幕間 侍女、奮闘する

 歳が明けた。今年の新年の儀は、琉孫も一緒だ。朱麗に続いて姿を現した琉孫に、民衆の歓声はいっそう大きくなった。

 結婚の儀は、今年の夏。民衆の期待は高まっているのだ。

 朱麗たちは民衆に手を振る。その様子を、比陽は柱の影から黙って見ていた。


     *


「待てない」


 幼馴染が脹れる様を、伯雷は呆れ顔でちらりと見下ろす。その腰には一振りの剣。伯雷は警護の任務中なのだ。比陽はその傍の石に小さくなって座っている。


「お前……。朱麗様についていなくていいのか?」

「今は王族だけの会食中。毒見も済んだし、女官も下がらせたし、少しは時間があるわ」


 知ってはいたが、ここで時間を潰されるのもどうなんだ、と伯雷は呆れ顔のままだ。

 比陽はもう一度、「待てない」と呟いた。


「そりゃあ先ほど食事が始まったばかりだろう。まだ掛かるんじゃないか?」

「そっちじゃない」

「そっち?」


 きっぱりと言い放つ比陽に、伯雷は鸚鵡返しのように尋ねた。

 疑問符を浮かべて首を傾げる伯雷に、比陽はきっと眦を吊り上げる。


「朱麗様と琉孫様のご結婚式ですよ。夏まで待てないわ」

「はぁ」


 待てないと言われても、まだまだ準備が整っていない。それは比陽も分かっているはずだ。

 比陽はぐっとこぶしを握る。


「愛し合う恋人同士がところ構わずいちゃつけないなんて、おかしいでしょう!?」

「いやところ構わずいちゃついていたら、王家の威信に関わる気がするが」

「まぁ場所をわきまえていちゃついているのは事実ね」

「いちゃついているのかよ! あの野郎!」

「口が過ぎるわよ、伯雷」


 今の琉孫は立場が立場だ。しかし『琉心』として接していた頃の感覚がまだ抜けない。認めたくない気持ちが強い。伯雷が認めようが認めまいが、その地位は変わるものでもないが。


「というわけで」


 比陽はすっくと立ち上がる。


「縁結び大作戦、行ってきます!」

「は?」

「止めないでよね。邪魔したらいくら伯雷でも許さないから!」

「あっ、おい!」


 止めるのも聞かず、比陽は走り去ってしまった。一人残された伯雷は、行き場のない手を伸ばしている。その手が頭をぽりぽりかく。


「……人の恋路より、俺との恋路を見てほしいんだがなぁ」


 比陽の姿はとうにない。だが彼女の走り去った方角を見つめる伯雷の目は、ただの妹のような存在に向けるものではなかった。


     *


 比陽が会食の間に向かうと、ちょうど朱麗が出てくるところだった。


「あら比陽」


 美しく着飾った主に、比陽はひょこひょこ近づいた。


「お疲れ様でございました。晩餐まで時間がございますが、いかがされますか?」

「そうね、少し部屋で休むわ」

「かしこまりました」


 比陽は朱麗のあとをついて歩く。主の足取りは、どこか軽い。

 朱麗の部屋で着替えを済ませ、お茶を淹れたところで切り出した。


「朱麗様、琉孫様とはお話できましたか?」

「少しはね」


 はにかむ主に、比陽も顔を綻ばせた。これはなかなかいい感じに話せたのではないだろうか。

 ほんわかした空気に流されそうになったところで、はっとする。朱麗と琉孫の距離をもっと近づけると決めたばかりだ。気合いを入れ直す。


「朱麗様、この比陽めにお任せくださいね!」

「え? えぇ」


 わけも分からず頷く朱麗。琉孫が聞いていたら、「そんな簡単に返事をするな」と言われそうなところだが、この主従には長い付き合いの信頼関係がある。疑う余地もないのだ。


     *


 晩餐会は、各地の士族や大臣を集めて盛大に行われる予定だ。日も傾き始め、続々と集まってきた。

 朱麗の部屋では、比陽が主の着付けを行っていた。


「姫様、動きにくくないですか?」

「えぇ、大丈夫よ」


 今日の着物は、朱麗の好きな赤を主に使っている。新年の祝いらしく、裾に祝い事の三色の刺繍が入っており、きらきらと咲き乱れているのは梯梧の花だ。

 比陽は朱麗の髪に触れた。


「さぁ御髪はいかがいたしましょう? こちらの瑠璃の髪飾りでよろしかったですか?」

「えぇ、任せるわ」


 ここは侍女としての腕の見せ所だ。派手すぎず、朱麗の美しさを際立たせなければ。そして琉孫を悩殺! と比陽は心の中で拳を握る。

 しばらく奮闘して、比陽は鏡を差し出した。


「さぁできました。いかがでしょう?」


 いつもは下半分を下しているところを、今日は全部上げてみた。あらわになった白い首筋が艶めかしい。

 朱麗はいろんな角度から、髪型を確かめる。


「ちょっと……色っぽすぎない?」

「全然! これくらいしないと。琉孫様もきっとお喜びになりますよ」

「そう、かしら……?」


 力強く頷いて、比陽は主を送り出した。


「さて、次は琉孫様だ」


 侍女は回廊を駆け抜ける。今宵は客人が多い。女官たちと会う度に歩みを止められ、歯がゆいことこの上なかった。


     *


 予想外だった。

 比陽はまたも足止めを食らっていた。琉孫の部屋には、女官たちが入れ替わり立ち替わり出入りしている。まだ準備しているのだろうか。

 きゃあきゃあ言いながら出ていく女官の一人を、比陽は捉まえて聞く。


「もう晩餐会が始まるわよ。まだ準備は終わってないの?」

「比陽様! あの……琉孫様は大層お美しいから、みんな着付けを手伝いたがって……」

「まぁなんてこと! 急ぎなさい!」

「申し訳ございません!」


 女官はすっ飛んで行った。比陽は鼻息荒くそれを見送った。

 全ての女官が出て行ったところで、部屋に入る。部屋の主はぐったりとしていた。


「……大分お疲れですね」

「瑠玻羅の女官は、積極的な人が多いようで……」

「なにを今さら。というか、朱麗様以外を邪な目で見たら承知しませんよ」

「するわけないだろう?」


 この余裕の笑みが憎らしい。それでも琉孫が朱麗ひとすじなのは、侍女として嬉しい限りだ。


「くれぐれも! くれぐれも朱麗様を頼みますよ? 今日は琉孫様初めての大きな行事で、不安もございましょうが……」

「大丈夫、大丈夫」

「本当ですか……? それはさておき、朱麗様をめいいっぱい綺麗にいたしましたから、期待していてくださいよ? ちゃんと悩殺されてくださいね!」

「それは楽しみだ」


 琉孫は機嫌よく言うと、貴理を引き連れ部屋を出る。戸の前で「頼みましたよー」と言う比陽に、後ろ手で手を振った。

 残った人影に、比陽は振り返る。


「あなたは行かなくていいんですか? 梨胡さん」


 頭一つ高い位置から、梨胡が見下ろしていた。問い掛けに梨胡は答えない。

 比陽は怪訝そうに首を傾げた。


「あの……?」

「あなたは、あの人を王子たらんと思うか」


 この人の主は琉孫だ。その言い方ではまるで、そう感じていないかのようだ。

 冗談を言っている顔ではない。比陽はまっすぐに梨胡の目を見て答える。


「あの方の境遇は存じております。その上で申し上げると、王子に不足はないと思っています。あの方は人を愛することを知っている……。人は民。朱麗様も民の一人なのですから」


 梨胡は言葉を噛み締めるように比陽を見ていた。やがて視線を逸らすと踵を返す。

 彼女の境遇を思うと、掛ける言葉がない。きっと彼女はそれを求めてはいないだろう。

 一つ息をつくと、梨胡は晩餐会の間へと向かった。


     *


 朱麗は琉孫の隣で、来賓客に挨拶をしていた。心配は杞憂だったようだ。客が途切れたとき、朱麗がなにやら琉孫に耳打ちをして、小さく笑い合っている。

 比陽は安堵の息を漏らし、外に出た。

 伯雷と目が合った。どうやらここの警護だったらしい。


「縁結び大作戦はうまくいったか?」


 比陽は苦い顔をする。伯雷の隣に並び、壁にもたれかかった。


「さあね。私がいなくても、お二人は仲睦まじくいらっしゃったわ」

「そりゃあそうだろう。困難を乗り越えてきたお二人だ」


 比陽は伯雷を見上げる。その顔は、どこかさっぱりとして見える。


「……伯雷は、お二人の結婚に反対ではなかったの?」

「俺が? まさか! 朱麗様が幸せになるのならば、俺は喜んで祝福するよ」


 ふうんと相槌を打った。比陽は二人が大好きだ。同じように思っている人がいるのは嬉しくはある。


「朱麗様のこと、本気で好きなのかと思ってた」

「まぁ好きだけどな。恋愛感情とは別さ」


 そう言って伯雷は目を伏せる。その顔に嘘偽りはない。

 比陽はつい口角が上がってしまう。ならば自分にもまだ可能性はあるだろうか。


「なんだ? 変な顔して」

「べっつにー? あなたがどう思おうが、朱麗様と琉孫様は幸せになるに決まってるんだけどねー」

「ははっ、違いない」


 おかしそうに笑う伯雷につられ、比陽も笑ってしまった。

 ふと伯雷の表情が思案気になった。


「でも心配だよなぁ」

「なにが?」

「いやな、あの人はいわば政治経験が少ないだろう? 知識は豊富だと聞くが、どうしても実践の少なさは出てしまう。味方は多い方がいいんだが」

「大丈夫よう。貴理さんだってついているし、梨胡さんだって……」


 そう言いかけたところで、口を噤む。先ほど会った梨胡の表情を思い出したのだ。軽々しく味方だと思ってもいいのだろうか。


「まぁそうだな。いざとなったら、俺たちもついているし」

「本当にー? 琉孫様に噛み付いたりしないでよー?」

「誰がするか!」


 そうだ、いざというときのために自分たちがいるのだ。なにに代えても二人を守るつもりだ。

 暗い気持ちを振り払い、比陽は星の輝く夜空を見上げた。


     *


 梨胡は琉孫の後ろに控えていた。

 来賓客に挨拶をする琉孫はそつがない。ほんの一年前までは、ただの楽士だったのに。

 どうしても『琉孫』と比べてしまう。一挙手一投足が鼻につく。

 今だってそうだ。来賓客の笑顔の奥にある、力量を計るような目に気づいているのだろうか。

 元々『琉孫』はあまり表に出てこなかった。戴明国の国柄のせいもあるが、病弱な第二王子が公的な場に出ることは少なく、第一王子ばかりが外交に立ってきたのだ。

 だから探られている。瑠玻羅に根付くことになるこの王子は、はたしてこの国に相応しいのかを。

 琉孫は笑顔で来賓客に挨拶をしている。人好きのする笑顔だ。懐に張り込むのもうまい。

 だが梨胡は信用しない。これまで護衛をしてきて、どういう人間かは分かっている。普通ならば、信用足りうる人物だと。

 それでも心を捧げたのは『琉孫』であって、琉孫ではない。『琉孫』がもうどこにもいないことは、痛いほど思い知った。

 だから思うのだ。「偽者はいらない」と。

 『琉孫』は来世を誓ってくれた。だがもう合わせる顔がないだろう。梨胡は彼の最後の頼みを聞くつもりがないのだ。

 賑わう席で、暗く燃えるような感情があることに誰も気づくことはなかった。

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