第九章 幾度生まれ変わろうとも

 女官たちが駆けていく。慌しく準備は進められていた。

 庭園にはからりとした日差しが降り注いでおり、今日のために立派に咲かせた花々を輝かせている。

 夏。瑠玻羅王国が一番美しく輝く季節。海もきらきらと煌めいてる。

 朱麗と琉孫の結婚式の日がやってきた。




 そんなめでたい日のはずだった。

 そろそろ準備も終えただろうかと、貴理は主の部屋を尋ねた。そして目に入った光景に、無言になる。


「……なにを不貞腐れているんですか」

「これが不貞腐れているように見えるか?」


 自室で着付けを済ませた琉孫は、椅子にどかりと腰かけどんよりとしていた。

 貴理はふむ、と小首を傾げる。


「どちらかと言うと、憔悴って感じですね」


 貴理の言葉に、琉孫はまた深くため息をつく。


     *


 話は三日前に遡る。

 一日の執務を終えた琉孫の元に、比陽が訪れた。暗い表情の比陽に、琉孫はなにかまずいことがおきたのかと身構えた。

 とりあえず椅子を勧めると、暗い表情のまま座る。


「比陽さん、いったいなにがあったんです」

「こんなことを琉孫様に申し上げるのは忍びないのですが……。実は、朱麗様が結婚式で三線を弾くのは嫌だと仰られて……」

「はぁ!? またなぜ……」


 比陽がじとっとした目で琉孫を見てくる。琉孫はたじろいだ。そんな目で見られる謂れはない。謂れはないはずだと自分に言い聞かせた。


「最近、臣下の方々との距離が近くありませんか?」

「は?」


 比陽は立ち上がり、ぐっと拳を握った。


「そうですとも! 琉孫様は戴明国のお方……。お国から供にとお連れした臣下の方々にこそ心を開きはすれ、遠い異国の姫様がどう思おうが構わないんですね!!」

「いやいや待て待て……」


 海を隔てているとはいえ、隣国だ。これ以上近い異国はない。ただ口を挟める雰囲気ではない。

 比陽は懐から布を取り出し、よよと目元に当てた。


「可哀想な朱麗様……。生涯添い遂げるはずの殿方に蔑ろにされて、婚前の憂うつさえも顧みられない……。これでは共に弾きたくないと言われても仕方ありませんわ!」


 涙ながらに訴える比陽に、琉孫は頭を抱えた。どう見ても嘘泣きだが、それを指摘したらまた怒涛のように責められそうだ。

 蔑ろにしていたわけではない。三線の練習の時間も取っていたし、夫婦の語らいの時間もあった。

 ただ、貴理と梨胡と共に過ごす時間が増えていたのもまた事実だ。

 朱麗と比陽を除けば、彼らは唯一の味方だ。深く事情を知っているということもある。貴理と共に楽を奏でるのは楽しかったし、梨胡がぽつりぽつりと話してくれる『琉孫』の話はもっと聞いていたかった。

 それがこんな事態になろうとは。


「朱麗様もあまり気に病んではいけないと仰っていたのです。ですが日に日に食欲がなくなられて……。最近はあまりよく眠れてもいないようですし……」

「ちょっと待ってくれ。そんなに具合が悪いのか」

「だから最初からそう言っています。女心が分からないんですか? 以前の軟派な琉孫様はどこに行ってしまわれたのです」


 以前とはなんだ、今は戴明国王子として接していたのではないかと思うが、もちろん口にすることなどできない。そして軟派だと思われていたことにも衝撃を受けるが、今はそれどころではない。


「……朱麗様に、お会いすることはできるか?」


 とにかく話さないことには始まらない。そう切り出すが、比陽はきゅっと口を引き結んだ。


「無駄だと思いますよ?」


 無駄だと言われようが、琉孫の決意は揺らがない。




 そうこうして朱麗の部屋の前まで来た二人だ。


「朱麗さまー」


 比陽が戸を叩くが、戸の向こう側からは「開けないで!」の一点張り。琉孫は途方に暮れた。

 侍女はそら見たことかという目を向けてくるが、このまま引き下がるわけにはいかない。琉孫は左手でそっと戸に触れた。


「朱麗様。僕の顔を見たくないというのなら、それでも構いません。そのまま聞いてください」


 戸の向こうが静かになった。話を聞いてはくれるらしい。


「比陽さんから聞きました。あなたに淋しい想いをさせていたこと、本当に反省しております。ですが僕が想うのは、あなただけ。今生であなたに出会えたこと、それは奇跡だと思っているのです。それだけは忘れないでください」


 部屋の中からは返事がない。琉孫は疲れた顔で笑い、戸から手を離した。


「僕たちの三線を楽しみにしている方も大勢います。これを無しにするのは難しいので、どうか弾いていただければ」


 朱麗からの返事はなかった。琉孫は比陽に頷き、「また来ます」と言って帰っていったのだった。


     *


 それから三日。芳しい成果は得られなかった。

 相変わらず朱麗の部屋は開かずの扉だし、比陽の小言もちくちく刺さる。いや、さすがに可哀想だと思ったのか、昨日あたりにはその棘も随分柔らかくなった。


「……朱麗様は、三線を弾いてくださるだろうか」


 礼服に着替えを済ませ、あとはもう式を待つばかりだ。

 琉孫の召物は、藍色の着物だった。色に、細やかな刺繍が施されている。国花の梯梧に、水龍の模様。これは朱の着物と対になっている。

 それに草履を履き、頭には金色の冠だ。慣れない正装に落ち着かないが、なんでもないように見せなければならない。

 それよりも、気にするべきことは他にある。


「やっぱり、もう一度朱麗様に謝ってくる」

「その必要はございません」


 立ち上がりかけた琉孫を、押し止める声があった。振り返ると、入り口に比陽が立っていた。


「朱麗様のご準備が整いました。琉孫様をお呼びです」


 琉孫と貴理は顔を見合わせた。




 対面した朱麗に、琉孫は息を呑んだ。

 この日のために仕立てた赤の着物は、朱麗の白い肌に映えている。腰から裾にかけて刺繍されている模様は、琉孫のものと対になる梯梧と火龍。美しい模様が、広がる裾に流れるように描かれていた。

 長い黒髪は上半分を綺麗に結われ、残りは背中に流れている。結われた部分には、光に反射して煌めく瑠璃の髪飾りがつけられていた。

 比陽が一礼して下がっていった。


「朱麗様、お美しいです」

「ありがとう」


 言葉とは裏腹に朱麗は浮かない表情だ。

 琉孫の元まで歩いてくる。


「朱麗様、あの……」

「この間はごめんなさい。せっかく会いに来てくれたのに、追い返すような真似をして……」


 俯く朱麗の表情は見えない。だが琉孫は、「なんだそんなこと」と笑みを零した。


「こうして今日を迎えてくれただけで嬉しいです。あの、朱麗様。三線は……」

「違うの!」


 言葉を遮られ、琉孫は目を瞬かせる。

 朱麗はぎゅっと袖口を握っていた。そんなに強く握ったら皺になってしまうだろうにと思うが、苦しそうな朱麗の表情に琉孫はなにも言うことができない。


「わたくし、なんだか不安で……。琉孫様と結ばれることに、なにも不安に思うことはないはずなのに。そうしたら急にいろいろなことが気になりだしちゃって……。貴理さんと楽器を弾くことも、梨胡さんが傍で護衛することも、依然となんら変わりないことのはずなのに、なんだか胸のあたりがもやもやしてしまうの」


 嫌われたわけではなかった。そのことに琉孫は安堵する。

 琉孫は朱麗の手を取る。祝い事用の白い手袋に包まれた琉孫の手が、朱麗の指に絡んだ。


「婚前は、誰しもそのようになるそうですよ。特に女人は」

「そう、なの……?」

「えぇ、そう聞いたことがあります」


 朱麗の表情は晴れない。手を握る力が強くなった。


「……誰に聞いたの?」


 雲行きが怪しくなってきた。


「比陽さんにですよ!」

「本当に? あなたは女官たちにも人気だそうだから、心配だわ」

「誤解です! 俺は朱麗様ひとすじですよ!」


 つい素が出てしまった。じっと見上げてくる朱麗に、琉孫は必死だ。

 ふいに朱麗が吹き出した。


「ごめんなさいね。……三線を、誰かのためじゃなくて、わたくしのためだけに弾いてほしいなんて、わがままなことを思ってしまったの」

「三線……」


 先日のことを言っているのは、すぐに分かった。琉孫は弾きたくないと言う朱麗に、楽しみにしている人がいるからと言ったのだ。


「僕は出会ったときから、あなたと共に三線を弾きたいと思っていましたよ?」

「分かっているわよ。爪紅のこともあるから、少しいじわるしちゃった」


 あぁ、と琉孫は小さく零す。

 朱麗には、前世のしがらみを感じてほしくなかった。爪紅まで得て彼女を探したのは、琉孫が勝手にしたこと。今生で愛しているのは朱麗だけなのだ。

 それなのに、言葉が足りなかった。


「前世の記憶があっても、俺は商家の跡取りではありません。あなたも俺を『琉孫』として見ているわけではないでしょう?」

「それは、そうだけど……」


 尻すぼみになる朱麗に、琉孫はくすりと笑った。


「信じてください。どんなことがあろうとも、俺はあなたを愛し抜きます。そして何度生まれ変わろうとも、必ずあなたを見つけ出してみせる。この想いだけが、本物です」


 まっすぐに見つめて言い切った。朱麗の顔が赤く染まっていく。

 琉孫の左手が、朱麗の頬に触れた。二人の視線はかみ合ったままだ。琉孫の顔が、ゆっくりと朱麗に近づいていく。朱麗はそっと目を閉じた。


「お二方ー、そろそろお時間ですよー」


 比陽の声に、二人は慌てて身を離した。

 まるで見ていたかのような割り入り方だった。見ていたわけじゃないよな? と琉孫は訝しげになる。

 朱麗に視線を向けると、我に返ったのか赤い顔を扇で煽っていた。琉孫は朱麗に手を伸ばす。


「行きましょう」


 朱麗はふわりと微笑み、琉孫の手を取った。


     *


 神殿では宮廷楽士の奏でる音楽が流れていた。集まっているのは瑠玻羅王国の士族ばかりだが、そこには祝福の空気で満ち満ちている。

 祭壇の前には、新郎新婦の姿。まだ年若い二人は、どこか緊張した面持ちだった。

 二人が盃を交わし、盛大な拍手に包まれた。

 比陽と貴理がそれぞれ三線を手渡す。琉孫と朱麗の目と目が合った。

 ここに来るまでに、いろいろなことがあった。結ばれぬことを嘆き、一度は終えた生涯。

 生まれ変わっても、身分の違いに諦めそうになったこともあった。王女と楽師として傍にいられても、身分違いゆえに引き裂かれた。

 そして今、数奇な運命を経て結ばれた。商家の跡取りだった頃には考えられなかったことだ。この運命を不思議に思う。


「琉孫様?」


 朱麗が撥を手に待っていた。琉孫は柔らかく微笑む。

 朱麗には、何度生まれ変わろうとも必ず見つけ出すと言ったけれど、今生でのこの手を離すつもりはなかった。幸せを掴むのは、前世でも来世でもない。今を大事にするのだ。

 琉孫も撥を構えた。二人の呼吸が重なる。

 そして撥が振り下ろされた。




 宮城の外には、大勢の民が集まっていた。人々はこの日を待ち望んでいた。

 王の一人娘の婚礼を祝う気持ちを持つ人々で溢れ返っていたのだ。神殿には入れなくても、こうして祝いに来たというわけだ。

 民衆の耳に三線の音が聞こえてきた。一瞬歓声が上がり、そしてすぐに静まり返った。将来この国を背負って立つ二人の、初めて共に奏でる音。その曲は『爪紅の調べ』。

 曲が止むと、盛大な歓声と拍手が沸き上がった。朱麗と琉孫が民衆の前に姿を現し、その歓声と拍手はより一層大きいものとなる。

 人々が二人に向かって花びらを降り注がせる。

 赤、薄紅、黄、橙。青空に鮮やかな色が映える。

 どんな色も琉孫の爪紅には適わないけれど、朱麗はこの光景を一生忘れないだろうと思った。

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