第6話

 文化祭期間中、図書室では図書委員会の展示をやっていた。なんでも世界の絵本を集めたものだとか。

 図書室特有の落ち着いた雰囲気と、静かにしていることを誰からともなく強いられる空気はいつもと同じ。どことない居心地の悪さは相変わらずだ。

 堂林はそんな中を一歩一歩足音を大げさに立てながらずんずんと突っ切って行く。

 もちろん俺の腕を掴んだままだったから、周囲からの視線が痛かった。

 眉根を寄せてキョロキョロと辺りを見回す。

 も、もしいなくても責任取れないからな……?

 そんなことを心配していると、堂林は何かを見つけたのかまたずんずんと歩き出す。もちろん腕を離してくれないので俺も一緒についていく。

 図書室の隅。分厚い美術の画集やレタリング辞典のある、やたらと古い紙の匂いがする一角の方へ。読書机が並ぶ一番奥に予想通り奴はいた。

「やっと見つけた岩崎君!」

 岩崎ミツルは制服姿で、子供の頃とまったく同じ様子で本を読んでいた。机に脚を乗せて組み、椅子の背もたれに右肘を載せている。右腕で頬杖をついて左手の人差し指と小指で文庫本の中を、中指と薬指で外側を支え、親指を器用に動かしながらページをめくっていた。

 ふちなしメガネの向こうでは切れ長の目がページの文章を追い、色白の顔は表情を崩さないまま。

 脂気が少なくて線も細く、シュッとした印象の岩崎ミツルは女子から一定の人気はあったが、俺と同じようにクラスで溶け込んでいるとは言えない奴だ。

「岩崎君! 仮装行列が始まっちゃうからさ」

 堂林はようやく俺の腕から手を離してくれた。そして岩崎のちょうど正面に立つ。彼女は腰に手を当てて、教室で俺に向かってした通り宣言する。

 場所をわきまえているのか先ほどよりも自重気味のようだが。

 岩崎はといえば、表情一つ変えずに本へ視線を落としていた。堂林は先ほどと同じく仁王立ちで自信満々な表情――のはずなのに、なぜか堂林の口元がかすかに震えて見える。気のせいかもしれないけど。膝がかすかに動いているような感じがした。

 そこで気づく。女子が一人で男子に向かってなにかを言い渡すのは怖いかもしれない。

 俺の腕をつかむ、彼女の非力な手の感触を思い出していた。

「……教室に戻ってくれないかな」

 堂林が切り出す。その声は震え、しかしそれを抑えるかのように聞こえてくる。

 先ほど彼女は俺と岩崎がいないとダメなのだと言っていた。もしここで突っぱねられるようなら、岩崎ミツルは参加しない。

 そのプレッシャーと彼女なりに戦っているのかもしれないのだった。

「……」

 岩崎ミツルは彼女の方へ視線を送るでもなく、黙々とページを繰っている。

「岩崎君、仮装行列に参加してよ。もう衣装はできてるんだ。だから……」

「なんで?」

 彼女へ顔を向けるでもなく、視線も送らずに、岩崎ミツルは静かにつぶやいた。

「なんでって……」

「面倒くさ」

 その言葉で堂林は口をつぐみ、ぐっと息を呑んだように見える。

「申し訳ないけど、無理。別にオレが出なくてもいいんじゃないの」

 岩崎ミツルはそう言い放って、また静かにページを繰った。

 ここで堂林のために憤慨できれば男としてカッコ良かったのかもしれない。

 でも奴の言葉は数時間前までの俺の言葉で。

 冷たいように聞こえる岩崎ミツルの言葉に憤慨しきれなかった。

「……でも……あの……!」

 堂林が次の言葉を探し、岩崎ミツルが顔を上げた。

「放っておいてくれないかな。今すごく面白いところなんだから」

 少しだけ眉根を寄せて目を細め、やはりかすかに口が尖っている。起伏が少なく、しかし確かに憤慨している時の奴の顔だった。

「それにオレ、興味ないから。そういうの」

「そういうって……」

 堂林が反芻し、岩崎ミツルはちょっとだけうんざりした様子で補足した。

「学園祭とか、仮装行列とか……堂林はやる気あるみたいだけど」

 そして彼は目を閉じる。

「それをオレに押し付けないでくれよ。学校には来なきゃ出席にならないから来てるけどさ……正直、早く終わって欲しいんだよ」

 奴の一言一言が堂林へ浴びせられ、俺へ突き刺さる。彼女は……どのような思いなんだろう。

 クラスを一つにして仮装行列を迎えたいという思い、俺を誘えたことへの安堵、岩崎ミツルに浴びせられた言葉……それらを正確に想像できるほど俺は繊細じゃないけど、だけど……

「お前な……」

 見切り発車な言葉だった。どのような言葉を続けるかも全然考えてない。しかし口が、声が思わず出てしまった。

「……っ!」

 次の瞬間、堂林が俯いて踵を返し走りだす。

 出かかっていた言葉を飲み込む。俺は反射的に彼女を追いかけ始めていた。

「お前も参加するのか?」

 不意に呼び止められる。

 岩崎ミツルがじっとこちらを見つめてきていた。奴による問いかけだった。俺はその言葉に――

「……するよ」

 特に考えを巡らせたわせでもなく、そう答えた。

 しかし奴は表情を変えない。一体何が言いたいんだ?

「おい、堂林!」

 彼女の背中を追って図書室を飛び出し、その姿を探す。しかしすぐ追いかけたつもりだったのに姿を見失ってしまった。

 あれ。

 なんで俺、アイツの姿を探してるんだろう。

 堂林の姿を追うために二つの特別教室を横切った。書道室の前を通過する。走ったためか風に煽られて、貼りだされていた半紙がめくれた。

 彼女の姿が見えない。どこへ行ってしまったんだ?

 校舎は中庭をぐるりと取り囲む構造になっていて、ちょうどカタカナの「ロ」の字みたいになっていた。図書室のある四階には普通の教室はなく、図書室と特別教室、書道室しかないから人もそれほどいるわけではない。だから廊下の向こうを見渡すのも容易だったが、見る限り堂林の姿はないように見えた。

「どこに行ったんだ……?」

 もうこの階にはいないのだろうか。そうなるとやっかいなことになったな……アイツの電話番号なんて知らないし、教室に戻ってるってことは……戻ってればいいな。

「ん?」

 なにやら話し声が聞こえる。

 姿が見えなくて少しキョロキョロしてしまったが、どうやら階段の踊り場から聞こえてくるようだった。四階から三階へ降りる階段の踊り場を覗きこむ。俺と同年代ぐらいの女の子が二人、話し込んでいた。

 いや。話し込むというよりは、一方的に語りかけている感じか。片方は俯いて相手の言葉を浴びている。

 俯いているのはなんと堂林で、相手はオレの知らない女の子で私服姿。どうやら他校の生徒らしかった。

「あんた、この学校にいたんだね」

「……うん」

「そう」

 二人から死角になる壁に身を隠す。堂林と、あともう一人いるのか?

 ……堂林、でいいんだよな……?

 声のトーンが落ち、ちらっと見た限り顔をうつむかせていた。先ほど俺のヘッドフォンをひったくった彼女とはまるで別人だ。

「堂林さんさ、なんか雰囲気変わったよね。明るくなったっていうか。もしかして高校デビュー?」

 ここからは二人の声しか聞こえない。それも必死で耳を澄ませているからであって、明瞭に聞こえているかと言われると厳しいが。

 相手のほうはなぜかそっけない様子だった。会話をしているものの仲睦まじいという風でもない。堂林はと言えば短い言葉で、時折無言で彼女の言葉をやりすごしているようだった。

「ふうん……じゃ、私行くから」

「うん……」

 相手の女の子はやはりそっけなく言い、階段を降りていった。堂林はその場にぽつんと残されている。俯いているから、こちらから表情をうかがい知ることはできない。

 思わず腰を浮かせて彼女の元へ駆け下りる。

「ごめん! 来ないで」

 中段まで降りたところで、俯いた堂林からの鋭い言葉。思わず足を止められた。階段の中段から、彼女に対してなにもできずにただぼうっと見下ろすことしかできずにいた。

「おい、さっきの人は……」

「ごめんね、中学の頃のさ、クラスメイトでさ、ほら言ってたでしょ、発言力の強い……」

 先ほどの彼女が、さっき堂林が言ってた女子なのか。そいつがこの文化祭に来ていて、鉢合わせしてしまったと。

 高校デビューしたはずなのに忘れたい過去の記憶を共有する人と会ってしまったってか? ……そんなことは推測でしかないし、高校デビューってものがどんなものか、実際にやったわけではないからわからないけど。

「ま、まだいたの……はは、やなところ見られちゃったな。ごめん……」

 なぜか早口で、焦りを隠すように彼女は言葉を紡いでいた。彼女の気持ちはわからないけど、これだけは強く思う。なぜかわからないけど。

 謝ってんじゃねえよ、クソ。

 なぜかそれだけを強く思って、気づいた時には階段を降りて堂林の手を引いていた。右手で彼女の左腕をつかむ。

「ちょ、小鳥遊く……」

「いいから、仮装行列の時間じゃないのか」

「そ、そうだけど……」

 くそっ。

 なんで言葉濁すんだよ。さっき俺に説教垂れてたお前はどこに行ったんだよ。

 堂林が俯く顔は見たくなかった。

 なんでって、そりゃ……こいつがクラスの女王だからさ。女王が黙るとクラス全体の雰囲気が悪くなるだろ。授業とか受けるのに教室にいるんだから、空気がまずいと居心地悪いだろ。そうだよ、それだけの理由だよ。他にどんな理由があるってんだよ好きってわけでもないのにさ。

 手の感触がやたらと伝わってくる。ただ握ってるだけなのに。

 ああもう、心臓がバクバクする。

 自分の胸の高鳴りを押さえつけるように、彼女の腕をぐっと握りしめた。

「いたた、痛いって小鳥遊君」

 うるさい。このまま教室に連れてってやる。

 堂林の抗議を無視して、彼女の手を握る腕にほんの少しだけ力を込めた。

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