第九章 断罪(二)

 朱麗の三線を披露する機会は、しばらくない。だが朱麗には一つ、目標があった。


「うーん、朱麗様。お気持ちは分かりますが、やっぱりそれは手に合ってないんじゃないでしょうか」


 週に一度の稽古の時間。朱麗が手にしていたのは、女王が遺した三線である。

 朱麗はその三線を、大事そうに撫でた。


「でも、どうしてもこの三線を弾けるようになりたいのよ……。母上の形見だから」


 それを言われてしまっては、琉心も返す言葉がない。

 朱麗は大事そうに三線を抱いている。琉心は膝を叩いた。


「よし、やるだけやってみましょう! 師としての腕の見せ所だ」


 琉心の威勢の良い声に、朱麗の表情は明るくなった。

 これでいい、この距離を保つのだ。そう思いながら、琉心は三線を手に取った。




 自分から言い出したからにはやり遂げたいのか、朱麗は苦心しながらも形見の三線を弾けていた。時折突っかかるのは、やはり手に大きさが合っていないせいか。

 しかし時間になってしまったので、今日はここまでだ。

 三線仕舞いながら、琉心は話し出す。


「一度弾ける感覚を掴めたからでしょうね。練習すれば、その三線でもいけそうです」

「本当!? 嬉しいわ。母上のように弾いてみたいってずっと思ってたから」


 はにかむ朱麗に、琉心も笑みが零れてしまう。


「女王様は幸せですね。朱麗様からこんなに想われて」

「ふふ、素敵な母だったのよ。そういえば、琉心のご両親はどんな方なの?」


 三線の師のことは以前ちらりと聞いたが、親については聞いたことがない。楽を嗜む人ではなかったのだろうか、と気になって聞いてみた。そういえば、故郷についても琉心の口からはあまり聞かないことに気がついた。

 琉心は視線を泳がせる。


「あー……。俺、孤児なんですよ。生みの親の顔は知りません」

「え……?」


 思いもよらなかった事実に、朱麗は言葉を失った。琉心は困ったような笑顔で続ける。


「楽の師が育ててくれたから、あの人が親といえば親だけど……。正直いろんなことに厳しすぎて、親というより師匠って感じなんですよねぇ」


 努めて明るく言ったつもりだったが、朱麗は俯いてしまった。


「ごめんなさい……。あなたの事情も知らずに、軽々しく聞いてしまって……」

「いや気にしないでください! 顔も知らないんですよ。悲しいとかそういうのもなくて……。話す分には全然構わないんです」


 朱麗はおずおずと視線を上げる。


「じゃあ……聞いてもいい? あなたの子どものころの話」

「秀でて楽しいことはありませんよ?」

「いいわ。楽しいかどうかはわたくしが決めるから」


 ふわりと笑って言う朱麗に、琉心は苦笑した。仕方ない、と腰を据えて話し出す。


「俺は織古の海岸に捨てられていたそうです。それを見つけたのが師匠。そのまま育てることにしたと言っていました」


 物心ついたときから、この話は聞かされてきた。その頃にはもう前世の記憶があったから、捨てられた悲しさとで混乱もした。


「本当に厳しい人で……。今思えば、俺に悲しいとか考える暇を与えないようにしてたんでしょうね。学やら武術やら、あらゆることを仕込まれました」

「三線もその一つ?」

「はい。おかしいんですよ? 昼間は計算を間違えては定規で叩き、空手では突き飛ばしているのに、夜は酒を呑んで三線を手に歌うんですよ。その三線がまた見事で……」


 早弾きは琉心の上を軽くいく。加えて『泣きの三線』といえば琉心の師匠のことだった。あんなに酔っ払っているのに、どうして誰をも泣かせる旋律を弾けるのか、琉心は長年疑問に思うほどだった。


「大好きなのね、師匠の三線」

「えぇ」


 だからこそ、三線弾きを志した。王都に出ることにあまりいい顔はされなかったが、琉心がどうしてもというのなら、と送り出してくれた。


「師匠としては織古にいてほしかったみたいなんですけどねぇ。俺は爪紅の君を探したかったから」


 琉心は遠くへ視線を向けた。

 結果的に、そう思って故郷を出たのは間違いではなかった。こうして再び彼女と出会うことができた。一生かかっても国中を回る気でいたが、僥倖だといえよう。

 たとえそれが、結ばれる運命になくとも。


「……早く、見つかるといいわね」


 想いを馳せていた琉心は気づかない。朱麗の瞳が揺れていたことを。


「えぇ」


 二人の視線は交わらない。


     *


 それは瑠玻羅の春にしては珍しく、曇天の日のことだった。朝から強い風が吹き、折角綺麗に咲かせた花を散らせてしまう。

 街に出た琉心は、楽器屋へと来ていた。


「おう、琉心じゃないか。今日はどうしたんだ?」

「ちょっと撥を探しにね。いいのあるかい?」

「なんだぁ? 贈り物か?」

「まぁそんなとこ」


 店主はにししと笑いながら、撥の入れてある棚を開ける。


「羽織りの君かい?」

「なんですか、それ……」


 にたにた笑う店主に、琉心はげんなり顔だ。店主が肘で琉心を突いてくる。


「とぼんなよぉ。お前さんの羽織りを被ってたあの子だよ。よく顔を見せてくれなかったけど、なかなかのべっぴんさんだったようじゃないか」

「……おやっさん。あんまり出歯亀すると、噛まれちまうぜ?」


 店主はあっはっはっ、と豪快に笑ってごまかした。

 朱麗が美人なのは知れたこと。ただ、そこに柔らかさが混じるようになってきたことは、琉心自身も気がついていた。

 変わったことといえば、琉心が正式に楽の師となったことくらいだ。

 と、思いたい。少しくらい、自惚れることは許されるだろうか。

 店主が出してきた撥の中で、きらりと煌めくものがあった。


「おっ、お目が高いねぇ。そいつは職人の腕を凝らした一品だよ」

「これは……瑠璃?」

「そうとも。象牙に瑠璃を埋め込んであるのさ。こいつを贈りゃあどんな女もイチコロさ!」


 イチコロかどうかは置いといて、この撥は捨てがたい。最近の朱麗は、とみに『瑠璃姫』と称されているのだ。


「いくら?」

「毎度あり! 綺麗に包んでやるよ!」

「そういうの、いいから……」


 琉心は頭を抱えながら、お代を支払った。




 花模様の布袋で包んでもらった撥を、琉心は手の平の中で玩ぶ。

 これを渡すときのことを想像してみた。喜んでもらえるだろうか。

 朱麗の笑顔を思い浮かべ、琉心も笑みを零しかけたその時だった。


「楽士、琉心だな?」


 剣を携えた兵士が三人、琉心を取り囲んだ。鋭い視線を琉心に向けている。


「そうだけど。なんか用かい?」

「貴様を反逆罪で捕らえる!」


 反論する間もなかった。琉心は羽交い絞めにされる。撥を入れた袋が落ちた。

 風が砂を巻き上げ、花模様を煤けさせていった。

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