうと、霞といつも一緒に寝ているダブルベッドに横になった。寝るまでの間、今日一日のことを振り返って、何かないかと新海は考えていた。
そして、新海は重大なことに気付いた。
*****
「ゆうちゃん、事件の謎が解けたって本当なの!?」
「ああ、まだ確証は取れていないがおそらく合っていると思う」
そのやり取りを笹垣が何かかわいそうなものを見る目で見てくるが、新海は気にしないで事件の真相について説明を始めた。
「この事件を複雑に考えようと思ったのがいけなかったんだ。なぜなら答えはすぐ目の前にあったのだから」
「うんうん、つまり?」
霞が嬉しそうに訪ねてくる。
「ダイイングメッセージについてだ。小説なんかを読んでて暗号じみたダイイングメッセージが出てきたとき読者は一度は思ったことがあるはず、『なぜ被害者は犯人の名前を書かないのだ』とね」
「ああ、やっと警部にもわかった――げふっ」
何かを言おうとした笹垣が急に苦しそうに胸を抱えている。いつのまにか霞が笹垣の後ろに移動していたが、苦しそうな笹垣を介抱してあげているのだろう。
「ゆうちゃん。続けて」
「あ、ああ、そこで私は気づいた。被害者は素直に犯人の名前を書いたのではないかとね。『Date』は『
そこまで説明すると、笹垣はうんざりした様子で、霞は目をキラキラと輝かせ、頷いた。
「はい、では、警部その伊達という男について調べさせようと思います」
「さすがゆうちゃん! こんなに早く事件を解決するなんてすばらしいわ!」
その後伊達を調べてみると周囲の人間にジョニー・ウォーカーを殺すなどと言っており、また、事件当日のアリバイがなかったこと。さらに伊達の部屋から血の付いたナイフが見つかったことから、あっけなく逮捕された。
事件が解決したという事で書類仕事をしていたのだが、最近の新海の様子を見て心配していた同僚たちに今日は早く帰れという事で、一足早く家に帰ることにした。
妻の霞は早く帰った新海を見て喜び、たくさんの美味しい料理を作ってくれた。
そうした後、新海はリビングにあるソファに座ってゆったりとしながら、霞にこう言った。
「霞、今回の事件はありがとう。大体の探偵が霞のようだったらいいのにな」
「ほとんどの探偵はまともだと思うんだけど……そう、ゆうちゃんも大変だったのね」
そのように優しい言葉をかけられて、新海はなぜだかわからないが、涙が出てきた。
「ゆうちゃん? 泣いてるの? そんなに疲れてたなんて……やっぱり、少し休みをもらおうよ。ほら、前に行きたいって言ってた温泉があるじゃない? そこに旅行にでも行ってゆっくりしよう?」
その言葉に新海は頷き、ひどく幼い感じで答えた。
「うん、しばらくしごとやすむ……」
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