第2話
廊下を歩いていても、おそろいのシャツを着て連れ立って歩く生徒たちとすれ違った。どのクラスも独自のTシャツを作ってはこの文化祭を過ごすらしい。うちのクラスは……どうだったっけ? さっき堂林が着ていなかったということは、作ってなかったのかな。
うーん、どうにも頭がぼうっとする。目がしぱしぱしてきて、そのたびに目頭を強く抑えた。昨夜一睡もしていないからかな。
バントのメンバーからは「少しは休んだほうがいい」なんて言われたけど、今日の段取りとか、歌詞のチェックに寝てなんていられなかった。
仲間内で組んだバンドで、この文化祭のステージに登ってライブをするんだ。その開演時間が迫っている。急いでメンバーの元へ行かないと。最終打ち合わせは始まっていた。
今までこのためにどれだけ練習を重ねてきたかわからないし、ずっとこの日のことだけを考えてやってきた。セットリストや連絡先を書いたチラシもお金を出し合って百枚ほど用意した。
別にこのライブでプロへの足がかりに……とか、そんなことは考えちゃいないさ。まさかこんな田舎の高校の文化祭に音楽業界の関係者がいるわけじゃないし。
それよりも――あいつらと少しでも長く、バンドをやっていたい。
一緒に鳴らした時の、なんていうか、一体感っていうのかな? やめられないんだ。それに練習が終わってスタジオから帰るときに飲むポカリとかも、かいた汗が風で引いていくときのあの気持ちよさも、ギターの重さも。
できれば、卒業した後も……
「おっと」
誰か生徒の弟や妹だろうか。丁字路に差し掛かったところで、小学校低学年ぐらいの男の子と女の子が騒ぎながら走り回っていた。
彼らが俺の前を横切ろうとしたから、やり過ごそうとして俺はその場に立ち止まる。やがて通り過ぎ、俺はまた歩き出そうと踏み出した。
その時だった。
なにやら胸からお腹のあたりが張り、後ろから引っ張られる感覚。なんだ? なんか引っ張られてる?
振り返ると、上着の裾を掴まれていた。
「たーかなーしくんっ!」
満面の笑みを浮かべた、堂林あかねに。
「どこへ行くのかな?」
気持ち悪っ!
なんでそんな笑顔なんだよ。なんか怖いんですけど!
てか、なんでこんなところにいるんだ……?
「どーこへ行くのかな?」
依然として堂林は笑顔を崩さない。
「ど、どこでもいいだろ……?」
「ダメ」
俺が返答するといきなり堂林は真顔になり、短く言った。
「はぁ?」
「ダメよ。これから衣装合わせてもらうんだから」
「衣装って……さっきも言ったけど……」
「ダメ。衣装だけじゃないわよ。出発までもう時間ないんだから。ルート確認とか、休憩所の位置とか確認してもらわないと。あと、仮装行列するのはうちのクラスだけじゃないし! 一年から三年生までの全クラスがやるんだから、順番と持ち時間ってものがあるのよ! だからちゃんと段取り守ってくれないと……」
やたらとまくし立てる堂林。俺は一つだけため息をついた。
堂林あかねとは、同じクラスというだけで別に仲が良いわけでも悪いわけでもなかった。高校二年生にもなってくると、だんだんクラス内でどのような感じの奴が発言権を持つか、逆にどんな奴がクラスに溶け込めないのか、といったこともわかるようになる。
俺は音楽やバンドの事しか頭にないから――あんまり褒められたことじゃないのかもしれないけど――クラスで仲良くしている奴はそういない。せいぜいなんとなく話す程度の奴が何人かいるけど、移動教室でも特に席を示し合わせるわけでもないし、昼飯だって部室で食べる。お世辞にもクラスに溶け込んでいるとは……言えないかな。
堂林あかねはそんな俺とはまったく逆だった。
クラスでなにかを決めようとするときは必ず彼女に視線が集まり、堂林とその周りにいる女子がまず発言する。
今回の文化祭だって、仮装行列で海賊の衣装を着るというのは彼女たちのアイディアだった。なんでも、海賊映画に出てくるアメリカの俳優がかっこよかった……かららしい。俺もその映画観たけど、わりと最近のものではないよな。七、八年は前だった記憶が……
ともかく、俺にとって彼女はクラスメイト以外の何物でもなく、それ以上でも以下でも、なにか特別な関係や感情を持っているわけではなかった。ただちょっと彼女の発言力が強く、まるでこのクラスに君臨する女王であるかのように思えるだけで。
別に誰にでも気兼ねなく接するみたいだし、傲慢というわけではない上に特別困るわけでもないから、どうでもいいんだけどさ。ただちょっとクラスで彼女の存在感が強いよなって思うだけ。
「面倒くさ……」
思わず本音が口から出てきてしまう。
俺は一時間後にライブがあるのだ。気のあったバンド仲間と体育館で。クラスの行事に付き合っている暇はないし、仮装行列は一度出てしまうと二時間は戻って来られない。当然優先するべきは決まっていた。
「面倒って……キミねえ!」
「申し訳ないけど、俺にとって今重要なのは……」
眉根を吊り上げる堂林へ言葉を続けようとした時だった。
「あかねちゃーーーーん!」
「ヒャッ!」
「ら、蘭子さん!」
思わずそう叫ぶと岩崎蘭子(いわさきらんこ)さんは、何事もなかったかのように平然と堂林の肩越しからこちらを見て言った。
「あれ、小鳥遊君じゃない」
蘭子さんは年齢は二十代後半ぐらいの、柔和な表情をした女性だ。
髪をまっすぐ垂らし、濃い青のジャケットを着てスキニージーンズを穿いている。どこか垢抜けたというか、都会的な印象が漂う。まあ、蘭子さんは今東京で働いているから、当然といえば当然なんだけど。
東京で働いているにも関わらず、文化祭なんかのタイミングで有給を取り帰郷しては当時の友達と会っているらしい。
「あかねちゃんもしばらく見ないうちに一段と可愛くなって! うりうりー」
堂林へやたらと頬ずりをする蘭子さん。というか、頬ずりなんてする人、初めて見た……
「お、お久しぶりです」
とりあえず挨拶。
「久しぶり、小鳥遊君。やっぱり去年の文化祭以来かしら」
「せ、先輩と知り合いなの?」
頬を密着されているためか顔を歪ませながら、堂林がモゴモゴと話しかけてきた。
「まあ、一応な……」
「そう、セックスフレンドよ」
は?
な、な、な……
なんかすごいことをにこやかに言ったよこの人!
「セッ……」
堂林の顔が凍りついたかと思いきや次の瞬間にはみるみる赤みが差す。俺の頭は思考を停止して、蘭子さんの発した言葉だけが頭のなかをぐるぐる回っていた。
一度こちらに視線を送った堂林は次の瞬間には目をそらし、反対側を向いてしまった。こちらから彼女の表情を伺うことはできない。
「ぷっ」
蘭子さんは噴きだして、堂林から身を離しお腹を抱えた。
「あっははははは! やっぱりあかねちゃん可愛い! からかい甲斐があるわ~」
「蘭子さん、後輩をからかうのはやめてくださいよ……」
大笑いする蘭子さんに俺が呆れて言うと、彼女は笑いを収めつつ喘ぎながら堂林の頭を撫でる。
「ごめんねあかねちゃ〜ん! 冗談よ冗談!」
「……」
おい堂林、耳赤くないか?
蘭子さんはいつもこんな感じで後輩をからかってはその反応を見て楽しむ人だ。
「ところでお二人は知り合いなんですか?」
俺が問いかける。蘭子さんは堂林を抱きしめて頭をぽんぽんと軽く叩いているところだった。
「私、弓道部だったんだけど、あかねちゃんも今弓道部なのよ」
「そうなんですね」
蘭子さんはこの学校のOGで、こうして行事があるごとに地元に帰ってくるということは知ってるけど……堂林の部活の先輩だったのか。
堂林が弓道部に所属していることも今知ったけど。
「せ、先輩も……あ、相変わらずで……」
どうにかこちらを見られるようになったのか堂林が会話に入ってきたが、目は泳いだままだった。
「ああ面白かった!」
そして満面の笑みを浮かべ、満足そうに堂林の頭を撫で続ける。
「うちの弟がね、子供の頃からよく小鳥遊君と遊んでもらってたのよ」
「弟さん、ですか?」
堂林が不思議そうに訪ね、蘭子さんが答えた。
「ああ、そういえば弟のことはあんまり言ってなかったね。今年あかねちゃんと同じクラスになったって言ってたわ」
「同じクラス……?」
そう聞かれて、すぐに思い出すことができなかった。
「岩崎ミツル君って先輩の弟さんだったんですか……!」
「別に子供の頃の話で、今はそんなでもないですけどね」
あー、アイツか。蘭子さんの言うとおり。岩崎ミツルとは子供の頃よく一緒に遊んでいた。
しかし、それも小学校低学年まで。それ以降はクラスが別になったのもあって主に別の友達と一緒に遊んでいたから、俺たちが顔を合わせることはほとんどなくなった。中学に上がるとますます顔を合わせることは少なくなり、近所に住んではいるもののもはや他人同士だった。近所を歩いていて偶然あったとしても挨拶すらしないし。
今年クラス替えで名前を見るまでは、同じ学校だったことすら忘れてたぐらいだし。入学した時に母親か誰かから同じ学校に入ったことを教えてもらった気がするけど。
「まあ男の子ってそういうものなのかもね……でもあの子、小鳥遊君と仲良くしたがってたわよ」
「はあ?」
そんなこと初耳だ……奴とは何年も会話どころか目も合わせていないし。
「同じクラスだけど話さなくなってだいぶ経つし、声かけづらいのよきっと」
――たぶんだけど、蘭子さんは奴を子供扱いしてるだけなんじゃ?
俺達はもう子供じゃない。だからあの時のような関係にはもうなれない。少し寂しい気もするが、今更どのような会話をすればいいのかわからないし、きっと奴も同じだろうと思う。
「で、キミタチはどーいう関係なの?」
そして唐突に蘭子さんは目を輝かせ、俺の両肩を掴んだ。
蘭子さんの顔がずいと近くなる。口紅をひいて化粧をばっちりしているはずだが特有の臭さはない。そのことで蘭子さんが大人の女性であることを意識させられて、少しだけドキッとした。蘭子さんの鼻息は荒かったけど。
「か、関係もなにも……ただのクラスメイトですけど……」
「何言ってんの! たーだーのークラスメイトがこんな廊下で二人きりでいるわけないでしょ! 正直におっしゃい!」
なぜこの人は肩で息をしているのだろう……走ってきた様子もないのに……
「そ、そうじゃないですから! 本当にそんなんじゃないんです!」
堂林はなぜか真剣な様子で否定する。
なにもそんな必死にならなくても……いや正解だけど……なんでちょっとがっかりしてるんだろう俺は。
「そうなの? なーんだつまんない」
そっけない様子で蘭子さんは眉を上げた。
つまんないって……結局それですか……
げんなりしていると、堂林が頭をブンブンと左右に振っていた。そして意を決したように蘭子さんへ尋ねる。
「先輩、岩崎君……ミツル君ってどこに行ったかわかりませんか?」
やたら真剣に訊こうとしているからなにかと思ったらそんなことか。そういえばアイツどこ行ったんだろう。さっき教室にはいなかったよな。というかこの文化祭期間中から見てないけど。
堂林が「ミツル君」と言ったところでなぜか胸がちくりと痛んだ。なんでだろう。ただ下の名前で読んだだけじゃないか。「岩崎君」だと蘭子さんの手前適切じゃないと思ったんだろう。そうだよそうに決まってる。
「うーん、私も今探してるところで、さっきから携帯に電話してるんだけど出ないのよねぇ。まあ示し合わせて会う約束をしてるわけでもないし、たぶん大丈夫じゃないの……なになに、ミツルになんか用なの?」
「仮装行列の説明というか打ち合わせがあるので!」
またしても顔を近づけようとする蘭子さんの機先を制し、堂林は早口で半ば叫ぶように言った。
そうか。そういえばミツルも教室にいないから話が進んでないのかな? ミツルとは何年もまともに話していないけど、堂林はなぜそこまでしてアイツに声をかけたがるんだろう。
クラスの代表だから? そもそも代表なんて役職はないわけで、別に代表にならなければいけないとか、そんなことは決められていないはずだ。
確かに堂林はクラスでの発言力も存在感もある。でも、なんでそこまでして俺みたいに興味がない人間も巻き込もうとするんだ?
まあ俺も準備とかに参加していたわけではないけど……アイツだって俺と同じ理由で教室にいなかったとしたら、なんでそれを無理矢理引きこもうとするのか。
他にやるべきことがあるとか、そもそも興味がないとかあるだろ。
「そうなの……まあたぶんあの子のことだから、人気(ひとけ)のないところにでもいるんじゃないかしら。あ、もうこんな時間ね」
蘭子さんは左腕につけた細い腕時計を一瞥すると、早足で美術室のある方向へ向かっていった。
「ごめん、約束があるから! あ! 後夜祭は行くの!?」
駆け出しながら俺たちを振り返り、少しだけ大きな声で訊いてきた。
「はい、できれば!」
堂林が答え、蘭子さんはにっこりと微笑んで背を向ける。蘭子さんが見えなくなると俺たちは無言になった。
台風がすぎるとよく「台風一過」なんてニュースで言ってて晴れることが多いけど、台風のような人が去っても晴れやかな空気になることはないらしい。
「コホン。ともかく」
堂林は大げさに咳払いをしたかと思いきや眉根をギュッと寄せてシワをつくり、俺に向かい合った。
「早く仮装行列の打ち合わせに来て。クラスでまだ打ち合わせてないの、小鳥遊君とミツルく……岩崎君だけなんだからね」
数分前に耳まで真っ赤にしていた奴とは思えないが……
俺はため息を一つつくと、彼女の目を見た。この際だからはっきり言ってやらないとダメだ。
「嫌だね」
彼女は少しだけ目を見開くものの、負けじと眉根を寄せて俺の目を見返している。
……ここでひるんではならない。
「お前がそうやってクラスの仮装行列にやる気マンマンなように、俺はこの後のライブに集中したいんだ。だから仮装行列に参加している暇はないし、そんなくだらないものに割く時間はないね。やる気が無いのに無理矢理参加させるなんてどうかしてる」
心なしか、彼女の瞳が潤んだ気がした。
やばい。言い過ぎたか?
しかし堂林は気丈にこちらを睨み返してきており、よく見てみると潤んでいるのかそうでないのか確認できない。
「申し訳ないけど、無理だから」
彼女のそんな目から逃げ出すように、俺は踵を返して体育館へ向かった。
ずんずん廊下を歩く。彼女が追ってきている様子はない。少しだけ気になったが、小心者に思われるのも癪なので無視した。
……何様なんだよ、アイツ。
俺の方に非はないはずで、あくまで正論を言ったのみ。むしろちょっとクラス内での存在感が強いからと言って人の行動まで口出しするなよ。この先ずっとバンドできるわけじゃないんだから。
女王っつったって、いち生徒だろ。調子に乗るなよな……
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