第九章 断罪(三)

 日が落ちるとともに、雨が降り出した。春の雨は花を散らせてしまう。朱麗はせっかく綺麗に咲いているのに、と思いながら暗い窓の外を見る。

 廊下が騒がしくなったのは、その時だった。


「朱麗様!」


 合図もなしに、戸が開かれる。焦った様子の比陽の姿がそこにはあった。


「どうしたの? そんなに慌てて……」

「琉心様が捕らえられました!」


 主人の言葉を遮り比陽は告げる。がたりと音を立てて、朱麗が立ち上がった。


「どうして!?」

「国王の暗殺を企てていたそうです……」

「まさか!」


 あの琉心がそんなことを企てるはずがない。なにかの間違いじゃないだろうか。

 そう思うが、朱麗の顔は青ざめる。どうしてという想いが頭の中を占める。


「牢に捕らえられているそうです。参りますか?」

「当たり前よ」


 朱麗は足早に牢へと向かった。




「いいからここを通しなさい!」


 牢へと続く通路で、朱麗は衛兵と問答を繰り返していた。


「ですから、宰相様のご命令です。誰であろうとここを通すなと……」

「わたくしでも?」

「えぇ。そのようにお申し付けです」


 もう何度もこのやり取りを繰り返していた。これでは埒が明かない。朱麗は一度引くことにした。

 自室に戻り、机の前を行ったり来たりを繰り返す。


「朱麗様、これからいかがされますか」

「そうね……。まずはなにが起きてるか確かめなきゃ。伯雷を呼んできてくれる?」

「はっ!」


 ほどなくして、伯雷が現れた。


「琉心のことですね?」

「聞いてるなら話は早いわ。いったいなにが起きてるの」


 伯雷は難しそうな顔で頬をかく。


「俺も詳しくは分からないんですけど、兵士連中に聞いたところ、琉心の部屋から城の見取り図と毒薬が見つかったらしいです」

「そんなこと!」

「俺だってまさかと思います! でも、それじゃあ言い訳のしようもない……」


 そう言って伯雷は俯いてしまう。部屋に沈黙が落ちた。


「……誰かに仕組まれたという可能性は」

「その方が高いと思います」


 固い表情の主に比陽はきっぱりと答える。

 朱麗は椅子に座り、二人の家臣に目を向けた。


「伯雷は引き続き兵たちに聞き込みをしてちょうだい。比陽は毒薬の行方を」

「はっ!」

「かしこまりました」


 伯雷と比陽の返事に頷き、朱麗は思案顔になる。


「わたくしは、宰相に会わなければ」


     *


 彼女が両手で顔を覆い、肩を震わせていた。

 またこの夢だ。彼女が泣いているのに、手を伸ばすことすらできない。

 彼女は二人の未来を憂いて泣いていた。あのとき自分は、なんと言って彼女を慰めただろうか。どんな言葉も現実のものとすることができなくて、今はもう思い出すことすらできない。

 炎に焼かれたときも、何度もこの夢を見ていた。お前には彼女を幸せにすることはできないのだぞ。そう責められているようで、琉心は暗い闇の底に落ちていく。




 そこで目が覚めた。久しぶりにこの夢を見た。城に来てからは見ることもなかったが、なぜと考えたところで現状を思い出した。

 牢の中で、琉心は椅子に縛りつけられていた。

 頑なに罪を認めようとしない琉心に待っていたのは、ひどい拷問だった。頬から流れ出した血は、すでに固まってしまっている。鞭で打たれたのは顔だけではない。服の下は痣だらけだった。

 夜になってようやく開放されたが、もちろん無罪放免のわけがない。こうして縛りつけられていた。

 暗殺など身に覚えがない。考えられるとすれば、朱麗との関係だろう。


「……少し、近づきすぎたか」


 口の端も切れてしまっている。琉心は痛みに顔をしかめながら、吐息と共に呟いた。

 彼女が望むならと傍にいたが、それを面白く思わない輩がいたのだろう。その結果は考えて然るべきだった。


「いや……そうじゃないな」


 自分が傍にいたかったのだ。どんな形だろうと、彼女を近くで見ていたかった。たとえどんな結果になろうとも。


「……また、泣くのかな」


 二人の未来を憂いて涙したのは、前世の彼女。今生の彼女は王族。簡単に涙など見せないだろう。それに琉心は、『彼女』と『朱麗』が魂が同じなだけの別の人間だと、もう理解していた。

 それでも、少しでも自分のことを想ってくれていたのならば――。

 琉心は途切れるように意識を失った。


     *


 数日経っても琉心が釈放されることはなかった。


「おい、起きろ」


 冷たい水を掛けられ目を覚ます。今日も拷問は続くのだろう。琉心は虚ろな瞳で、目の前に立つ兵士たちを見上げた。


「おとなしく罪を認めれば、ここから出してやるぞ」


 それで待っているのは処刑だろうと内心思うが、もちろん口には出さない。

 兵士が鞭を振り上げた。しなった鞭が琉心の腕を容赦なく打つ。


「うあっ……!!」


 琉心は呻き、息を荒げた。

 それでも口を割らない琉心に、兵士たちは大仰に息をつく。


「まったく、強情な……」

「貴様、朱麗様に目をかけてもらってるようだが、こうなってはその恩情も受けられまい。なにしろ証拠が挙がってるんだからな」


 その名を聞いて、琉心は気丈にも顔を上げた。


「一楽士として見てもらってるだけですよ。その辺の宮廷楽士と変わらない……」


 言ってて虚しくなってきた。

 琉心だって、少しは期待もした。自分が朱麗の前に姿を現さなくなれば、助けに来てくれるんじゃないだろうかと。

 捕まってから何日経ったか。その間なにも音沙汰がなかった。

 琉心はくっと自嘲気味に笑う。

 これは罰なのだ。運命に抗い、来世に托した自分への。立場を弁えずに王女の傍にいようとした楽士への。


「はっ! どっちにせよ、もう貴様には関係のない話だな。二度と王女に会うことはないのだから」


 そう言ってまた鞭を振り上げる。


「あぁ!!」


 琉心の身体が跳ねる。縛られた腕に縄が食い込んだ。

 兵士は執拗に琉心の身体に鞭を打つ。

 琉心はいつしか気を失っていた。

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