君は優しいクラスの女王

つなくっく

第1話

「ちょっとそこの男子!」

 そんな言葉が降りかかってきて、まどろみから引き戻された。

 昼下がりの穏やかな陽光が遮られる。目の前には腰に両腕を当て、じっとこちらを見下ろしている女子生徒が一人。

 頭はまだ完全に冴えていない。気を抜くとまだ夢の世界へ引き戻されそう。しかし彼女があまりにも真剣にこちらを見るものだから、その言葉を待つために自制心を働かせた。

「小鳥遊健斗!」

 聞き覚えのある名前を声高に宣言したかと思いきや、次の瞬間には俺が耳につけていたヘッドフォンをひったくり、俺の目の前に放り投げる。先ほどまで聞こえていた男性ボーカルの熱く猛々しい咆哮も、耳から外されたイヤホンからはシャカシャカとした雑音にしか聞こえなくなってしまった。

 小鳥遊健斗……たかなしけんと……

 ああ、俺の名前か。

 今さらながらそんなことを思い出している俺の思考などお構いなしに、彼女は宣言を続けた。

「聞いてるのかな!?」

 はあ……なにを……?

 ぼんやりとした頭で目の前にある机上に視線を落とす。高校の教室に数多くある、木の文様がプリントされたパイプ机。その上には女子生徒に放り出された俺のヘッドフォン。すぐ右端にはなにやら透明な液体が少しだけ溜まり、シミになっている。

 あっ……もしかして寝てる時にヨダレが垂れてたまったのか……

 女子生徒がシミに気づいていない様子なのを確認して安堵。彼女が去ったら拭き取ろうと強く心に刻んだ。

 シミの左隣に目をやる。ハッとした。

「なんだよ、ポテりこはやんねぇからな!」

 女子生徒に向き直って、そのフライドポテトの形をしたスナック菓子の容器を掴んで引き寄せた。

 人の唯一の楽しみを邪魔するなよ!

 しかしその心配は杞憂だったようで、彼女はポテりこを興味なさげにちらりと一瞥すると、すぐにまっすぐこちらの目を見て腕組みした。

 彼女――堂林あかねが着ている古池高校のセーラー服は野暮ったくて田舎臭い。腕を組んでいるために胸が絞られて強調されたはずだが、色気もなにもなかった。

 いや、本当だから! 少し胸が強調されたぐらいでこんな田舎臭い制服じゃあ台無しだし……

 肩まで垂らしたセミロングの髪。くっきりとした眉は整えられており、堂林が眉根を寄せるとそれに合わせて形も歪んだ。いつもぱっちり見開かれている目は固くつぶられており、彼女がイライラしはじめていることが見て取れる。

「あんのねぇ……」

 ん?

 もしかして俺、怒られてる?

 ふと周りを見渡す。

 二年C組の教室では、あと数時間に迫った仮装行列の準備に追われていた。あちこちに海賊の服やカットラス、短銃に海賊帽子。この高校の男子制服を改造した海軍制服に、Tシャツをボロボロにしたものもある。これはゾンビの衣装にするのだと聞いた。このクラスでは海賊のコスプレをして行列するらしかった。

 俺たちの通う古池(ふるいけ)高校では今文化祭の真っ最中で、今日でそれも最終日。学校内にはお祭りに浮かれた雰囲気と、それが最終日だということへの寂しさ、なによりお祭りのフィナーレを控えた慌ただしさが漂っていた。

 とまぁ、俺にしてみればそんなことはどーでもいいことでしかない。それよりも考えるべきことがあるのだ。

「そこでぼーっとしてないで! ちょっとは手伝う!」

 堂林はビシっと教室の隅をまっすぐ指さした。俺が目をやると、そこにはなにやら打ち合わせをしている女子生徒が三人ほど。どうやら当日の仮装行列のルートや、誰がどの仮装をするのか細かい割り振り、調整のようなことを話し合っているように聞こえた。

「ねえ堂林さーん、この衣装なんだけど――

「あかね、ルートの確認だけどさ――」

 次々に話しかけられ、堂林は彼女らの輪の中へと歩き始める。

「ああごめんごめん! 今行く!」

 そう答えてから堂林はこちらを振り向いた。頬を少しだけふくらませ、口を尖らせている。

「話に入ってくれとは言わないから、せめて服のサイズ合わせは付き合ってよ。服測ってないの、キミと岩崎君だけなんだから」

「……海軍とかって、制服になんか肩飾りみたいなのつけるだけだろ? 別に測らなくてもいいじゃん」

 海軍の制服ということで、男子の詰め襟に少しだけパーツをくっつけることで衣装とするらしい。いっちゃ悪いけど、別に俺がいなくても……

 それを言葉にしようか一瞬悩んだ時だった。

 俺の制服のポケットに入れた携帯が鳴り出す。これは……電話の着信か。

 発信者は一緒にバンドを組んでいるメンバー。彼とは日常的に電話しているし、こうして電話がかかってくるのも珍しいことはない。しかし携帯のディスプレイの上に小さく表示されているデジタル時計が目に入り、続けて教室の前方に掛けられている時計の文字盤に目をやった時、全身から血の気が引くのを感じた。

 やべえ、最終打ち合わせ始まってる!

 俺は携帯電話を素早く制服のポケットにつっこみ、カバンを腕に引っ掛ける。驚いた表情の堂林を横目に教室を飛び出した。

「ちょっと小鳥遊君! 待ちなさーい!」

 後ろから堂林が自分を呼び止めるような声が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにした。

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